本名:長島栄蔵(通称栄ちゃん)
生没年:1916年〜2002年
住居:東京都北区
TPとの続柄:母の父


僕の最愛の友人へ 〜栄蔵師匠に捧げる〜        by TP

木馬会会報「2002年有馬記念号」より修正

 平成14年10月31日、私の母方の祖父である長島栄蔵氏が逝った。そう、私の競馬の師匠である栄蔵である。

 私の高校生ぐらいまでの記憶の中のおじいちゃんは、羽振りの良い、いろいろ買ってくれて、とても面白いというだけの人であった。競馬をはじめるようになって、また自分が大人になったのか、他の親類は相変わらずいろいろ買ってもらっていたが、私はおじいちゃんと共有する時間の方を大切にした。それは競馬に対する姿勢、馬券のうまさは言うに及ばず、人としての度量の大きさを少しでも身につけたいと願ったからに他ならない。

 私がおじいちゃんを本名を使っても恥ずかしいとも思わずに師匠と呼ぶのにはそれなりの理由があるのだ。まず、年間200万前後を儲けていたという事実。彼は、競馬をしに行く日の出かけ前と後での財布の中身を手帳につけており、この差額をトータルしてそれだけ儲けていたと実証されている。競馬を全くやらない娘(私の母)が確認しているので間違いはない。口では儲けた話ばかりしている人は掃いて捨てるほど知っているが、おじいちゃんの場合は事実であった。更に、彼の買い方は1レースにつき1万円以下。つまり、堅い馬に大金をつぎ込んで儲けるのではなく、穴を効率的に当てるやり方での儲けが200万である。これは凄いことである。もうひとつ、私や私の知人の目の前で何度も大穴をぶち当てていることだ。忘れられないのが91年の有馬記念。彼は当時発売されている全ての馬券でダイユウサク絡みをあてたのだ。単、複、枠、馬、そのレースだけで30万近くを儲けていた。一緒にいた私は複勝だけしか買わなかったのを非常に悔やんだものだ。その次の年のメジロパーマーもそうだ。3万円越えの馬券を当てている。

 彼の馬券の買い方だが、前日に検討して、荒れそうで狙う馬がいるレースだけを1日3レース程度、パドックや馬体重は気にせずに購入するというものだ。だから、私と競馬場でやるとき以外は馬券を買ったらさっさと浅草あたりの行きつけの店で飲んでいるという感じだった。完全にそれが徹底されていた。競馬を愛していた。でも目の前でレースが行われていても買わないレースは買わないという自制心が負けることはなかった。

 馬券の買い方だけでなく、人としても感心することしきりだった。競馬場、場外馬券場に行くときはいつもばりっとしたスーツを着ていた。馬券が取れなくても言い訳は一切口にせず、愚痴も言わなかった(3レースのうち1レース当たればプラスになる買い方をしているためと私は解釈していた)。当たっても自慢げに話しつづけることは一切なかった。といっておとなしい人では決してなく、チャキチャキの江戸っ子で、飲みに行けば、飲み屋の女性をからかってばかり(不思議と女性も彼になつく)。そして、私の知り合いと一緒に飲むのが好きだった。というより若い人間と飲むのが好きだった。ざっと30人以上の私の学生時代の友人がおじいちゃんのことを知っている。浅草のふぐの有名店・三浦屋に大学の友人3人と連れて行ってもらったのも、浅草で焼肉→寿司→スナックという学生時代でこれ以上はないという贅沢をさせてもらったのも、みんなおじいちゃんのおかげである。ご馳走してもらった私の友人達皆がおじいちゃんを好きだったことは93年に胃がんで余命幾ばくもないと診断されたときに何人もの友人がおじいちゃんのお見舞いに来たことで証明された。それに何人の彼女をおじいちゃんに会わせただろう。競馬以外の話をこの場で延々とするのも場違いなのでここらでやめておくが、とにかく、ある意味親よりも特別な存在であり、私のもっとも尊敬する人だったのだ。

 おじいちゃんの形見として、競馬絡みでは競馬用の財布、競馬場に来るときによくかぶっていたハンチング帽、木製の馬の置物をもらった。競馬用の財布の中には2001年のJRA競馬カレンダーと、3枚の使用済みオッズカードが入っていた。85歳にしてなお競馬場、場外に出向き、オッズカードにてオッズを取り出していた。そこまで競馬が好きだった。おじいちゃんは私が凄い凄いと言う度、「60年も競馬やってるんだから当たり前だろう」と言っていた。果たして私がその域まで到達するのには何年かかるのだろう。いや、永遠に到達できないのかもしれない。

 それにしても、本当に良く一緒に競馬場に行ったものだ。特に胃がんから奇跡的に復活した後には。温泉とパックで福島競馬場にも行った。晩年の12,3年間、競馬での付き合いは誰よりも私が一番と自負している。93年におじいちゃんが胃がんと知ったとき、私は夜通し涙が止まらなかった。その後回復したときは後悔しないようにとおじいちゃんを何度も競馬場に誘った。だから今でも私は競馬場でおじいちゃんの姿を思い浮かべることができる。小柄で、ばりっとしたスーツを着て、私を見つけると「ヨッ」と片手を上げて近寄ってきたあの姿を。

 競馬場に行くとき、僕はおじいちゃんの競馬用の財布を身に付け、小さめのハンチング帽を深くかぶり、いつも一緒に馬券を買っていた場所でこうつぶやく。

「さぁおじいちゃん、一緒に競馬をしよう」


19898月の栄蔵師匠   20021月晩年の栄蔵師匠とTP、娘優莉