……何も、考えられなかった。
 へ? あたしに告らせてやる? ……咏が、俺に?

 ――待てよ。俺にとっては確かにアイツは、少し惹かれる存在ではあったけど……アイツにとってはただの体のいいお兄ちゃん程度でしかなかった筈だろ?

 急にそんなこと言われたって。


「……なんか言えよ東南。あたしも恥ずかしい」
「あ……いや……」

 ゴンドラはゆっくりと下っていく。隣に居る咏が何かを言っているが、正直殆ど耳には入ってこなかった。
 咏はいつから、そんな風に思っていたんだろうか。もしかして、俺が気づかなかっただけでずっと?
 ……冗談! と言って、なかったことにしてやりたい。だってお前は、意識するにはあまりにも近すぎて。
 この関係がすぐにでも崩れてしまう気がするんだ。

「……いつか……俺が恋愛に興味持ったらな」
「だから持たせてやるって!」

 にぱっと、照れた表情で笑う咏。
 ……俺は逃げた。恋愛に興味? こんなことを考えている時点で、興味津々じゃないか。
 ホント嫌になる。でも……俺はこれが最善の選択だと思っていた。

「……さて、着いた。降りよう」
「あ、うん。あたしは……もうちょっと二人きりが良かったけど」

 ゆっくりと、降下に連れて開いていく扉を前に、咏はそんなことを言った。
 これは、アプローチなんだろうか。可愛すぎるんだよ。今すぐ布団にダイブして寝ちまいたいくらいには、心中悶絶だったり。
 はぁ。ま、とりあえずは。

「そんなこと言われても、妹に甘えられてるくらいにしか感じないけどな。もう少し女の色気的なものを持った方がいいぞ。主に胸とぎゃあああああ!?」
「むぅぅ……東南ィ、いつもより言葉が過ぎるぜ?」
「さーせんっしたあ!」

 コメディにして、なし崩し的にこの場を収めてしまおうか。
 そのために右耳が犠牲になってしまったが、そんなものはあの空気に比べれば安い安い。

 でも……楽しく、嬉しい一日だったことは間違いない。


















「さて、いい加減本題に入らないとな」
「そだな」

 遊園地帰りのレストランで、夕食を取ったあと。
 比較的近くにあった小洒落た喫茶店へと入店した俺たち。
 二人してブレンドを頼んだ後、咏はハンドバックからごそごそと資料を取り出した。

「……まずこれがあたしに届いた依頼状。根性バカも同じのが届いたみたいで、激戦区の解説役にはってことであたしたちが回されることになった。一応東南が入るかもってことで、本部も枠は空けてるみたい。日程的にはバラバラだけど、もうどの場所もスケジュールは確定してるから問題はないと思うぜ」
「なるほど」

 咏から受け取った数枚の紙に、入れ替えながら目を通していく。
 小粋な感じに暗い店内だと少々見づらいモノがあるが、まあそれは仕方のないことか。
 穏やかなジャズ音楽も、その雰囲気に一役買っている。
 意外と穴場のいい店見つけたんじゃないか? コレ。

 資料の方はと言えば、まず最初に咏に対する依頼状。解説においてどのようなことをしてほしいとかが、割とおおざっぱに記されていた。後は各プロの裁量次第、ということだろうか。
 次の一枚は、各予選会場の場所とそれぞれのスケジュール。なるほど、さすがに一か月前ともなればここまでしっかりしているわけか。
 さらに次の資料には、それにあたっての取材班の行動や、その注意事項。解説プロからの観点なども雑誌に載せるわけか。徹底してるな、こういうところ。
 要は、そう言った取材が嫌なら受けるな、ってことか。
 あとはその解説をする局とかか。……うわ、結構多いな。特に全国だと奪い合いみたいになってるし。
 で、咏と雨宮はあのテレビ局か。ん? 昨日一緒に打った福与さんってのは別のテレビ局のアナウンサーだったのか。へぇ。

 なるほどなるほどと思考に没頭していると。渋いマスターがこちらのテーブル席までわざわざやってきた。ん? ウェイターが居るはずなんだが。

「……お待たせした、ブレンド二つ、心を込めて提供する」
「あぁ、ありがとうございます」

 一旦作業を止め、彼の動作を待つ。やはり客としてのマナーだろう。
 にしても、心を込めて、か。じっくり味わうことにしよう。
 幾何学模様を描きながら立ち上る湯気は美しく、香りも、素人の鼻でも感じ取れるほど心地よかった。ま、なんの豆なんて分かるほど、通でもマニアでもないんだが。
 ゆっくりと、カップ、砂糖、ミルクを置いたマスターは、一礼して、口を開いた。
 
「御代は結構。その代わり、当店に貴方がたのサインを頂きたい」

 渋いと思ったマスター、なんか嬉しそうだった。

 帰り際に書いてくれれば構わないとのことだったので、そのまま打ち合わせに戻ることにした俺と咏。しっかし、アレだな。なんか照れる。

「大ファンでいつも応援している、ねぇ。良かったな、咏」
「お前だって“一年前まで自分らの中でも憧れの強豪雀士だった”とか言われて……ほれ、頬の緩みが隠しきれてねーよ?」

 これはこれは。
 と、何はともあれだ。
 熱いコーヒーを一口、ストレートで飲む。スルリと快いのど越しと渋み。俺みたいな表現の貧困な男には“美味い”としか形容の仕様がないけれど、一度飲んでみろ、と友人に勧めたくなるのは間違いない。
 ……あーあー咏、四杯も砂糖入れやがってってオイ!ミルクまで全部とかなんでブレンド頼んだんだよ! 冒涜だ! 冒涜だ!

「……何か言いたげだな東南」
「子供っぽい。せめてもの悪口だ」
「うるさい! 仕方ねーだろ苦いんだもん!」
「じゃあなんでブレンド頼んだんだよ」
「え……だってコーヒーとか詳しくないし。……東南と一緒だったから」

 ……デレッデレなんですけど。俺のポーカーフェイスが持たないんですけど。
 っと、そう! 会話が逸れたな、戻さないと。
 ティースプーンをゆったりと回す咏をを視界に入れつつ、もう一度資料に目を通す。

「んで、これについてだが。やっぱ現地の子とあったのが大きかったな。解説役、引き受けようと思う。プロのIDもまだ使えたし、なぜか長期休欠扱いだったから未だに俺は“プロ”なんだろうよ。だから問題もないし……な」

 問いかけるように言いつつ、咏と目を合わせれば。彼女は「そっか」と一言だけ言って、嬉しそうにはにかんだ。

「場所はどこがいいんだ? 予選で空いてるのは東東京が……小鍛冶プロとペア。後は今日会った子たちの居る長野が藤田プロとペアで空いてる。それと〜……鹿児島と岩手、南大阪は決まってないみたいだ」
「希望的には長野かな」
「アイツら可愛げあったしな〜。それは分かる」

 そう頷く咏だが、俺にはもう一つ理由があった。

「それに、もし“アイツ(・・・)”が麻雀部でどっかに居るとしたら……長野だろ?」
「アイツ(・・・)か……」

 言っている意味が分かったようだ。おそらく現高校生最強の男子。俺、アイク、雨宮との対局で、唯一善戦した男。
 ……まあ最終的にハコったけど。それでも、現高校生では最強だろう。“黄金世代”なんて呼ばれた、俺が一年生の時の世代に居たとしても、肩を並べられたと予想できる。
 今、男子弱ぇし。確か。

「そういうことなら、了解。東南だったら多分問題ないし、あたしから口添えしとく。全国は一緒に解説やろ?」
「俺も会館に行って頼んどくよ。やろ? って言われても、それはまた別だろうに」

 上目遣いで目を輝かせながら首を傾げる咏サン。なんつーか、あざといっす。分かっててやってるだろコレもう。
 ふぅ、と一つため息を吐いて。

「分かった。そんじゃ、ソレで決まりで良いか?」
「うん、大丈夫。やった! これで東南と解説やれる!」

 バッとセンスを出して、いつものように振り上げる咏。
 ま、ここまで嬉しそうならもういいか、と苦笑してしまう俺が居た。