其ノ玖「<社>の最期」



 聖なる風の結社<社>――シュライン本部。

「今こそ我らが御霊<神風>が猛威を奮う時……目覚めよ御霊たちよ! 正勝吾勝勝 天野菩卑能 宇麻志阿斯 伊賀古夜比 鳴―――ッ」

 巫女装束に身を包んだ少女が祭壇の前で祈りの儀式を執り行っていた。

 それに鳴動するように、

 諏訪神社から、吉野ヶ里遺跡から、厳島神社から、藤の木古墳から、高松塚古墳から、

 不可思議な淡い光球が飛翔し、暗雲に覆われた風音市上空の一点に次々と集う。

 その様子を会議室のモニターで眺め、長老は皺深い顔を満足げに歪めた。

「フッフッフッ。戦後我らが日本各地に分散させてきた全ての御霊たちが……一つになるのだ! 戦後六十年、雌伏の時は終わった。我らが宿願今度こそ果たす!」




 月代彩は<社>の本部に潜入していた。

 夏祭りから数日後、市長から<社>本部を発見したとの連絡があった。そしてカミカゼ発動の儀式が今日であるという事実も判明し、すぐさま向かう事になったのである。

 本部の場所は市街の外れに立つ巨大な高層ビルだった。特殊な隠蔽結界が張られており、それ故に管理者たる彩も感知できなかった。

 彩は儀式が行われている祭壇を目指し移動する。市長の情報によると、<社>三大エージェントのリーダー格にして元老院の懐刀である巫女が儀式を執り行っているという。

 見張りが誰もいない事に警戒心を強めながら進んでいると、やがて大きな広間に出た。

 五階建てのビルに相当する高さの天井に一瞬呆気に取られていると、

「ようこそ、月代一族唯一の生き残りにして管理者・月代彩」

 正面の祭壇から響く声。そこに立つ巫女装束を着た少女の姿に、彩は目を見開いた。

 祭壇の炎に照らされて不敵に微笑する少女の顔は、対峙する彩と瓜二つであった。

「貴方はまさか……私? 夢の意識から流れた私の影ですか」

「そのとおり。私はひかり、貴方の心が生み出した夢の影」

「道理で私に感知されない術や結界を張り巡らせる事も可能なわけです。夢贄を多く発生させ、そのエネルギーを集めてカミカゼ発動の礎としたんですね!?」

 風の神の影響に覆われたこの街ほど、神風を吹かせる要に相応しい地は無かったのだろう。

「そう、カミカゼとは日本全国に眠る御霊の集合体。その<神風>を用いて全世界を焦土と化す……そして、全人類は我ら日本民族の足元にひれ伏すのです」

「そんな茶番を許すわけにはいきません。妄執の雲に包まれた野望はここで終わりです」

「来なさい彩、我ら<社>の半世紀にわたる悲願の邪魔はさせませんよ!」

 巫女の手に一振りの神刀が具現化する。対して彩も神刀を具現化しようとしたが、

「……刀が出ない!?」

「ふふふ、ここは私の領域……管理者の力は使えませんよ」

 冷たい笑みを浮かべ、滑らかな動作で斬りかかるひかり。

 その斬撃をかろうじて避けながら、彩は懐から何かを取り出し、精神を集中した。

「新たなる力よ、いま一時の間だけ我がもとに!」

 迸る閃光。次の瞬間、彩はピンク色の魔法少女衣装に身を包んだ姿になっていた。

 手には先端が三日月形をした長いステッキ。管理者の力が使えなくなったときのために、一時的に新しい力を得るアイテムを用意していたのだ。

 ひかりの神刀と彩のステッキが激しく打ち合い、火花と星屑を散らす。

 神刀の斬撃を受け止め、彩は鋭い気合で相手を逆に吹き飛ばした。

「やりますね……腐っても管理者ということですか」

「これで終わりです、貴方は私には勝てません」

「ふふふ、では私の本当の力を見せてあげましょう」

 言うなり巫女少女の姿が黒瑪瑙の液体と溶け、ずぶずぶと膨張を始め、見る間に巨大な異形へと変貌を遂げた。天井に届きそうな大きさでありながら、均整の取れたフォルムが醜悪さを微塵も感じさせない。

 愕然と見上げる彩へ、

「驚いたか――私は「闇」。お前の夢影として誕生し、千年の時を経て凝縮された心の闇」

 漆黒の異形がぞっとするほど硬質の中性的な声を降り掛けた。



 彩が得た新たな力も闇には殆ど通じなかった。

 どれだけ全力で攻撃を加えても、全くといっていいほど効果が無いのだ。

「くっ、貴方はなぜ<社>の野望に加担するんですか!」

「私は戦国時代より常に政治の裏舞台を呪術をもって担ってきた。だが、管理者の影に隠れて謀略や暗殺に明け暮れる日々はもう飽きた……今こそ私が表舞台に立つ時だ。既に御霊は一つになり始めている。もはやお前に止めるすべはない」

「まだ終わってはいません!」

 全身を奮い立たせて闇に立ち向かう彩だが、無数に漂う暗黒球の直撃を受けて壁まで吹き飛ばされる。額から血が流れ、頭を強く打った衝撃で目がくらんだ。

「どうした彩、それでよく馬呑吐を滅ぼせたものだな。奴は私の力をもってしても殺しきれぬ存在だったというのに」

「く……う……」

「さあ、これで終わりだ」

 よろよろと立ち上がる彩に巨大な暗黒球が唸りを上げて迫った瞬間――

 突如として二者の間に割って入った人影が、暗黒球を弾き返して拡散霧消させた。

 そこに立っていたのは、大きなベレー帽を被り、ゴスロリ風の衣装を着た一人の少女。

「アスリエル・ヤーン……」

「貴様は、オリジナル!!」

 彩と闇の対照的な反応を受け、腰まで届く薄桃色の髪がさらりと揺れた。



 状勢は一変した。

 アスリエルの力は闇と互角以上。そのうえ、手負いとはいえ彩に共闘されては流石の闇も圧されざるをえなかった。

 暗黒球は瞬く間に透明な光球に相殺され、合間を縫った攻撃も彩が防いで届かない。

「何故だ……何故このタイミングでオリジナルが?」

 偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎていた。カミカゼ発動の儀式が今日である事を知っているのは<社>の一握りだけである。例外は、元老院の権威も通じないがゆえに目的を話して懐柔せざるをえなかった、現・風音市市長一人だけ。

「あの男か……あの男がオリジナルと接触していたと――――はッ!?」

 思案が命取りに繋がった。助走なしで数メートルを跳躍したアスリエルの、すっと開いた右手の平からは、透明な光球が眩いまでの稲光を放出していた。

 絶叫は断末魔に近かった。




 喫茶店「one day」

「さあわかば、今日のメニューは?」

「御明市にある穴場のたこ焼き屋、「たこっ八」の創作たこ焼きですわ」

「鳴風先輩がいたら目を輝かせそうね」

「ところが残念なことに、私の前に並んでいた日本人とフランス人のハーフの可愛らしい女の子が、一度にたくさん購入して売り切れてしまいましたの」

「そうなんだ、それじゃ仕方ないよね。でも、なんでフランス人のハーフってわかるの?」

「私が落胆した顔をしていたら、その子が一人前わけてくれて一緒に食べたから……あ」

「わかばあぁぁぁーーーーーーーッ!!」




 聖なる風の結社<社>の本部ビルは完全に倒壊し、

「お……おのれ……我らが半世紀の夢を……ぐふっ」

 それに巻き込まれた元老院の長老達は瓦礫の下敷きとなって息絶えた。

 戦後、日本の奇跡的な復興の影に隠れ、世界征服を果たさんと夢見た者たちの野望は、ここ風音の地に潰え去ったのである。

 アスリエルの手を借りて辛くも倒壊から脱出した彩は、瓦礫の山に立つ巫女の姿を見た。

 闇から開放されたひかりの姿は既に半透明化して輪郭がぼやけており、憑き物の落ちた風な苦笑を浮かべると、本来の場所に還るかのように彩の身体に溶けて消えた。

 暗雲の晴れた青空を眺めていると、薄桃色の髪の娘が近づいてきた。

「ひとつ訊きたいことがあります。リアンさんとディンさんという名前だったと思いますが、何度かあなたと接触していたあの二人は何者ですか」

「…………何故そんなことを訊くんですか」

「あの二人はリオ・フセスラフ翁の未来視でも未来と素性が視えませんでした」

「なっ!?」

 彩は心底驚いた。リオ老人の未来視は、この世界のおよそ殆どの人間の事を知ることが可能である。その力をもってしても素性が判明しないなど信じ難かった。

 只者ではないと思っていたリアンとディンが、まさかそれ程の存在だったとは。

「あの二人の正体は私にも分かりません」

「……そうですか。フセスラフ翁は、あの二人は人間であって人間でない……私の未来視を超えた存在だと言っていました。二人から感じ取れた力の大きさ、そして儚さは、純粋体のカサフ以上だとも」

「純粋体のカサフ以上……」

 その言葉の意味を茫然と反芻したとき、携帯のメロディーが鳴った。



「あ……」

 花束を持った、純白の帽子と衣服に身を包んだ清楚な少女が空を見上げると、幾つもの淡い光球が飛翔しているのが目に入った。

 それは、一直線に風音山の方角――風音神社へと向かっていた。



 電話の相手は鳴風秋人だった。

「どうしたんです、秋人警部が私に電話をかけてくるなんて珍しいですね」

「みなもがどこにいるか知らないかい」

「みなもさん? みなもさんがどうかしたんですか」

「僕はここ一週間ほど他市で起きた事件の調査協力で街を離れていたんだが、帰ってきたら娘がいないんだよ。彩君は何か知らないか」

「……みなもさんが、いない?」

 突然の事態に眉を寄せる彩。思い返すと、最後にみなもと会ったのは夏祭りの夜。それ以降は数日間とはいえ音沙汰がないままだ。

 考えてみればあの夜、急用ができて帰るというお詫びのメールを受け取ったわけだが、みなもの性格からして、翌日にでもその件について「昨日はごめんね」という旨の電話くらいかかってきてもおかしくはないはずだった。

「もしかすると……」

 自分はとんでもない見落としをしていたのではないかと思ったとき、耳に当てた携帯から「なんだ、あれは!」と緊迫した声が伝わってきた。

 その叫びの意味はすぐに分かった。いつの間にか風音山の、風音神社の上空に巨大な物体が浮かんでいたのである。

 そして、それが風音神社の御神木が変化したものだということを彩には感じ取れた。

「神木の……要塞?」

 それはまさに宇宙要塞といっても過言のない威容を誇っており、

『突然で失礼ですが、皆さんにお伝えしたい事があります』

 脳裏に響く声に空を見上げると、鮮明なホログラフィが無数に展開されていた。そこに映る、玉座らしき立派な長椅子に腰を下ろした長髪の男は、紛れもなく風音市の市長である。

 ふと気付くと、アスリエルの姿は彩の視界から消えていた。



 神木要塞<ハスター>の中心に位置する広大な執務室――市長はその玉座に鎮座していた。

『私はギルバート・デュランダル。ご存知の方も多いと思われますが、かつて国連評議会の議長を務めていた者です』

 ホログラフィは全世界のあらゆる場所に展開され、時差による昼夜を問わず、その声は全ての人間の脳裏に直接響き渡り、その言葉は全ての言語に自動変換された。

『推進してきた平和維持活動に限界を感じ議長の座を退いた私は、日本の風音市という街の市長に就任しました。そして、そこで知り得たのです、平和な世界をもたらす方法を』

 しっかりとした語気で話す市長の表情は真剣そのもので、見る者に強い意志を感じさせるに十分な存在感を発していた。

『国家、宗教、民族……様々なことが原因で世界は戦争やテロといった大きな争いが起こり、無益な死者がたくさん出ています。人類の歴史上で、全く戦争のない平和な期間はわずか四百三十七年しかないといいます。私たち人間は、争いと殺し合いが好きな生き物なのかもしれません。ですが、もうそんなことは終わりです。終わりにする時が来たのです。そのために必要なのは優秀な君主制でも無能な民主主義でもありません。人が人を支配する世界では平穏は訪れないのです。ではどうすればいいのか? その答えはこの街にありました。千数百年前、神降ろしの儀によって風の神の夢に覆われた地。数十年前までは根津村と呼ばれ、現在は風音市と呼ばれているこの街――答えは此処にあったのです』

「……まさか!?」

 演説の内容から目的の推論を導き出し、彩は思わず目を見開く。

 デュランダル市長の明確な信念を伴った次の言葉は、世界全ての人間の耳に届いた。



『私は人類存亡をかけた最後の防衛策として、DESTINY WINDの実行・発動を今ここに宣言致します!』


 (了)


 其ノ玖「<社>の最期」ゲスト

 闇

 花束の少女

 出典:ミスティックアーク マクロス7