夢。
夢を見ている。
毎日見る夢。
楽しい夢。
黒い雪。
黒い夕焼け。
黒一色の世界。
夢の終わりはいつも黒だった。
そして泣き声。
「どうして……」
だけど誰にも聞こえない。
夢の終わりはいつも悲しかった。
だから夢の中で願った。
夢が終わらなければいいのに……
"Kanon Trilogy"
1章 『夢』
1月5日(火曜日)
またあの日が近づいてきた。
明日にはあの人からの電話があるだろう。
けれど、今年はわたしからかけなければ…。
「新年あけまして…」
わたしははっとした。おめでたいわけないのだ。
…あの人にとっては。
「こんばんは、秋子です」
「ああ、秋子さんですか。あけましておめでとうございます。どうしたんですか? 明日こちらから電話しようと思っていたのに」
もう慣れたのだろうか? あの人は普通に新年の挨拶をしてくれた。
おかげでわたしは気を楽にして話せそうだった。
「…その明日、祐一さんがこの街に帰ってきます」
「えっ、……でも彼は、祐一君はもう治ったのですか?」
「わかりません。姉の話だと、普通の生活には支障は無いそうです。でも……いまだに記憶障害の方はどうにもならないみたいで」
「しかし、なぜ今になって突然…」
「姉夫婦が海外に行くので。…わたしは心配ですが」
「そうですか」
この町にいると、祐一さんはあの日のことを思い出すかもしれない。
そして、またあの日のように錯乱してしまうかもしれないのだ。
だからといって、祐一さんの行き場がないのだけは見過ごせなかった。
結果、わたしは姉の申し出を了承した。
「祐一さんを連れて、そちらに伺いましょうか? もしかしたら…」
これが今日の本題だった。気が進まなくても、それはわたしの我儘でしかない。
あの人がそれを要求するのは不思議でもないのだ。
わたしがあの人と同じ立場だったら、名雪のために藁にでもすがるつもりで何でもするだろう。
「秋子さん。気持ちは有難いですが、祐一君はお互いに他人の子供です。そんな気休めのために、彼の生活を犠牲にしかねないようなことを頼むなんて、僕にはできません」
よかった。わたしは月宮さんに感謝した。
本当はそんな気休めでも欲しいところだろうに。
「…ところで、月宮さん、今どちらに?」
「久しぶりに病院に行くところです。何も…何も変わりはないでしょうけどね」
「……そう、ですか」
半ば開き直ったような月宮さんの声が痛々しかった。
「…あゆに聞かせてやりますよ。祐一君が帰ってきたと。それを聞いたら、目を覚ましてくれるかもしれませんね」
ごめんなさい。
そう言いたくなる気持ちを押しとどめる。
明日から始まる、祐一さんのいる生活に胸を躍らせている自分がいるのを感じて。
「秋子さん今日はありがとうございました。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
『ふう』とわたしは溜息をついて傍のイスに腰掛けた。
7年、単身赴任で娘と話す機会が少なかった月宮さんにとってこの空白の時間は辛かったに違いない。
ほとんど毎日名雪と顔をあわせているわたしは月宮さんからしたら果報者だろう。
月宮さんに対して祈ることしか出来ないわたしは、ただただ申し訳ないと思うだけで歯痒かった。
「ねー、お母さん誰と話してたの?」
名雪が眠そうな顔をしてやってきた。
「昔の友達よ。それより名雪、早く寝なくていいの? 明日祐一さんを迎えに行くんでしょう?」
できればわたしが迎えに行きたいところだが、仕事を休むわけにはいかない。
「ひどいよお母さん。わたしそこまでおねぼうさんじゃないよ。それに明日はクラブだってあるんだから」
「そうだったわね。でも、クラブがあるなら尚更早く寝ないと駄目でしょう」
寝ぼける名雪に道案内をされたら祐一さんがかわいそうだ。
「うん。おやすみなさい…」
「そっちはわたしの部屋よ」
「うにゅ?」
名雪は左右を見回して、またフラフラーっとしながら階段を上っていった。
名雪のほんの少しの言葉も、表情の変化も、月宮さんと話した後では必要以上にいとおしく思えるのだった。
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