夢。

    夢を見ている。

    毎日見る夢。

    楽しい夢。

    黒い雪。

    黒い夕焼け。

    黒一色の世界。

    夢の終わりはいつも黒だった。

    そして泣き声。

    「どうして……」

    だけど誰にも聞こえない。

    夢の終わりはいつも悲しかった。

    だから夢の中で願った。

    夢が終わらなければいいのに……












"Kanon Trilogy"

2章 『夢現』
















 黒……
 辺り一帯の闇……
 どこ、なんでしょう?
 あれから私は……
 手も足も動かない。
 ただ、意識だけが闇の中に存在していた。
 ひょっとして、これが死の世界?
 やっぱり、駄目だったんですね。
 そう思ったところで、表現できない気分の悪さに襲われる。
 体を右に左によじっても一向に収まらない。
 いや、どんどん強くなっていく。
 何で!?
 私は死んだのに何でこれ以上苦しまないといけないんですか!?
 えっ……体?
 今、確かに私は体を動かした。
 背中にかすかに感じるやわらかい感触。
 これは……
 ベッド?
 本当にかすかだが、手足の指の動く感覚……
 そして、激しくなる倦怠感にも嘔吐感にも似た気持ち悪さ……
 ああ、私はまだ生きてたんだ。
 目が慣れたのか上に、蛍光灯らしき筒が見える。
 そうか、今は夜なんだ。
 この気持ち悪さは……全身麻酔かな?
 こんなに気分の悪いものだったなんて……
 私はなんでこんなことをしているんだろう?
 なんでこんなところにいるんだろう?
 あのまま眠っていればこんな思いをしなくて済んだのに。
 手術は成功したのかもしれない。
 でも難しい手術だ。どこかでミスがあったかもしれない。
 縫合されたお腹の傷が気になる。
 こんなに抵抗力の弱った私の体に、それを無事治癒する回復力はあるのだろうか?
 傷口から腐って、苦しみの中、見るに堪えない姿で死ぬんじゃないだろうか?
 あるいは、別の病気で……
 いや、麻酔が切れたらまた別の苦痛が次々に襲ってくるはずだ。
 肉体が負けても死。
 精神が負けても死。
 闇はもう終わったんじゃない。
 今、まさに私はどん底にいるのだ。
 何で楽に死ぬことを選ばなかったんだろう?
 あのまま終わっていたってよかった。
 こんなことをしたって死ぬ時は死ぬ。
 わざわざ苦しい死に様を進んで選ぶなんて、私は馬鹿だ。
 こんなに苦しいなんて……
 首を右に倒すと、何か長方形のものが机に立てかけられているのが見える。
 ……スケッチブックだ。
 わかってます。
 わかってます。これは私が自分で望んだことです。
 あの輝きは今も私を照らしてます。
 だからきっと……
























     1月16日(土曜日)


 夕暮れの商店街の別れから1時間後……
 私はあの場所へ向かっていた。
 私のお気に入りの場所へ……




    「…栞」
    「…はい」
    「やっぱり、病気を治すことが先決だと思うけど」
    「…分かりました」
    「ごめんな」
    「いえ…祐一さんの言う通りですから。それでは、今日はこれで帰ります」
    「ああ。またな、栞」
    「…はい」




 噴水公園……本当の名前は知らない。
 遊具などは一切なく、中央に凝ったつくりの噴水がある広場と言った方が正しいだろう。
 人通りから少し離れたところにあるせいか、その景観にも関わらずデート途中に立ち寄るカップルは少ない。
 だからこそ私のお気に入りの場所でもあり、穴場でもあるのだが。
 雪を払って噴水の縁に腰掛ける。
「祐一さんと、ここに来たかったな」
 それはもう叶わない願い。
 そして叶わない方がいい願いだった。
 私は恋をしたかったのだろう。
 たとえ失恋でも良かった。
 このまま死の恐怖に怯えているくらいなら、もっと他のことで心を満たしておきたかった。
 でも……私のそんな身勝手な願望のために、人を悲しませるわけにはいかなかった。
 少し無理をすれば学校に行くことだってできたかもしれない。
 そうして祐一さんを騙し続けることも出来ただろう。
 だけど、これでよかったのだ。
 私が人を好きになってはいけないのは当然のことなのだから。
 これでいいんだ、と自分に言い聞かせるように私はストールを握り締めて縮こまった。
 だけど、涙を止めることは出来なかった。
「私、これからどう生きればいいのかな……」
 誕生日まであと約2週間。
 私の命はそこで潰える。
 何かをするにはあまりに短く……
 何もしないで過ごすにはあまりにも長い恐怖の時間だった。
 ザアアアアと爽やかな音を立てて、背後の噴水が飛沫を上げる。
 ライトと月明かりに照らされた夜の噴水は異世界にいるかのように綺麗だった。
 こんな噴水をバックに恋人とキスを交わしたらさぞかし幻想的だろう。
 その時、私は祐一さんと残りの時間を過ごし、ここでお別れのキスをするシーンを想像していた。
「ドラマみたい……」
 ドラマ?
 そうだ、どうせ死ぬのならドラマのように死ぬのも悪くない。
 叶わなかった最後の願いを想像し、お気に入りの場所で息を引き取る薄幸の美少女。
 フランダースの犬みたいでなかなかいい。
 小説にしたらベストセラー間違いなしだ。
 そうだ、ここで死のう。
 自殺なんて寂しい死とは違う。
 私はここで夢を見ながら死に、そして物語の中で生き続けるのだ。
 薬も切れてきたようだ。
 体が発熱してるのが分かる。
 でも、まだ倒れるわけにはいかない。
 私はポケットからちょっと大きめのメモ用紙を取り出し、持ち歩いていた水彩色鉛筆を取り出した。
 水は後ろにいくらでもある。
 私は自分の幸せそうな顔を必死に描いた。
 30分後……
 そこには笑顔の私が書きあがっていた。
 絵本のような絵だったが、なんだかすごく気に入った。
 こんなことなら背伸びなんかして、肖像画みたいな似顔絵を描くことはなかった。
 最後の最後に私は自分にあったタッチに気がつくなんて皮肉なものだ。
 後はこれを濡れないよう胸に抱いてここで寝れば、勝手に物語が出来るだろう。
 今の私なら間違いなくここで凍死できるはずだ。
 私はちょっとした満足感を覚えながら横になった。
 心地よい疲労感が私を襲い、ものの数分もしないうちに私は眠りについた。




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