其ノ参「未知なる黄金郷」
雨の降りしきる帰路を、橘勤は傘を片手に駆け走っていた。
すると、突然に男の高笑いが雨の雫に混じって頭上に降り注いだ。
「な、なんやー?」
思わず見上げると、電柱の上に一人の青年が立っていた。年の頃は二十代半ばといったところか、金髪に切れ長の碧眼はどう見ても西洋の人間で、容姿もなかなかの美男子といえる。
いかにも英国貴族といった服装に身を包んだその男は、呆気に取られている勤の前に、電柱から飛び降りて着地してのけた。
そのとき、二人の間を一台のトラックが通り過ぎ、水溜りの飛沫が男にぶっかかる。
「うおわっ! き、貴様ーっ! 私の一張羅がずぶ濡れに……どうしてくれるんだ!」
「いや……わいは悪くないと思うんやけど……それに傘もささんと電柱の上に立ってたやないか」
「雨水と泥水を一緒にしないでもらおう。それよりも、私の家まで来てもらうぞ」
途端、男の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
巷に雨が降るように、関西弁の悲鳴が雨雲の彼方に響き渡った。
海猫屋店内。
「雨の降る街は〜、雨の降る街はぁ〜♪」
「おやじさん、下手糞な歌を店内に撒き散らさないでくれますか」
「おじさん、それは雨じゃなくて雪だよ」
「ははは、相変わらずぴかりちゃんはきっついなぁ。みなもちゃん、ツッコミありがと」
いつもどおり昼食を食べている常連客のおやじであった。
「誰がぴかりですか。それにいくら今日は休日だからといって、雨に覆われた街路を店の窓越しに見つめて、けだるい午後のアンニュイな気分を演出しても似合いませんよ」
これまたいつものババ――ロングスリーブの地味な私服を着た彩が淡々と返す。
当然ながら、みなもは制服魔改造のメイド服である。
「ところで知ってるかい? いま若い男性ばかりが神隠しに逢うって事件」
「確か、ニュースでも話題になっていましたね。ローカルですけど」
ここ風音市では数週間前から突如として神隠し事件が発生していた。
神隠しに遭うのはいずれも若い男性ばかりで、一日ほど行方不明になったあと、みな無事に帰ってきている。その間の記憶は何故か一切消失しており、事件は解決の糸口すら見出せていないのが現状だ。
ただ、いずれの事件でも共通しているのは、被害者が意識を取り戻す場所が風音山の麓だという事だった。
「その近くの山中には一軒の屋敷があって、イギリス人の夫婦が住んでるみたいなの。でね、問題はその夫婦がこの街に引っ越してきたのが、ちょうど数週間前で……お父さんは事件との関連性があると睨んでいるんだけど、証拠も何も無いし被害者の記憶もないしで手が出せないんだって」
「みなもさん、その何かを期待しているような視線はなんですか」
「えっと、だからね……彩ちゃん、そういうの好きじゃないかなあと思って」
「残念ですが、そういつもいつも思い通りには動きませんよ」
「ううー」
がっくりみなも。
だが、数日後、彩は事件に首を突っ込まざるをえない事態に収束してしまう事になる。
「三話目」
「はあ」
「三話目だ」
「何がですか?」
「本編では主人公の俺が、三話目でやっと初登場というのはどういう扱いなんだっ。しかももうBパート間近だっていうのに!」
納得いかないような表情を青天に向け、丘野真は叫んだ。
「きっと俺が登場するまでの間にコキ難しい話になってるに決まってるんだ」
「そうでしょうか。思わぬ展開が待っているかもしれませんよ」
「そうだろうか……って、君は誰だ?」
今更ながらに相槌を打っていた相手が自分の知らない人間だという事に気づいた。
それは上品な服装をした可憐な女性――いや、少女とも呼べる容姿の娘だった。
そこへ、二人の頭上から高笑いが降り注いだ。
「な……なんだ?」
見上げると、陽光を背にして電柱の上に立つ、英国紳士風の金髪碧眼の青年。
「君が丘野真君だね。一緒に来てもらおう」
「……は?」
「ほら、思わぬ展開」
真の後ろで、うら若き女性がにっこりと微笑んだ。
太陽が西に沈みきった時刻、海猫屋のドアが勢いよく開かれた。
「うにゅっ、大変だよっ! お兄ちゃんが散歩に出かけたきり戻ってこないんだよっ!」
閉店の準備をしていた彩とみなもが、期せずして顔を見合わせる。
「お願いだよ彩ちゃん、お兄ちゃんを……っ」
「仕方ありませんね……確か件の屋敷は風音山中でしたか」
「アキトはどこに行きたいの〜?」
「みなもお姉ちゃん、それ秩父山中……」
今回は比較的まともなネタだった。
喫茶店「one day」
「わかば、今日のメニューは?」
「ティー・サロン「ヒポポタマス」の名物・バルーンコーヒーですわ、望ちゃん」
「……何か、一話目に比べてどんどんマイナーになっていくのは気のせい?」
「気にしてはいけませんわ。さあ、たーんと召し上がれ♪」
「ごくごくごく」
「ちなみに、一口で十キロ体重が増えると評判なんですの」
「ぎゃーーー、わかばあぁぁぁぁーーーーーっ!!!」
夜の帳が降りた風音山中。そこに、ライトアップされた大きな屋敷が鎮座する。
屋敷前に集結する彩、みなも、ひなた。三人は何が起きてもいいように、戦闘準備は万端。みなもとひなたは海猫屋の特殊アイテムで攻撃能力をオプション追加しているのだ。
「では突入しますよ」
彩を先頭に屋敷玄関目掛けて走り出す三人。
ところが、その行く手を遮るかのように、地中から無数の鉄巨人が現れたではないか。
「うにゅっ! なにあれ!?」
「魔導と科学によるゴーレムですか……屋敷の主は只者ではないようですね」
「こうなったら「三匹が斬る」だよね。みなも頑張るっ!」
ちゃーーらーらーらー とるるるー るー るーるるー るるるるーるるー
どこからともなく流れ出す殺陣のBGMに合わせ、闘いは始まった。
「いくよー、触覚ビィーーーーーーーーーーーーム!!」
びしぃっと指先を突きつけたポーズのひなたのアホ毛から、目もくらむような光線がほとばしり、数体のゴーレムを吹き飛ばす。
涼宮さん家の茜ちゃんと似ている事を逆手に取った攻撃手段である。
「すごいよひなたちゃん! ようし、私も負けてられないね」
みなもが空に手をかざすと、空間の裂け目から一振りの巨大な剣が現れた。人の何十倍の大きさもあろうかという、そのあまりにも巨大な剣を、みなもは軽々と手にしてのけた。
「みなも式斬艦刀参式――鳴風・星薙ぎの太刀ーーーーーっ!!」
繰り出される必殺の一閃が、一撃で鉄巨人たちを粉砕していった。
そして彩も強化アイテムを装備していたのか、強力な必殺技を撃ち出す。
「八十禍日神招来!!」
タクトを振るような動作で刀を振るうと、禍々しい黒炎らしきものが鉄巨人たちを侵食していった。まさに、黒く塗り潰せ、世界の全てを、燃やし尽くすまで、といった感じに。
あっという間にゴーレムを全滅させた三人は、玄関を突き破って屋敷内に足を踏み入れた。
すると、待ち構えていたかのように金髪碧眼の英国紳士が姿を現す。
「人の屋敷に手厚い歓迎だな、少女諸君」
「丘野真という人がここにいるはずです。開放してもらいましょうか」
「さて、それは君たちの出方次第……ぎゃあーーーーーーーーーーーーっ!!」
聞く耳持たずとばかりに、ひなたが触覚ビームを発射。吹き飛んだ青年に向かって彩とみなももガシガシ攻撃を加える。真が絡むと容赦がなくなるようであった。
必死で攻撃から逃れて距離を置いた青年が、怒りに打ち震えた顔付きで怒鳴った。
「お、おのれ……この国の女性は大和撫子なる慎ましやかに溢れているというのは昔話だったか。ならば私も容赦はせんぞ、科学技術と魔導の双方に精通した現代の賢者、このジョージ・デッカーの攻撃を受けるがいい!!」
次の瞬間、凄まじい爆発が巻き起こった。
「きゃあーーっ!!」
たちまち三人は爆風で吹き飛ばされ、床や壁に叩きつけられて倒れ伏した。
みなもとひなたは気を失い、彩だけがよろよろと起き上がって愕然と呟く。
「これは、まさか、絶滅した古代魔法「ブローニング・フロア」……!? そんな上位魔法を使える人がいるなんて……」
「さあ、これで終わりだ」
青年――ジョージの口元から滅びの呪文が再び紡がれようとした時、
「待ってください、ジョージさま!!」
「マリア! 出てくるなと言っておいたのに、なぜ――」
ジョージは動揺を隠せずに呪文の発動を中止する。マリアと呼ばれた気品の感じられる、うら若き女性の隣には、丘野真がきょとんとした表情で立っていた。
「ジョージさま、真さんと話していて分かりましたが、その人たちは信頼できる人ですわ。きっと私たちの悩みを打ち明けても支障はないと思います」
「む、むう……君がそう言うのなら」
かくて緊迫したシーンは、あっさりと和解モードに移行したのだった。
場所は居間。テーブルを挟んだソファに、それぞれ、二組の男女。みなもとひなたは気を失ったままなので、隣室のベッドに寝かせている。
ジョージとマリアは夫婦で、若返りの秘術を体得したジョージにより、二人はかれこれ二百年近く生きているのだという。ちなみに二人はイギリス人なのだが、百数十年前――十九世紀半ばのある事件においてアメリカに渡り、現在も滞在中。他の国に赴く時だけ英国スタイルに扮しているのだそうな。
そして、百年以上も愛の営みを交わしていると流石にマンネリが生じてくる。そこで日本のソレは世界的に見ても特殊な嗜好の者が多いらしいと聞き、来日。若い男性を攫っては、自分達が満足できるような未知のソレ系知識を聞き出し、用が済んだら記憶を消して開放していたというのが今回の事件の真相だった。
「……まあ、事情はわかりましたが……どうして片田舎的なこの街をターゲットに選んだんですか?」
「ああ、齢九百年近くになる魔術師マイちゃんから、「日本にある、今は風音市という街に行けば道は開けるはず」と聞いたものでな」
「性魔術師マイトゥナ……」
「おお、君は彼女の事を知っているのか」
「え……ええ、まあ」
曖昧に微笑する彩。実は旧知の間柄なのだが、真がいる手前、話すわけにもいかない。
その真が、何か思いついたようにジョージに話し掛けた。
「なあ、それなら秋葉原に行ってみたらどうだ?」
「アキハバラ?」
「ああ、何でも二次元美少女に傾倒した人間たちと特殊な趣味嗜好が集まっているらしいんだけどな」
「秋葉原……聞いたことがあるぞ。日本には美少女萌えヲタク・エロゲヲタと呼ばれる人種が存在していると。そしてその聖地が秋葉原と呼ばれる都市であると……そうか、秋葉原か!」
「ジョージさま、それでは!」
「うむ、そこに私たち二人のエルドラドがあるに違いない! これで性行為のシチュエーションやパターンのマンネリから開放される! 素晴らしい、秋葉原バンザイ! エロゲヲタに科学と魔導の祝福があらんことを!!」
ソファから腰を上げ、高らかに哄笑するジョージと、彼に抱きついて喜びを共感しあうマリア。提案した真が半ば唖然としながらジト汗を流す。
彩はアールグレイティーを飲み干し、淡々と呟いた。
「とんだ紅茶がもう一杯」
お粗末。
(了)
其ノ参「未知なる黄金郷」ゲスト
ジョージ・デッカー
マリア・デッカー(旧姓バリアント)
出典:機械仕掛けのマリアン