‐次の春まで、続く夢‐

第十八話 『兄と妹』








目が覚める。
嫌な脂汗をかいていることに気付く。

「……夢……」

何か夢を見た。
でも……どんな夢だったか覚えていない。

「……愛璃」

覚えていた。<
ホッと胸をなでおろす。
でも……さっきの夢のように、忘れてしまうのだろうか……
いや、こんなこと考えていてもしょうがない。
俺はベッドから起き上がり、学園へ行く準備を始めた。








教室。
相変わらず友恵との間には、気まずい空気が漂っていた。
でも、この原因ってそもそも……愛璃の存在。
もし、二人から彼女の記憶が消えれば……

「何考えてんだよ……」

雑念を振り払うように俺は頭を振った。

「安藤?」

友人らが不思議そうな目でこちらを見ている。

「ん、あぁ、何でもない」

「そうか?」

……余計なことは考えまい。




昼休み。
俺は購買でパンを買い、その足でまっすぐ中庭へと向かった。
別に約束をしたわけでもない。
でも、ここにいれば、愛璃に逢えるような気がした。
中央のベンチに腰掛けてパンの袋を開く。
今日もまた一段といい天気だ。

「……いい天気だなぁ〜」

「そうですね」

気付くと隣に愛璃がいた。
でも別段驚かなかった。

「待っててくれたんですか」

「ん……まぁね」

「クスクス、赤くなってますよ?」

「いっ、……いいじゃないか」

パンを一口頬張る。

「……いつも持ち歩いてんだ、その筆」

愛璃のカバンの口からは、古い筆の柄が飛び出していた。

「これも、大事な品ですから」

そう言って、筆を取り出す。

「この筆……、私が絵を描くって言った時に兄さんがくれた筆です」

「そうなんだ」

「この筆にも、私の想いがちゃんと残っています」

「絵を描きたいっていう?」

「……はい」




「……愛璃」

背後からの声に、俺たちは振り返った。

「あっ……」

「兄さん……」

そこに、山名先生が立っていた。

「愛璃……本当に愛璃か?」

「にい…さん……、兄さん!!」

愛璃は立ち上がり、山名先生に飛びついた。

「兄さん!!逢いたかったよ……!!」

「愛璃……俺もだ……」

先生はしっかりと愛璃を抱きしめる。
傍から見たら、白昼堂々教師と生徒が抱き合っているようにしか見えないのだが、そんな事はお構いなしに愛璃は先生の胸元で泣きじゃくっている。

「にいさん……兄さん、ごめんなさい、勝手にいなくなっちゃって……」

「……お前は悪くないから」

「兄さん……、今まで何度も会いに行こうと思った。でも……怖かった」

「……」

「忘れられるのが、怖かった」

「……愛璃」

更にぎゅっと抱きしめる先生。
俺はただ黙ってその様子を眺めていた。


やがて愛璃を放す山名先生。
そして俺の方を向いた。

「安藤……、お前のおかげだな、ホント」

そう言って頭を下げる。

「いや、そんなことないですって」

「ホント、ありがとう……」

「……先生?」

泣いてる?
先生の泣いている姿なんて見たことなかったから困惑する。

「先生……いいですよ、頭を上げてください」

「……いや」

先生は強い口調で言った。

「それに、申し訳ない」

「……えっ?」

急に謝る先生。

「……なんで謝るんですか?」

「……辛い思いをさせなければいけないからな」

「……」

辛い思い……

「……自分でそれを選びましたから。先生のせいじゃないですよ」

「安藤……すまん」

そう言って更に頭を下げる先生。

「……」

愛璃はさっきの話を聞いていたのか、俯いて黙り込んでいる。

「……醒めなければ、いいんだがな」

「えっ?」

「……気にするな」

先生は愛璃の方を向く。
その目線は、バックに入っている筆に向いていた。

「絵、描いてるのか……」

「……うん」

「……」

今度は先生が黙り込む。
一番辛いのは先生なのかもしれないな。




予鈴が鳴る。

「……安藤、そろそろ戻ったほうがいいんじゃないか?」

「そうですね。先生は?」

「この後普通に授業がある。愛璃はどうするんだ?」

「……放課後、絵を描きに行きます」

「……そうか。部活が終わった後か?」

「はい。……安藤さん」

愛璃はこっちを向いて微笑む。

「分かった。待ってるから」

「うん。……出来たら兄さんも残ってて欲しいな」

「……そうだな」

「ありがとう。じゃ、また放課後に」

「あ、ちょっと待て」

先生は愛璃を引き止めた。

「兄さん?」

「これ」

そう言って身に着けていた腕時計を外す。

「この時計……」

「お前のだろ?ちゃんと修理しておいたから」

「兄さん……」

先生が腕時計を手渡そうとする。が……

「いいよ。兄さんが持ってて」

「えっ?」

「私はいいから。……また、消えてしまうし」

「……」

「それに……」

愛璃はカバンから筆を取り出す。

「私には、これがあるから」

「……そうか」

「私が消えてもその時計は消えないから。大事に持ってて」

「……分かった」

「それじゃ、後で」

そう言って愛璃は俺たちに手を振り、中庭を後にした。




「……俺たちも行くか」

「そうですね」

先生と俺も、それぞれの場所に戻っていった。








放課後。
いつものように友恵が先に美術室へ向かう。
愛璃が絵を描くのは、放課後と言っても美術部員が皆帰った後だ。
なので別に俺が急ぐ必要はなかった。
でも、いつもと同じように部活に向かう。
山名先生とも、いろいろ話しておきたいし。


「せ、先生、何してるんですか!?」

部屋に入ると同時に、友恵の大声が聞こえてきた。

「ちょ、ちょっと、何でそんなこと!?」

俺は声のする画材置き場に駆け寄った。
そこでは……

「なっ!?」

山名先生がデザインナイフを手に取り、愛璃の描いた絵を切り裂こうとしていた。

「先生、一体どうしたんですか!?」

友恵が必死に先生の腕を掴み、止めようとしている。

「山名先生!!」

俺が叫ぶと、先生の動きは止まった。

「……安藤か」

「な、何してるんですか!!」

「……」

「何で、その絵を切り裂こうとしてるんですか!?」

「……」

先生は黙って俯いた。

「……やすくん、どうなってるの?」

わけの分からない様子で友恵が尋ねてくる。

「……ちょっと友恵、外してくれないか?」

「えっ?でも先生が……」

「……」

先生も無言で、友恵に外してくれるよう即した。

「う、うん……」

不思議そうな表情で友恵は画材置き場を後にした。




「どういうことですか……愛璃の絵を……」

「……この絵を描き上げたら、愛璃は消える」

「うっ……」

「……逆に、この絵を描き上げない限り、愛璃は消えない」

「……」

絵は、だいぶ完成に近づいていた。

「……愛璃を残しておくためには、この絵を完成させてはいけない」

「……」

この絵が完成しない限り、愛璃は消えない。
先生の気持ち……、愛璃に消えて欲しくない気持ちは痛いほどよく分かる。
もちろん俺も、愛璃に消えて欲しくない。

「分かってくれ……」

そう言って再びデザインナイフを手にする山名先生。
俺は……
とっさに先生の腕を掴んだ。

「くっ、放してくれ、安藤!!仕方ないんだ!!」

「先生……」

「せっかく再会できたんだ!!せめてもう少しくらい……」

「……先生、先生はそれでいいんですか?」

「……いい、いいんだ!!」

先生の腕に力が入る。俺も必死に先生の腕を掴む。

「放してくれ!!」

「……この絵を完成させてもらいたいと望んだのは、先生自身じゃないですか」

「うっ……」

「……愛璃はこの絵を完成させることを望んでいる。でもそれ以上に、先生自身がそれを望んでいるんじゃないんですか?」

「……」

「その先生の想いが、愛璃をもう一度現せたんじゃないですか。自分の想いに嘘をつくんですか?」

先生の腕から力が抜ける。

「俺の想いか……」

「それに、絵を描きたがってる愛璃の想いも。……俺だって本当は、愛璃と一緒にいたい。愛璃に消えて欲しくない。……でも、それと同じくらい、彼女の想いも尊重してあげたいんです」

「……安藤」

「俺……愛璃のことが好きだから。好きな人の想いは、大事にしてあげたいから……」

「……」

腕を下ろす先生。

「……お前の方が大人だな、安藤」

「いえ……、先生の気持ちは痛いほど分かりますから」

「……俺は、自分自身の気持ちが分かってなかったみたいだな」

自嘲気味に笑う先生。

「……安藤」

「何ですか?」

「ちょっとばかし俺の馬鹿話に付き合ってくれないか?」

「……馬鹿話?」

「ここで話すのもアレだ……、準備室の方へ」

「あ、はい」








「適当に座ってくれ」

「はぁ」

先生は準備室内の自分の机に着いた。
俺も近くに置いてあった椅子に腰掛ける。

「安藤、さっき俺の想いがどうのこうのって言ったよな?」

「あ、はい」

先生は机の中からあの本を取り出した。
『現夢体現象の研究』

「この本に出会った時が、全ての始まりだったんだなぁ……」

「えっ……」

「俺自身、もともと超常現象とかの類の話は昔から好きで、いろいろと趣味で調べていたんだが、ある時この現夢体と言う物を知った。その時はものすごい衝撃を受けたな。これでもしかしたら最愛の妹を蘇らせる事が出来るかもしれない、と」

「……」

「現夢体について俺はいろいろと見聞を広め、『想い』の力がそれを引き起こす事を知った。そこで俺は愛璃の想いを必死で考えた。あいつは恋愛がしたかったのか、巨万の富でも得たかったのか等いろいろと考えた。あいつの『想い』に合致する俺の『想い』を生み出す為に」

「……」

「でも結局、何も起こらなかった。いや、俺の『想い』が形作れなかったんだな。俺の『想い』はあいつに恋愛して欲しいとかお金持ちになってもらいたいとかと言う物じゃない。結局、あいつに蘇って欲しいと言うのが俺の『想い』だったんだ」

そう言いながら先生はポケットからタバコを取り出した。

「吸うけど、いいか?」

「あ、はい。……でも先生ってタバコ吸ってましたっけ?」

「まぁごくたまに吸うだけだけど。……タバコを始めたのも、さっき言った俺の『想い』がはっきりした時からか。俺の『想い』じゃどうやっても愛璃は蘇らないって分かり、ムシャクシャしてた時期だったなぁ……」

白煙が薄暗い部屋を漂う。

「とまぁ、これは昔話。今から7年も前、まだ俺が大学生だった頃の話だけどな」

「そうですか……」

「その後は現夢体のことも忘れ、普通に大学生活を過ごした。で、俺はかねてからの夢だった美術教員になった。5年前のことだな」

「それが前に赴任していた学校ですか?」

「あぁ。で2年前、奇しくもこの母校に帰ってきてしまった。これも何かの縁だと思い、俺はまた現夢体の勉強を再開したんだ」

タバコを灰皿に擦り付ける先生。
まだ先の方しか吸っていないようだが。

「その時美術部に田中がいて、妙に気が合ってしまったもんだからミスコン部なんて物が誕生してしまったんだな、これが」

「な、何か誕生したのが間違いだったみたいな言い方……」

否定できないのも事実だが。

「……ちょうど先週、お前らが水道管を破壊した前の日のことだ」

「えっ?」

「あの画材置き場に、愛璃の絵があることに初めて気が付いたんだ。2年も美術部の顧問やっていたのに気が付かないでいたなんて、恥ずかしいよな」

「え、いやそんな事は……」

「あの時は涙が出そうなくらい嬉しかった。あいつとここで過ごした時間は確かにあったんだなと思い出させてくれた。まぁ残念な事にその絵は完成する事が出来なかったんだが」

「……」

「その時だろうな。俺の心の中にこの絵を完成させたいって言う『想い』が生じたのは。でその翌日お前らが水道管をぶち壊して、愛璃の想いの詰まった腕時計を掘り出した。そしてあいつの夢は始まった……」

「……」

いくつもの偶然が重なって、愛璃は俺たちの前に姿を現したのか。

「ある意味、奇跡ですね」

「……あぁ」

頷く先生。




「……なぁ安藤」

「はい?」

「……お前は、気持ちの整理が付いてるのか?」

「えっ?」

「愛璃が消えたときのだよ。俺は、どうしてもそれが認められなくて、さっきのような凶行に走ってしまったんだが……」

「……」

愛璃が消えたとき……
俺はどう思うのだろう……

「……その時にならないと分かりませんよ、そんなこと」

「そうか。まぁお前の言う通りだな。考えても仕方ないな」

「……」

「あの出来だと……、今日中に描き上げてしまうかもな」

「そうですか……」

「とりあえず、アイツの想いを尊重してやろうか」

「……そうですね」








「……」

再び画材置き場に立つ俺。目の前には愛璃の描いた絵。
先生の言う通り、ほとんど完成に近い状態だった。
棚には、さっき先生が握っていたデザインナイフがある。

「……」

愛璃の顔が浮かぶ。

「夢……か」

頭を軽く振り、画材置き場を後にした。








‐続く‐







あとがきー

はいはいどうも、舞軌内でございます〜
次春続夢、18話ですねぇー

なんつーか安藤君、青臭いセリフをいろいろと吐いておりますなぁー
んなセリフ、現実に吐けるか言われたら無理でしょうに。
それはそうと今回は兄と妹と言う事で、主に山名先生にスポットを当てた訳ですが、セリフが長くてかつ説明くさくて若干分かり難かったかもしれませんね。
その辺はちょっと反省でございますです、はい。

そして次回は19話。ちなみに予定では20話が最終話ですのでラスト2ですね。
ではまたその時にお会いしましょうー