其ノ伍「魔法使いに大切なこと」



 相変わらず客影の無い、お昼時の海猫屋店内。

 彩はカウンターで、みなもは客テーブルで、それぞれ昼食をとりながら、のんびりとテレビを眺めていた。リモコン式ではあるが、画面は十五インチと小さい。

「大阪日本橋の「あさちゃん」は、六十インチくらいの巨大テレビなのに……」

「みなもさん、いくらなんでもネタが局地的すぎです」

 流石は食い倒れ人形コスでメガホン片手に「バース! バース!」と叫んだだけの事はある。

「この人、たまにテレビで見かけるね」

 みなもが指差す十五インチの画面には、黒い長髪の、理知的で落ち着いた感じの風貌をした男が映っていた。歳は三十前後あたりだろうか。

「……自分の住む街の市長くらい知っておいてください」

「ふーん、この人が市長さんなんだ」

 テロップには『風音市市長 ギルバート・デュランダル(32)』と表示されていた。

「そういえば、今日は珍しくおじさん来てないね」

 客席に常連客のおやじの姿はなかった。すでに正午を半ば過ぎている以上、この日は来ないとみていいだろう。彼は必ず十二時半までにやってくるからだ。

「ごちそうさま。それじゃ彩ちゃん、私はそろそろ校舎に戻るね」

 お代を置いて席を立つみなも。普段は学園の食堂か中庭だが、たまにこうして海猫屋で彩と一緒に昼食をとっている。

 一人きりになった店内を見回し、彩は軽く背伸びした。

「他に客もいないことですし、少し散歩に出かけますか」



 公園の広場で見慣れた後ろ姿を見つけ、彩はなんとなく声をかけた。

「おや彩ちゃん。彩ちゃんもディンちゃんに占ってもらいに来たのかい」

 皺だらけのスーツに身を包んだ小太りのサラリーマン――海猫屋常連客のおやじである。

「ディン?」

「最近ここで占い屋を始めたっていう夢師の女の子だよ。よく当たるって評判らしくて、俺も一度占ってもらおうと思って並んでいるところさ。何しろ正午一時間ほどしか開いてないって話だからなぁ」

「ああ、それで今日は店内に姿が見えなかったわけですか」

「悪いね、今度一番高い食事頼むからさ」

 海猫屋の食事メニューで最も高い定食でも千円でお釣りがくる。

 前の列が減っていき、あと一人で順番がまわってくるというところで、

「おやじさん、時間のほうはいいんですか」

「しまった、もう会社に戻らなきゃまずい! くっ、あと二分早く来ていれば……」

 二分だと占いの途中で時間切れになりそうなものだが、悔しそうな苦笑いを彩に向けて、おやじはダッシュで駆け去っていった。

「公園の広場と占い屋……なにか聞き覚えがあるような」

 ふと目を向けると、水晶玉らしきものが中央に置かれただけの布テーブル。評判の良い占い屋といっても、実に簡素他ならず、そして、木製の丸椅子に腰をかけた少女は――

「……久しぶりですね、とでも言うべきでしょうか」

「まだ一週間しか経ってないけど……奇縁って言ったほうがいいかも。ところで、出店前のサービスは役に立った?」

「おかげさまで。それより、何か言われませんか、その耳」

「んー、「耳を長く見せる力」って説明したら、それで納得してくれるから助かるわ」

 にこりと笑ってエルフ耳をぴくぴくさせる少女。妙なファンがつきそうだ。

「そうだわ、ちょっと訊きたい事があるんだけど……」

「あの、お尋ねしたいことがあるんですけど」

 声は殆ど同時。片方は占い師ディンのものだが、もう片方は新たな介入者のものだった。

 歳と背丈は二人と大差ない。アッシュブロンドの髪と透き通るような白い肌をした少女。北欧の妖精のような容姿にミスマッチした、足首までかかる黒マントが目を引いた。

「あのですね、占ってほしいことがあるんです」

「えっ? えーと、悪いんだけど、今日はもう終わりなの」

「ええーーーっ、そんな、困ります! お願いです、どうかお慈悲を!」

「お慈悲って……そうね、とりあえず何を占ってほしいのか言ってみて」

 黒マントの少女は、期待に目を輝かせ、

「月代彩という人が何処にいるか、教えて下さい!!」

 と言った。



「せっかく、眠り病のことを訊こうと思ったのに」

 店じまいを終えて近くのベンチに腰を下ろし、ひとりごちるディン。

「何をぶつくさ言ってるんだ」

「リアン、おかえりー。どこ行ってたの」

「ああ、ちょっと街中を探索していた時に見かけた喫茶店で休憩してた」

「えーっ、喫茶店で優雅な時間を過ごしてたの? ずるーい!」

「悪い悪い、今度一緒に行こう」

 不満をあらわにする少女を軽くなだめる青年。慣れたやり取りのようだ。

「ところで、何か飲み物はないか。喫茶店で持ち帰りのジュースを買って、途中で飲んできたから喉が」

「…………言葉としておかしくない?」

「そのジュースがものすごく濃い味だったから、口直しにさっぱりしたものをと」

 照れ隠しなのか、思わず苦笑するリアンだった。



 海猫屋客室には、店主である彩と、黒マントの少女。

「アイシアさんといいましたか、それで私に何の用です」

「わたし、立派な魔法使いになりたいんです!」

 アイシアは魔法使いになるために、はるばる北欧からやってきた。初音島にいる魔法使い、芳乃さくらに会いに行ったが、魔法を教えてはくれなかった。代わりに、風音市という街の月代彩を訪ねるといいと勧められたのだという。

「押し付けましたね……」

 マイトゥナといい、さくらといい、自分にはろくな魔法使いの知り合いがいないと彩は思った。

「どうかしましたか、彩」

「いえ、別に。ところで貴方はどうして魔法使いになりたいんです」

 アイシアの、彩の双眸にも劣らぬ紅玉の瞳が、一片の曇りも無く輝いた。

「魔法は人を幸せにするもの。わたしは、一人前の魔法使いになって、たくさんの人を幸せにしたいんです!」




 喫茶店「one day」

「わかば、今日のメニューは?」

「海沿いの田舎町の自販機名物、「どろり濃厚ピーチ味」という紙パックジュースですわ」

「えらく喉越しが悪そうな名称だけど」

「さあ、ぐいっと一気飲みして派手にむせ込んで――と言いたいところだったのですけど、残念ながら先程いらしたお客さんが買っていってしまったんですの」

「わっ、珍しい展開……じゃあ今回はこれでお開きってことね」

「いいえ、望ちゃんには密かに買い置きしておいた、この「おみそしるドリンク」を」

「わかばあぁぁぁーーーーーーーーーーッ!!」




「さあ、一刻も早く事件を解決して、街の人たちを安心させてあげましょう!」

「そうですね」

 長閑な風音公園の並木道。隣で気合を入れるアイシアに、淡々と相槌を打つ彩。

 二人は、ここ数日に風音市で起き始めた怪事件の解決に乗り出していた。

 魔法を使えない彩が、人に魔法を教えるなんてできるはずがない。しかしそれをアイシアに説明しても納得しそうにないと感じた彩は、怪事件の解決を促したのである。

 さくっと解決し、あとは「これで貴方も立派な魔法使い。もう私が教える事は何もありません」とでも適当言って送り出せば万事めでたしというわけだ。

「おや、月代君じゃないか」

 前方から聞き覚えのある声。煙草片手の中年男が近づいてきた。

「これは秋人警部、こんなところで会うとは奇遇ですね」

「まったくだ。ところでそっちの子は誰だい?」

「アイシアといいます。ただいま彩と一緒に、街で起きている怪事件を解決するために奔走している最中なんです!」

 可憐な容姿とは裏腹な、北欧少女の明朗な態度に、思わず線目が開きかけたものの、秋人警部は感心したようにうなずいた。

「そうか、それは助かるよ。何しろ今は休暇中でね、月代君が捜査してくれるのはありがたい」

「休暇中なのに公園の片隅で何をしているんですか」

「いや……恥ずかしい話だが、家で煙草を吸おうにも、娘が許してくれないのでね。独り寂しく公園で一服という状況さ」

 苦笑して口から紫煙を吐く。正面に吐いているのに、不思議と煙は二人の少女に届く前に進路を変えて霧消する。秋人警部の能力、「煙を操る力」だ。

「そんなときは魔法にお任せ! いつでも煙草でハッピーになれます!」

 びしぃっ、と指先を突きつけるアイシア。演出効果もばっちりである。

 彩が制止する間もなく、未熟半熟のびのびざかりな魔法の力が開放された。


 数秒後、秋人警部は両手両足が生えた巨大タバコになっていた――


「こ、これで煙草と一心同体でハッピーです」

「冷汗を垂らしながら言うことではありませんよ」

「うう……またやってしまいました」

「また?」

 彩の脳裏で、「ぽくぽくぽくぽくぽく…………チーン」という音が鳴った。

「アイシアさん、貴方がこの街に来たのはいつです」

「えーと……三日前ですけど、それが何か?」

「成程、犯人はヤスでしたか」

 ガッテンしていただけましたか? という気分である。

「バタコォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 怪獣・タバコン(元・鳴風秋人)が雄叫びを発すると、全身から溢れ出した煙が周囲一帯を包み込んだ。彩とアイシアはもとより、公園内のあちこちで悲鳴と咳込み声があがった。

「仕方ありませんね」

「わあっ、刀なんか抜いて何するつもりなんですか、彩!」

「日本刀とは、斬ることを目的に特化された業物です」

「だ、駄目です! いくら化物になったからって、相手は人間なんですよっ」

「風音市の刑事は己に屈したりはしないハズです。秋人警部はきっと「自分はどうなってもいいからその刀で僕を倒せ」と思っておられるに違いありません」

「そそそ、そんなどこかの第13課みたいな理屈……駄目駄目駄目です! わたしの失敗ですから、わたしがなんとかします、えーーーーーーーーーーーーーーい!!」

 切羽詰まったアイシアが、渾身の気合を込めて魔法を発動させた。

 光の中から、赤い髪と青い髪をした、小学校中学年ほどの小柄な二人の少女が現れた。

「えっ、えっ、ここどこ? わー、見てレイン、大きなタバコのお化けがいるよっ」

「大変、このままじゃ、ここにいるみんなが肺ガンになっちゃうわ! ファイン、プロミネンスの力を使いましょ」

「ファンファンファイン・プロミネンス・ドレスアップ!」

「ランランレイン・プロミネンス・ドレスアップ!」

 魔法の杖、ロイヤルサニーロッドの変身呪文で二人の少女がドレス姿に変化。

「トゥイン・トゥインクル・ブルーミッシュ! タバコの毒からみんなを守って!」

 放出される魔法の力。次の瞬間、怪獣・タバコンは「禁煙パイポ・ミント味」と化して、周囲の煙を浄化させていく。そして、煙が消え去ると、秋人警部の姿に戻ったではないか。

 一部始終を目の当たりにして、瞳をきらきら輝かせるアイシア。彩は額にジト汗だ。

「お二人は魔法使いなんですね!? わたしはアイシア、立派な魔法使いになってみんなを幸せにしたいんです。お願い、わたしに魔法を教えて!」

「ええーーっ! それはムリ、私たちもまだ半人前だもん。だから、お互いがんばろう」

「大切なのは、誰かを幸せにしたい、困っている人を助けたいっていう気持ちなの。アイシアがそれを忘れなければきっと大丈夫よ」

「魔法使いに大切なこと…………うん、わかった!」

 清々しい表情でうなずくアイシアに笑顔で手を振り、二人の少女が光の中に消えていく。

「わたし、これから初音島に戻ってもっと頑張ります。どうもありがとう彩、それじゃ」

 遠ざかっていく黒マントを、彩はジト汗を浮かべたまま見送った。



「うう……いったい何がどうしたというんだ」

 頭を振って、よろよろと起き上がる秋人警部。どうやら何も憶えていないらしい。

 暮れなずむ夕陽に背を向けて、彩はクールにただ一言。

「夢を、見ていたんですよ」


 その日を境に、数日前から起こっていた怪事件は、ぴたりと影を潜めたそうな――

 (了)



 其ノ伍「魔法使いに大切なこと」ゲスト

 アイシア

 ファイン

 レイン

 出典:D.C.S.S. ふしぎ星のふたご姫