エピローグ








「……あじぃ」

真夏の太陽が容赦なく照りつける駅前広場。
そこで俺はある人を待っていた。

「何か飲み物でも買ってくるかな……」

自販機に向かおうとしたその時、車のクラクションが鳴らされた。

「……やっと来ましたか」

振り返るとそこには一台の車。
そして中からは山名先生が降りてきた。

「遅いですよ、先生」

「いやいや悪ぃ悪ぃ。ちとばかし寝過ごして」

「どうせ昨日の深夜の怪奇現象特番見てて夜更かししすぎたんでしょ」

「……ものの見事に正解だな」

「フゥ……。時間指定したのはそっちなんですから、ちゃんとしてくださいよ」

「ハハハ……」

苦笑する先生。

「ま、とりあえず行くか」

「ですね」

俺は山名先生の車の助手席に乗り込んだ。








お盆。死者の魂を祭る時期。
そんな夏休みの真っ只中のこの日、俺は山名先生と共にある場所へ向かっていた。

「あれ、高速乗らないんですか?」

「金出してくれるんなら乗ってもいいぞ」

「生徒にたからないで下さいよ……」

「まぁ、むしろ高速乗ったほうが遠回りになるからな。何せ山ん中だし」

「でも意外ですね、先生の故郷がそんな山村だったなんて」

「そんなにシティーボーイに見えるか、俺は?」

「いやそこまでは……、てか先生、何か言動が田中先輩に似てきてませんか?」

「……やめてくれ、まだあそこまでなりたくはない」




駅前を出発してから40分ぐらい経っただろうか。
国道沿いのとあるスーパーにやってくる。

「じゃ、ちょっと花買ってくるから」

そう言って車を降りる先生。

「安藤も何か飲み物でも買ってきたらどうだ?まだこの後1時間くらいかかるし」

「そうですね。あと、俺は俺でお菓子でも買っておきますよ」

「お菓子ってお前、車の中で食うなよ。屑がボロボロ落ちて掃除面倒だから」

「いやいや、自分が食べる分じゃないですよ。……愛璃の分です」

「ん、そうか……」

俺も車から降りた。

「じゃ、10分後くらいに車集合な」

「はい」

そして先生は花屋の方、俺はスーパーの方へと歩いていった。




「……」

「……」

目的地が近づくにつれて、互いに無言になる車内。
手持ち無沙汰な俺は、カバンから一本の筆を取り出してみた。

「……持ってきたんだな、それ」

「これを忘れたら意味がないでしょ。先生だってその腕時計」

「……だな」

ハンドルを握るその腕に、きらりと輝く腕時計。

「……そろそろ着くぞ」








山の上のとある共同墓地。
そこの駐車場に山名先生は車を停めた。

「……ここに来るのも何年ぶりになるかなぁ」

「毎年来てたんじゃないんですか?」

「いや。認めたくなかったんだよな、現実を」

「……」

先生の後について歩き出す。


「えっと……確かこの辺だったような」

「えらく入り組んでますね、この墓地」

「まぁわざわざこんな丘陵地に作るからこんなにわけ分かんなくなるんだっつーに。そっちじゃないぞ安藤」

「あ、はい」

ちょっとした迷路感覚で墓地内を彷徨う俺と先生。
山の中だけあって、四方八方から聞こえてくる蝉の声が市内にいた時とは比べ物にならないほど喧しかった。

やがて俺の前を行っていた先生が墓地の一角で立ち止まった。

「ここだ」

そして先生の前にある墓標に目をやった。

「……」

『北山家墓』

「こっち側見てみ」

先生に言われるがまま、墓石の側面も見る。

『長女 愛璃 享年16歳』

「……」

「ま、これが現実な訳だ」

「……」

夢……だったんだよな。








桜舞い散る4月の頭、彼女、北山愛璃は再び俺の前に現れた。
現れた……と言っても、俺自身の夢から出てきた現夢体としてだが。

『絵、安藤さんの絵、描きに来ました』

愛璃を呼び出した想いは、俺の絵を描く事・描いてもらう事。
その想いに従って、絵を描き上げた愛璃。

そしてまた、彼女は消えた。




「……」

愛璃の墓の前。
俺の絵を描いてくれた筆を持つ右手に自ずと力が入る。

「今だから言えることなんだけどな……」

墓前に花を飾り終えた先生が口を開いた。

「お前にその筆を渡したのは、一つの賭けだったんだよ」

「賭け?」

「あぁ。愛璃が再び現夢体として現れる事を見越して、お前にその筆を渡した」

「えっ……」

「その筆には、愛璃の想いが詰まっていた。で、同じ想いを持つお前の下でなら、またあいつを呼び覚ます事が出来るんじゃないかなと思ってな」

「……」

「ある意味、俺の策略だったんだよ。悪いな」

「……いや、いいですよ。俺だって、愛璃にまた逢えて嬉しかったんですから」

「そうか……」

線香に火を付け、墓前に手向ける。

「……でも、変ですよね、俺に筆を渡したのが策略だったって言う話」

「ん?」

「いや、去年の春に愛璃が消えて、その時に愛璃に関する思い出、それらも全部消えてしまったはずですよ。なのにどうして現夢体の愛璃のことを覚えていたんですか?」

「それに関しては、安藤にも言える事だろ?」

「……そうですけど」

4月に俺は再び愛璃に出会い、そしてまた愛璃と別れた。
事実、俺はその事をしっかりと覚えている。

「夢は醒めても、うっすらとは覚えているものだろ?」

「えっ?」

「確かに夢っていうのは大概の事は忘れてしまう。でもな、忘れない夢もあるってことだ」

「……先生は、愛璃の夢を忘れてなかったんですか?」

「あぁ。ま、その夢を見た本人だからな。でも、お前の夢はもう忘れてしまった」

「……どういうことですか?」

「今年の春に現れた愛璃の事を、俺はまったく覚えてない。なぜなら、その愛璃はお前の夢だったからさ」

「え……」

「逆に、俺は去年の春に現れた愛璃については今でも覚えている。何せ自分自身が見た夢だからな」

「じゃあ俺が去年の愛理について忘れてしまったのは……」

「お前が見た夢、じゃなかったからだな」

「……」

この春の思い出。……俺が見た夢。








「……」

「あ、もう、動かないで下さいよ」

「いや、何かこうじっとしてるのって苦手でさ……」

「モデルが動いちゃ絵は描けないんですから」

「ゴメンゴメン」

西日射す美術室に、筆がキャンバスに擦れる音が響く。

「……」

俺の絵を描く愛璃の顔は、真剣そのものだった。

「……なぁ愛璃」

「何ですか?」

「そろそろ休憩にしないか?」

「え、私は大丈夫ですよ」

「俺がちょっと大丈夫じゃないんで」

「あ、ゴメンナサイ」

ま、こうでも言わないとその手を休めてはくれないだろうしな。

「それに、急ぐ必要なんてないわけだしさ」

「……そうですね」




立ち上がり身体を伸ばす。

「ん〜、意外と疲れるもんだなぁ、モデルってのも」

「ずっと同じ姿勢でいなくちゃいけないですからね」

「うん。で、どんな風に描けた?」

そう言って愛璃の後ろに回り込もうとすると……

「ダーメ、まだ見せません」

「別にいいじゃん、ちょっとぐらい見せてくれたって」

「ダメです、ちゃんと描けてないですから」

「そんなけち臭い事言わないでさぁ」

「……」

「……愛璃?」

急に黙り込んでしまう彼女。

「安藤さんには、いくらでも見る時間はありますから」

「え……」

「残るのは、この絵だけですから……」

「……愛璃」

「今はその分……、私を見てもらいたいな」

と、赤くなりながら呟く愛璃。
俺はそんな愛璃が愛しくて、彼女の身体を抱きしめた。

「安藤さん……」

「さらーっとものすごく恥ずかしいこと言ってくれるな、愛璃は」

「テヘヘ……」

舌を出して笑う彼女。

「……今だけだもんな、愛璃と一緒にいられるのも」

「……」

「愛璃……」

「安藤さん……」

そしてまた、二人は口付けを交わした。








「……」

自然と涙が頬を伝っていくのが分かる。

「お前、結構涙腺ゆるいんだな」

「べ、別にいいじゃないですかそんな事。先生だって結構泣いてたんじゃないですか?」

「ハハハ……」

真夏の青空に先生の乾いた笑い声が吸い込まれていく。

「んじゃ、そろそろ行くか」

「……」

右手に握り締めた筆に目をやる。

「……ちょっと待ってください」

「どした?」

「……」

俺はその筆を、花の横にそっと置いた。

「……置いていくのか?」

「はい。いつまでも絵、描いてて欲しいじゃないですか」

「……いいのか?」

「……はい。元々そのつもりで来ましたから」

「……」

「それに、もう俺は描いてもらいましたから」

「そうか……」

逆の事を言えば、もう俺は彼女に絵を描いてもらえる事はない。
だったらこの筆はもう、愛璃に返そうと思った。

「愛璃……」

最後にもう一度、愛璃の眠る墓を見つめる。

「……ありがとう、愛璃」

そう一言つぶやき、俺はこの場を後にした。








‐終‐