1月15日(金曜日)


 今日は成人の日でお休みだった。
 明後日は日曜日だし、今週はのんびりできそうだ。


 あら、いけないいけない。
 祝日だが、今日はゴミの日だった。
 手際よくゴミをまとめて家の外に出る。




 さすがに4袋は重い。
 ゴミ捨て場まで半分ほど来た所でわたしは後悔していた。


 ベチッ!


 ベチ?
 変な音がしたので振り返ると……
「うぐぅ…またぶつけたぁ…」
 あゆちゃんだった。
 あゆちゃんは起き上がると、その場であたりを見回し始める。
 他にもゴミ捨てにきている人や新聞を取りに来ている人たちがいるせいか、わたしには気付いていない。
「あ、あれ…ボク探し物してて…ここどこ? え、朝になってるよ」
 なんだかよくわからないが、あゆちゃんは混乱していた。
「うぐぅ、ボクどうしてこんな所にいるの? 全然覚えてないよぅー」
 あゆちゃんはますます大変そうになっていく。
 困っている本人には悪いが、一人で慌てて騒いでいる姿はどこか滑稽にみえた。
「…どうしよう」
 あゆちゃんの声が沈んでいく。
「…怖いよ…お母さん…」
 さすがにそんな今にも泣きそうな顔を見せられては黙っていられなくなった。


「わたしの家の近くですよ」
 わたしはそう声をかけた。
 あゆちゃんとわたしの目が合う。
「あ、秋子さん」
 しばらくあゆちゃんはこちらを凝視していたかと思うと……

「秋子さん!」

 わたしの名前を叫んで、わたしに抱きついてきた。
「ぐすっ…怖かったよ…」
 わたしは、あゆちゃんが落ち着くまで背中をさすってあげた。
 広げた両手にすっぽり収まるのがなんだかこそばゆい。
 考えてみれば、名雪にこういうふうにしてあげたことはあまりなかった気がする。
 あの子はのんびりしているようで、そういうところでは意外に親離れしているから。




「落ち着きましたか?」
「うん。ごめんなさい秋子さん。いきなり飛びついて」
「あら、別に気にしてませんよ。元気があっていいわ」
 泣き止んだあゆちゃんが胸から離れ、わたしと向かい合う。
「でもどうしてこんな朝早くにこんな所にいたの?」
 わたしは一番気になったことを訊いた。
 すると、あゆちゃんは恥ずかしそうに笑いながら……
「えへへ…実はボクにもよくわからないんだ。探し物をしてて、気付いたら朝になってて、それでここにいたんだよ」
 とおかしなことを言う。
 朝までの自分の行動を自覚してないようだ。
 そのとき、脳裏にふと月宮さんとの会話が浮かんだ。



    「秋子さん」
    「はい」
    「もしも、もしもですよ。その子がうちのあゆだったら…」
    「帰るところなんてないはずです」
    「食事や宿泊等、積極的に誘ってやってもらえませんか?」
    「ええ、あゆちゃんなら大歓迎ですよ」
    「あゆをよろしくお願いします…」



「あゆちゃん、朝ご飯はもう食べましたか?」
 とりあえず無難にそう切り出す。
「え? たぶん…まだだと思うけど」
 なら誘っても問題ないだろう。
「それじゃわたしの家で食べませんか?」
「え…いいの?」
「了承」
「えっ?」
 何か変な事言っただろうか?
 あゆちゃんは一瞬戸惑っていた。
 好意の気持ちは早く伝えるほうが相手も喜んでくれると思うのに、何故かいつも変な顔をされる。
 特に相手が知り合って間もない人物だったりすると余計に。
 姉さんはよく『じらすのは女のたしなみ』とか言っていたが、そうした方が相手に喜んでもらえるのだろうか?
 少し考えてみたほうがいいのかもしれない。
 ともかくも、あゆちゃんを気持ちよく迎え入れてあげなくては……。
「祐一さんもあゆちゃんがいた方が楽しいでしょうし…」
 あゆちゃんが顔を赤らめる。
「うん、御馳走になります」
 が、声は嬉しそうだ。
 つまりまあ、脈ありということなのだろう。
「それじゃあ少し待ってくださいね。ゴミを捨てますから」
「あ、ボクも手伝うよ」
「そう、じゃあこれをお願いね」
 一番軽い袋をあゆちゃんの片手に渡す。

 ベチッ!

「う、うぐぅ…重い…ものすごく重いよぉ」
 あゆちゃんは袋に引きずられる形で積もった雪にめり込んでいた。
「あらあら、仕方ないですね」
「秋子さん、これ10kgはあるよ」
 あゆちゃんが雪を払いながら抗議する。
 確かに無駄なく隙間なく詰めているので見た目よりははるかに重いかもしれない。
「一番軽いのを渡したんですけど…」
 そう言ってわたしはその袋を、既に一袋下げている左手で拾い上げてみせた。
「うわ、秋子さん力持ち。重くないの?」
 あゆちゃんは純粋に感心していた。
「さすがに4袋は重いですね」
 途端にあゆちゃんの顔色が変わる。
「ボ、ボク頑張るよっ」
 あゆちゃんはそう言って、さっきの袋を両手でわたしから奪い取った。


 わたしに遅れること数分、あゆちゃんは顔を真っ赤にしながらゴミを収集所に持ってきた。
 世話のかかる子だと思う。
 名雪とは大違いだ。
 まあ、世話を焼かされる子供もいいなと思う自分もいるのだが……。






「パンとご飯どっちがいいですか?」
「ご飯っ」
 胸の前に手を合わせて、ハキハキとした気持ちのいい答えがかえすあゆちゃん。
 思わずその姿に笑みがもれる。
「はいはい。じゃあ少し待ってて下さい」
 あゆちゃんは月宮さんの娘さんと同じで和食が好きなようだ。
 一通りの食事を作り、それをあゆちゃんの前に並べて、向かいに座る。
 お箸を左手に持ったところを見ると、あゆちゃんは左利きのようだ。
「うぐぅ、おいしいよっ」
 上機嫌で食事を食べるあゆちゃん。
 なんて料理の作り甲斐がある顔をするのだろう。
「あゆちゃんの好物は何かしら?」
「たい焼きっ」
 お箸を持ったままの左手が高々と挙げられる。
 威勢があるのは悪くないが、いささか行儀が悪い。
 まあ、嬉しそうに食べてくれているところで注意をするのはかわいそうだから今は黙っておいてあげよう。
「それじゃあ、今度来るときには用意しておきますね」
「ありがとう秋子さん」
 笑顔でお箸を動かしながらしば漬けを頬張るあゆちゃん。
 器用なことをやってのけるものだと何故か感心した。

 あら?

 あゆちゃんの頭……
「あゆちゃん、そのカチューシャ…」
「え、これ。変かな?」
 やっぱりお箸を持ったまま、あゆちゃんが左手で頭につけた赤いカチューシャに触れる。
 どうやらあゆちゃんは名雪に似てかなり要領が悪い子のようだ。
 いや、ひょっとしたら名雪以上に要領が悪いかもしれない。
 とりあえず、そのことは置いといて視線をあゆちゃんの赤いカチューシャに戻す。
「いえ、とても似合ってますよ」
 変どころか、似合いすぎてるくらいだと思った。
 わたしの返事を聞いたあゆちゃんは、頬を赤らめながらも嬉しそうに続ける。
「えへへ、これね、祐一君に貰ったものなんだ」

 え?

 一瞬、時が止まったような気がした。
「7年前の冬休みの最後の日、祐一君がボクにくれたんだよ。別れる時に『今度会うときはこれをつけて会いに行くね』って約束したんだ」
 あゆちゃんが少し寂しそうな顔をする。
「祐一君はもう覚えてないみたいだけど…」
 が、それも一瞬だった。
「でもボクは、約束が守れて嬉しいよ。それに、祐一君が帰ってきてくれたことがとっても嬉しいんだ」
「…そう」
 危うく笑顔を崩すところだった。


 が、もはや確信した。
 今、わたしの目の前にいる月宮あゆは……
 月宮さんの娘さん。
 つまり……
 あのあゆちゃんなのだと。


「あれ?」
 突然あゆちゃんがうろたえた。
 今朝、外で出会った時のように唐突に。
「おかしいなぁ、もう一つもっと大切な約束があった気がするんだけど…」
 あゆちゃんは頭に手を当ててうなる。


 が、3秒で諦めたようだ。
「まあいっか。秋子さん、しばづけおかわり!」
「はいはい」
 どうしてなんだろう?
 考えなければならないことはたくさんある。
 だが……
 この子の太陽のような笑顔を見ると、そんなことなどどうでもよく思えてしまうのだった。







 このあとわたしはあゆちゃんとたわいもない会話をした。
 途中祐一さんが起きてきて、朝からあゆちゃんをからかっていた。
 7年前もこの二人はこんな調子だったのだろう。
 そのときわたしは思った。
 あゆちゃんは祐一さんとの、何か果たせなかった約束を果たすためにここにいるのだと。
 ならば、わたしが悩む必要なんてないのだ。
 わたしがあゆちゃんにしてあげられること…
 それは二人を見守ることだ。
 帰るところのないあゆちゃんに食事を作り、泊めてあげる。
 それ以上に何があるのだろうか?











 その日の夜、わたしは月宮さんのところにお邪魔した。
 今日は祝日だったため月宮さんも暇だったらしく、すこし遅い夕食の差し入れとなった。
「いやあ、やっぱりマダム・アキコお手製の料理は違いますね」
 月宮さんは上機嫌で箸を進めていく。
 いや、傍らにあるビールのせいで上機嫌になっているのかもしれないけれど…
 見ているこっちが嬉しくなるような食べっぷりはあゆちゃんに似ていて、親子なのだなと思わされる。
 あゆちゃんは、お母さん似らしく月宮さんには似ていないとは聞いていたが、案外そうでもないだろう。
「これだけ料理がうまけりゃ、いいお嫁さんになれますよ」
 わたしは既婚なのに何を言ってるのだろう。
 それとも、月宮さんがわたしをもらってくれるのだろうか?
 まあ、それはそれでやぶさかではないが。
「酔ってますね」
「はい?」
「なんでもありません」
「一応話しておこうとおもったんですけど、日を改めた方がよさそうですね」
 そう言ってわたしが席を立とうとすると…
「何かあったんですか?」
「酔ってたんじゃなかったんですか?」
 月宮さんは素面に戻っていた。
「ビールくらいで酔うわけないです。酔いに任せてただけで、その気になればこれくらい。まあ、これが本みりんだったら際どい所ですが」
 本みりんなんかを飲むのだろうか?
 いや、たしかにあれはアルコール度数は高いが、お酒として飲むものではないはずだ。
 月宮さんの味覚が妙に気になるが、酔ってないのだけは間違いないようなので、本題を切り出すことにした。
「あゆちゃんのことです」
 月宮さんの表情が強張る。
 考えたくない、と拒絶したのだから当然予想できた反応だ。
「続き、聞きますか?」
「…ええ」
「あの子は、月宮さんの娘さんです」
 月宮さんは何も言わない。
 続けてくれということだろう。
「月宮さんの探していたカチューシャ…あゆちゃんが持っていました。そして、それは7年前の冬休みに祐一さんから貰ったものだと教えてもらいました」
 うれし恥ずかしげに教えてくれた今朝のあゆちゃんの姿が思い浮かぶ。
 月宮さんもその姿を想像しているだろうか?
 憮然としたその表情からはそれは読み取れない。
「あゆちゃんは祐一さんと何か大切な約束をして、そのために祐一さんに会いにきたようです」
「もういいです」
「はい」
 月宮さんがわたしの話を遮った。
 が、それは拒絶ではなかった。
「やっぱり、うちのあゆだったんですね。この前から薄々は感じてました。認めたくはなかったけど」
 そこで言葉を切って月宮さんがわたしに視線を向ける。
「秋子さん、僕はあの子に何をしてやればいいと思います?」
「わたしは優しく見守ってあげればいいと思ってます」
 わたしは自分の素直な気持ちを述べた。
「あゆちゃんはそんな体になっても祐一さんに会いにきたんです。何か悔やむところがあるんでしょう」
 ふと、月宮さんが震えているのが見えた。
「あゆ、どうして僕には会いに来てくれないんだ……また見ていることしか出来ないって言うのか!」
 月宮さんは悔しそうに唇を噛む。
「秋子さん、僕は今すぐにでもそのあゆに会って、真実を暴露してやりたいですよ」
 月宮さんの口元が歪んでいる。
 いったい、何だというのだろうか? この月宮さんの豹変ぶりは。
「お前は植物状態で眠ってるんだ! ってね」
「それが月宮さんの望みなら、わたしに止める権利はありませんよ」
 どう答えたものか、反応に困るが、とりあえず刺激をしないようにして様子をみる。
 そんなわたしに構わず、月宮さんは何かに取り憑かれたように言葉を続けた。
「ええ、でも、僕はあゆには会えません。あの子が、自分から僕に会いに来てくれない限り…」
「どうしてですか? 月宮さんはあゆちゃんのことを愛しているのに」
 月宮さんが自虐的な笑みを浮かべる。
「僕はあゆに拒絶されたんですよ。7年前のあの冬に」
 ……え?
 一瞬月宮さんの発言の意味が分からなかった。
「ははは、酔ってるのかな? ついでにもうひとつ新事実を教えましょうか? あの事故が起きたのは、半分は僕のせいなんですよ!」
 わたしは血の気が引くのを感じた。
 あゆちゃんが月宮さんを拒絶したなんてことは初めて聞かされたことだった。
 だが、そうだとすれば……月宮さんがあゆちゃんのことを恐れているような態度も説明がつく。
 はじめてあゆちゃんの話をしたときの月宮さんの取り乱しようは、冷静になって考えれば異常だった。
 あゆちゃんのことを考えたくない、と言ったのはまた拒絶されることが怖かったからだろう。
 そして、祐一さんのところには現れて、自分のもとには現れてくれないという事実が余計に月宮さんを脅かしたに違いない。
「あのとき、僕がしっかり親としてあゆを見ていたらあんな事故は起きなかったんです」
「それはわたしも同じです」
 親の監督不行き届き、ということではわたしも同罪だ。
 月宮さんは被害妄想もいいところである。
「いいえ。秋子さんは事故の前からうちのあゆを知ってましたか?」
「いいえ」
「僕は知ってたんですよ。あゆが商店街で出会った男の子と仲良くなったことを。あゆの性格からすると、いずれ危ないことをするのはわかってたんです。でも、僕はわかっててあゆに釘を刺しませんでした。ひどくても骨折くらいで済むだろう、ってたかをくくってたんです」
 わたしはただ驚いていた。
 全て初耳だったのだ。
「ああっ、もういいや。全部話してやりたい気分だ。秋子さん、今まで同情を売るような真似をしてすみませんでした。これを聞いて僕を軽蔑しても構いません。僕の懺悔、聞いてもらえますか?」
「…はい」
 わたしは月宮さんの気迫に押されて、頷くことしか出来なかった。
 そして、わたしが頷くのを確認して、月宮さんは語り始めた。






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