其ノ零「二人で歩む明日」
数週間後。
市長の演説や神木要塞の浮遊といった事柄は全て無かったことになっていた。
千数百年ぶりに風の神の夢から解き放たれた風音市からは徐々に「力」が消失し、それに伴いその記憶も住人から薄れていき、今は何の変哲もない普通の街である。
それらを覚えているのは、あのとき風音神社の境内に居た一部の者だけだ。
「長い夢でも見ていたようだな……」
自室の窓から早朝の朝陽に照らされた街並みを眺め、清々しい苦笑を浮かべるデュランダル市長。
そして彼はカーテンを締めると、いつものように出勤の仕度を始める。
そう、夢は現実あってのものなのだから。
「まだ、寂しいのか?」
「だ、誰が寂しいですか! 絶対に帰ってくると仲間に約束しておいて、未だに帰ってこない不届きなチビ女のことなんか知らないですぅ!」
「きっと帰ってくるさ。オレは信じてるぜ」
「私だって信じてるです、へタレのくせに一丁前に慰めやがるなですぅ!」
「いてっ、よくも足を踏みつけやがったな、この性悪人形!」
ドタバタと追いかけっこを始める鳴海孝之と翠星石。その様子を穏やかに眺める蒼星石の耳に、ピンポーンというチャイムの音が響いた。
「遙さんが来たようだね」
喧騒を尻目に、蒼星石はどこか愉しげに玄関へと向かった。
喫茶店「one day」では新しく雇われたウェイターが注目の的になっていた。
時々奇異な行動を取るが、頭脳明晰容姿端麗なイギリス人青年だけあって、彼目当ての女性客が後をたたない有様だ。
看板娘の藤宮姉妹の人気も負けず劣らずで、とかく連日大繁盛な日々である。
「なんや知らんけど、女の子が仰山来るようになって、わいもう辛抱たまらんわ〜」
「いい加減にしなさいっ!」
「うおぁ!?」
客席からでれでれと他の女性客を見渡していた勤の即頭部に、紫光院の強烈なフックが炸裂したのだった。
アスリエルは並木道の彼方を見つめていた。一抹の儚さを佩びた眼差しだった。
そんな彼女の背中が不意に小突かれた。振り向くと、三人の魔法使いがいた。
「さくらさんとアイシアさん……はともかく、まだ日本にいたんですか、マイトゥナ」
「だってよくよく考えたら久方ぶりの日本だしねー、観光がてらにしばらく滞在する事にしたのよ。ジョージは早く妻の待つアメリカに帰国したいって、どこかの喫茶店でバイトに精を出してるみたいだけどね」
楽しげにひとしきり笑ってから、
「でね、折角だからこれから一緒にお茶会しないかなーと思って」
「何だか魔女のお茶会って感じでいいですよね!」
うきうきと相槌を打つアイシア。
「……私は魔法使いじゃないですよ」
「ドントウォーリー! カサフはヘブライ語で魔術師って意味だったよね」
したり顔で揚げ足を取るさくらに、アスリエルはふっと目を伏せて肩を竦めた。
「わかりました、お付き合いしましょう」
湧き上がる歓声と共にさっそく歩き出す少女達。アスリエルはもう一度だけ振り返ると、ほんの少し口元を緩め、やがて何かを吹っ切るように三人の後を追った。
並木道の彼方では、ひとりの青年と少女が仲睦まじく歩いていた。
ヒグラシの鳴く声が聞こえる、夕刻の風音神社。
ただの大樹と化した御神木を眺めるひなたの背後に、一人の青年が立った。その足元で一匹の黒猫が、ナー、と鳴いた。
「ひなた、今日もここにいたのか」
「お兄ちゃん……」
彩とみなもは戻ってこなかった。二人の存在は街の住人の記憶から消え、鳴風秋人も娘のことを忘れてしまっている。
記憶が残っているのは、あの日あの場所に集った仲間たちだけだった。
「二人とも、早く帰ってくるといいな」
「うん。彩ちゃん、ひなたと約束してくれたから……みなもお姉ちゃんと二人で帰ってくるって。だから、いつまでだって待ち続けるよ」
小刻みに震える小さな肩に、そっと手を置く真。
ひなたは瞳を潤ませ、茜色に覆われた夕暮れの空を見上げた――
海猫屋 〜風音市奇談〜
CAST
「Wind 〜a breath of heart〜」
「そよかぜのおくりもの」
月代彩
鳴風みなも
丘野ひなた
丘野真
藤宮望
藤宮わかば
橘勤
紫光院霞
鳴風秋人
フォルテ
篠田
ひかり
「D.C.」
「D.C.S.S.」
アイシア
芳乃さくら
朝倉純一
白河ことり
「機械じかけのマリアン」
マイトゥナ
ジョージ・デッカー
マリア・デッカー(旧姓バリアント)
「ローゼンメイデン」
翠星石
蒼星石
「君が望む永遠」
鳴海孝之
涼宮遙
「ふしぎ星のふたご姫」
ファイン
レイン
「歌月十夜」
分福茶釜(遠野志貴&乾有彦)
「天罰! エンジェルラビィ」
エンジェルラビィ(ラスティ・ファースン)
「それは舞い散る桜のように」
佐伯和人
恵美椿
水無月瑛
川原瑞音
「マクロス7」
花束の少女
「雫」
月島拓也
「宵闇眩燈草紙」
馬呑吐(常連客のおやじ)
「ミスティックアーク」
闇
「童乱(タンキー)」
<社>の長老
「ゆきのかなた」
アスリエル・ヤーン
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」
ギルバート・デュランダル
「アマランス3」
リアン=フレムデ
ディン=テンプロール
――そこは世界の狭間。薄靄がかかったような無空間。
「本当にいいの? あなたたちをもとの世界に送らなくっても。後で、やっぱり転移させてもらえばよかったー、なんて後悔しても遅いわよ?」
ディンが、二人の少女に向けて何度も念を押す。
「構いません。ここで貴方たちの力を借りてしまってはいけないと思うんです」
「私たちの世界には私たち自身の力で帰りたいから……」
きっぱりと返事する彩とみなも。二人は<神風>消滅の余波で、時空の狭間に吸い込まれてしまったのである。
ちなみにみなもはもう全裸ではなく、ロングスリーブの白シャツに赤ネクタイ、赤いミニプリーツスカートに白のニーソックスという夏私服姿だった。ここは世界の狭間ゆえ、思い描いた服装を纏う事ができるのだ。
「わかった。それなら君たちが無事にもとの世界へ辿り着けた時、僕とディンは再び君たちに会いに行くことにするよ」
その言葉に頷き、彩とみなもはリアンとディンそれぞれに握手を交わした。
「それじゃ、またね。ここでは時間と肉体の概念がないから、気ままに自分たちの世界を探すといいわ。気張らず焦らず諦めず、ね?」
最後に明朗快活な笑顔を残し、ディンの姿が半透明に霞んでいく。リアンも同様だ。
彩とみなもが控えめに手を振って見送る中、やがて二人の姿は完全に消えた。
しばらく余韻に浸ったあと、彩はおもむろに振り向いた。
「みなもさん、これでよかったんですか? 私に付き合う必要なんて、貴方には……」
「あるよ。彩ちゃんは私を助けてくれたし……なにより、大切なお友達だから」
彩が目を見張る。そんな彼女を見つめ、みなもは優しくはにかんだ。
「それにね、ふたり一緒なら寂しくないでしょ?」
「みなも……さん」
ぼろぼろと涙をこぼす少女を、みなもはそっと抱きしめた。街の呪縛から解き放たれた彩の瞳は、深い真紅の双眸から、澄んだ蒼穹へと変わっていた。
やがて、淡白い雪のようなものが無窮の空から舞い降り、見る間に薄靄のかかった世界を覆い尽くし始めた。
「綺麗だね」
「これはきっと、可能性の粒子です」
「可能性の?」
「以前、リオ老人……私の知人から聞いたことがあります。可能性とはあやふやなものであると。ですから、目に見えるとしたら、こんな感じじゃないんでしょうか」
「それじゃあ……この雪の彼方のどこかに、私たちの世界があるのかもしれないね」
顔を見合わせ、微笑みを交わす。それはとても満ち足りた表情だった。
「帰ろう、彩ちゃん。きっとみんなが待ってるよ」
「違いますよ、みなもさん。帰るんじゃありません」
「えっ?」
「行くんです――――私たちの世界へ」
「…………うんっ!」
寄り添い、強く互いの手を繋ぐ。
その想いが、絆が、心の息吹が、決して離れえぬように。
そして二人は、純白の雪の彼方へ、明日へと続く永遠の一歩を踏み出した――
(完)