「ミュンヘン」 05米 評価4(5点満点) メジャー度3
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、ジェフリー・ラッシュ他
1972年のミュンヘンオリンピック開催中にイスラエル選手団の11人がパレスチナのテロリストに殺され、イスラエルがその報復として11人のパレスチナの要人の暗殺を企てたという実話を元に、最近いまいちな映画が続くスピルバーグが監督。物語はドキュメンタリー調(当時の映像を交える)に11人が人質に取られるところから始まる。ドイツの人質救出作戦は失敗に終わり、人質は全員死亡。この報復に選ばれたアヴナーはイスラエルとの関係を抹殺され、存在しない人間として行動する。アヴナーをキャプテンとした5人は次々に目標とする人間たちの暗殺を企て、素人だったアヴナーは真の暗殺者へと変貌していくが、次第にこの5人が敵対パレスチナテロ集団の標的となっていくのだった。
「プライベート・ライアン」で衝撃の映像を見せたヤヌス・カミンスキーの揺れるカメラワークが、色あせたヨーロッパの雰囲気、暗殺シーンの躍動感と静寂等、映画の主題とぴったりあっていることもあって秀逸である。そして役者たちも地味で堅実で、ヨーロッパ的雰囲気を良く出している。実話を基にしているとはいえ、きわめて写実的で、スピルバーグがここ最近の映画で見せていた甘甘な演出はかけらもない。
本作はイスラエルからもパレスチナからも批判が出ているらしい。それはそうだ。スピルバーグはどちらに味方するでもなく、暗殺、テロ、戦争が以下に無益で終わりのないことかを描いているのだから。ごく一般人だったアヴナーは、暗殺当初は引き金を引くのに戸惑い、標的以外の一般人に被害者を出すことを避けているが、それがまさに「機械的」に殺人を犯すようになり、標的以外も武装していれば殺してもかまわないと自分で自分に言い訳を作る。国家のためといってはじめたことが、次第に機械的になり、最後には自分自身を守るために殺人を犯すことになる。国家は自分たちの居場所を守るため、それを脅かすものに報復するという大義名分を掲げるが、実際に動いているのは個人であり、実際のテロリストたちは本当に何を守るべきかわかっているのか?というのがこの映画の主題ではないか。そこにどこの側につくかどうかは関係ないだろう。ユダヤ系であるスピルバーグが、映画監督として最高の地位にありながら良くこの映画を公平な立場で作った(彼でなければ大作でこれほどの問題作は作れなかったろう)と思う。
国家や組織のために(実際はどうかわからないが)動く暗殺者が、いかに孤独で、上層部に命の重さもなく動かされているだけかを、スピルバーグは徹底的に個人だけを相手に情報を売るフランス人組織を対象的に描くことでさらに浮き彫りにする。彼らのボスは大家族と一緒に住み、多くの孫たちと楽しく暮らしている。アヴナーはそんな彼に触れることや、妻の出産立会い、電話で娘の声を聴くことで何とか家族という存在を感じながら暗殺を繰り返すのだが、もしそれらがなかったら、「国家のため」というあやふやな作られたイデオロギーのもと、暗殺者として一生を終わったことだろう。最後のシーンが実に象徴的だ。アヴナーは自分の家族と一緒に夕食をどうかとイスラエル高官を誘うが、彼はむべもなく断る。アヴナーは彼に、自分の一番大切な実態のある家族を見せたかったのに、彼にとって守るべきは家族ではなく、実体のない国家なのだ。そのシーンに遠景に見える世界貿易センタービルをかぶせ、この後にも延々と続くテロへの巨大な絶望感と、それでも個人のレベルでは無益な殺戮が何も意味を持たないこと、愛する者と過す時間の大切さをわかっている人間はいるはずというかすかな希望を感じさせて映画は終わる。
“淡々と”といえるほどの演出でありながら、2時間44分を飽きさせることなくまとめ、やはりスピルバーグは本気になればとてつもない映画を作ることを再認識。これからもまじめな映画なら名作を作っていくだろうとほっと一安心した。しかし、映画としての出来も非の打ち所がないが、評価としては4となる。これはやはり、無宗教の私にはイスラエルVSパレスチナという宗教に根ざした争いがいまいちピンとこないこと、暗殺者の生活がやはり一般人の感覚からは稀有なものに映ることが要因だろう。