‐次の春まで、続く夢‐
第十四話 『幼馴染』
放課後、いつものように美術部に向かう。
昨日の本屋での一件が思い出された。
愛璃の名を聞き、うろたえだした山名先生。
それに、昼休みのあの言葉……
山名先生は、何かを知っているんだろう。
今日はその辺の話を聞こう、そう思って美術室にやってきた。
だが、山名先生、今日も来ていないそうだ。
代わりに、部屋には田中先輩の姿があった。
「おいーっす」
「あ、先輩。頭大丈夫ですか?」
「何かその言い方やめてくれよ。俺の頭がおかしいみたいだろ」
大丈夫なようだ。
「……でも何だったんでしょうね、金曜日の幽霊って?」
「ん?」
「ほら、先輩が見たって言う謎の少女」
「金曜日?」
「泊り込んだでしょうに」
「……泊り込み?」
「何聞いても無駄よ、安藤君」
美久先輩が間に入ってきた。
「どういうことですか?」
「記憶喪失」
「はい?」
「平吾、頭打ったショックか何かで、金曜日の記憶だけ消えてるの」
「え、そうなんですか?」
田中先輩のほうを見る。
「んー、本当に何も覚えてないなぁ」
「ほら」
「そうですか……」
記憶喪失……、本当にそんなものがあるんだなぁ。
「綺麗さっぱり覚えてないんですか?」
「そうみたいだな。何も思い出さんし」
田中先輩が苦笑する。
「本当にあるんですね、こんなこと」
「綺麗過ぎておかしいって、医者は言ってたみたいだけど」
「え?」
「忘れてるのが、綺麗に金曜日の記憶だけなのよ。他は何にも問題ないのに」
「はぁ」
金曜日の記憶だけ……。
不思議なこともあるもんだな。
「何か後ろが騒がしいな」
先輩が言うように、また後ろの画材置き場のほうが騒々しい。
「またあの絵か?」
後ろに行って、友恵に尋ねてみる。
「あ、うん」
「また描き加えられてんのか?」
「そうなんだけど……」
そう言って友恵が絵を指差す。
「……なぁ、これって」
「うん、そっくりだけど」
その絵はだいぶ完成に近づいているようで、人物の顔がはっきりしてきていた。
その人物の顔が……
「山名先生にそっくりだな」
「若いけどね」
山名隆二にそっくり、いや、山名隆二本人だった。
「先生の若かりし頃の自画像?」
「うーん、どうかしらね」
美久先輩が言う。
「この人物のポーズを見る限り、誰かに描いてもらったって感じだけど」
「誰かが先生を描いた?」
「多分ね」
先輩が見たという少女が、山名先生の絵を描いているのか?
そうだとしたら、何で先生の絵を……?
「何だ〜?」
田中先輩がニョキッと顔を出してきた。
「例のうまい人物画ですよ」
「人物画?」
「ほら、アレ」
絵を指差す。
「ん……」
絵を眺める先輩。
「……何だこの絵?」
「覚えてないんですか?」
「覚えてないも何も、俺この絵見るの初めてだと思うけどな」
「はぁ……」
ものの見事に記憶消えてますなぁ。
「ところでアンアン、今何時だ?」
「えーと、四時ちょっとすぎですね」
「ゲッ、ヤバッ」
「何がです?」
「……まぁアレだ」
「……アレですか」
デートですか。
しかもあの美人の恭子さんと……
「……」
「ん?」
今、美久先輩がこちらを向いていたような気がしたが……
「じゃ、俺はこの辺で……」
「あっ、はい」
すごすごと先輩は美術室を出て行った。
「……ふぅ」
「ん?美久先輩?」
美久先輩がため息をついていた。
「どうかしたんですか?」
「……別に大丈夫」
「はぁ」
何だろ、少し元気がないように見えたが……
「……」
「……友恵、何見てんだ?」
「えっ?い、いや何でもないよ」
友恵がやけに真剣な顔をして美久先輩のほうを見ていた。
「……言うべきなのかな」
「どした?さっきから」
「あっ、なんでもないって、……ちょっと考え事」
「そうか」
友恵はさっきから小声で何やら呟いている。
……何かちらちらと俺の方も見られているようだけど。
「じゃあ、また明日」
美久先輩が出て行って、美術室に残っているのは俺と友恵だけになった。
「さーて、俺らもそろそろ帰るか」
窓から射す西日が、部屋の中を紅く染めていた。
「……やすくん」
「ん?」
「……ちょっと、話があるんだけど」
「話?帰りながらでいいだろ。それより鍵閉めるぞ」
「ここで話したいから」
「ん?」
そう言って友恵は、開きっぱなしだった入り口の戸を閉めた。
「……やすくん、田中先輩の彼女って知ってる?」
「ん?あぁ。美久先輩のお姉さんだろ?」
「そう。それと……」
机の上に腰掛ける友恵。
「美久先輩が、田中先輩のことが好きだって事も知ってた?」
「好きって、まぁ幼馴染だから仲はいいみたいだけど」
「そうじゃなくて、恋愛感情としての好き」
「そう……だったのか?」
確かに、美久先輩は何かと田中先輩を気にかけることも多かったし、言われてみれば分からないこともなかった。
「……まぁそれは分かったけど、話ってそれか?」
ゆっくり首を横に振る。
「美久先輩、言ってた。正直、後悔してるって」
「何を?」
「言えなかった事を」
「言えなかった事?」
「そう。田中先輩に、好きだって言えなかった事」
「……そうか」
「美久先輩のお姉さん、恭子さんだったっけ。恭子さんも小っちゃい頃から田中先輩のことが好きだったんだって。それで恭子さんは、積極的に田中先輩にアプローチかけてたみたいで、美久先輩も、そのことには気付いてた。でも、先輩もやっぱり田中先輩が好きだった。取られたくなかった。でも、恭子さんみたいに自分の気持ちを伝えることが出来なかった」
「何で?」
「怖かったんだって。……今までの関係、仲のいい幼馴染の関係が崩れるのが。自分の気持ちが拒絶されたとき、果たして自分は今まで通りに接することが出来るか、彼は今まで通り接してくれるか、それが怖くて」
「……」
怖いだろうな。
その気持ちを伝えたら伝えたで、結果はどうであれ二人はそれまで通りっていう訳にもいかないだろう。
「……でもやっぱり後悔してるって。自分の好きな相手が、別の娘のものになってしまった。でもそのこと自体は仕方ない。自分の気持ちが伝えられなかったのが一番辛い。ただ、好きな人が取られてしまうのを、見てるだけだったのが辛いって」
「……そうだな」
それが姉妹なら余計辛いだろうな。
友恵が机から降りる。
「私も……怖い」
「えっ?」
「今までの、仲良しな関係を失っちゃうかもしれない」
「なっ……」
「やすくん、ゴメン。……でも、やっぱり後悔したくないの」
「う……」
いくら鈍感な俺でも、友恵のこれから言わんとすることくらいは察しがついた。
「ただやすくんが、他の娘のものになってくのを見てるほうが辛いから」
「えっ、ほ、他の娘って?」
「……北山さん」
「あ、愛璃さん?え、でも彼女が俺のこと好きかどうかなんて分からないだろ?」
「うん」
「えっ?じゃあなんで?」
「北山さんはどうか知らないけど、やすくんは惹かれてるよね、あの娘に」
「なっ……」
「長い付き合いなんだし、そのくらい分かるよ」
「えっ……?」
「昼休みも楽しそうに喋ってたみたいだし、それに土曜日も、やすくん学校にいたよね?偶然見かけたんだけど、そのときも北山さんと一緒にいたし」
「……」
何だろう、言葉が出てこない。
何とでも否定しようと思えばできるはずなのに、いくらそう頭で思っても、言葉にならないでいた。
俺は愛璃のことを……
「でも、私も自分の気持ちを伝えないと後悔するから、……言うね」
「……」
「やすくん……、好き。好きです……」
「……」
「……」
……長い。
長い長い沈黙。
「……」
「……」
「……ゴメン」
……友恵の言う通り、俺は愛璃のことが好きになっていた。
「……うん」
友恵が頷く。
「……」
「……」
また長い沈黙。
外から聞こえてくる運動部の威勢のいい掛け声が、何も音を発していない美術室内にただ響く。
「一足、遅かった、かな」
そう言って自嘲気味に笑う友恵。
……何となく。何となくだが、俺も友恵の気持ちには気付いていた。
だけど、友恵の言う通り、俺が気付くのも一足遅かったと思う。
気づいた時にはもう、俺の心は決まっていたんだろう。
「……あ〜、と、とりあえずそろそろ部屋出るか。鍵、俺が閉めとくからさ」
「ん、いいよ。私が閉めるから」
「いやいや、もう暗くなるしさ」
「……ゴメン、ちょっと一人にしてくれないかな」
「お……おう」
言われるがままに、俺はカバンを手に取った。
「……じゃ、また……明日な」
「……」
友恵はただ頷いて答えた。
そして俺は美術室を後にした。
「……」
友恵の言う通り、俺は愛璃が好きだ。
今まで接してきたなかで、確実に恋愛感情に発展していた。
だから、友恵の気持ちに応えてやることは出来ない。
でも……、今までの居心地のいい、二人の関係にはもう戻れない。
……そんな気がした。
‐続く‐
あとがき
んー、あ、どもども、舞軌内でございますー。
投稿スピードがやや鈍りがちですが、一応執筆しとります、この作品。
美術部思い出めぐりは前回で終了したわけで、今回は普通にあとがきです。
といってもまぁ特記する事はないんですが(汗
幼馴染、よく『自分を慕ってくれる幼馴染がいるだけで人生の勝ち組だ』とか言いませんか?
私も幼馴染の女の子は周りにいたことにはいましたが、ロクに話もしてない記憶が。
より近所の男達と遊ぶのに夢中で、人生の好機を逃してしまったわけですかぁ……はふぅ。
まぁ、恋愛感情なんで概念が出来たのは中学以降の話ですし、仕方ない事といえばそれまでですが。
あー、毎朝やさしく起こしに来てくれるギャルゲーよろしくな幼馴染がいたらなぁー、などとどうしようもない妄想を胸に抱きながら、今回のあとがきは切り上げさせていただきます。
ではでは〜