「分かりました。一弥たちのお守りと月代の監視、お受けします。まあ、何も起こらないのが一番いいんですけどね」
本当になに起こらなければいいのに、と思いつつ、祐一は秋子の提案を受け入れた。
「そうですね。私も誰であれ人を疑うようなことは好きではありませんから」
「ですが、後で何か起こって後悔するよりはマシですからね」
「そうですね」
二人して笑いあい、ことを平穏を願う。
しかし同時に、そこにはなにかあれば全力を持ってそれにあたるという決意もあった。
「では、これで失礼します。明日は祝日です、お体を休めてくださいね」
退室する秋子に頷きながら、祐一は心中で思う。
(これでなにかあったら俺の責任だな。気張らないといけないな……しかし、嫌な予感がするぜ)
この祐一の嫌な予感は、結果としては的中することとなる。
だがそれは、祐一が今思い描いていることとは全く異なる形であることを、今の祐一には知る由もなかった。
永久の螺旋を断ち切る者
第11話
祐一の休日〜妖狐族の里〜
「ん……朝か」
その翌日、祐一は静かに目を覚ました。
前日のように悪夢に襲われることもなく爽やかな目覚めだ。
んっ、と伸びをして眠気を追い出す。
「今日は確か祝日だったな。なにをするかな」
着替えて階下へと降りる
隣の部屋の名雪は、やはり寝ているらしい。
まあ、昔からよく寝ていたのが、さらに強化されているのだから当たり前だろう。
「おはようございます。早いですね、もう少しゆっくりしていてもよかったんですよ」
降りてみると、既に秋子が朝食の用意をしていた。
やはり彼女は休みだろうと変わらないらしい。
もっとも、休日にだらしない秋子、というもはそもそも想像できないが。
「あんまし平日かと休みとか関係ない生活送ってましたから」
その通り。
そもそも平日祝日の区分など、学生や公職についている者にしかあまり関係ない。
例えば農業や商業に勤しむ者達には、祝日に休んでいる暇などありはしない。
そして祐一も、というよりも神威も、祝日だからといって修練を休むような性格はしていない。
年がら年中鍛錬あるのみ、である。
よって、祐一には平日祝日の区別などない。
今は一応教師という公職に付いたが、わざわざ区別しようとは思っていない。
「紅茶でよろしかったんですよね」
「はい」
「祐一さん、今日は何か予定はありますか?」
紅茶とパンを差し出しながら、秋子が問う。
「いえ、全く」
それに祐一は少しも迷うことなく答えた。
実際にやることなどないのだから仕方がない。
強いて言うなら手持ちの減った消耗品の調達だが、旅をしていたときとは違い急ぐ必要はあまりない。
別に金が要るわけでもないので、ギルドに行って仕事を貰う必要性もない。
よって、祐一はかなり暇をもてあましている。
「でしたら、少しお使いを頼んでもよろしでしょうか?」
「もちろんです。なにをすればいいんですか?」
「はい、これを届けて欲しいんです」
そういって、秋子は幾つかの紙袋を示した。
中を覗いてみると。
「……稲荷?」
箱詰めにされた稲荷が見えた。
米などはなく、純粋なお稲荷さんのみである。
それだけで袋一杯、しかしそれが複数、その総数は数えるのが馬鹿らしいほどであろう。
「はい、お稲荷さんです」
「これ全部ですか?」
唖然としつつ思わず漏らした声に、秋子は笑顔で答えた。
答えを予想しつつも、まだ中身を見ていない袋を指差して問う。
「はい。それをものみの丘の妖狐族の里に届けて欲しいんです」
「ああ、なるほど」
先ほどまでの意外さも、届け先を聞いて納得した。
妖狐族が稲荷を好きなことなど、いまさらいうまでもない。
祐一が子供の頃に、真琴も随分嬉しそうに食べていた。
「分かりました。すぐに行った方がいいですか?」
「すぐというわけではないですが、なるべく早く行っていただけるとありがたいです」
「了解です」
トーストをやや早めに喰らい、紅茶で喉を潤す。
絶品の紅茶の余韻を楽しみつつ、立ち上がる。
そして、秋子が袋を詰めたリュックサックを背負う。
「ものみの丘はカノンの北に少し言った所です。周りとは土地に宿る魔力が違いますから、祐一さんなら分かると思います。 それと、多分誰何されると思いますが、私の名前を出していただけば通してくれるはずです」
秋子の説明に頷き、外に出る。
祐一は実のところ少し楽しみだった。
何せ人が滅多に足を踏み入れない妖狐族の里である、家で暇をもてあましているよりは余程に有意義だ。
気持ちを反映してか、その足取りは軽いものであった。
「なるほどね。確かに魔力の質がぜんぜん違う」
カノンの街を出て数分で、祐一は秋子の言葉を実感していた。
まだ妖狐の里ではない、その外周にすら入っていないだろう。
しかし、里が何処にあるのかがそれでも分かる。
それほどまでに魔力の質が違っている。
これならば、多少でも魔法の心得があるものならば容易く里の位置を特定できる。
それで何の問題もなく妖狐族が住んでいるという事は、人との共存関係がうまくいっていると言う事だろう。
昨今の実情を踏まえるに、稀な例といえる。
「そろそろ妖狐族の領域か」
魔力の質の差異が、いよいよ本格的になってきた。
カノン近郊特有の、強い雪の精霊力が薄まっていく。
まるで年中温暖で知られるリーフの大平原のように、精霊力の調和が取れていく。
そんな中歩を進めていると、祐一は自分を密かに見据える視線に気付いた。
気配からして、人のものではない。
しかし悪意はない、あるのは強い警戒心である。
「……何者だ?」
唐突に、静かなそれでいて確かな威圧感をもつ声が響いた。
その主は姿を見せていないが、祐一には先ほどからの視線の主だということが分かっていた。
「水瀬秋子の使い、といえば話が通っていると聞いている」
「なるほど、貴殿が相沢祐一殿ですか。確かに話は聞いております。そのまま真っ直ぐ来られよ」
祐一の言葉によって、視線と声から警戒心が消え去り、丁寧な言葉が返ってくる。
その数瞬後に視線も感じなくなる。
どうやら信用されたらしいなと、祐一は軽く息を吐いた。
言に従いまっすぐ歩いていると、ある一線を越えた時点で辺りの気配が一変した。
コレは既に魔力の質が違うなどと言う次元ではない、世界が違う。
そして、祐一はコレと似たような感覚を知っていた。
「……なるほど、現と境界を接する一種の亜空間か。どうりで辺りの魔力の質が違うはずだ」
人が住まう世界と、わずかに端を重ねている異界、それが妖狐族の里だったのだ。
別に珍しいことではない、古今東西、異界に住まう種族の話などいくらでもある。
場所によっては時の流れが違っていたりもするのだが、ここはさすがにそんな場所ではないだろう。
「一瞬で気付くとは、さすがに秋子殿が認められることはありますね」
「似たようなところに来たことがあってね」
再び唐突に先ほどと同じ声が掛かる。
しかし祐一は気配を察していたので驚きはしない。
声のした方向に視線をやると、和服に身を包んだ物静かな容貌の男が立っていた。
人のように見えるが、ここにいる以上人ではないだろう。
魔力の性質を探ってみると、やはり人ではない。
真琴とどこか似た気配、妖狐族である。
見た目は二十歳前後だが、妖狐族はかなり長命のため、人の寿命は軽く越えているだろう。
「知っているんだろうが、相沢祐一だ。秋子さんの使いできた」
「承知しています。私の名は黒曜。この里が長、白仙様に仕えております」
向き合い改めて名乗る祐一に、男、黒曜は丁寧に礼をした。
今のところ使い走りに過ぎない祐一に対してはいささか過分といっていい態度だが、嫌味は感じさせない。
おそらくはそれが常なのだろう。
「で、俺はどうしたらいいんだ? 秋子さんからはこれを届けてくれといわれただけなんだが」
「こちらに」
(無口だねえ。まあ、視線に悪意はないから、それが地なんだろうな)
祐一の問いかけに、端的に答え歩き出す黒曜。
あくまで最低限しか言葉を発しない態度に、思わず苦笑が浮かぶが、こういうタイプは嫌いではない。
というか、祐一はそんなもので相手を判断することはない。
「ん?」
しばらく歩き居住地らしき辺りに着くと、なにやら大勢が集まって何かしらの準備をしていた。
誰も彼もがにこやかに笑い、活気に満ちている。
よく見ると、部屋がなにやら厳粛な雰囲気に装飾されている。
「祭りか何か……って、そういえば真琴が親戚が結納するって言ってたな」
言いかけて、途中で秋子から真琴が親戚の結納でここに帰っていると聞いたことを思い出した。
なるほど、結納の式の準備なら、あの雰囲気も納得である。
「その通りです」
「ということは、これもそれ関係か」
自分の背にある大量の稲荷を指して言う。
真琴の実家だから、という理由にしてはやけに多い量だと思っていたが、祝宴に出されるなら納得である。
というよりも、今まで気付かなかったことが少々鈍いかもしれない。
このとき、目の前の物静かな男が稲荷を食する姿を想像し、思わず噴出しかけたのは、まあどうでもいいだろう。
「祐一殿には里の長であらせられる白仙様に目通りしていただきます。気を引き締められますよう」
「は!? たかがお使いでなんでそんな大層な事に」
唐突な言葉に思わず叫ぶ。
祐一は、自分の役割はあくまで荷物運びで、背の荷物を預けたらさようならだと思っていた。
帰り際に真琴に会えたらいいな、とは思っていたが、里の長と対面するなど想定外もいいところだ。
「祐一殿はご存知ありませんでしたか。白仙様は真琴様の祖母にあたられます。かつて怪我をした真琴様を最初に助けられたのは 祐一殿と聞いております。帰ってこられたと聞き、白仙様は礼を申したいと言っておられるのです」
「はあっ」
黒曜から明かされる事実に、半ば呆然と間抜けな声を出す祐一。
理由は分かった、しかし、もう少し心の準備をさせて欲しい、というのが正直な気持ちだ。
もしかしたら、秋子さんはこうなると知っていて俺に頼んだんだろうか、などということを現実逃避気味に考える。
そんな祐一を鑑みることなく、黒曜は静かに歩を進めている。
祐一も、やや呆然としながらも逃げるわけにもいかないので後に続く。
そうしていると、周りの建物より一際大きな屋敷が見えてくる。
やはりここに里の長、白仙がいるらしく、黒曜は中へと入っていく。
途中で会った使用人らしき女性に背の荷物を渡し、祐一と黒曜は屋敷の奥へと進む。
すると、大きな襖で仕切られた部屋にたどり着いた。
「祐一殿、申し訳ありませんが、一応その剣をお渡しいただけますか?」
部屋の手前で、黒曜が祐一に若干申し訳なさそうに問いかけた。
その理由は内容だろう。
剣士にとって、武器を手放すということは重い意味を持つ。
また、その申し出自体が祐一を完全には信用していないという表れと見なされても仕方がないということもある。
「ああ、確かにこいつは無粋だな。どうぞ」
しかし、祐一はまったく躊躇せずに剣、天魔剣を黒曜に手渡した。
祐一にしてみれば、言葉どおり話し合いには無粋に思えたし、
むこうが自分を襲うなど思っていないのだから、渡すことに躊躇はない。
黒曜は無言で一礼し、天魔剣を両手で丁寧に受け取った。
そして抱えたまま、襖の向こうに声をかける。
「白仙様、祐一殿をお連れしました」
「お通しせよ」
黒曜の言葉に、女性の澄んだ声が応える。
この声の主が、真琴の祖母であり、ものみの丘の妖狐族の長である白仙だろう。
いよいよかと緊張の度合いを高めつつ、黒曜があけた襖の中へと入る。
その奥はかなりの広さの部屋であり、そこには一人の女性がいた。
見た目は黒曜と同じく20歳前後、しかし里の長ということを考えればその齢は桁が違うはずである。
「お初にお目にかかる。ものみの丘の妖狐族が長、白仙と申す。 ただ、今回は孫を助けられた祖母として貴殿と会っている。故に、礼にはこだわる必要はありませぬ」
女性、白仙が祐一に声をかける。
なるほど、真琴の祖母というだけあって、容姿には似ている部分もある。
髪や瞳の色は真琴と同じであり、顔立にも共通点はある。
しかし、受ける印象は全く異なる。
人間形態の真琴はかなりの"美少女"といっていいが、目の前にいるのは絶世とつけていい"美女"である。
完成された女性の一つの形といっていいほどの容貌からは、妖艶というに相応しい色香が漂っている。
常の状態で、生かな術者の使う魅了の魔術を完全に凌駕している。
かつて神話の時代、最強の妖狐とされた金毛白面九尾の妖狐は、
人化したその美貌で多くの国の中枢に入り込んだといわれているが、目の前の女性を見れば納得してしまう。
祐一もその容貌に一瞬呑まれそうになったが、自制心を働かせ常の精神を保つ。
「分かりました。ただし、年長者に対しての礼は尽くさせていただきます」
「黒曜、さがってよいぞ」
祐一の対応に白仙は満足げな微笑を浮かべ、祐一の背後に控える黒曜に命じた。
「はっ」
黒曜は一礼し、静かに退室する。
「さて、祐一殿。我が孫真琴を助けてもらったこと、祖母として深く感謝します」
黒曜が去って暫くたった後、白仙は祐一に頭を下げた。
これには、しょうじき祐一もあわてた。
目の前にいるのは、見た目二十歳前後でも実年齢はおそらく最低でも3桁は超えている存在である。
彼女からしてみれば、祐一などまさしく赤子に過ぎない。
そんな祐一に頭を下げたのだ。
しかし、その表情を見て祐一は動揺を抑えた。
同じなのだ、今まで祐一が関わってきた人達と。
祐一は旅の途中、腕試しとばかりにいろいろな荒事に首を突っ込んできた。
結果として、誰かの子供や孫を助けたということも多々あった。
そんな人達が、祐一に礼を言うときと同じ表情をしているのだ。
考えてみれば、妖狐族とて心を持つ者、肉親への愛情はなんら人と変わらない。
そう思い、祐一も常の自分で答えた。
「助けられる命があるから助けただけです。そう何度も礼を言われることではありません」
「それが出来るものは少ないのです」
白仙は微笑を強くした。
それから暫く。祐一の白仙は取り留めのない話で盛り上がった。
主な会話の種はもちろん真琴である。
「では、失礼いたします」
会話も一段落したところで、祐一が退出の意を示す。
部屋に入って結構な時間が過ぎている、そろそろ帰り時だろう。
「はい。帰る前に真琴に会ってやってください。素直には言わないでしょうが、喜ぶはずです」
白仙もそれに応じ、最後に祖母として付け加える。
祐一もそれに苦笑で応えた。
此度の対面はこれで終わるはずであった。
「……っ!」
祐一が部屋を出てすぐに、白仙が妙な声をあげなければ。
「白仙殿?」
「白仙様?」
祐一と外で待っていた黒曜が怪訝な表情で声をかけるが、白仙には聞こえていない。
「祐一、殿……」
ただ、目の前にあるものが信じられないような様子で、呆然と声を紡いでいる。
そこには、先ほどまでの氷のような容貌はない。
そして、その視線が指している物は。
「どこで、どこでその剣を手に入れられたのです……?」
祐一が手にしている、黒曜から受け取った一振りの剣。
「剣? これの、天魔剣のことですか?」
祐一の師、神威からの餞別、光の闇の力を統べる魔法剣、天魔剣。
「どこで、手に入れられたのです……?」
「この剣は俺の師に貰いました」
再び呆然と問う白仙に、祐一は再び部屋に入り応える。。
祐一にとって、これは師のことを知るチャンスだった。
自分は師のことをほとんど知らない。
しかし、目の前に居る女性は明らかに何かを知っている。
ならば、それを知りたかった。
黒曜は二人の様子を見、内容は分からないが重要な話が始まるのだろうと判断し、襖を閉める。
それを確認し、白仙は祐一に問いかけた。
「貴殿の師とは如何なる者です、如何なる名で、如何なる容貌なのです?」
「俺の師の名は蒼月神威。容貌は銀の長髪に真紅の瞳です」
「やはり……」
神威の名を聞き、呆然とつぶやく白仙。
その口から漏れた言葉は、彼女が神威のことを知っていることをあらわしていた。
「師を、神威をご存知なのですか?」
「……旧き馴染みです……そう、旧き」
目を閉じて、静かに呟く。
そして気を静めるかのように息を深く吸い、吐く。
再び目を開けたときには、白仙は平静を取り戻していた。
「俺はあいつのことをほとんどと言っていいほど知りません。差し支えのない範囲で教えてはいただけないでしょうか?」
「申し訳ありませんが、私の口からは何も申すことは出来ません。 しかし、その剣についてはある程度お教えすることは出来ます」
「これ、ですか」
祐一の師のことを知りたいという申し出は拒否されたが、白仙の言葉に祐一は考え込む。
確かに師の、神威のことは知りたい。
しかし同時にこの剣、天魔剣のことも知りたいのは事実である。
浩平から聞いた過去の話からすると、神威は天魔剣を扱える人物を探していたようであった。
ならば、これのことを知ることで神威の目的を推し量ることが出来るかもしれない。
そう考え、祐一は白仙の申し出に許容の意を込めて頷いた。
「はい。祐一殿がその剣の真の所持者となられれば、彼についてのことも氷解するでしょう」
「真の所有者」
白仙の言葉を小さく繰り返す。
真の所有者、つまりは祐一はまだそれには成れていないと言う事である。
幼き折原浩平は、天魔剣を握ることすら出来なかった。
しかし祐一は剣を振るい、さらには能力を扱うことも出来る。
だが、それだけでは真の所有者ではないということだろうか。
「はい。祐一殿はその剣についてどれほどのことをご存知なのですか?」
「名が天魔剣ということと、聖と闇の力を繰ることが出来るということだけです。出自は全く知りません」
改めて問われ、祐一は自分が自分の相棒について殆ど知らないことを思い知った。
知っていること言えば、名と能力のみ。
如何なる経緯で生み出されたかは全く知らない。
普通ならそんな怪しい武器に命を預ける気にはならないが、不思議と祐一は天魔剣を信じることが出来ていた。
それが、神威が浩平にいったという"生まれ付いての相性"、ということなのであろうか。
「そうですか」
白仙はそこで言葉を切り、深く息を吸い。
「では、それが神器であるということもご存じないのですね?」
革新に一歩踏む込む言葉を放った。
祐一も思わず息を呑む。
「……はい、知りませんでした」
辛うじてそうかえすのがやっとだった。
あるいは旧時代に生み出された魔剣霊剣の類ではないかは思っていたが、神器とは想定していなかったからだ。
人の手による魔剣や霊剣と、神性の手による神器では雲泥の差がある。
そして、なにより今所在が確認されている神器など、全くといっていいほど存在していない。
「神器が大きく分けて二つに、細かく分ければ三つに分類されるということは?」
しかし白仙は祐一の動揺を省みることなく言葉を続ける。
「……それは知っています。大きく分類すれば、ある時期以前に既にあったか、それ以降に創られたか」
それは祐一も知っているものであった。
問いかけに答えながら、どうにか落ち着こうとする。
「細かくは、ある時機以前にあったものをさらに分け、神の物であったか人の物であったか」
そのかいあって、なんとか平静を取り戻すことが出来た。
そして、問いかけの内容、つまり神器についての自分の知識を整理する。
祐一の言の通り、また以前の書いた通り、神器は三つに分類される。
一つ目は、本来は人界になかった物。
これらは神々が所持し用いたもので、"格"としては最も高いといっていい。
二つ目は、もとより人界にあった物。
これは主として、神々などが人界の英雄に与えたものである。
そして最後は、とある時期以降に創り出された物。
その目的は。
「天魔剣は後に創り出された物です。それらの神器が何故創られたかは?」
「神威からは、古の文明を滅ぼしたモノに抗する為に創り出されたと聞きました」
「その通りです。かつて栄えた古の文明、人や獣人や妖精族、数多の種族が共に在った既に亡き理想郷。 それを滅ぼしたモノに抗する為、幾多の神々や魔族が創り出したのです」
そう、その目的は世界に仇名す脅威に対するため。
古の文明を結果として滅ぼし、文化体系を大幅に衰退させたモノ。
それに抗する為に、新たに生み出されたのだ。
様々な観点から。多種多様な力を与えられ、担い手と共に戦いの場へと送り出されたのだ。
「それでは、膨大な数の神器が創り出されたのでは?」
「はい、かつては確かにかなりの数が存在しました。しかし戦いの最中で喪われた物も多く、今残っている数は不明です」
そして三つ目の類に分類される神器は、最も"神器であること"の判別がしづらい。
なぜならば、それら以外の神器が伝説に名を残しているのに対し、新たにそして急激に創り出されたそれらには、
一切の記録がないからだ。
故に、今の人の目からすると古代に人の手によって創り出された魔道武具と区別がつかない。
どちらにせよ、現代の技術水準では再現できないということに変わりはなく、そして自分たちから見て高度な物は
ある一線を越えてしまうと比較すら出来なくなってしまうのだから。
だからこそ、祐一も天魔剣が神器だと気付かなかったのだ。
「そして、祐一殿の所持する天魔剣はかなり特殊なものです」
白仙の言葉と共に自分の知識を掘り起こしていた祐一に、彼女はさらなる事実を告げる。
「本来神器に力を与えるのは一柱の神魔。しかし、その剣には膨大な数の神魔が力を与えたのです。 敵を滅するために、存在そのものの因果を滅するために」
新たに創り出された神器は、それこそ神魔の数だけ存在するといっていいほどに数が多い。
しかし原則として、一つの神器は一柱の神魔によって創りだされた。
各々の神器創造の目的が異なるということあったし、なにより極めて高次元にある彼らの力は、
僅かでもベクトルが異なれば一つに収束することが非常に困難なのだ。
しかし白仙の言葉が本当なら、祐一の天魔剣は極めて稀な例外であるということとなる。
「その真価は純粋に対象を消滅させる事、そしてその力の絶対量は神器の中でも最高峰に位置します。 いえ、こと単体殲滅能力に関して言えば最強といっても過言ではありません」
数多の神魔が創りだした、神器の中でも極みの一品。
祐一が帯剣している物は、それほどの物だと言っているのだ。
「……なぜ、そんな物を神威は持っていたのです?」
あまりの衝撃に、自他共に神経はかなり図太いと認識している祐一も驚愕に目を見開くる。
自分が持っているものが、それほどの物であるとは思っていなかった。
事実を知って改めて視ると、腰に下がっている天魔剣がそれまでとは違って視える。
そして新たに浮上する疑問。
なぜ神威はそんな非常識な物を所持し、そして自分に与えたのか。
今までも持っていた疑問だが、かつてよりはるかに強くなっていた。
「それも申し上げることは出来ません」
しかし白仙は祐一の疑問には答えず、話し始める前と同じ態度を通す。
考えてみれば、天魔剣のことをあらかじめ知っていた以上、祐一の反応も予想できたはずである。
ならば、今のところは彼女の想定内なのであろう。
「俺がこいつの真の所有者とやらになれば分かると?」
ならば、自分だけが動揺しているわけにはいかない、と祐一もどうにか先程よりも苦心して平静を取り戻す。
慌てたところで事態は決して好転しない、ならばおちついて最善の行動を考えることが重要だ。
皮肉なことだが、神威より教わり身に付いた心構えのおかげで、祐一は先を見据えることが出来た。
「はい」
「それにはどうすればなれるのですか?」
だから、祐一はその先を問う。
知りたいことは山のようにある、いやできた。
ならば、それを知る術を成さねばならない。
「剣に認められることです。その真価を発揮し、認められれば神器所有者の証たる聖痕が刻まれます」
「真価……聖と闇の力の同時開放、ですか」
祐一は以前に神威から聴いた言葉を思い出す。
天魔剣は聖と闇の力を操ることができ、聖の力を使えば柄の宝玉が蒼に、闇の力を使えば紅に染まる。
そして、天魔剣は双方の力を同時に発揮することも出来得る、と。
つまり、天魔剣の真価とは聖と闇の力を同時に扱うということか。
考えてみると、これまでそれを試そうとしたことはなかった。
なかなか骨が折れそうだが、あるいはどうにかできるかもしれない、
という祐一の考えは白仙の次の言葉で否定される。
「正確にはそのさらに先、聖と闇の力の、神と魔の力の融合です」
「それは……」
祐一が今日何度目か分からない驚愕の表情を浮かべた。
ひょっとしたら、今までの人生での総数に匹敵するだけの回数浮かべているかもしれない。
相反する属性の力を融合することは極めて危険だ。
たとえば火と水の精霊力を融合させようとすれば、力は反発しあい暴走する。
その反発力は非常に強く、下手をすると術者が跡形もなく消し飛ぶこともある。
しかも祐一がやろうとしているのは聖と闇、火と水よりよほどに反発力は強い。
さらに、その聖と闇すら多くの力が交じり合ったモノであるのだから、それらを一つに収束するなど尋常ではない。
「私からお教えできることはこれで全てです。後は、祐一殿が天魔剣の所有者となられたとき、明らかになるでしょう」
黙り込む祐一に、白仙が話の終焉を告げる。
祐一にとって重要な岐路となった会話は今終わった。
「……分かりました。失礼いたします」
深く気を吐き、すっかり重くなった腰を上げる。
そして腰と同様重くなった気分を頭を振って振り払い、一礼して退出する。
「祐一殿、これだけは覚えておいでください。その剣の力は確かに膨大です。 しかし、けして邪悪なものではないということを。むしろ、その剣は希望として創り出されたのだと言う事を」
祐一が部屋を出る間際、白仙が祐一に声をかけた。
その声には祐一に対する気遣いが感じられ、祐一は目礼でそれに応えた。
「蒼月神威……願わくば彼が担い手となり貴方が解放されんことを」
祐一が退出した後、静寂に満たされた部屋に白仙の声が静かに響く。
その声には複雑な響きがあった。
「お話は終わられましたか?」
「……ああ」
退出し来た道を戻ると黒曜と会ったが、祐一は上の空で声を掛けられたことにも気付いていない。
なんとか平静に戻ったつもりではあったが、やはり衝撃は大きいらしい。
そんあ祐一の様子に、黒曜も話の内容を問うようなことはしなかった。
「祐一殿、大丈夫ですか?」
「ああ……ちょっと考え事をな」
再び声を掛けられ、やっと目の前に黒曜が居ることに気付く。
しかし内容を話すわけにもいかず、当たり障りのない返事で場を流す。
(最強格の神器だと? 神威、お前の目的はなんなんだ?)
師の顔を思い浮かべ問いかけるも、当然ながら返事はない。
「祐一〜!」
そこに、祐一の内心の葛藤など知ったこっちゃないという感じの声が響く。
明るくそして活気に満ちた声、その声の主を祐一は知っていた。
「真琴か」
かつて祐一が拾った狐にして、白仙が孫娘、真琴である。
真琴は祐一の下に走りよってくると、その顔を見上げて。
「なんで祐一がここにいるのよ」
微妙に生意気な口調で問いかける。
その当たり前だが変わらない態度に、祐一の気分が変わりかける。
僅かに引きつっていた表情が、普段のソレに戻っていく。
「秋子さんに頼まれて、お前らの好物を持って来たんだよ」
「え、ほんと? どこ? どこよ?」
首を左右に振り、鼻で匂いをかぐ真琴の姿に、祐一は完全に普段の調子を取り戻した。
思わず吹き出しかけ、それを手で押さえる。
隣を見てみると、黒曜がやれやれといった表情を浮かべていた。
「真琴様、はしたないですよ。祝宴の際に出されますから、お待ち下さい」
「あう〜」
「やれやれ」
黒曜に怒られ、しゅんとなった真琴の姿に、耐え切れず下を向き顔をそらす。
もう少し前までの重い気分など消し飛んでいた。
あまりのタイミングのよさに、狙ったのではないかと思えてくる。
「じゃあ、俺は帰るわ」
「はい」
笑いの発作をどうにか押さえ、黒曜に別れを告げる。
「え、もう帰るの?」
「なんだ、寂しいのか?」
僅かに寂しさを含む表情になった真琴に、口を端をやや吊り上げながら問う。
こうすれば彼女がどんな反応をとるか、当然計算の上である。
「な、なんで私が祐一がいなくなって寂しいのよ。ぜんぜん平気よ!」
真琴案の定反発し、顔をそらす。
しかし、よく見ればその表情は言葉とは真逆の感情を映していることが分かる。
当然、祐一も分かっている。
「そうか」
しかし、祐一はそこでは何も言わずに、頷いて歩を進める。
後ろから小さく、あうぅ、という呟きが聞こえてきて笑いの発作が復活するのを必死で押さえ暫く進む。
そして振り返り。
「真琴……家で待ってるぞ」
名前のところでいったん言葉を切り、こちらを向いたところで先を言う。
真琴の表情が明るくなるが、出てくる言葉は案の定。
「ふん! そこまで言うなら、用が済んだらすぐに帰ってあげるわよ」
祐一と黒曜は視線を交わし、苦笑しあった。
「天魔剣の真価、か……」
妖狐族の里から出た祐一は、カノンへはもどらず逆方向へと歩を進めた。
十分に人里から離れ、たとえ大魔法が暴発しても被害が出ないところまで離れる。
「人目につかないように結界を張って、と」
念には念をと、落ちていた石に刻印を刻んで人払いと幻覚の作用を併せ持つの結界を張る。
そして天魔剣を鞘から抜き放った。
いきなり融合は無理でも、せめて同時にならば操れるかもしれない。
刀身と宝玉を見据え、まずは聖の力を解放する。
「開放・聖」
秋子との仕合で使ったときのように、刀身が蒼い光を纏い、宝玉も同じ色に染まる。
そして、そのままの状態で魔の力を解放する。
しかし。
「開放・魔」
同時に発現することもなく、蒼から紅へと色が変わったのみであった。
「……やっぱ意識しないとダメか」
しかし、所詮コレは確認である。
そもそも、これで出来るなら苦労はしない。
今度は意識して同時に扱う。
「開放・聖……同時解放・魔……くっ!!」
結論を言えば、同時に聖と魔の力を発現させることは……できた。
刀身には蒼と紅の稲妻が迸り、祐一の目には刀身が見えていない。
しかし制御が全くといっていいほど出来ていない。
柄の宝玉の色は蒼、紅、蒼、紅、と目まぐるしく移り変わり、その度に剣が纏う力が跳ね上がっていく。
今のところ辛うじて抑えているが、この調子ではそう遠くなく暴発するだろう。
「……耐え切れ、ない……!!」
そして、その予想は違えられる事なかった。
「くううぅぅぅ!!」
溜まりに溜まった力が一気に解放され、凄まじい衝撃が発生した。
祐一も一瞬すら耐えることが出来ずに吹き飛ばされる。
しばし中空を舞い、受身すら取れずに背中から地面に叩きつけられ息が詰まる。
「はあっ……はあっ……一筋縄ではいかないか」
寝転がったまま、息を整え、体の状況を確認する。
まず、細かい裂傷が数えるのが馬鹿らしいほどできているが、これはあまり差し迫ってはいない。
まずいのは両手首から先、焼け爛れていてかなりの重症だ。
おまけに精根共に尽き果てていて、治癒魔法を使うどころかこのままではあと数分で気を失いそうである。
そうなれば、あまり面白くない結果になるのは目に見えている。
どうするかと考えあぐねていると、救いの手は意外なところからやって来た
「何事ですか!?」
「……月代?」
大声と共に駆け寄ってきたのは、誰あらん祐一とは最近因縁のある月代彩であった。
意外な登場にややあっけにとられて顔だけで見上げる。
「貴方ですか。相沢先生」
彩もまた。祐一をこちらは感情を読ませない仮面の顔で見下ろした。
そして、祐一はそれを見上げながら意識を失った。
「なっ……相沢先生! 相沢さん!?」」
彩の慌てた声は、既に祐一に届いていなかった。
後書き
ヒロ:第11話でした。
神威:ずいぶんと話が変わったな、最初は九月堂の話ではなかったか?
ヒロ:まあ、いい加減天魔剣のことを出しておきたかったんです。
神威:あの文字通りの雌狐か、いらぬことをべらべらと……
ヒロ:まあまあ、あなたの事を案じてのことでしょう。
神威:それで肝心の祐一があのざまでは意味がないだろう。
ヒロ:ですが、そうそう扱えるものではないのでしょう?
神威:当たり前だ。簡単に扱えるなら苦労はない。
ヒロ:なら、今は静観しておきましょう。
神威:……ちっ。
ヒロ:まあ、なんにせよこれで祐一君は一歩前進です。
ヒロ:皆様第12話も、
ヒロ・神威:よろしくお願いします(頼む)。