放課後の私立葉桜(はざくら)高校、3−2と木製の札がさがっている一つの教室。
 夕暮時の赤い日が差し込むこの部屋に、二人の生徒が残っていた。一人は窓縁に腰かけ、缶のコーラを傾けている。もう一人は、それと向き合うようにして窓際の机の上に座っていた。
 なんでもない、のんびりとした光景。冬も終わり、だんだんとこの夕焼けにも暖かみが増しているように感じられる。

 缶コーラを飲みきったのか、それを握り潰して。窓枠に座る男子生徒は、ポケットから小さい何かを取り出した。

「もう卒業かぁ」
「おいぃ、なんでポケットから牌が出てくるんだよ〜」

 手元の東牌を弄ぶ男子生徒に、机に座る華奢な女子生徒はセンスでもってその牌を指し示す。その口調には、少々呆れているような節があった。
 足をプラプラと揺らしながら、ショートカットの女子生徒はその小道具を仕舞う。ツッコミの為だけに取り出したようだ。

「いつまで引き摺る気だよお前、その東、あん時のアレだろ?」
「あ〜……、うん、そう。この前ハコにされた時のヤツ」

 ハコにされた、と言う割に、男子生徒の顔は晴れやかである。その笑顔が夕日と相まって綺麗に見え、少し見惚れたものの。ショートカットの茶髪少女はすぐに頭を振った。

「しっかしやられたよ。俺はアレで四槓子確定だったのにな〜」
「さすがにうち筋もバレバレだし。待ってたぜ」

 ゆる〜くブイサインをする彼女に、男子生徒は苦笑した。
 思い返せばいつの日かの雀卓で、四槓子確定の東暗槓を直撃、目の前の彼女に国士無双で上がられたのだから。

(思えばコイツとつるむようになったのも、それからか)

 ふと反り返って、雲一つない空を仰ぐ。その“コイツ”が「ひっくりかえるぞ〜」なんて呑気に言っているのも気にせず、彼はその時のことを回想していた。

(東の槍槓……完全に狙い撃ちだったしな。そっから一緒に打つようになって今じゃ……)

 反った状態から、軽く勢いをつけて元に戻ると。ちょうど少女と目があった。

「……?」
「一緒に実業団行き決定だもんなぁ」

 じっと見つめられて小首を傾げる少女に、感慨深く呟く。
 彼はインターハイ個人戦の覇者、彼女は団体戦ベスト4の先鋒をつとめた実力者。
 声がかからない方がおかしな話で、実業団への進路が内定していた。
 もっとも所属する場所は同じでも、男女別であるから“一緒”というほど一緒ではないのだが。

「いつまでじろじろ見てんだよ」
「ん、ああ悪いっとわあああ!?」
「あ、おい!?」

 少女のジト目に若干気圧された彼は、そのまま窓枠の向こうに転落した。
 ベランダの床はコンクリートで、それに頭から落ちる痛さは尋常ではないもので。

「いつつつ……」

 彼が頭を押さえて上体を起こすと、慌てたように少女が教室から飛び出してきた。

「だから言っただろ〜? 気をつけろって」
「あ、ああ悪い」

 そっと彼の後頭部に手のひらを添える少女は、いつもと違って心配そうな表情で。
 大丈夫か、と不安げに首を傾げる姿がちょっと可愛らしかった。

「……さっきから人の顔ばっか見て、なんか楽しいか?」
「え、いや。別に」

 さっと目を逸らす彼を追撃するように、回り込む少女。
 さぁ吐けさぁ吐け、あたしの顔になんかついてんのか〜? と愛用のセンスで彼のおでこをぺちぺちと叩く。
 間違っても、素直にさっきの感情を吐露するわけにはいかない。とっさに少年が言ったのは、“さっきの感情”ではなかったが――

「う、咏は髪が長いほうが可愛いんじゃないかなーと……ってあああ違う! なんでソレが出る俺の口!!」
「……は?」

 ――“いつもの感情”だった。
 しまった、と。彼が少女――咏を見れば。何か思案するような表情で、自身のショートの茶髪を弄っていた。心なしか、頬を染めて。

「な、長いほうがいいか?」
「あ、えと、うん。嫌ならいいよ勝手に思ったことだし」

 バツが悪そうに彼は口元を引き攣らせてそう言うと、立ち上がる。
 コンクリートとはいえ地面に尻をついていたことには間違いないので、少し払いながら、痛みの引いた頭に違和感がないか確認していた。
 続いて、しゃがんでいた咏も腰を上げる。

「もう平気なのか?」
「ん? ああ、大丈夫。違和感もなさそうだ」

 戻るか、と笑った少年は、咏をおいて窓枠に足をかけ、身軽な動作で教室へと飛び込んだ。
 しばらく経っても咏がベランダから戻ってくる気配がないのに疑問を感じ、彼が振り向こうとすると同時。

「た、東南!」
「ん〜?」
「東南は長い方が好きなのか?」

 夕焼けに染まり表情は見えづらいし、若干俯いており、どっちにしても前髪が邪魔で彼女の瞳は見えない。
 彼――東南は、“咏の髪の話だったんだけどな〜”なんて少々気持ちが伝わらなかったことに沈みつつも、頷く。
 すると咏は、ぱっと顔を上げて、真っ赤に染まる夕日を背景に、にっこりと笑った。

「じゃあ、伸ばす!」






















『あたしデートなんで土曜の研究会休みま〜す(キラッ』

 彼女が朝目を覚まし、時計代わりのケータイを開くと。ふざけ倒したメールが一件入っていた。

「……えぇ〜!? ちょ、三尋木さん彼氏いたのっていうか先越されてるっていうか研究会舐めんなっていうかツッコミどころが多すぎるよ!!」

 眠気が一瞬で吹き飛んだ彼女は、慌ててベッドから飛び降りる。小動物の描かれた可愛らしいパジャマは似合っているが、さすがにアラフォーでそれは色々と凄い。

「アラサ―だよ!」

 くわっと目を見開き、少し呆けて。「何してんだろ私」と首を傾げつつ洗面に向かう。
 実家だけあり、母が料理を作っている香りが漂ってくる。

「あら、目覚めがいいじゃない健夜」
「色々事情があったんだよ……」

 廊下と台所で目が合い、彼女――健夜はため息交じりにそう答えた。
 変な子、と笑われながら歩く彼女の心は重い。
 自身よりも12、3歳も年下の子がデートに行くのだから無理もないか。

「2、3歳だよ!」
「健夜電話〜?」
「あ、ううん! 大丈夫!!」

 洗面で一通りの身支度を整えつつ、母親に対応する健夜。
 自慢の長くしなやかな黒髪を梳き終え、リビングに戻ってきた。
 欠伸を一つしてテーブルに着くと、母の作った朝食が目の前に。少し気分も落ち着いたのか、明るい声で「いただきます」と食パンにかぶりつく。

 ピンポーン、と軽いトーンでインターフォンが鳴り響いた。もちろん、普通のインターフォンである。健夜にインターフォン改造の趣味はない。
 食パンを咥えたままの健夜が反応して振り向いた画面には、気心しれた友人が映っていた。

「こーこちゃん!?」
『すこや〜ん! 会館行こ〜!』

 彼女が今日訪ねてくることは分かっていたが、こんなにも早いとは思っていなかった。
 紅茶を持ってきた母がインターフォンに目を移す。

「あらあらあの子は……。ほら、待たせちゃダメでしょ? 行きなさい」

 にっこりと笑ってそう言うが、健夜はまだパンを一枚咥えたばかり。

「え、お母さん私まだ食パンしか――」
「いきなさい」
「ふぇ〜ん……」

 笑みを崩さない母に負け、健夜はすごすごと自室に戻る。
 昨日のうちに準備を終えていたハンドバックを抱えると、速足で玄関へと向かった。

「いってきま〜す」
「はい、いってらっしゃい」

 ノブを片手で押さえながら、つま先で地面を叩くようにして靴を履き、健夜は外へと飛び出した。

「おそいぞすこや〜ん!」
「こんな早く来るなんて聞いてないよ!?」

 慌てたように突っ込む健夜に、こーこちゃんこと恒子は腕を振って時計を見る。9時半と表示されていた。早くはないはず。
 不思議そうな顔をする恒子に、健夜は落ち込んだ様子で呟く。

「今日私午後番だから三時からなんだよ……」
「あ、そなの? ごめんごめん」

 全く悪びれずに後頭部を掻く友人に、ため息を吐きつつさっさと歩きだした。

(仕方ないから会館で時間潰そうかな……)

 そう考えながら、今日の予定を組んでいく。
 ちなみに会館は、プロ雀士たちが切磋琢磨する聖地であり、多くの麻雀プレイヤーたちの憧れる場所である。

(もっとも、そこでも満足できずに裏や世界に行く人も居るけれど)

 と、健夜は顔見知りのプレイヤーを数人思い浮かべる。世界に行った、似非外国人の変態紳士、裏に行って戻ってきた誰よりも熱い愛すべきバカ、そして……裏で最強に上り詰めた着流しの天然ボケ男。
 このメンバーは正直プロの中でもバカみたいに突出しているため、それと多くの雀士を比べるのは少々酷ではあるが。

「すこやん、ぼーっとしてどうしたの?」
「え? あぁ、ちょっとね……」

 駅前の通りに出た二人は、そのまま駅へと進んでいく。定期で改札を通り過ぎ、電車が来るまでベンチで待つことにした。

「会館で時間潰す?」
「うん。元々そのつもりで一緒に来てるんだし」

 会館のロビーは、IDさえあれば誰でも利用できる雀卓が多く設置されている。そこで、時間が空いている時に恒子に麻雀を教えているのだ。

「にしても凄いよねぇ、あの会館で打ってるんだよあたし」
「一般開放だけどね」

 胸に来るものがあったのか、目を輝かせる恒子に健夜は苦笑する。
 と、運よく来た急行に乗り込むと、二人分の席を確保することに成功した。

「でも会館って言えばあれだよ、みんなの憧れだよ」

 右に座る恒子が、覗き込むように健夜を見るが、健夜は手を振って否定した。

「そんなことないよ。凄い人は世界とか裏に行ったりもするんだから」

 もちろん一般のプロ雀士にも強い人はたくさんいる。それこそ健夜はその部類だ。だが逆に言えば、世界に行けば健夜レベルがゴロゴロ居る。
 もしかすると、着流しの男が言った“ストリート麻雀”は世界麻雀と言い換えることが出来るかもしれない。

「……裏? 何ソレ」
「貴方ホントにアナウンサー!?」

 人差し指を頬に当て首を傾げる恒子に、健夜は驚愕で一瞬何も言えず。それでも懇切丁寧に説明を始めた。曰く、代打ち。危険な分強い人も多いから自然と強い人、特に男性がそちらに移ると。そして、前例として自分の顔見知りもプロを辞めてそちらに行ったと。

 随分な時間を説明に費やし、降車駅の一歩手前まで行った頃。恒子はポンと手を打ち、健夜の説明をまとめ上げた。

「つまり、怖い人たちの回し者ね!?」
「なんでそうなるかな!?」

 私の苦労はいったいどこに、と深く嘆息すると同時、目的の駅に辿りつく。
 二人しており、都会の駅ならではの雑踏にもまれつつも外に出ると、恒子は軽く伸びをした。

「でも、その雨宮さんと御堂さん、だっけ。化け物だね」
「雨宮さんはちょっと前に戻ってきて、確か前回の東風タイトル戦覇者になってるよ」
「すっげ……御堂さんは?」
「……“暗槓使い”って異名を持ってる、現裏プロ最強雀士」
「すこやんの交友範囲がチート!!」

 会館までの道のりは長くない。五月晴れの今日は少々暑いけれど、夏場だって汗で服をダメにする前には辿りつく程度の距離。
 そんなわけだから、しばし雑談しながら歩くだけで、到着した。
 白く上品で、それでありながら大きい建物だ。
 石段を上がって自動扉を潜れば、そこはすぐにロビーになっている。
 いつもはそこかしこにある数十はくだらない雀卓で、様々な人が思い思いに打っているのだ。和気藹々だったり、真剣勝負に興じていたり。見てるだけでも楽しい空間が、健夜は好きだった。
 そう、いつもは。
 人の数は変わらないはずなのに、明らかにおかしかった。なぜなら。

 たった一つの雀卓を何十と言うギャラリーが囲んでいるからだ。

「えっと……どういう状況かな」
「分からないけど、とりあえず行ってみよう」

 二人は顔を見合わせて頷くと、その卓へと近づいていった。

「あ、靖子ちゃん!!」
「ん? ああ小鍛冶さん。今いいところだから大声は避けて」

 ギャラリーの中に知り合いの影を見つけた健夜は、その人に声をかける。ゴシックファッションのクールビューティ、藤田靖子プロである。
 と、いいところ、の表す意味が気になり、十中八九その原因となっているだろう卓に目を向ける。たくさんの人に隠れて見えづらいが、健夜の身長ならするすると先頭まで出ることが出来た。

「……!?」

 あっと声を出しかけて、慌てて止める。ギャラリーと卓、その間に少し間が空いていたのに気付かなかった。これは、皆が周りに見やすいように配慮したものではない。
 ちょっと踏み込んだだけで、その卓の雰囲気に気圧されたのだ。

「って……コレは……!!」
「東風覇者の雨宮プロ対裏プロ最強御堂元プロの対局よ」
「ふぇ?」

 後ろからの説明に、慌てて振り返る健夜。周りの視線が“静かにしろよ”とわずかに殺気まで孕んできたので、少し健夜は涙目になる。すると藤田プロは、親指で後方を指した。ちょっと出よう、という意味だろう。

「私もあの対局が見たくてしょうがないんですが……」
「ご、ごめんね」
「アレどういう状況なんです?」

 藤田プロが少しギャラリーから外れ、健夜たちに説明をしてくれることとなった。
 なんでも、今日になって急にふらりと御堂プロが現れたらしい。なんでも、知り合いが面白い提案をしてきたので、まだプロのIDが使えるかを確かめにきた、と。
 そしてその場に偶然居合わせた、愛すべき熱血バカ雨宮プロが、御堂元プロに対局を申し込んだようだ。

「なんていうか、二人とも動きが若干読めるというか……」
「小鍛冶さんは確か二人の知り合いでしたね」
「えぇ……」

 なんだか居た堪れないような妙な感覚を胸に覚えたものの。健夜は恒子に向き直る。

「どうする恒子ちゃん。私は正直あの対局はみたいんだけど……」
「時間はあるし、いいんじゃない。あたしも勉強させてもらいます!」

 敬礼のようにしてそう言う恒子だが。そこに藤田プロが割って入った。

「残念だが、キミが勉強するような麻雀ではないと思うぞ」
「え……?」
「あぁ……そうだね」

 若干ショックを受けたのか、恒子は少し腰引け気味になるが。健夜を見れば完全に背を丸めて落ち込んでいるように見えた。

「すこやん?」
「あぁ……気にしないでこーこちゃん。あの二人、人知を超えてるから」
「ふぇ?」
「まあ、見れば分かると思うわよ。東風戦だけと言っていたし、あと二局しかない。観に行った方がいいだろう」
「はい!」

 恒子が元気よく頷いたのち。
 藤田プロの先導で、二人は再度ギャラリーの中へ入っていく。

「誰の後ろで見るんです? 私は雨宮の手牌を見学することにしますけど」
「あ、じゃあ私御堂くんの後ろいくね」
「あたしは適当で」

 三人三色、別別の場所へと散っていった。

(御堂くん……)

 健夜は、着流しの男の背後へと、ざわめきの中周るのだった。











 東風戦 三局、四本場 ドラ牌:西

 わたしが現在の点数の確認をすると、凄いことになっていた。
 何せ……。

「もしかして、流局しかしてない……?」

御堂(東家):32000
南家:10000
雨宮(西家):28000
北家:10000

 点数も異様ではあったが、それ以上におかしいのは空気。雨宮さんと御堂くんの闘気が、会場を圧迫しているのだ。

「御堂、相変わらずやるな……」
「雨宮もじゃないか。久しぶりに楽しいぜ」

 そう、二人で笑っているところを見ると、特に険悪なわけではないみたい。それでも少し気分が悪くなるくらいの重圧がのしかかってくるのを感じるから、私は絶対に彼らと真剣勝負はしたくないかも。いや、大会とかで当たったら我慢するけど。

 8順目、御堂くんがツモってきた牌は南。生牌なのだが、ドラを指すために一枚は王牌の上で表になっている。
 特に必要もなければ完全なオタ風のこの牌を、しかし御堂くんは残してE(6筒)を切った。

御堂:五五五五七七222@@@南

 ……何か、狙っていることでもあるのだろうか。しかし毎度思うのは、この異常な暗刻率。なんでここまで揃うんだろう。まだ八順目だよ?

「……御堂、まさか」
「何か?」

 ふと、雨宮さんが呟くが、御堂さんはおどけて肩をすくめた。なぜか日の丸の書かれた鉢巻をしている雨宮さんは、そのまま御堂くんを睨みつつ眉根を寄せる。そして彼が切ったのは9(索子)。一見して何もないような彼の川はなんでか、違和感があった。

 一、8、H、1、F、二、六、9

 なぜだろう、綺麗に切っているはずなのに、何かが足りない。

 十二順目。御堂くんが動いた。

「カン」

 その瞬間、ピクっと雨宮さんが反応したけれど、それ以上のリアクションは見せない。
 五(萬子)を暗槓して、リンシャンツモは……発。

 これまた一枚切れている字牌。だと言うのに、御堂くんはそれを残して、七を切る。

(聴牌から遠ざかった……でも)

 その一連の動作を、御堂くんは凄く良い笑顔で行っていた。反対に雨宮さんの表情は渋い。
 何が起こっているのだろうか。

「さぁて、流局まであとちょっとだ」
「……聴牌する気ないのか? 気合を入れろ御堂!」
「生憎、切れない牌があってね」

 切れない牌……まさか、この南と発だろうか。
 不敵に笑う御堂くんは、そのままツモ切りを連発していき、しまいに。

「ノーテン」

 と、牌を伏せた。南家もノーテンらしいが、雨宮さんは。

「テンパイ……おい御堂、その切れなかった牌っての見せろ」

 ジト目で睨みつけながら、牌を倒す前にそう催促する雨宮さんに。御堂くんは自身の発と南を晒した。瞬間。

「やっぱりテメエかあああああ!」

 ダン、と勢いよく手牌を表にする。
 私は思わず息をのんだ。

雨宮:西西西白白白中中中南南発発

「字一色なんざそうやすやすとやらせるか」
「こんの野郎……」

 そんなやり取りが聞こえるけれど、もしかして二人には、常人には見えない何かが分かるとでも言うの……?

 そして、舞台はオーラスへ。

 オーラス(五本場)、九順目。ドラ牌:八(萬子)

「カン!」

 御堂くんのカン宣告に、周囲がざわつく。やはり、彼の麻雀は知れ渡っているのだろう。
 しかし、この手牌を見ると御堂くんはやっぱり――

御堂:一一一7777G東東 北北北北(暗) 東

「カン」

 ――一回では止まってくれない。

「カン」

 7(索子)を前に倒し、さらにリンシャンをツモってくる。そのまま強く、そのツモ牌である一を叩きつけた。

「カン!」
「おいおい……やっぱりこうなるのかよ御堂……!」

 楽しくって仕方がない、と言った様子で、対面の熱血漢は興奮したように笑う。
 それに対し御堂くんも、「ならもう一丁プレゼントだ」とリンシャンの東を卓に打ちすえた。

「カン!」
「四槓子!?」

 誰かの驚きの声が上がる。彼の麻雀を知っているなら、驚きよりも絶望が先に来るはずだけど……ってこーこちゃんか。

「……ツモじゃないか」

 最後のリンシャン、ツモってきたその牌を川に切り捨てる。だが、何やらもう御堂くんには何かが見えているのか、妙にわくわくしたようなオーラを感じる。南家が静かに字牌を切ると、雨宮さんが何かをツモって、御堂くんを見た。

「ん? どうした雨宮」
「いや? 残念だったな御堂」

 何が、と思った矢先のことだった。

「カン! ――流局だな」
「……さすが!」

 発を暗槓した雨宮さんは、そう言ってニヤリと御堂くんに笑いかける。御堂さんもやられた、と言った表情で雨宮さんに笑みを返した。

 オーラス流局。結局今回の東風戦は流局しかなかったらしい。

御堂:31000
南家:9000
雨宮:31000
北家:9000

 この二人、やっぱりおかしいよホント。









「あ〜、凄かった!」
「勉強にはならないけどね」
「でも、麻雀ってあんなにポンポン役満が出るもんなんだね」
「でないよ!」

 会館内の廊下をのんびりと歩く二人。あの対局を見た直後には、あんまり麻雀をする気はおきなかったのだとか。
 と、十字路の右側から、何やら声が聞こえてきた。

『俺の120円んんんんんんん!』
『ん? 買ってなかったのか』
『選んでたよな!? 俺ドクぺかコーラで超悩んでたよな!?』
『いやあてっきり「ほら、負けた俺のおごりだ」的な感じかと思ってつい』
『引き分けだろ!? なんでテメエの中じゃ俺が負けたことになってんだ!!』
『引き分けなんて、俺の負けだ……フッ。みたいな感じ?』
『感じ? じゃねえよ! なんで俺某携帯獣の永遠の十歳主人公の宿命のライバルみたいになってんだ!!』
『ツッコミが鋭いな……』
『誰のせいだ!!』

 賑やかな喧騒に、二人はひょっこりと顔を覗き込ませた。そこでは案の定、先ほど真剣に勝負をしていた着流しの男と、鉢巻の男が自販機前で漫才をしていた。

「この人たちは……」

 相変わらずだなあと苦笑しつつため息を吐く健夜の隣で、恒子は何やら楽しそうに口元をゆるませる。
 健夜のため息が聞こえたのか、二人はこちらに目をやった。

「「あれ、すこやんじゃん」」
「私ってソレで定着してるの!?」

 愕然とする健夜を見て、恒子は必死に笑いを耐える。と、落ち込んだ様子の健夜を気にも留めずに、御堂東南は朗らかに笑った。

「久しぶりっすね小鍛冶さん。さっきの対局、見てました?」
「見てたよ〜……やっぱりすごいね二人とも」
「ハッハーそりゃあ根性でな! しかし小鍛冶、その物言いはアレだな、人生の大先輩だな」
「2,3歳しか変わらないよ!」
「すこやんがツッコミキャラになってるし……」

 恒子は恒子で、お腹を押さえながら健夜を笑う。雨宮はわざとなのか素なのか分からない分余計に傷ついたり……唯一東南だけは、特に健夜を弄り対象とすることはなく、先輩として扱っていた。

「ふぇ〜ん、ちゃんと扱ってくれるのは御堂くんだけだよ〜」
「……? 小鍛冶さんには取扱い説明書でもついてるんです?」
「付いてないよ!」

 天然は時として、酷いボケを炸裂させる。
 と、そこで恒子が何かを思いついたのか、ポンと手を打って言った。

「あの、二人とも、ちょっと提案があるんですけど、少し時間いいですか?」
「「「?」」」

 若干楽しげな恒子に、雨宮と東南は顔を見合わせるのだった。













「ラジオのゲスト?」

 会館に併設された喫茶店で、四人は座っていた。テラスのようになっており、今日のようないい天気の日はここでの食事は実に気分が良いと評判の店。
 円のテーブルに、恒子は資料を取り出して笑う。

「あたしたち二人で、“ふくよかすこやかインハイレディオ”ていうのやってるんですけど……ぜひ、来てほしいなと。正直、すこやんより弱い雀士は呼べないですし……お二人ならうってつけかと」

 目の前に置かれた資料を手に取り、アイスティー片手に東南はその内容を読んでいく。

「……なるほど。面白そうですね」
「ホントですか!?」
「えぇ。でも俺こういうの関係は疎いので、もっと詳細まで詰めてくれないとグダグダになちゃいますけど。口下手ですし」
「……御堂くんが口下手とか、よく言うよ」

 健夜がため息を吐く。と、そこで雨宮がふと思い立ったように健夜に言った。

「これさ。昔特集受けた“若手五人衆”で出るってのはどうだ?」
「若手五人衆?」

 恒子が聞き返すと、健夜はちょっと照れくさそうにして補足する。

「昔WEEKLY麻雀TODAYって言う雑誌でね、そういう風に紹介されたんだ。ここに居るのは、そのうちの三人だったりする」
「すこやんも!?」
「……うん」

 頬を染めて、俯きながら頷く健夜に、東南は「ああそんなこともあったな」と空を仰ぎ、雨宮も懐かしそうに小さく笑った。

「史上最年少八冠の小鍛冶健夜、プロ一年目で世界ランク二桁に食い込んだアイク・今田、全日本選手権覇者御堂東南、台北女子プロオープン入賞の三尋木咏、そしてこの俺リオデジャネイロ東風フリースタイル男子優勝の雨宮誠司」
「ほ、ほへ〜……すこやんすげ〜」
「私だけ!?」

 朗々と語る雨宮に、恒子は目を瞬かせて健夜を見る。

「じゃあアレか? 他の二人にも許可とって、“特集、20年前の小鍛冶健夜の戦友と会談”的な?」
「まだ小学生だよ!」

 雨宮のボケ、健夜のツッコミが冴えわたる。東南は、「まあそれはおいといて」と区切りをつけ。

「とりあえずはディレクターとかにも話通す必要あるだろうし、この件についてはまた連絡ください」
「あ、はい、ありがとうございます!」
「この後、どうする?」

 話が終わったと踏んだのか、健夜が恒子に問いかけると。
 雨宮が胸を張って言い放った。

「何言ってるんだ? 四人居るんだからやることは一つだろう」
「え……?」

 ふと、恒子は自身の周りに居る人数を数え。
 明らかに自身を入れなければ四人にならないことに気付く。

「ちょ、すこやん!?」
「いいんじゃないかな、楽しそう」
「あたしを忘れないで〜〜!」

 健夜は何やら黒い笑みを浮かべていた。再三恒子にからかわれた意趣返しだろうか。

「それに、さっきの対局中は打ちたくないと思ってたけど……やっぱりさっきの――自分で言うのは恥ずかしいけど、特集されたメンバーの中で自分だけ打ちたくないっていうのもアレだし。負けないよ」
「さすがすこやん」
「さすがすこやんっす」
「その呼び方やめてよ〜!」

 ふぇ〜ん、と脱力しながらそう抗議する健夜に、三人は笑う。

「そうと決まればまたロビーに戻るか」
「雨宮、気が早い」
「む? ……すこやん、そんなもの根性で一気飲みだ」
「いやだよ!」

 アイスティーを一気飲みなんて誰が哀しくてやるんだと、そう思いながら。
 健夜はこの後するであろう対局に胸を躍らせたのだった。