終.We love Kanon!
16時30分。大会は全てのプログラムを終了し、閉会式を残すのみとなった。
体育館集合の放送が流れ、校内の至るところに散っていた生徒達がぞろぞろと帰還してくる。
生徒達の姿は、埃を被っている者、びしょ濡れになっている者、泥まみれになっている者、あちこちに擦り傷を作っている者、朝にここを出て行った時の姿のまま戻ったものはほとんどいない。
どれだけ綺麗な者でも、汗一つかいていない生徒はどこにもいなかった。
しかし、それだけの激戦があったというのに、生徒達の顔は晴れやかだ。
楽しかった。本当に楽しかった。
どうしてこんな遊びを忘れてしまったのだろう、と。
そう思った生徒達も数多くいることだろう。
着席しても、ざわめきは一向に止まない。
あちらこちらで、変なところに隠れてた者、凄いのを見つけた話、大チェイスをやらかした話、様々な珍プレー好プレー話が繰り広げられているのだ。
これには、壇上に上った理事長こと増垣仙三(71)も苦笑いするしかない。
しかし、早く帰りたいと思ってる者がいるのも事実。
ここはなんとしても切り上げなくてはならない。
まずは、年長者としての威厳をもって、うぉっほんとたいそうな咳払いを一つ。
「ぐっ、げほげほげほっ、へっーくしぃっ!」
しようとして、気管に何かが入ったのか、激しく咳き込む理事長。
挙句、今度は鼻に来たのか、馬鹿でかいくしゃみまでしてしまう。
そんなものをマイク持ってぶちかましたのだからたまらない。
ウルトラソニックショックウェイブとでも言わんばかりの、凄まじい騒音が体育館を駆け抜けた。
さすがに、これには勝手気ままにしゃべっていた生徒達も沈黙する。
意図とは違う形で静まってしまった生徒達を前に、増垣理事長は気まずい顔であたりを見回す。
しばらく、そうしていたかと思うと、ふむと頷いて言った。
「まあ、いいか」
ずどどど、とかなり多くの生徒がイスから転げ落ちる。
まあいいか、じゃねーよ爺さん。
とりあえず静まったところで、理事長は再びマイクを取った。
「諸君。7時間、時間の限りまで本当によく戦った。お疲れ様。実は、この時間を迎えるまで、少しはためになる話の一つでもしようかと、私は図書室で名言集を読んでいた。だが……!」
そこで一度話を切り、生徒達の姿を満足げに眺める。
「君達の今の顔を見ていると、こんな爺が説教するだけ野暮だと思わされた。よって、省略! この大会の思い出が、諸君の宝物になることを願う。以上」
相変わらずの短い話に、生徒達は拍手を送る。
が、まあ終わりなのは理事長としての話である。
さすがに朝の二の舞は繰り返さない。
理事長は手を小さく上げて、静まれ静まれのジェスチャーを送った。
「さて、私からの話は以上だが、今日の英雄を紹介せねばな」
そう言って、理事長は衿を正して息を大きく吸い込んだ。
そして、どこでマスターしたのか、コーラスばりの美声でその名前を呼ぶ。
本当に、芸が細かい。
「校内かくれんぼ大会、最高優勝! ゲストの月宮あゆさん、前へ!」
マイクを置いて、理事長が拍手し始めると、生徒も教職員も一斉に拍手を始めた。
スコールのように降り注ぐ拍手の中を、小さな少女がおっかなびっくりきょろきょろ周りを伺いながら歩いていく。
「うぐぅっ!」
お約束どおり、また何もないところで転んでるし。
おまけに、席の間を通ってるとかわいいーとか言われてもみくちゃにされて、理事長の前に出るころには、あちこちぐしゃぐしゃになっていた。
ちなみに、おもにもみくちゃにしてたのは前列に控える一年・二年の女子だから哀れである。
ここまでオモチャにされる年上というのも珍しい。
というか、多分みんなあゆが三年と同年齢であることを知らないのだろう。
「なんだか君は、不幸の星の下にでも生まれてるんじゃないかと思うが、大丈夫かね?」
「だ、大丈夫です」
さり気に、心配してる理事長の方が酷いことを言ってるような気もするが、どうにかあゆは大丈夫らしい。
理事長は苦笑いしながら、三十万円分の商品券が入った御祝儀袋を取り出す。
「7時間、よく一人で生き延びた。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
緊張しながらも、ぺこりとあゆは大きくお辞儀をする。
だが、あゆはお辞儀をするだけだ。
決して、理事長の差し出したぶ厚い御祝儀袋を取りはしない。
「む? どうしたんだね? ゲストだからと気にすることはない。これは君への賞品だ」
「えっと、その……」
左手を差し出し、一応その御祝儀袋を受け取ったものの、やはりあゆの表情は晴れない。
30万程度では足らなかったのだろうかと、理事長が首を傾げた時だった。
意を決したあゆは、受け取った御祝儀袋をずいっと理事長に差し出した。
「あの、これ受け取れません」
「なんと!?」
寝耳に水のとんでもない発言に、理事長の目が飛び出さんばかりに開かれる。
30万円分の商品券である。
いくら商店街だけとはいえ、それでどれだけのものが買えることか。
それを、目の前の少女はいらないというのだ。
あゆは、驚いたままの理事長に、あたふたと身振り手振りを交えて理由を説明し始めた。
「ボク、この大会とっても楽しかったです。十分間だけだった気もするけど……、おじさんの言った宝物みたいな思い出になったのは、みんなのおかげなのに……ボクだけこんなのもらうなんて」
「ふむ。では、君はこれをどうしたいのかな?」
「えっと、みんなの思い出だから……みんなで分ける?」
なんだか、いまいち説明しきれていない気もするが、あゆの言いたいことは誰にだって分かっただろう。
一部始終を聞き終えた理事長は、顔を伏せてふるふると震え出した。
「あっ、ごめんなさい。せっかくもらったのに……」
「ぐわははははははは!」
怒らせたと思って、あゆが謝ろうとした瞬間、理事長は顔を上げて豪快に笑い出す。
あまりの豪快さとそのボリュームに、あゆを含めて生徒達はひっくり返りそうになった。
「この大金を前に、他人に感謝の気持ちを忘れないとは大した娘さんだ。いや、この増垣、実に感動したぞ」
「えっ? うぐ?」
「確か、君はこの学校に入学を希望してるんだったね」
「は、はい」
実に愉快そうな理事長に、あゆは何がなんだか分からず戸惑いの表情を浮かべている。
まあ、それはそうだろう。
あゆにしてみれば、当たり前のことをしただけなのだから。
昔も今も、月宮あゆは変わらずそんな娘だ。
だが、それを当たり前と思えることこそ、理事長がここまで感動している理由なのである。
「君のような心の清い学生は、こちらからお誘いしたいくらいだ。入学試験? そんなものはよろしい。希望するなら、明日からでも体験入学を認めよう」
「え、ええっ!?」
あまりの突き抜けた理事長の発言に、あゆは後ろを振り返って生徒達の反応を見る。
いいの? 本当にそんなので?
そう問いかけるように。
そんなあゆに対して、祐一が、名雪が、栞が、すっと立ち上がり拍手を送る。
すると、どうだ。香里、北川、そしてあの最後の10分間を目にした者に続き、全生徒が一斉に立ち上がって拍手を送った。
全校挙げての歓迎ムードに、あゆは思わず嬉し涙をこぼす。
こんな形で夢がかなうとは思わなかった。大好きな人達と一緒の学校に通えるのだ。
あゆがどれほど幸せそうな顔をしていたかは言うまでもない。
それを満足そうに見ていた理事長は、教職員席の先頭に控える校長に視線を送った。
「ということで、生徒達も歓迎してるし、彼女をうちに入れてやりたいと思うのだが、どうだね?」
煤けたハゲ頭に、煌きが戻る。
もう二度とこんな日は来ないと思っていた。
再び、生徒の前でマイクを握ることが出来るなんて、今日はなんて素晴らしい日だ!
終始俯きっぱなしだった校長は、がばっと顔を起こすと、その一言に万感の想いを込めて言った。
「同感です、理事長」
ところ変わって、とある街角の外科医院。
今日は休診日だというのに、窓からは明るい光が漏れていた。
「わははははは、愉快愉快。メロスだ、メロスが来たんだ!」
「あのー、久瀬。学生が酒はまずいんじゃない?」
「安心したまえ、これは本みりんだ。酔いはしても酒ではない! しかし、お休みのところ悪いね近藤医師」
「なになに、久瀬のおぼっちゃんのお友達の一大事とあれば、いくらでも一肌脱ぎますよ。わっはっは」
「あの、先生! 妙にハイテンションなってますけど、その注射なんですか!? シャブはまずいでしょう、シャブは!」
「バカモノ。これはアドレナリンだ。ノリたい時は、酒なんぞよりこっちの方が効く」
「まったく、失礼だな斉藤。近藤医師ほどの名医が、院内で酒を飲むわけなかろう」
「しかし、ノリが悪い男ですなこやつは。一本打っときますか」
「って、痛い痛いっ! 手を乗せないで、骨折れてるんだから!」
「あれくらいで骨折とは軟弱者め」
「栄養分が足らんのでしょう。そこの観葉植物、枯れてしまいましたし、余ってる栄養剤をこやつの足に差し込みますか」
「うん、それがいい。やってあげたまえ。……ただ、僕は尻がいいと思うな」
「ちょ、ちょっとやめ……誰かーーっ!」
診療室から聞こえてくる、いつ終わるとも知れない大騒ぎを耳にしながら、待合室のイスに四人の少女が輪になって座っていた。
みんな、一様にげんなりした顔をしている。
「なあ、ミッシー……。いつまでウチらここにいなきゃなんないんだ?」
「私に聞かれても……」
「サチコー、あたし帰りたいよ……」
「でも、帰ろうとしたらあの会長が追ってくるし……」
四人、帰るに帰れずため息をつく。
リーダー格の少女は、ふとこんなことを口にした。
「なあ、あの会長さんも誘ってたし、うちらで生徒会やらない?」
「サチコ、それ本気?」
「だって、あんなアブないのが生徒会長じゃん。いくらウチでも、学校の行く末本気で心配したよ」
「確かに……あれは、ねえ」
別に普段の久瀬はああではないのだが、普段の彼について彼女達はまったくと言っていいほど知らないのだから、あれが素だと誤解されるのも無理はない。
そして、あんなのが生徒会長だと思えば、誰だって学校の行く末を心配してしまうだろう。
だが、それとは別に、何か愉快なことがあるのか、リーダー格の少女はにやっと仲間達に笑みを送りながら隣に座った美汐の頭をぽんぽんと叩いた。
「それにさ、ここに会長にぴったりな奴がいるじゃん。こいつ、生徒会長にしてみたらきっとオモロイぞ」
「ぶっ! 天野が生徒会長!? あはははははは!」
「さすが、サチコ。それ、すっげー面白そう。やってやろーぜ」
よっぽどウケたのか、大笑いを始める不良生徒達。
ぽんぽん頭を叩かれながら、小さくなってちょこんと座ってた美汐は何がなんだか分からずきょとんとするばかり。
「よし、新しい学校の顔役に乾杯だ。あんたら、ちょっと酒でも取ってきな」
「でも、外出たらあの会長が追ってくるんじゃ?」
「ばーか、診療室で騒いでる不良医者だぞ。どうせ部屋に一本か二本隠し持ってるっての」
「それもそだね。じゃ、あたしらてきとーに漁ってくるわ」
手をひらひら振って医長室へと消えていく不良生徒二人。
待合室には美汐とリーダー格の少女だけが残された。
「ま、そーゆーことでよろしくな、ミッシー」
「は、はぁ……」
どうしてこんな流れになったのか、いまだに理解できずに美汐は戸惑っていた。
まあ、だからこそウケたのだろう。
こう人前とか壇上に立ったりするのがどう見ても似合いそうにない少女が、生徒会長として君臨する姿があまりに想像できなくて。
しかし、見かけによらず少女には肝の据わったところがあるのを、リーダー格の少女はもう知っている。
「あの……私一人でやれとか、そういう話ではないですよね?」
「当ったり前じゃん!」
ぱぁん、と美汐の背中に振り下ろされた手が、待合室に景気のいい音を響かせる。
その時、美汐は確かに微笑んでいた。
A F T E R
ZONE OF EDUCATION
L I K E A S K A N O N
有史以来、人類は様々な物語に空想を思い描いてきた。
では、Kanonほどの奇跡が導く夢の行き先は何だ――?
それは過去、現在、未来、IFが織り成す展望。
思いやり、怒り、哀しみ、喜び……様々な可能性。
でも、時々でいいですから、思い出して下さい。
叶わなかったことも、あるかもしれないけれど……。
それでも、ボクたちが望んでいたもののことを。
これは、一つの形。
キミの心に残す、ボクたちの――
オール・ハッピーエンド
たくさんの幸せな結末。
――祐一君。この先、ボクたちはどこまで行くのかな?
「そうだな、新しい夢を探しに行こう」
「新しい夢?」
「新しい始まり、展開、結末。人の数だけ夢の形はある」
「探し物、見つかるかな?」
「見つかる。見つけに行くんだ」
――楽しみだねっ。
【You're next...】
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