「夕陽に染まる水面」
「というわけで、俺たちは夕暮れの風音学園内にいるのですよ、こだまさん」
「……何が「というわけ」か、さっぱりなんだけど?」
夕陽の差し込む窓側の通路に立つ一組の男女。
小柄な女の方が、ジト目で傍らを見上げた。
「いきなり呼び出されて、よその街の学校に連れて来られたかと思ったら、学園内に不法侵入させられて、それが「というわけ」で誤魔化せるほど、世の中は甘くないのっ」
「ちっ、こだまさんのくせに生意気な」
「生意気でいいです。ちゃんと納得できる理由を話さないと、怒るからね」
「あーはいはい、わかりました。ちゃんと説明しますから、こんなところで説教は勘弁してください」
怒っても怖くはないが、機嫌を損ねられて、行動に支障をきたすような事になるのは避けたい。
舞人は真剣な面持ちで数日前の出来事を語りだした。
その日、舞人は親友の相楽山彦と「探検発見ぼくの桜坂市コラム対決」を繰り広げた。
「アウトォォォーーーーーーーーーーッ!」
九分間にもわたる激闘は山彦の勝利で幕を閉じた。
「敗者・桜井舞人! お前の友人たる丘野某の卒業校で数年前から怪奇現象が起きているという噂だ。敗北のペナルティとして、それを調査してくるのだッ」
ビシィッ! と人差し指を突きつけられ、彼の運命は決まったのである。
「――というわけで、俺たちは夕暮れの風音学園内にいるのですよ、こだまさん」
「り、理由はわかったけど……なんで私まで駆り出されないといけないのかなあ」
困り顔のこだま。まじかるの国から魔法少女がやってきてもおかしくはなかった。しかも数ヶ月前に卒業したばかりの桜坂学園の制服まで着用という有様だ。
「私もう大学生なのに、こんな格好だと高校生に間違われちゃうよ」
「……ええと、とりあえず理解していただけたってことで納得していいっスね」
小学生とも見紛う少女の恐るべき発言に冷汗を垂らしながら、舞人は同意を求める。
「う、うん――じゃないよっ。舞人君、不法侵入は立派な犯罪なんだよ!」
「大丈夫です、今日は休校日ですから。それに人の家のものを勝手に自分のものにしても問題ないのは勇者様御一行が証明してくれてます」
「そういえば、最近新作のRPGゲームを買ったって言ってたね」
「そうです。世界に平和をもたらすためには仕方のないことなんです、分かりましたね」
「うん、しょうがないよね…………あれ、なんで?」
あと一歩で話題をそらせるところで気づかれ、舞人は思わず「ちぃっ」と舌打ちした。
次なる一手を打とうとしたそのときである。
ぶぅおぉおおおおおぉ
「うわおぉっ!」
「な、なに?」
突如として響いた珍妙な音色に驚く二人。舞人は足が震えるのをこらえ、ここぞとばかりに叫んだ。
「これが風音学園に数年間続いているという怪奇現象に違いない! 俺が様子を見てきますので、こだまさんはここで待っていてください」
「え、ちょ……舞人君っ」
ダッシュで駆けていく後ろ姿を呆気に取られて見送ったものの、心配になったこだまは程なくして後を追った。通路の角を曲がって近くの教室のドアに手をかける。
教室に入ったとき、こだまは目を疑った。
「え、彩? なんでここに……って、舞人君!」
絶叫。風音学園の制服に身を包んだ少女の後ろには、首をロープで吊り下げられた、血塗れの舞人の姿。
友人である月代彩の手には、血に濡れた一刀が妖しくきらめいていた。
「彩、なにこれ、どうなってるの?」
「見たとおりですよ、私が桜井さんを斬ったんです」
「……な、なんで、どうしてっ!」
「貴女の胸が身長に反して大きいからですよ」
「ええっ?」
淡々と低い声でとんでもないことを口にする彩。流石のこだまもついていけず、愕然と目を見開くばかりだ。
「私と貴女は、童顔で背丈も低く、小学生の如き容姿のロリキャラという点で非常に似通っています。そう、親近感すら覚えるくらいに。ですが……胸が、胸だけが違うんです。私はつるぺたなのに、貴女はっ!」
「ま、まさか、そんな理由で……?」
「そうですよ」
こだまが恐怖で声も途切れ途切れだと感じ取った彩は、冷笑を浮かべて首肯した。
「……許さない」
「っ!?」
「胸なんて飾りなのに、偉い人にはそれが分からないのに……絶対に許さない! 私の名は里見こだま、いま初めてあなたの敵にまわる!」
凄まじい気迫に思わずたじろぐ彩。こだまは恐怖ではなく、燃えるような怒りに震えていたのだ。
しかし彩もすぐに鋭い視線を返して対峙する。
「私は後に引くわけにいきません。取り戻すんです、こんなはずじゃなかった世界の全てを」
「エゴだよ! それは」
「ならば、お得意の説教で愚民どもに今すぐ叡智を授けてみせなさい!」
ごろごろと床で取っ組み合いを始める二人の少女。
「彩は、その怨念で何を手に入れたの!」
「管理者の力と孤独です、さすれば勝つ!」
「私は人は殺さない、その怨念を殺す!」
いつの間にかピーターパンの衣装になっていたこだまが、短剣を構えて叫ぶ。彩が教壇から跳躍して刀を振り下ろし、迎え撃つこだまと交錯し、両者の刃は互いの身体を刺し貫いた。
「西又御大、浄化を!」
口から血を流したこだまの一声と同時に、御大オーラが溢れ出し、全てを飲み込んでいった――
彩とこだまが目を覚ますと、心配そうに見下ろす丘野真と桜井舞人の姿が視界に入った。顔を見合わせてきょとんとする二人。
つい先刻まで宿命の対決を繰り広げていたはずなのだが、そんな痕跡は微塵も無かった。こだまも桜坂学園の制服姿に戻っている。
「俺たちが教室に入ったら、気を失って倒れている彩と里見さんを見つけたんだ」
真の説明に合わせて舞人が隣で頷いたとき、またも奇妙な音色が響き渡った。
ぶぅおおおおお ぶぅおぉ おぉ
「この音色は……屋上か!」
ハッとして階段を駆け上がる真。公式設定によれば頭の回転が速いということらしい。
「真さん!」
後を追う彩。舞人とこだまもそれに続いた。
一面の夕焼けが広がる屋上に、その少女は居た。
「まこちゃん……やっと来てくれたんだね」
「君は?」
「私にくれたこの角笛を覚えてるよね。ほら、まこちゃんのイニシャルもちゃんと入ってるよ」
「みなも……鳴風みなもか!」
「そうだよ。まこちゃんと再会できるよう、この角笛の音色が、風に乗ってまこちゃんの耳に届くよう、ここでずっと吹いていたんだから……卒業してからもずっと」
「ああー、そういやそんなこともあったっけ」
すっかり忘れてたという風な笑みを浮かべ、軽く頬を掻く真。危ない奴だろうから関わらないようにしようと、屋上へ立ち寄ることなく現在に至ったのである。
隣の三者からとても気まずい空気が流れた。
「それでね、お願いがあるの」
茜色に染まった顔は、数年越しにも渡る念願の再会を果たした少女のものとは思えぬほどに、黄昏の寂寥感を浮き彫りにしていた。
「……お願いってなんだ、言ってみろ。俺にできる事なら何だって聞いてやるから」
流石に罪悪感を覚えたらしい丘野真である。
そしてみなもは少し嬉しそうに口元を綻ばせた。
「簡単だよ。私を……殺してほしいの」
「なっ!」
驚愕におののく一同。真が何か言おうとする前に、みなもは自分の背中を指し示した。
「羽が黒く……まさか、劇症化!?」
みなもの背に広がる純白の翼は、半分以上が闇色の漆黒に侵食されていた。普通ならとうに異形天使と化していてもおかしくはないのに、真を想う精神力のなんと凄絶であることか。
「だからお願い、私を殺して」
「そんな……できるわけないだろ!」
「もう限界なの……このままじゃ私、まこちゃんを壁際に追い詰めて、胸倉を掴んで、問い詰めちゃうよおっ!」
よろよろと真に向かって歩を進めるみなも。意思に反してストレートロングの髪をツインテールに結び変えようとするのを、必死に堪えている。
「まこちゃん……私を、清純ヒロインのまま……」
「みなも……っ」
それでも真は動けない。葛藤で手を出せないでいた。
みなもの足が半ばまで進んだとき、小柄な体躯が真の横を通り過ぎて、銀光の一閃をきらめかせた。
仰向けに転がった上半身。幼なじみの少女は、涙を流しながら、どこか歓びの混じった苦笑いを形作った。
「もう……本当に、まこちゃんは……いくじなし……なんだから」
最後に精一杯の笑顔を浮かべ、みなもは、淡い粒子と化して拡散し、夕陽に溶けて消えていく。
「み、みなもぉぉーーーーーーーーっ!!」
悲しみの絶叫だけが風に乗って遠く霞んだ――
「ん……」
心地良い振動に揺られ、真はゆっくりと目を覚ます。
「お目覚めですか、真さん」
「彩……ここは」
隣に座る彩に目をやり、周囲を見回す。どうやら列車内のようで、窓から流れる景色は広大な青空だ。
「まて、これはいったいどういうことだ? 確か学園の屋上にいたはずじゃ」
「真さん、寝惚けているんですね。私たちは新婚旅行の途中じゃないですか」
「えっ……ああ、そうだった……かな」
夢だったのだろうか。考えてみれば夢としか思えないような非現実的な内容だった気がする。
そう、今は喫茶店「one day」で結婚式をあげた彩と新婚旅行を楽しんでいる最中のはずだ。
「でも、ちょっとまて! この格好のまま旅行ってのはいくらなんでもおかしいぞ」
真は黒いタキシード。彩は純白のウエディングドレス。
結婚式の衣装そのままである。
「それに列車だって、この客車からしてかなり時代がかってるというか、外国風のデザインだし……窓から見える景色もなんか日本の風景じゃないような」
「この列車の名は、プレステ=ジョアンですよ」
「プレステ=ジョアン?」
「黒の切符を手にした者は、黒い列車に乗り旅立つさだめ。私たちは、夜のとばりに閉ざされた、失われしヨーロッパを目指しているんじゃないですか」
そう言って彩が取り出したのは、真っ黒な切符。
「……もう好きにしてくれ」
諦めにも似た溜息をひとつこぼして、真は彩を抱き寄せたのであった。
越えてゆけ 越えてゆけ
黒の切符を手にしたものは 黒い列車に乗ってゆけ
七つの橋のその向こう 旅の終わりのその先に
みはてぬのぞみがあらわれる