其ノ終「絶対神」
「みなもさんが<神風>制御の「鍵」だったんですね」
鳴風みなもの能力は風を起こす力。風に乗せて想いを運ぶそれは、<神風>を制御する鍵として、そして何よりも、風の神の夢を全世界に届ける源と成り得るのだ。
「そのとおりだよ。彼女のおかげで世界から争いは無くなる、永久に」
「平和をもたらす神様気取りですか」
「私はそこまで傲慢ではないよ。それに神は既に頭上に在る。私の役割は、風の巫女を媒体にして神の力を世界に届ける、言わば神官のようなものだ」
涼やかな微笑。彼の言う巫女が彩を指していない事が一種の皮肉でもある。
「君の方こそ、世界を救う独善的なヒーローにでもなったつもりかね」
「私は誰かを犠牲にして平穏を得ようなんて思いません」
「それは詭弁だ。この街が風の神の夢に包まれているのは、定期的に発生する眠り病がエネルギー源になっているからではないか」
「そのたびに眠り病を治療する神木の木片を提供しています。ずっと眠りに付かせるような真似はしません、貴方とは違います」
「はたしてそうかな? 君の例えは強盗とスリは違うと言っているようなものだ。だがそれは同じだよ、彩君。人を傷つけて奪うのも、掠め取るのも同じである以上、私と君のやっていることに大差はない。そんな綺麗事で自分を正当化するのはよしたまえ」
「それは……ッ!」
返答に窮する彩。市長の言葉は、急所に飛んだ毒矢のように彼女の胸に突き立った。
たとえ綺麗事でも、人を犠牲にしないことは彩にとっての支えであり歯止めだった。市長の言うことは正しいと分かっているが故に、歯を食いしばって呻いてしまう。
「犠牲の上にしか平和を得られないのなら、私は鳴風みなもという一人の少女による最小限の犠牲をもってそれを成し遂げる」
強い意志を伴った市長の発言に、彩はハッとなった。
「なら……それなら、私はみなもさんを助けます。そう、約束しましたから」
「それが君の答えか」
「みなもさんは私にとって大切な友達です」
決意を秘めた眼差し。彩の持つ神刀がその手を離れ、宙に浮かぶと反転し、燐光を放ちながら彼女自身の胸に切っ先から吸い込まれていった。
怪訝と眉を寄せて眺めていたデュランダルだが、思い当たったように表情が険しくなる。
「まさか――」
「死の楔を打ち込みました。私の命が、発動前の<神風>を停止させる鍵です」
彩は、約束の半分を破棄して、半分を叶える事に、心の中でひなたに謝った。
さくらの魔法で生み出された桜の花びらが幅広の通路内を無数に舞う。
続けて放たれた数条の光線を、驚異的な残像軌跡で掻い潜るアスリエル。外れた光線はしかし舞い漂う花びらに反射し、反射が反射を繰り返し、桜花乱舞の乱反射となって標的を狙い撃つ。
右手を一閃して打ち消すアスリエルだが、その一瞬の硬直に、マイトゥナの放った強力なマジックミサイルが絶妙のコンビネーションで撃ち込まれる。
流石にあしらいきれず、僅かなダメージと同時にベレー帽が宙を舞った。
「猪口才な!」
突進するアスリエル。さくらは渾身の力を込めて魔力障壁を張り、立て続けに桜色の閃光を撃ち放つ。
瞬間、アスリエルの翡翠色の双眸が透明に輝いた。
閃光は無防備な筈のアスリエルの眼前で弾かれた。それは魔力障壁であった。そして、さくらは無防備だった。
「しまっ……うわあああっ!!」
透明色の光球が唸り、さくらは血飛沫を上げて吹き飛ぶ。渾身の魔力障壁は、カサフの力で可能性を操作され、本来アスリエルに張られていたという事象に編み直されたのである。
上体を起こし多量に吐血するさくら。咄嗟にマイトゥナが防御魔法をかけたおかげで、致命傷は免れていた。
「ありがとうマイちゃん、本気でお陀仏寸前だったよ」
「どういたしまして。にしても……やっぱ二人がかりでもアスやんの相手はきっついわね」
油断なく牽制しながらさくらに治癒魔法を施すマイトゥナだが、その顔に余裕はない。
「アスやん! 自分のような境遇の人間をこれ以上増やさないためになんて言ってたけど、あなた純粋体のために何かするつもりじゃなかったの!?」
「彼はもうこの世界には居ません」
ぽつりと言ったアスリエルがすっと動きを止め、戦闘は深く静かに中断状態となった。
「彼は、昔交わした約束も、私のことも思い出すことなく、別の女性と恋に落ちました。そして、その女性を救うために真なるカサフの力を使い、世界から消えました」
アスリエルのカサフの力はそれほど強くない故に何度でも使えるが、純粋体のカサフの力は世界そのものを如何様にもできるほど絶大なため、その効果が大なり小なり、一度でも使用したら世界に嫌われ、時空の狭間へと飛ばされてしまうのだ。
「でも、彼はその女性のためにきっと還って来ます。だから私は、この世界に帰還した彼が彼女と平穏に暮らせる土台を作るため、市長に手を貸したの」
「…………君はボクに似ている」
体を動かせる程度に回復したさくらが、マイトゥナの肩を借りて立ち上がり、アスリエルを複雑な視線で見据えた。
さくらも子供の頃に大切な約束をした。しかし、その相手はそれより先に別の少女と約束をしていたため、結局果たされなかったのである。
「ここまで足止めされた以上、もう執務室に行っても間に合いませんね。なら……後は結果を待つことにしましょう」
さくらの眼差しから感じ得るものがあったのか、緩やかに戦闘態勢を解くアスリエル。
床に落ちたベレー帽を拾って被りなおすと、初めて旧友に向けるような微笑みを見せた。
喫茶店「one day」
「さあわかば、今日のメニューは?」
「喫茶店「one day」特製のダッチコーヒーですわ、望ちゃん」
「わあ、ようやくきたわね」
「これが最後ですもの。それなら自分達の店のものにするのがお約束ですから」
「よーし、気合入れて飲むわよ!」
「もちろんお砂糖は一切抜きの生勝負ですわ♪」
「ぐえっ、わかばあぁぁーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
死の楔を<神風>の前で打ち込む事によって、完全に停止、消滅させる事が出来る。彩の目に迷いはなかった。
「やめたまえ、これが世界に平和をもたらす唯一の方法なのだ。それを君は、自らのエゴで混迷の闇に突き落とすつもりか」
「貴方は急ぎ過ぎです」
デュランダルが反論する前に、執務室のドアを抜けて突然の介入者が現れた。
彩の胸から、打ち込んだはずの神刀がするりと滑り出て、からんと床に音を立てた。
唖然とする彩の目に入ったのは、リアン=フレムデとディン=テンプロール。
「なんとかシャムリニーの二の舞は防げたようね」
そう言って、エルフ耳の少女はホッとしたような表情を見せた。
「君たちがアスリエルの言っていた二人かね? いったいここへ何をしに来た」
「決まってるでしょ、<神風>とやらの発動を阻止するためよ」
「勘違いしているようだが、私は世界を支配したり滅ぼそうとしたりしているわけではない。世界を風の神の夢で包み、争いや非道をなくそうとしているのだ」
「現実あっての夢でしょ! それが分からない奴はただのバカよ!!」
ビシッと人差し指を突きつけて啖呵を切るディン。その言葉に愕然としたのは、市長よりもむしろ彩のほうであった。
「邪魔をしようというのなら仕方ない……神風よ!」
市長の声に、天井に浮かぶ淡い光球が強く輝き、見る間に呼応を始めた。
「くっ、神風の力で私たちを排除する気ですか!」
彩の身体に戦慄が走る。風の神の力で極限までパワーアップし、完全に一つになった<神風>の力は、攻撃に使用すれば一撃で大陸を焦土と化す事が可能なのだ。
僅か数発で世界を荒野と変えられる神威の風。それが三者めがけて放出されたそのとき、
「はっ!」
前に出た青年がすっと片手をかざすと、瞬く間に風は蒸発して露と散った。
彩とデュランダルには何が起こったのか分からなかった。目で見た範囲で説明するなら、リアンが神風の力を跳ね返して霧消させた。それだけだ。
「馬鹿な……」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で茫然と立ち尽くす市長だが、それは彩も同様である。
これまでの経緯から、リアンとディンが普通の人間でないことは明らかだった。だが、いくらなんでもこれは、常軌を逸脱するという枠内に収められるものではない。
「純粋体のカサフ以上とは聞いていたが……君たちはいったい、何者なのだ?」
「絶対神――と言っても分からないだろうな。では、いま一時の間だけ真実を教えよう」
リアンとディンの態度が、普段の爽やかな好青年と明朗な少女から、神格的な威厳を漂わせたものに変わった。
「この世界は『時が力の姿で渦巻くカーオス』に浮かぶ小宇宙。幾万とある小宇宙の中の一惑星に過ぎないのだ」
「ひとつの小宇宙には一種類だけ人類が誕生するの。そして人は進化して思念を持ち、それを昇華させて宗教を成して自らを守る。宗教は種としての防衛本能なわけ」
「この世界に存在する神々は、人が思念を持った時に人の無意識より創造された存在……人の思念の明暗がそれぞれに反映され、世界のバランスが保たれている」
「あなたの誇る<神風>だって、もともとは人の思念から生まれたもの。風の神の力が突出して世界に蔓延したら、そのバランスが崩れて結局は世界の崩壊に繋がるのよ」
「貴方たちは……いったい……」
二人が交互に話す真実の内容に付いていけず、彩の口から市長と同じセリフが漏れる。
その疑問に答えるようにリアンは言った。
「カーオスの中、<時の力>を自在に操ることのできる存在。私が第49聖錫神、そしてこのディンが第93聖[金得]神」
カーオス――それは九十余名の絶対神が住まう多空間宇宙。
無限の力である「時」がエネルギーの姿で存在する絶対神界である。
数多の宇宙は絶対神の意思によりカーオスから誕生する。人間という概念は、ある理由により絶対神が造り出した。
一つの世界――小宇宙にして閉空間――には一つしか知的生命は発生しない。絶対神の姿を基に造られたのが人であり、世界に存在する神々は人の思念から創造された意識神である。
神が人を創造した。人が神を創造した。相対する二つの説は、実はどちらも正しいのだ。
世界は一定期間を過ぎた後、それは数億年であったり数百億年であったりするが、つまりは絶対神の定めた寿命を迎えたときに消滅させられる。
彩たちの居る世界――地球という星の存在する宇宙も、遠い未来には絶対神の意思によって縮退消滅することになるのだが、それは超自然の摂理といえるだろう。
そして、リアンとディンは九十余名いる絶対神の一員であり、とある理由において人として生きる事を望み、二人で数多の世界を旅して人の生活を楽しんでいるわけなのだ。
そんな事象など知らぬ彩と市長には、リアンとディンの語った事を殆ど把握できなかったが、それでも風の神の力すら及ばぬ途方もない存在であるということだけは理解した。
「これほどのイレギュラーは予測も想定もできなかったよ」
まさか絶対神などという超超越的存在が、取るに足らぬ一世界の事件に介入してこようなど誰が想像できるだろうか。
「だが私もここまできて後に退くことはできない……<神風>よ、吹け!!」
淡い光球が一際強く光り輝く。進退窮まったデュランダルが<神風>を発動させたのだ。
「ならば、神として、人として、僅かでもこの星の息吹を身に受けた者の一人として――世界が破滅に向かうのを見過ごす事はできない!」
「リアン!」
「ディン! 僕たちの力を開放するぞ!!」
二人が両手をかざした瞬間、世界は白色に染まる。
いま、この宇宙の時間は完全に停止した。無論のこと<神風>も例外ではなかった。
いかな人間も神性も、絶対神の力に抗う事は決して出来ない。
そして、彩だけが二人の意思により時間の影響を受けずに済んでいた。
「私たちが風の神をこの地から解き放つから、彩は彼女を救ってあげて。これはあなたの役目よ」
ディンの言葉に、彩は神刀を拾い、中空で停止する<神風>を見上げた。
「夢の終わり――」
寂寥を伴った呟きに万感の想いを込め、神刀を床に叩きつける。破砕音と共に二つに割れた刀身は、無数の風蛍と化して周囲を舞った。
風蛍に覆われた淡い光球が白色に溶け、彩は全裸の少女を抱きかかえた。
「…………彩……ちゃん?」
うっすらと目を覚ますみなもの視界に入ったのは、優しくあたたかな微笑。
「おはよう、みなもさん」
(了)