5月30日(日曜日) PARALLEL


 7年前から秋子さんとは何度も顔をあわせていたが、水瀬家にお邪魔するのは初めてだった。
 あゆは元気にしているだろうか?
 あゆの退院前、秋子さんから、荷物で埋まっていた部屋を空けたという話を聞いて秋子さんとの約束をあゆに教えた。
 あゆが喜んだのは言うまでもない。
「お父さん大好きだよっ」
 と僕に抱きついてきた。


 あゆの退院後、僕は仕事に戻り、あちこちを回っている。
 それから1ヶ月、あゆとは電話で話をしているが、幸せに暮らしているらしい。
 秋子さんの子供にしてもらって正解だったな。


 僕は水瀬家のチャイムを押した。
 秋子さんがそれに応え、扉が開く。
「月宮さん、いらっしゃい」
「お邪魔します」
 僕は玄関をくぐった。
 内装は……むう、さすがは秋子さん、いい感じだ。
「あゆはどうしてます?」
「2階の部屋でお勉強をしていると思いますよ」
 あゆは病院で栞ちゃんと同じ高校に行く約束をしたらしく、今は猛勉強中だ。
 国語はもともとできるほうだし、数学と英語さえ何とかすれば残り8ヶ月ほどでも何とかなるだろう。
「祐一君と名雪ちゃんは?」
「今日は日曜日ですしね……まだ寝ています」
 時間はまだ8時。
 日曜日ならこの時間に寝ていても不思議ではない。
「あゆを呼んでもらえませんか?」
「はい、少し待っててくださいね」
 秋子さんはゆっくりと階段を上ってあゆを呼びに行った。
 すると、扉が開く音と同時に、あゆが階段を駆け下りてくる。
 まだ走るのは慣れていないのに危なっかしい。
「お父さん、おはようっ」
 あゆは僕に抱きついて喜びを表現してくれた。
 目覚めてからのあゆは、僕に対しても少し積極的になった気がする。
「あらあら、あゆちゃんは甘えんぼね」
 そんな僕たち親子の様子を秋子さんは微笑を浮かべて見ていた。
「しかし、あゆ。その髪型は絶対に似合ってないぞ。前の方がよかった」
 退院の時、僕と別れてから髪を切ったらしいが……
 電話ではじめて話したときに祐一君が言っていたように、全然似合っていない。
「うぐぅ、ひどいよお父さん」
 あゆは拗ねてみせる。
 ころころ変わる表情が相変わらずかわいい。
「退院のごたごたの時に間違って持っていったあのカチューシャを持ってきたんだが、その頭じゃ似合わないな」
「うぐぅ、一度伸ばして前と同じ髪型にするよ……」
 あゆは僕からカチューシャを受け取って部屋にしまいにいった。


「それにしても、どういう手違いであゆちゃんのカチューシャを持っていったんですか?」
 秋子さんがにこにこしながら僕に問いかける。
「嫌味ですか?」
「そんなつもりはないですけど?」
 本気で言ってるのかは怪しいところだ。
「あゆが僕の鞄に間違って入れたんですよ。髪を切るからって外した時に」
「そうだったんですか」
 何か含んでいるんじゃないかと疑いたくなる表情で秋子さんが言う。
「お父さんお待たせ、行こっ」
 そこにあゆが鞄を持って戻ってくる。
「ああ、それじゃあ秋子さん」
「はい、いってらっしゃい」
「いってきます」
 気持ちのよい挨拶を交わすあゆと秋子さん。
 あゆはもうすっかり水瀬家の家族になっているようだった。












 あの公園の噴水の縁で……。
 陽光の中、彼女はスケッチブックを手にして座っていた。
「やあ、連絡を受けたときは驚いたよ。退院おめでとう」
「私もこんなに早く退院できるとは思ってませんでした」
「ね、奇跡は起きたでしょ?」
 栞ちゃんはあゆの顔を見て不思議そうな顔をする。
「誰ですか?」
 かなりわざとらしい。
 いくら髪型が変わっているとはいえ、僕と一緒に来ているということを考えるとあゆしかいないのはわかっているはずだ。
「うぐぅ、ひどいよ栞ちゃん」
「朝からそんなエッチな言葉を使う人ということは、あゆさんですね」
「また言う〜、栞ちゃんボクのことを何だと思っているの?」
 あゆは栞ちゃんに遊ばれていることに気付いていない。
 情けないので口を挟んだ。
「もう完全に大丈夫なのかい?」
「完全に、ってことはないです。普通の人よりは体弱いです」
 まああれだけ薬漬けになってた体だ。
 それくらいの後遺症は仕方ないだろう。
「でも、病弱って美少女を映えさせると思いませんか?」
「……君は150まで生きられるよ」
 それを聞いた瞬間、相変わらず気難しい白雪姫が眉をひそめる。
 困った童話もあったものだ。
「どういう意味です、それは?」
「金太郎飴のような神経をしているってことだよ」
 どこを切っても同じ顔が出てくるような神経、ようはとても図太い神経をしているということだ。
「凄く失礼なことを考えてませんか?」
 栞ちゃんがこっちを睨んでいる。

「ところで、何の絵を描いているの?」
 険悪な雰囲気になりそうなところであゆが横槍を入れる。
「前に月宮さんから聞いた不思議なお話を絵にしているんです」
 と言ってまず僕にスケッチブックを手渡し、絵を見せてくれる。
 あゆに見せる前に評価をくれということだろう。
「狐と少年……、ものみの丘の物語か」
「はい」
 病院にいる間、栞ちゃんと話したのはあゆのことだけではなかった。
 お話好きの栞ちゃんのために面白い地方の伝承も結構話してあげたのだ。
「いい感じだよ。今度子供向けにあの丘の伝承を書くときは栞ちゃんに挿絵をお願いしようかな?」
「お世辞でも嬉しいです」
「ね、お父さん、ボクにも見せてよ」
 栞ちゃんが『いいですよ』と目で合図を送ってきたのであゆに手渡す。
「うわあ、かわいいね。ね、次はボクを描いてよ」
「いいですよ」
「うぐぅ、うれしいよ」
 あゆは嬉しそうにはしゃぐ。まるっきり子供だった。
 まあ確かに精神的にはまだ子供で間違いないが。
「じゃあ、そこのベンチに座ってください」
「うんっ」
 あゆはベンチに座ると同時に抱えていた紙袋をごそごそやる。
「あの……それは何ですか?」
「たい焼きっ」
「見ればわかります」
 呆れる栞ちゃんを尻目にあゆはたい焼きを頬張り始めた。
「題名はたい焼きとボクでお願いするよ」
「たい焼きイーターうぐぅですね。わかりました」
 と言って栞ちゃんは色鉛筆を走らせ始めた。
「え、え、何を描くつもりなの?」
 英語を使われて混乱したのか、あゆが涙目でうろたえる。
 からかう栞ちゃんと、いちいちそれに反応するあゆ……
 二人は楽しそうだった。



 僕は二人の笑顔を見て思った。
 この奇跡の少女達はかけがえのない親友同士なのだと……





【Kanon Trilogy2章『夢現』 完】





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