‐次の春まで、続く夢‐








季節は巡り、この学園で迎える三回目の春が来た。

「今年は新入部員少ないねぇ」

中庭で友恵がぼやく。

「先輩らがいなくなっただけ、部も寂しくなったな」

俺たちは春の陽気に誘われ、ひなたぼっこをしていた。

「田中先輩も、いないといないで寂しいし」

「てかよく卒業できたと思うよ、あの人」

「でもミクミク先輩の卒業スピーチ、よかったなぁ〜」

「すごいも何も、あれって学年トップの秀才がやるんだろ?美久先輩、知性まで兼ね備えていたんだなぁ」

「何か変な言い方だけど?」

「はぁ〜、俺も一度でいいからあんな大それた事してみたいよなぁ〜」

「無理だろうけど」

「うるさいわい」

「そろそろ美術室もどろっか?」

「そだな」

中庭を後にする。




「じゃ、鍵お願いね〜」

友恵が美術室を出て行く。
何でも受験に向けて、進学塾に通いだしたという。
俺も真剣に考えないとな、受験。

「俺も帰るか……」

部屋には俺一人。
っと、鍵閉める前に先生にコーヒー貰おう。
俺は準備室をノックした

「失礼しまーす」

「安藤か。何だ?またコーヒーか?」

「いいじゃないですかぁ」

「気持ち悪い声出すな」

「はーい」

コーヒーメーカーから二杯のコーヒーを注ぐ。

「先生、砂糖は何個ですか?」

「三個で」

「相変わらず甘党ですね」

「いいじゃないか」

俺は一個、先生は三個角砂糖を入れる。

「……あの絵、壁に掛けたんですか」

準備室の壁には、亡くなった妹さんが描いたという山名先生の自画像が掛けられていた。

「いいだろ?」

「そうですね」

「あっ、そうだ安藤」

「何ですか?」

先生は机の一番上の引き出しから、一本の絵筆を取り出した。

「何ですか、その筆?」

「ん?安藤のじゃないのか?」

「いや、俺油絵とか描けませんし」

「そうか?部員全員に聞いたんだけどなぁ、誰も違うって言うからお前のかな〜って思ったんだけど」

「違いますけど……ね……」

ん?
この筆……

「どうした?」

「あっ、いえ……。この筆……どこかで見た覚えがあるようなないような……」

「そうか?じゃあお前のだろ?」

「えっ?」

そう言って先生は絵筆を俺に押し付けた。

「見覚えあるんだろ?多分お前のだろうな。まぁ何だったら画材置き場にでも置いといてくれ」

「はぁ」

絵筆を受け取る。
この筆……
確かにどこかで見た覚えが……

「……何だろう」

とりあえず筆は持って帰る事にした。








その夜、俺は夢を見た。
長い長い、過去の夢。それは実際に起こった事なのか……








目の前に、うちの学園の制服を着た一人の少女が立っていた。

少女はただ、じっと俺の顔を見つめていた。
背丈は俺より幾分か低く、やや見上げるような格好でこちらを見ている。
廊下の窓から吹き込んでくる風に、少女の肩まである黒髪がなびいていた。

――――――水道管のこと、ばれたのか?

不安が頭をよぎった。
だが、少女はうっすらと微笑んで、一言。

「ありがとうございます」

そう言って礼儀正しく頭を下げてきた。

「……へ?」

……何でこの子は俺にお礼を言ってるんだ?何かしたっけ、俺?

「あなたのおかげで、もう一度チャンスができました」








彼女はただただ嬉しそうに微笑んでいた。
でも『彼女』って言う呼び方もなんか変だな……

「……名前聞いてもいい?」

「え?」

突然の質問に驚いたのだろうか?

「あ、俺は安藤。安藤安志、一応美術部員。君は?」

「私ですか……」

ほんの少しの間をおいて、彼女は名乗った。

「北山愛璃です」








「何だったら手伝うよ、探すの」

「えっ?」

驚いた表情を見せる愛璃。

「いや、どうせ今から帰っても暇だし」

「でも、そんな悪いですよ」

「いいっていいって」

「……」

黙り込まれてしまった。

「……もしかして、迷惑?」

「えっ!?いや、そんなことないですけど、そんなことないですって」

「?」

急に紅くなって慌てる愛璃。

「まぁこう見えても、物探すのは得意なほうなんだけどな」

「そうなんですか?」

「……そう言われたら、微妙かな」

「微妙ですか、クスクスクス……」

それなりに受けてくれた。

「だから、何か手伝えるなら手伝うし。まだ完全下校まで時間あるし」

「本当に……いいんですか?」

そう上目遣いで尋ねてくる。

「うっ、もちろん」

……その仕草は犯罪級だよ。
仮にやる気なくても、その目で見つめられたらNOと言えません、絶対。

「本当ですか?ありがとうございます!」

満面の笑みで喜んでくれている。
何か自分がすごくいい事した気分になる。……まだ何もしてないけど。








その時だった。

「危ない!!」

「キャッ!?」

俺は愛璃に身体をぶつけ、後ろに突き飛ばした。

「痛たたた……、安藤さん急に何するんです……か?」

「ううっ……」

「安藤さん!?」

俺の元に駆け寄ってくる愛璃。
俺の背中には、粉々に砕け散った石膏像(矢野さん)が乗っていた。

「……愛璃さん、大丈夫だった?」

「安藤さん!!」

彼女の手が背中の破片を払っていく。
さっき矢野さんを手にした時、うっかり滑らせてしまった。
矢野さんは愛璃目掛けて落下、このままだと彼女に直撃すると思った俺は、とっさに彼女を押しのけた。
が、そのため俺の背中に像が落ちてきてしまった。

「安藤さん!大丈夫ですか!?」

「ん、……まぁちょっと痛いけど大丈夫」

手を床について立ち上がろうとする。が、

「うっ……」

痛みのせいか、自力では立てなかった。

「だ、大丈夫ですか!?」

「……大丈夫大丈夫。痛いのは今だけだから」

「……安藤さん」

愛璃が俺の手を握る。

「ごめんなさい……安藤さんがこんな目にあって……」

「いいって、落としたの俺だし。それに下手したら愛璃さんの頭の上に落ちてきてたんだから」

「……本当にごめんなさい!!」

涙目で愛璃は、俺の手を強く握る。

「いや、大丈夫だから本当に」

「でも……」

だいぶ痛みが引いてきた。そろそろ立てるだろうか。
でも、彼女は俺の手を離さなかった。

「愛璃さん……、もう立てると思うから」

「あ……」

手が離れる。俺はゆっくりと立ち上がった。

「ってててて」

身体を伸ばす。
高さがあったからダメージは大きかったが、石膏自体は大して大きい物ではなかった。
幸い骨には異常ないっぽい。

「本当にごめんなさい、安藤さん……」

何度も何度も頭を下げてくる愛璃。

「いやいいって、謝らなきゃならないのは俺のほうだし。それに俺としては愛璃さんに何もなくてよかったよ」

「安藤さん……」

そしてまた頭を下げた。

「だからもういいって」

「……これはお詫びじゃないです」

「え?」

頭を下げたまま、愛璃はこう言った。

「……ありがとうございます」








「その絵筆って自前?」

「これですか?」

カバンから筆を取り出す。
絵の具の跡が多く付いており、かなり使い込まれている筆のようだ。

「そうですね、絵を描き始めた頃からずっと使ってますね」

「年季の入った筆だなぁ……」

それにしても少々年季が入りすぎている感じがする。
金具の部分は腐食しているし、柄もよく見ると朽ちている。

「……でもその筆ちょっとボロボロ過ぎない?絵とか描きづらいとかいう事はない?」

「まぁちょっと扱いづらかったりしますけど」

クスッと笑う彼女。

「新しい筆とか買ったらいいのに」

「……いいんですよ。物っていうのは、使い込めば使い込むほど、その人の想いが宿っていくんです」

「想いが宿る?」

「そう。この筆にも私の想いが宿っているんです」








「……」

……何か食べてる横からじぃーっと愛璃が見てるんだが。

「どうかした?」

「え……いや、ちょっと……」

赤い顔ではにかんで笑っている……。
ものすごく可愛い。

「……間接……キスだなって思って……」

言ってまたいっそう赤くなる愛璃。
……俺も一気に赤くなった。

「あ……そうだった」

「……」

お互いに赤い顔して俯いている。
……傍から見たら妙な画だろうな。
俺は一気にパンを食べてしまった。
ちょっともったいない気がしながらも。








「……安藤さん。昨日、どんな夢を見ました?」

「夢?」

逆に質問が返ってきた。

「昨日の夢……、何か見たような記憶はあるけどなぁ」

「楽しい夢でしたか?」

「んー、楽しかったかなぁ?」

「……そんなものですよね、やっぱり」

「え?」

少し、愛璃の表情が暗くなったように見えた。

「……なんか変なことでも言った?」

「……どんな楽しい夢でも、醒めてしまえば覚えてないんですよね」

「ん?」

「思い出のようには残らない」


「儚く消える、それが夢……」








「……あ」

美術室に向かう途中の渡り廊下。あの後ろ姿……

「愛璃!!」

突然の呼びかけに驚いた顔で振り返る愛璃。
間違いない、彼女は生きている。俺の目の前にいる。

「あ、安藤さん?……どうしたんですか、そんな大声を出して」

彼女の傍に駆け寄る。そして……
思いっきり彼女を抱きしめた。

「あ……安藤さん……?」

「愛璃っ!」

……今、こうして感じることの出来る温もりは、紛れもなく愛璃のものだ。

「……よかった」








「……夢、なのか?」

「……はい」

「そうか……」

俺は彼女の視線の先にあるものを追った。

「……桜」

そこには花の散った桜の樹があった。

「……桜の花って、夢に似てますよね」

愛理がつぶやく。

「桜の花も、夢も、大きく咲き乱れて、儚く散っていくものですね」




記憶が消える……。
愛璃の記憶が綺麗に消える。
つまり……

「今こうして、俺が苦悩している記憶も消えるのか……」

「えっ?」

驚いた表情を見せる愛璃。

「苦悩……、何で安藤さんが苦悩するんですか……?」

「何でって……」

「忘れられるのは私だけなんですから。安藤さんが苦悩することなんて……」

「……辛いよ、愛璃さんのことを全て忘れてしまうこと。……忘れてしまったことすら忘れてしまうことが」

「えっ……、何で、何で安藤さんが……」

「……俺が、君のことが好きだから」

「!?」

「……俺、愛璃のことが好きだから。好きな人の記憶が消えてしまうなんて、辛すぎるから」

「……でも、私は夢ですよ!?」

愛璃の目元には涙が浮かんでいた。

「……夢でもいい」

「えっ……?」

「夢でも何でもいい。とにかく俺は、愛理が好きなだけだ」

「でも、でも……」

俺の隣で大粒の涙を流す愛璃。

「消えてしまうんですよ!?」

「それでもいい、好きになってしまったんだから」

「……安藤さん……」

愛璃は俺にしがみついてきた。

「愛璃……」

俺はその小さな肩を抱き寄せた。本当に、すぐにでも消えてしまいそうな小さな身体。

「安藤さん……、私も……安藤さんが……」

「……」

次の瞬間、俺は愛璃の口唇に自分の口唇を重ねていた。

「!?」

「……」

愛璃は抵抗もせずに口唇を重ねたまま停まった。

「……」

俺もただ、この停まっている時間を一身に感じていた。








そうこうしている間にも、愛璃の絵は完成へと近づいていた。

パキッ

「あっ!?」

乾いた音と共に、愛璃の持っていた筆が床に落ちる。

「手……滑らせちゃった」

もろかった筆は、真っ二つに折れてしまった。

「どうしよう……」

困った顔を見せる愛璃。

「……その筆じゃないと駄目なの?」

「え……駄目という事はないけど」

絵筆……?そう言えば……

「ちょっと待ってて」

俺は画材置き場に向かった。そして自分のロッカーを開ける。
確か……前に田中先輩が絵筆をくれたと思ったんだが。

「あ、あったあった」

俺はロッカーから真新しい絵筆を持って、愛璃のところに戻った。

「これ使ったらいいよ」

「え?この筆……?」

「俺のだけど、別にいいよ。俺、そんな絵とか描かないし」

「いいんですか?」

頷いて筆を手渡す。

「ありがとうございます」

「いいっていいって」

筆を受け取った愛璃は、早速それで続きを描き始めた。

「……」

後ろから無言で山名先生がこちらを見つめている。
確かに、ここで俺が筆を渡す必要はなかった。
渡さなければ、愛璃を少しでも長く存在させていられるかもしれない。
でも……、どうせ消えるなら、どれだけのことを彼女にしてあげられるか。
それが大事だと思った。








「うん、うまいねコレ」

俺も素直にそう思った。

「安藤さんも……、何か恥ずかしいですね」

苦笑する愛璃。その笑顔がどこか儚い。

「……俺も描いて欲しかったりするな〜、なんて」

「安藤さんを?」

「まぁちょっと思っただけだけど」

「……描きたいですね、安藤さんの絵も」

「そう?じゃあまた今度描いてよ」

「そうですね……」

寂しく微笑む愛璃。
また今度……
その時が来ないことくらい、分かっていた。
でも、あえて話した。
わずかな期待を持って……








その時だった。

ふっ……

「えっ……」

愛璃の身体が……透けている……?

「……でも、絵、描けそうにないですね……」

「あ、愛璃……!?」

山名先生も気付く。

「愛璃……」

「……兄さん、完成できて嬉しかった……」

「愛璃……」

「褒めてくれて、ありがとう……」

「……」

山名先生の目元に溜まっていた涙が、ボロボロと落ちていく。
だんだんと愛璃の身体が薄くなる。

「……安藤さん」

「……」

俺も、涙で視界がにじんでいた。

「……私、絶対に忘れませんから。安藤さんに逢えた事は……」

「……愛璃」

「絵……、安藤さんの絵、描きたかったですね」

「……描けるよ、描ける。いつか……」

「そうですよね……」

さらにいっそう愛璃の姿が薄くなっていく。

「……ちょっとの間だったけど、本当に楽しかったです」

「……」

「……さようなら……」

「……愛璃!!」

思わず叫ぶ。
そして、愛璃を抱きしめようと彼女のそばに駆け寄った。

が……
俺の腕は、愛璃の身体を抱くことなくすり抜けた。

「……愛璃……」

「……安藤さんが私を忘れても……私は安藤さんの事を、忘れません……」

「愛璃っ!!」

「……忘れませんから……」

「愛璃ぃーーー!!!」


カランカラン

愛璃の持っていた筆が床に落ちる。
そこに……愛璃の姿は……

なかった。


「愛璃……愛璃……」

その場にひざまずいて咽び泣く。

「……」

山名先生の目からも、大粒の涙が流れっぱなしだった。

「愛璃……」

悲しい……
でも、この悲しい気持ちすら……
消えてしまうのだろうか……
ならば、泣けるうちに泣いておこう。
俺は……とにかく泣いた。
















ガバァ!!

「はっ!?」

布団から起き上がる。
何だ……、今のは……
……夢?
……いや、何だろう。
覚えが……ある。




北山……愛璃……

俺は彼女を知っている……



……愛璃……
ふと目が机にいく。
……あの筆……さっき見た筆……
でも……思い出せない。




……北山…愛璃……








翌日。
いつものように学校へ向かい、いつもと変わらぬ日常を過ごす。
昨晩の夢、どうも気にかかるんだが……
カバンの中には……

「……」

昨日先生にもらった筆が入っている。
つい、持ってきてしまった。
夢で見た筆と同じ……
この筆は一体……




「じゃ、後よろしくね」

友恵が出て行き、美術室には俺一人になった。
今日は山名先生も出張でいない。
コーヒーは飲めないな。
俺は部屋の戸締りを始めた。

「……げ」

教室の一角で足を止める。
床に絵の具の缶がこぼれていた。

「あーあ、固まってるよ」

俺はヘラを持ってきて、こびり付いた絵の具を削った。
こういうのちゃんとしておかないと、後々文句言われるからなぁ……


ガラガラガラ

入り口のほうで扉が開く音がした。
俺は今、入り口に背を向けて作業しているので、向こうの様子は分からない。
でも誰かが入ってきたようだ。
そして、声をかけてきた。

「あのぉ……、部活はもう終わったんですか?」

「ん?終わった終わった」

後ろを振り返ることなく俺は答えた。

「……今から、ここで絵を描かせてもらってもいいでしょうか?」

「絵?」

そう言って立ち上がり、入り口のほうを振り返る。

そこには……








「絵……描きに来ました」

……愛璃。
北山愛璃がいた。

「あ……愛璃……?」

「……安藤さん」

「……愛璃!!」

俺は愛璃の元へ駆け寄る。
そして、思いっきり彼女を抱きしめた。

「愛璃!愛璃!!」

「安藤さん……!!逢いたかったです!!」

「……愛璃……」

夢じゃなかった。
昨日見た夢も。
そして、今この瞬間も。

「もう逢えないと思ってた……」

「……まだ、私には描きたい絵が残ってますからね」

「……絵?」

「はい」

「……あ」

絵。
……俺の絵。

「……安藤さんの絵を、描きに来ました」

「……俺の……絵……」

俺は愛璃の身体を離し、カバンを取りに戻った。
そして中から、一本の筆を取り出す。
……俺が愛璃にあげた筆だ。

愛璃の想いがこもった筆。俺の絵を描きたいと想った筆。俺が描かれたいと想った筆。

そして俺は、愛璃にそれを手渡す。

「……この筆で描くんだよな?」

「はい、もちろんです」




「それじゃ、描きましょっか」

満面の笑みで、愛璃は筆を受け取った。








‐終‐







あとがき

どもども、作者の舞軌内ですー。
『次の春まで、続く夢』、一応完結という形でございまする。

元々この話は、今から1年ちょっと前に小説の形で書き上げた物でして。
それを今回このように分割、SSと言う形で載せていったというわけです。
この細分化の作業が思いの外手間取りましてねぇ。
これ、連載開始したのが確か3月ごろでしたっけ。
当所の予定では、タイトルどおり春の間に完結させるようにしたかったんですが。
春の話なのに、夏真っ盛りの時期に完結という事に相成ってしまいましたが(汗

最終話。
再び安藤のもとに現れた愛璃は何者か?という疑問が湧くと思いますが、彼女もまた、現夢体。
安藤自身が見た夢が現夢化したものでしてね。
この辺の細かい事は、同時にアップしてるエピローグの方で一応の説明はしております。
そちらの方も合わせて読んでいただくとありがたいです、ハイ。

つたない話でしたが、最終話まで読んで下さった皆様に感謝。
また機会がありましたら、これとは違った感じの話も書いてみたいと思いますね。
それではこの辺りで失礼します。ではでは〜