其ノ肆「遥かなる夢の中で」



「彩ちゃん、起きて、起きてよ」

「んん……地震だ、ナー」

「わわ、名雪ちゃんとフォルテがごっちゃになってるよ、それ」

 困惑した声色と、揺り篭のような揺さぶりに、彩はうっすらと目を覚ました。

 ぼやけた視界が最初に認識したのは、メイド風スタイルをした少女の姿。

「……これが私のご主人様?」

「ち、違うよ、寝惚けないで彩ちゃん。みなもだよ、鳴風みなも」

「みなもさんですか」

「そうそう、やっと起きてくれたんだね、よかった」

「早朝から人の家に不法侵入とは、刑事の娘と思えぬ大胆不敵さですね。破嵐万丈にでもなったつもりですか」

「ひ、人聞きの悪い事を言わないでっ。大胆でもダイターン3でもいいから、ちゃんと目を覚ましてよ」

 律儀に突っ込むみなもを清純と呼ぶべきかどうか。兎にも角にも真摯さは伝わったようで、彩はベッドから身を起こして現状の把握に努めた。

 今日は休日。そして昨夜は泊まりに来たみなもと一緒に、TVアニメ版WindのDVDを全話観賞してしまったのだ。

「夢中になって夜更かししてしまいましたか……さらにその後、黒歴史と名高いOVA版まで見てしまったのが一生の不覚ですね」

「それより彩ちゃん、早く服着替えて下に降りてくれないかな」

「理由を述べてくれないと困ります」

「あのね、お客さんが来てるの。それで一足先に目が覚めた私が、彩ちゃんを起こしに来たんだよ」

「今日は休日で、店も定休日のはずですが」

「えっと……お店に用があるんじゃなくて、彩ちゃんに頼み事があるんだって。ものすごく真剣な顔してたから、断れなくて」

「優しさは人の美徳ですが、いい人と優しさは別物ですよ」

 軽く溜息をつきながらも、地味な私服に着替える彩。アルクェイドの服装に似ていることに最近気が付き、ちょっといい感じに思えてきた今日この頃。

「ところでみなもさん、どうして制服魔改造メイド衣装なんです」

「えっ……だって、お客さんが来たから、接客スタイルに扮しないと」

「…………」

「あれ、そういえば彩ちゃんの目は赤から青に変わったはずじゃ?」

「貴方も寝惚けていましたか」



 閉じた店内の客席に三つの影。二人の少女の他は、常連客のおやじではなく、二十代前半と思しき、フリーターの青年だ。

 その青年、鳴海孝之の頼み事とは次のようなものであった。

 三年間眠りつづけている恋人を目覚めさせてほしい――

 彼には涼宮遙という恋人がいるが、三年前、突然に睡眠から覚めなくなった。

 色々な医者や病院に診てもらったものの、すべて原因不明との診断に終始する。

 それから三年。すっかり途方に暮れて諦めの念が心を蝕み始めたとき、風音市の噂を聞きつけた。そう、眠り病の噂を。

 眠り病――それは風音市に蔓延する奇病の一種で、その名のとおり眠りから覚めない状態に陥る謎の病である。

 しかし、風音神社にある御神木の、木片を摩り下ろしたものが、特効薬として効果があることが分かり、現在は恐れられることはなくなった。

 そこで眠り病との関連性を照らし合わせ、一抹の希望を胸にこの街を訪れたのだ。

「事情はわかりましたが、私にどうしろと?」

「オレは……オレは……どんなにののしられても……遙を目覚めさせたいだけなんだ!!」

「誰もののしってなんかいませんけど」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌なんだっ!! うわあああああ……」

 突然絶叫して席を立つと、「絶対に割れない壺」を何度も両拳で叩き始め、号泣する孝之。どうやら心労の蓄積のあまり、少しおかしくなっているようである。

「ねえ、彩ちゃん……」

「はあ……分かりました。今日は「いいひと記念日」にしておきましょう」

 投げやりにそう言い捨てた彩だが、直後にみなもに抱きつかれ、頬を桜色に染めた。




 なんとはなしに散歩に出かけ、坂道を歩いていたおばあさんの荷物を持つのを手伝ったりなんかして、そんな昼下がりの午後の、涼やかな公園の並木道。

「そこのお嬢さん」

 振り向いた彩の目に映ったのは、十代半ば近くといった風貌の少女。背丈も彩と殆ど同じだ。

 日本のファンタジー作品によく出てくるエルフのような、現実離れした、長くとんがった耳が異様に目を引くが、彩はとくに気にもとめていない。

「私、最近ここにきたばかりなんだけど、近々このあたりで占い屋を開くつもりなの。折角だから、特別サービスでひとつ占ってあげよっか」

「結構です、他の人を相手にして下さい」

「だが断る――ってことで、サフラ〜ン、チェ〜ック」

「また随分と中途半端に古い……あ」

 うっかり足をとめてしまう。しまったと思ったがもう遅い。無視して通り過ぎるタイミングを逃した以上は、その胸と同じく慎ましやかになるしかない。

 どこからか取り出した水晶球を眺め、少女は意味深に微笑んだ。

「解決の鍵は夢の世界樹にあり、と。こんなんでましたけど?」

「…………そうですか」

 赤と青、二つの双眸は一瞬の交錯を経て、何事も無かったように片方が逸れる。

 遠ざかる赤と、見送る青。一人の青年が後者の背後に近寄った。

「ディン、公園の下見は終わったのか」

「あっ、リアン。食料の買出しお疲れー」

「今の子は?」

「ちょっと変わった雰囲気を出していたから話しかけてみようと思って。そしたらすっごい態度が素っ気なくて! あれは絶対友達少ないわね。ま、とりあえず腹立たしいのを隠して上手く引き止めてやったわ」

 勝ち誇ったようにガッツポーズをとる少女を、青年は穏やかに見つめた。

「でもディンが気になるくらいだから、ただの女の子じゃないんだろうな」

「そうね……ここは、バアルベリスのすっとこどっこいがいた世界よりも科学文明が発達してるけど、あの娘に漂っていた空気は、どっちかっていうと私たちのそれに近かったわ」

 並木道の彼方を眺め、ディンは、「もしかしたら、そのうち関わり合う事になるかもしれないわね」と、複雑な表情でつぶやいた。




 喫茶店「one day」

「わかば、今日のメニューは?」

「クスハ・ミズハさん特製の栄養ドリンクですわ♪」

「いきなり喫茶店関係なくなったわね、てっきり『すかいてんぷる』でくると思ったのに」

「これを飲めば出撃時に気力150爆発! さあ望ちゃん、ぐいっと一気飲みを」

「じゃあ、今回はわかばが先に飲んで見せてよ」

「……そうですわ、マスターに呼ばれているの思い出しましたから、私はこれで」

「逃げるなあぁぁーーーーーーーーッ!!」




 翌日。紫光院の病院を訪れた彩とみなもは、今朝に入院完了したばかりの、涼宮遙の病室へ足を踏み入れた。その彼女が眠るベッドのそばの丸椅子には、既に鳴海孝之が腰を下ろしていた。

 挨拶もそこそこに、彩は遙の状態を観察し始めた。彼女には眠り病の有無が感じ取れるらしい。

「これは……眠り病ではありませんね」

「そ、そんな!」

 淡々とした宣告を耳にして、愕然と床に腰を落とす孝之。

「そう落胆しないで下さい。治す方法がないわけではありませんから」

「本当か!?」

「彩ちゃん、試した後に「ふむ、この秘孔ではないらしい」なんて口にするのは無しだからね」

「私を自称天才の藪医者と一緒にしないでもらえますか。ああ、弟も気づかない変装ぶりは天才的かもしれませんね」

「そんなことはどうでもいいから、治す方法を教えてくれ」

「簡単ですよ、ベッドの足と頭を逆さにして下さい」

 首をひねりながらも、言われるがまま、孝之はみなもと二人がかりでベッドを半回転させた。ちょうど遙の頭と足先がさっきまでと逆になる位置格好だ。

 待つこと数分。カップラーメンが出来上がる時間になっても、何も起きる気配はない。

 名指し難い二対の視線を受け、彩は表情一つ変えずに言った。

「やはり、誉れの幇間のようにはいきませんか」

 もし遙に意識があったなら、死神の名付け親という童話を知っていただろうか。

「癪ですが、占いの助言どおりにするしかないようですね。鳴海さん、鏡を用意してくれますか。それもなるべく大きなものを」

「わかった、待っててくれ」

「大きな鏡……たとえば、アービスの鏡とか?」

 流石、マニアックネタは鳴風のお家芸ですね――と、彩が思ったかどうかは分からない。



 院内で借りてきた全身が映るサイズの鏡が病室の壁に立てかけられる。

「それでは鳴海さん、指輪を見せてください」

「指輪……もしかして、これのことか」

 深刻な顔付きで一つの指輪を取り出す孝之。彼と遙の親友である女性に、誕生日にせがまれて買い与えた指輪。そして、それは遙が覚めない眠りに陥った日でもあった。

 孝之はその女性と付き合っていた時期もあったが、いまその指輪は彼の手元に戻っている。

「それ、有明の祭典68で見事に売れ残っていましたね」

「お客さんは大半が男の人なのに、サイズが十一号なんて、絶対無茶だよ」

 彩とみなもの歯に衣着せない物言いに、「それでも……人間かっ……!?」と全裸で両手両膝を床についてうなだれたくなる孝之だった。

「それではなく、鳴海さんがいま右手に嵌めている指輪ですよ」

「右手って……うわっ、いつの間にか薔薇のデザインの指輪が!?」

「それを鏡に向けて近づけてください」

 わけが分からず、薔薇の指輪を近づける孝之。すると指輪がまばゆく淡い輝きを放ち、呼応するように、鏡から真っ白な光が溢れ出した。

 目もくらむ発光の中、鏡の表面から何かが飛び出してきたのは数秒後である。

 光が収まると、眼前に二体の少女人形。左右非対称のオッドアイが印象的だ。髪の長いほうのドールが、やや冷めた眼差しで周囲を一瞥し、

「おんなじです……眠りつづける彼女と、情けないへタレ。三年前と何も変わってやがらねーですぅ」

 動いて喋りだした人形に驚く孝之とみなも。平然としているのは彩だけだ。

「お願いだ翠星石、君の力を貸してほしい」

「何をぬかすですか蒼星石、あのへタレのために私の如雨露を使えと言うのですか!!」

「このままじゃ、マスターの心が壊れてしまう」

「あいつはとっくにキング・オブ・へタレになっちまってるですぅ!」

 思いっきり指差された孝之。本人目の前にしてのやり取りに、心底凹みそうである。

「これが、最後のチャンスなんだ」

「……………………スィドリーム!」

「ありがとう翠星石! いくよ、レンピカ!」

 開かれた夢の扉。二つの人工精霊を伴い、姉妹のドールは夢の中へ飛び込んでいった――








「いっぱい、いっぱい、ゆっくりし過ぎて……ごめんね」

「…………」

「でもほら…………涼宮遙は……ここにいるよ」

 優しくあたたかい微笑みを添えて、広がった両手。三年越しの想いに応えるように、孝之は、遙の身体を強く抱きしめた。

「……おかえり……」

「うん…………」

 感動の涙を流すみなも。

 穏やかで満ち足りた眼差しを、抱き合う二人に向ける蒼星石。

 その隣では、翠星石が呆れた様子を見せていたが、表情はどこか嬉しげだ。

「たまにはこういう結末もアリですね」

 番茶を一口やって、彩が口元を綻ばせたそのとき、病室のドアが開いた。


「人って、紆余曲折いろいろあるのよね」


 感慨深げな紫光院霞の言葉に、彩たちは某新喜劇のごとく倒れ伏した――

 のだった。

 (了)




 其ノ肆「遥かなる夢の中で」ゲスト

 鳴海孝之

 涼宮遙

 翠星石

 蒼星石

 出典:君が望む永遠 ローゼンメイデン