「そういや、舞と佐祐理さんは?」
雰囲気を変えるために、話題を変える。
「先に行って、席を取ってもらってるの」
「なるほどね。じゃあ行くか……おいあゆ、お前いつまで固まってんだよ」
「うぐぅ」
月宮あゆ、一度も発言がなかったがそれもそのはず、彼女は、祐一の『赤点決定』発言からずっと、固まったままだったのである。
そんな感じの、取り留めのない会話をしながら、一行は百花屋へとついた。
永久の螺旋を断ち切る者
第10話
野外訓練についてのこと
「いらっしゃいませ。って、名雪達か。川澄先輩と倉田先輩ならあそこよ」
祐一たちが百花屋へと入ると、聞き覚えのある声が出迎えた。
望である、彼女も相手が祐一たちだと分かると、反応を営業用のものから親しい友人に対するものへと切り替えた。
「うん、ありがと〜」
「よう、また会ったな」
佐祐理と舞の元へと向かう名雪たちから一歩遅れて、祐一は望へと声を掛ける。
一応会うのは二度目だが、一度目はろくに話せなかったから、互いに相手を良く知らない。
名雪がこの店の常連のようであり、なおかつ自分がそれに付き合うことが多くなるであろう以上、
互いに顔をあわせる機会は増えるだろう。
それを踏まえれば、親しくなっておいて少なくとも損は無い。
「そうね。そういえば、あなた先生なんだって?」
今日何度目かの問いかけに、祐一は苦笑で返す。
「……知り合いに会うたびに言われてるな、それ」
「だって、私と同い年で先生なんて珍しいじゃない」
「幸か不幸か、戦いは得意でね。知識の方はまだまだ未熟さ」
「そうなんだ」
「祐一〜」
望と話し込んでいると、名雪が大声で祐一を呼んだ。
声のした方向を見ていると、既に祐一以外のメンバーは全員席についている。
これ以上待たせると何人かの機嫌が悪化するのは確実である。
「じゃあな、といってもすぐにオーダー取りに来るんだろうけどな」
「まあね」
「祐一、遅い」
「なんで俺だけに言うかね、お前は」
席に着くなりの文句に、反射的に答える。
まあ、確かに後から到着したメンバーの中では一番遅く席に着いたのだが、差はせいぜい一分前後だ。
苦笑しつつ言い返す祐一の反応も、まあ当然といえば当然だろう。
「舞は祐一さんにかまって欲しいんですよ」
「……そんな事ない」
いいながらも顔が赤い。
そしてそれを隠すかのように、佐祐理に向かって手刀を垂直に振り落とす(要するにチョップ)。
無論力は込められておらず、受けた佐祐理も楽しそうに笑っている。
「その反応、変わらないねえお前も。あ、佐祐理さん、メニューください」
「はい、どうぞ」
「どうも……っと、そういえばお前らはメニュー見ないのか?」
面子を見回しながらもメニューに目を通す。
今思えば、前回来たときは結局何も頼まずに店を後にしている。
ちなみに内容は何処にでもあるような定番のメニューがそろっている。
「私はイチ「お前は聞かなくても分かるからいい」……極悪だよ〜」
名雪の言葉を一蹴する。
みなまで聞かずとも、何を頼むかなど明白だった。
「ボクは鯛焼き」
「へえ、今でも好きなのか」
あゆの注文には、昔を思い出して思わず微笑む。
祐一にとっては、思い出の品だ。
また、寒いこの地域では割とポピュラーなおやつでもある。
「うん。温かいし、祐一君との思い出だし」
「よく覚えてんなあ」
あゆの言葉に、笑みが深くなる……が。
「私は当然バニラアイスです
「……あるのか?」
栞の言葉で引っ込んだ。
栞がアイス好きなのはいい、個人の自由だ。
他人が文句を言うことではない……見てて寒くなるかもしれないが。
しかし、喫茶店にあるとは想定外だった。
そもそも、需要があるとは思えなかった。
「ほとんど栞しか注文しないけどね」
「あっそ。そういうお前は?」
いちいち深く気にするのは疲れた、とばかりに、おそらくは無難な注文で済ますであろう香里に声を掛ける。
「私? 私はコーヒーでいいわ」
「無難だな……俺は……紅茶にするか」
メニューに目を通し、自分も注文を決めた。
さほど腹が減っているわけでもないし、というよりも、実は昼食がまだ胃にもたれている。
それを考えると、香里と同じく飲み物だけというのが無難だった。
「そういうあなたも無難じゃない」
「ほっとけ。これで全員出揃ったな。お〜い、注文頼むわ」
「祐一、私に聞いてない」
「ん? ああ、悪い。もう冷めてるか」
オーダー済ませようとウェイトレス(望)を呼ぼうとしたところで、舞に遮られる。
彼女のほうを見てみるとコーヒーカップがあり、既に冷めているであろうコーヒーが少々残っている。
自分たちに合わせてもう一杯飲むのだろうとあたりをつけたが、その予想は裏切られることとなった。
「違う、牛丼」
「……栞のときも聞いたが、あるのか?」
定食屋ならともかく、喫茶店にあるメニューではない。
「はい。舞の大好物なんですよ」
「……喫茶店、だよな?」
「相沢君、気にしちゃだめよ。ここだけだから」
「……分かった。佐祐理さんはどうします?」
深くため息をついて、最後に残った佐祐理に聞く。
彼女は基本的にはまともな部類だが、思わぬところで天然を発揮するタイプである。
どちらかはまったく予想がつかない。
「そうですね、私は紅茶をもう一杯いただきます」
「了解です」
まともなものだったので、祐一はひそかに安堵しつつ今度こそオーダーをした。
「そういえば、もうすぐ野外訓練ね」
注文を済ませてそれを待つさなか、ポツリと香里が呟いた。
「そういえばそうだね」
「そうですね。今年は何処に行くんでしょうね、楽しみです」
「野外訓練?」
名雪たちは知っているらしく、話題がそれに移るが、祐一には分からない話題だった。
ただ、なんとなくアカデミーの行事のような気はした。
「祐一さん、知らないんですか?」
「ああ。まだ今日貰った書類全部に目を通したわけじゃないんでな。アカデミーの行事なのか?」
祐一は今朝に秋子より複数の書類を受け取っている。
それはたとえば規則に関するものであったり、たとえば行事に関するものであったが、祐一はまだ全てに目を通してはいない。
時間的には、空いた時間を有効に使っていれば十分に読みきれたのだが、考えにふけっていたのでろくに読めていなかったのだ。
「はい。高等部の生徒は、一年に何回か、学年ごとにアカデミーの外で演習をするんです」
効果的な行事ではあろう。
アカデミーに通う者には、全てがというわけではないが、各国を回る冒険者になるものもいる。
また、国抱えの兵士や騎士になるにしても、訓練だけでは心もとない。
外に出て、様々なことを学ぶことは有意義であるといえる。
「へえ、どんなことをするんだ?」
「それは……お姉ちゃん達に聞いてください、私たち一年生はまだ行ったことがありませんから」
「そうね、去年は私たちはリーフとの国境の森林地帯に行ったわね」
「佐祐理たちは海に行きました」
「いや、何処に行ったのかじゃなくて、どんなことをするのかを聞いたんだが」
なんだが質問した自分を離れて会話を繰り広げる栞たちに、祐一が苦笑しながら問い直す。
彼にとっては、どこにいったかなどは二の次である。
別段旅行好きでもないし、なにより、ここ(カノン)につくまでは旅をしていたといってもいいのだから。
「……戦う」
「いや、端的過ぎて分からん」
祐一の問いには舞が答えたが、端的、というか広義すぎて詳細は分からない。
まあ、舞はさほど会話が得意ではないため、仕方がないともいえないことも無い。
ちなみに、先ほどから名雪は一切会話に参加していないが、 彼女はオーダーをとってからかなりすごい顔で厨房を睨んでいる。
「お待たせしました。なんの話してるの?」
数分後、オーダーを持って望がやってきた。
この人数の注文をいっぺんに持ってくるあたり、なかなか只者ではない。
どうでもいいことだが、名雪は望が配る前に自分の獲物に手を出し、即効で貪っている。
その表情はまさに至福の様相である。
「野外訓練の話よ」
「あ、そうか。もうすぐだもんね」
「……どうでもいいが、居座っていいのか、仕事は?」
名雪以外の面子の品物をテーブルに置き、その上自分も着席、
挙句自分の分らしきコーヒーまで用意している望に祐一が突っ込む。
みたところ、今店にいる接客の人間は望だけである。
それが席に居座ってはまずかろう。
まあ、今店内にいるのは、実は祐一たちだけだったりするのだが。
ちなみに、一応カウンターの奥にマスターがいはするが、先ほどから殆ど動いておらず、
その上気配が薄いためほとんど目立っていない。
一見すると飲食店の経営など向いていないように見えるが、その実メニューの全てを一人でまかなう猛者である。
しかしやはり慣れない者も多く、この店が大通りに面して、
なおかつ味・価格共にいいにも関わらずあまり流行らない原因でもある。
「大丈夫。お客さん今いないし。そろそろ交代が来るから」
「遅れてしまってすいません」
「……噂をすれば、ってやつか」
望の言葉にかぶさるように、店のドアが開き、落ち着いた感じの声が響く。
文面だけ見ると、待ち合わせに遅れたようにもとれるが、前述の通り今店内には祐一たちしかない。
つまりは、望みの言うとおり、彼女が”交代”なのだろう。
「そうみたいね。わかば、こっちこっち」
あまりにタイムリーだったため、当人にとっても予想外だったらしく苦笑して答える。
そして、大きく手を振って相手を呼ぶ。
「ごめんなさい、遅れてしまって」
やや息を弾ませながらやってきたのは、おっとりした感じの、大きな眼鏡を掛けた女の子だ。
声と同じく、落ち着いた物腰である。
丁寧な口調も、その印象を強めている。
「ううん、時間通りでしょ。じゃ、よろしくね」
「はい」
「随分仲がいいな」
「あ、うん。私たち姉妹なの」
「はい。藤宮わかばといいます。よろしくお願いいたします」
丁寧に一礼する。
特に反応を示したのが祐一だけなので、他の面子は知っていたのだろう、
「相沢祐一だ、こっちこそよろしくな。ところで、どっちが上なんだ?」
「私。でも学年は同じだからほとんど気にしてないかな」
「そうですわね。でも、あなたが噂の相沢先生だったんですのね」
声に若干の興味が宿った。
どうやら相当自分は話題になっているらしい、と祐一は思わず苦笑した。
内心、まあそうだろう、とは思っている。
「授業中以外はタメ口でいいぞ……やっぱり噂になってるか?」
いいながらも、この少女が自分に、というか誰かに対等な口調で話すことはないのだろうな、と思っていた。
なにせ、姉である望にも丁寧語なのだ。
佐祐理と同じタイプだろう、と声に出さずに思った。
「はい。やっぱり前代未聞ですし。それに、折原君を殴り飛ばしたことも話題になっていますわ」
「あ、それは私も聞いた。なんでも一発KOしたらしいね」
「俺のせいじゃないぞ。あの究極シスコン馬鹿がいきなり飛び掛ってきたんだからな。なあ、栞?」
そのことでかよ、と祐一は顔を引きつらせた。
確かに目立つことだったかもしれないが、どうやら想像以上に広がっているらしい。
今アカデミーで自分に関するどのような噂が広がっているのか、興味が起こると同時に
知りたくないと思う祐一であった。
しかし、直に接する機会の無い者の評価がどうなろうか知ったことではないが、これから顔を合わせる機械があるであろう
者の評価は下げたくない。
この場にいる唯一の目撃者である栞に、自らの無実を証言するように目で合図を送る。
ただ、噂になっているのは『相沢祐一に折原浩平が飛び掛った』ではなく、『相沢祐一が折原浩平を一撃でのした』である。
これが攻撃を受け流す程度なら、噂の広がりは若干遅れただろう。
折原浩平がアカデミー屈指の変わり者と認識されていることから考えても、それは確実である。
つまりは、これは祐一の責任転嫁であるといえ、そして本人もそれに気づいている。
その上で平然とやるあたり、こいつもこいつであるといえる。
「はい。あれは私もびっくりしました」
祐一の意図に気づくことなく、栞は素直に祐一の言を認めた。
「究極シスコン馬鹿って、ものすごい言い方ね。的を得てるとは思うけど」
対する香里は、祐一のあまりといえば余りは一言に絶句している。
他の面子……イチゴサンデーをひたすら食べている名雪は除外……も似たようなものである
「ならいいじゃねえか。あ、そうそう。ぶしつけで悪いんだが、ちょっといいか、望と、え〜と……」
そうそうにこの話題から離れる祐一。
ついでとばかりに、気になることを尋ねる。
「わたくしのことはわかばでかまいません」
「分かった。望とわかばは、二人ともカザネの出身でいいんだよな?」
「ええ(はい)」
姉妹二人の返事がちょうど揃った。
「純粋に興味からなんだが、二人ともなにか能力を持ってるのか?」
「うん。私は……コレ!」
望はポケットからハンカチを取り出すと、おもむろに店の奥、誰もおらず何も無いところ、に向かって軽く腕を振るった。
ハンカチがなびき、同時にナニかが発生し、大気を揺らす。
それは、数メートル進んだところで虚空に解け消えるように消失した。
常人では気づくこともないそれも、祐一にははっきりと感じ取ることが出来た。
「かまいたち……いや、衝撃波か。随分と実戦向きだな。わかばは?」
風系統に属するかまいたちではなく、純粋な物理衝撃波を生み出す力。
魔法的な攻撃力は皆無だが、強力な力である。
驚くほどではないが、二分すれば珍しいほうに分類される能力だ。
そして次のわかばの言葉で、祐一は驚愕した。
「わたくしは治癒能力ですわ。といっても、あまり重くなると無理ですけど」
治癒能力。
他者を癒すこの力は、所持者が極めて少ない能力の一つだ。
高位のものになると、失われた四肢すら復元するといわれている。
魔法で同じことをしようと思えば、大量の魔力と極めて高価な触媒、土地の精霊力の状態など条件が恐ろしく厳しくなる。
下位のものでも、魔法に比べてコストパフォーマンスは極めていい。
「そりゃまた珍しいな。治癒系の能力者とは初めて会ったぜ」
声の調子が変わらないように必死で自制する。
治癒能力者は、かつてその力を狙われ、禄でもない目に合うことがあった。
無論今ではそんなことは無いが、重い能力ではある。
「それと、お前ら月代彩って子知ってるか?」
次の話題、ある意味祐一にとってはこちらが本題、月代彩のこと。
彩と同郷の出身(と思われる)二人ならば、もしかしたら何かを知っているのではないか、という淡い期待があった。
「一応名前は知ってるけど、親しくはないわ」
「わたくしも、お名前は知っていますけれども」
「そうか」
表情を変えることなくうなずく祐一。
まあ予想通りではあった。
あの少女がそうそう足跡を残すはずはないと、半ば確信していたのだから。
「祐一さん、月代さんのことが気になるんですか? まさか、教師と生徒の禁断の愛!? ドラマティックです!」
「あほ、そんなんじゃねえよ。お前も見ただろ? 彼女の動きは、渡された資料とは明らかに矛盾してた。 それが引っかかるんだよ」
「なあんだ、つまんないです」
とんでもない勘違いをする栞を、厳しい口調で制し、黙らせる。
無意識の内に、表情が険しくなっていた。
「その月代さんというのは、そんなにすごい方なんですか?」
「……あるいは俺や秋子さんより強いかもしれない」
佐祐理の問いかけに、目を瞑りながら静かに答える。
そう、あるいはあの少女は自分より強いのかもしれない。
「祐一君よりも!? そんなに強い人がいるんだ」
「もしかしたらだ。それに、俺よりも強いやつがいないなんて思うなよ? 世界は広いんだからな」
驚愕で声を荒げるあゆを、静かに戒める。
そう、自分より強いものなど、世の中には多数いるだろう。
自分の師だけではなく、この半島のどこかにも。
あるいは、見果てぬ外の世界にも。
「……でも、そうそういるとも思えない」
「確かにね。私は相沢君の実力を直接は知らないけど、名雪達から聞いた話だと、かなりのものらしいし」
「へえ〜、そんなに強いんだ。でも、考えてみたらそれくらいじゃないと教師なんて出来ないか」
「本格的に居座ってるな、まあいいけど……しかし、もしかしたら知ってるかもと思ったんだけどなあ。 あ、そうだ、真や鳴風さんはどうだ? 」
コーヒーをすすりつつの望の言葉にやや呆れながらも、自分の知る最後のカザネの出身者、
丘野兄妹と鳴風みなのについて尋ねる。
真やみなもはともかく、人懐こいひなたは期待が持てる。
聞こうと思えば昼食時にも聞けたが、彩が監視しているのに気づいていたので後回しにしたのだ。
「丘野先輩? どうだろ、もしかしたら知ってるかもしれないけど、私には分からないわ」
「今度会ったら聞いてみるか」
一人うなずく祐一。
そんな祐一に、香里が声を掛ける。
「ところで、野外訓練についてはいいのかしら?」
「ああ、そうだったな。まあ、多分資料に書いてはあるだろうが、一応頼む」
「まあ、簡単に言っちゃうと川澄先輩がいったように戦うことなんだけど、他にも地形の特性の勉強をするの。 だから、毎回場所は違うのよ。前回の私たちはさっきいったように、森林地帯で森での行動の注意点を習ったわ」
「そして、佐祐理たちは海辺での行動を勉強したんです」
香里の説明に佐祐理が相槌を打つ。
単純にではあるが、要点は見えてきた。
「なるほどね。となると……次は山岳地帯あたりがきそうだな」
「私達はそうかもね。でも、相沢君がついていくとしたら栞たち一年生とでしょう? 多分平原になると思うけど」
「あ〜、そうか、そうだな。しっかし、野外訓練ねえ……まあ、慣れたもんではあるんだがな」
自分の経験した野外演習を思い出して思わず顔を顰める。
今思い返すと、自分で自分を誉めたい幾分になってくるほどである。
「祐一さんもそういう経験がおありなんですか?」
「ああ、大抵の地形には対応できると思うぜ。実施でしごかれたからな」
「へえ、どんな?」
香里の問いかけに、本気で顔をしかめながらも再び記憶を過去へと遡らせる。
そう、自分が体験したものとは……
「そうだな……(高位)魔獣とかが生息する森林での半月サバイバル…… 装備なしでの雪山登山……(未発掘の)古代遺跡の最深からの脱出……人跡未踏の無人島に身一つで放り出されて……」
「もういいわ、というか、あなたよく生きてたわね」
聞くだけでうんざり、とばかりかぶりを振るいながら言葉を香里が制した。
確かに、普通はそんなことはしない。
というよりも、そんなことをしていれば死人が出てる。
「何度かマジで死にかけたが、なんとか生き残れたよ。おかげで力はついたしな」
「それだけやってたら当然ね」
「まあな。と、話がそれてるな。それで、具体的にはどんなことをするんだ? まさか座学だけじゃないだろ」
「何人かの班に分かれて課題を出されるわ。ちなみに、私達は森の奥にしか咲いていない花を取って来るようにいわれたわ」
「なるほどね。聞く限りだとけっこう面白そうだな。俺たちは生徒の把握が面倒そうだが」
数人単位で行動している生徒を、数で劣る教師陣で把握しなければならないのだ。
かなり難儀なものになるだろう。
使い魔でも持っていれば話は別だろうが、あいにく祐一は持っていない。
「そうだね。聞いた話だと、何年か前には死んじゃった人もいるらしいし」
「え!? あ、あゆさん、それ本当ですか……?」
しばらくは聞きに回っていた栞が、あまりな内容に声を荒げる。
死の、殺される恐怖、それは日常を平穏に生きるものには縁の無いものである。
魔物が闊歩するこの世界にあっても、街に住んでいるならば被害にあうことはほとんど無いのだから。
「う、うん。そう聞いたけど」
「本当よ。もっとも、その年は魔物の異常繁殖があって、予想外に強力なものが出たかららしいけど」
「な、なんだ。脅かさないでくださいよ」
「安心してどうする。あのな、戦う限りは死の危険ってもんは隣り合わせなんだよ。相手を倒す……殺す気で 武器を持っている以上、逆にこっちが殺されたって文句は言えないんだからな」
安堵のため息を漏らす栞だが、祐一の言葉で再び顔を青ざめさせる。
祐一の言っている事は、残酷なようだが事実である。
誰かを力で踏みにじるならば、逆にさらなる強者に己が踏みにじられる覚悟をしなければならない。
それが、力の論理。
人は魔物を殺す、それは魔物が人に害をなす以上避けられないことだ。
しかし、だからといって、それは人が一方的に殺戮を許されているわけではない。
魔物とて、人におとなしく殺されてやる義理など存在しない。
それを自覚せぬまま闇雲に刃を振り回すものは、いずれその代価を命で払うこととなるだろう。
それが戦いにおける絶対の摂理である。
「そ、そんなこと言う人……」
「嫌ってくれてもいいから、それは忘れるな。命を代価としちまうまえに、な」
祐一は静かに、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。
分からせなければならなかった。
理解させることは出来ずとも、それでも言っておかなければならなかった。
「……はい」
「場が暗くなっちまったな、悪い」
栞が神妙な顔で頷くのを確認した後、頬を掻きながら謝罪する。
ここまで言うつもりは無かったのだが、気づけばかなり際どいことを言っていた。
けして間違ったことを言ってはいないが、こんな場所で言うことでもない。
「いいえ、事実だしね」
香里は真顔でそれを許した。
内心彼女は祐一に感謝していた。
栞が、自分の妹がある種の甘さを持っていることは、彼女とて気づいてた。
勿論、栞の年齢でそれを完全に捨て去ることなど難しい。
しかし、このままにしておいては、祐一の言通り命を代価とする可能性もあった。
一度はっきり言っておいたほうがいい、そうは思っていても、自分が栞に甘いことは彼女とて自覚していた。
そういう意味で、香里は祐一に感謝していた。
「でも、そういうこというの聞いてると、本当に先生なんだなって思えるわね」
「そうですわね。同い年とは思えませんわ」
「……言ってろ」
藤宮姉妹の飾り気の無い褒め言葉に、思わずそっぽを向く。
良く見れば分かるが、若干頬が赤くなっている。
やはり褒められることになれていない男である。
「あれ、照れてるの?」
「……うっさい」
不機嫌な顔でつぶやくが、目を合わせようとしていないあたり内心がバレバレである。
それを見た佐祐理や舞も祐一を褒めちぎり、居心地がいいやら悪いやら微妙な状態になってしまった。
結局その後は取り留めの無い会話が続き、1時間ほどで解散となった。
その日の夜、夕食を済ませた祐一は、秋子から手渡された資料に目を通していた。
就業規則などの部分は流し読みし、校則などの部分は一瞥し、現在は年間行事の項目。
話題に上がった野外訓練の部分である。
「……ふむ、俺たちが行くのは南の森林地帯か……まあ、そんなに凶暴な魔物は居ないし、大丈夫だろう」
資料によれば、一年生が今回行くのは、南部の森林地帯らしい。
カノンと異なり温和な気候で、然程凶悪な魔物も生息していない。
祐一からしてみれば、わざわざ演習に行くほどの土地ではないが、実戦経験がほぼ皆無の生徒たちには、まあ分相応だろう
一通り資料を読み終え、一息つこうとしたところ。
「祐一さん、まだ起きていますか?」
ノックとともに秋子の声がドア越しに聞こえてきた。
「秋子さん? ええ、どうぞ」
「失礼しますね」
「いえ……でも、なにかあったんですか?」
今はさほど夜遅くというわけではないが、就寝時間が早いものは既に寝ている時間でもある(名雪は論外)。
そんな時間に秋子が部屋を訪ねてくるとは、祐一には用件が思い当たらなかった。
「今日の評価表のことで、言い忘れたことがあったのを思い出しまして」
「というと?」
「ええ。半月後に野外訓練というものがあるんですが、ご存知ですか?」
「ええ。昼に名雪達ともそのことで話しましたし、ちょうど資料を読んでいたところでしたから」
なんだが今日はこの話題が多いな、と思いつつ頷く。
「そうですか。なら説明は省きますね。それで、その演習中の班分けには、祐一さんに書いてもらう資料も参考になります。 また、祐一さん自身にも意見を求めるかもしれません。そのことを留意して作成してください」
秋子の言葉に、祐一は若干嫌そうな顔をした。
仕事が増えたのだから、まあ致し方ないだろう。
それもなかなか面倒くさい。
集団で行動するなら、そのパーティーのバランスは極めて重要なものとなるからだ。
多種多様な事態に、臨機応変に対応できるようにしなければならない。
「了解です。基本的には前中後衛、攻撃役回復役補助役が揃うようにすればいいですね。 まあ、スカウトがいるのが一番いいんですが、これは少ないですからね」
「確かに、人気は余りありませんが、冒険をする上では欠かせない技能ですね」
スカウトとは盗賊から派生した職種である。
気配察知や隠行などに優れるほか、森林に行く今回にはあまり関係ないが、開錠や罠外しの他、多様な技能を有している。
剣士のように打撃力に優れるでもなく、魔術師のように派手さがあるわけでもなく、地味な職種ではあるが、
いるといないとではかなり違う。
特に古代遺跡の発掘などで重宝されている。
ちなみに、万能と思われがちな祐一だが、この技能は有していない。
ゆえに、鍵が掛かっている扉などは魔法で開けるか物理的に排除するかである。
閑話休題。
「そもそも手先の器用さがいる上に、どちらかといえば地味ですからね。イメージが悪いというのもありますし」
「そうですね」
有益な技能を持つスカウトだが、二人の言の通りもともとが盗賊であるためイメージが悪く、
志すものが少ないのが現状である。
一応アカデミーでもその技能は教えられているが、あまり熱心に学ぼうとするものはいない。
ここ百年ほどの間に、半島全域の遺跡が粗方調査されたため、活躍の場が減っていることも理由のひとつである。
「大体何人くらいに分けるんですか?」
「一班が5、6人ですね。クラス毎に男女混合で編成します」
「それを全員把握しなくちゃいけないんですよね……大変そうですね」
危険がないような場所を選んでいるとはいえ、無論完璧ではないし、逆に完璧なら演習になどならない。
そのため、祐一たち教師は生徒たちに万が一の事態が起きないように監視しなければならない。
しかも、手を抜いて万が一のことがあれば目も当てられないため、常に気を張っている必要がある。
その労力たるや、通常の引率などとは比べ物にならない。
改めてそのことを考えると、祐一は少し頭が痛くなってきた。
「一応私たち実技担当以外の教師もいますし、担当するエリアを決めて、そこだけを把握していればいいので大丈夫かと」
「なるほど……秋子さん、俺の担当エリアを」
「月代さんが通るであろう進路に割り振って欲しい、ですか?」
祐一の言葉をさえぎって秋子が言う。
そう、祐一と秋子にはその問題もあった。
二人は月代彩にはなんらかの目的があって、アカデミーにいると思っている。
ならば、普段とは違う状況に身をおくこの野外演習で、何らかの行動を起こす可能性がないとも言い切れない。
ゆえに、その間彼女から目を離すというこのはあまりいいことではない。
「はい。一番いいのは常に付いて回ることなんでしょうが、さすがにそれは無理でしょうし」
「いえ、そうでもありませんよ」
「というと?」
意外な言葉に、怪訝な顔で祐一が問う。
秋子はそれにすらすらと、まるで答えを用意してあったかのように答えた。
「確かに祐一さんが、というよりも教師一人が月代さんに付きっ切りになる理由はありませんが、 他に付きっきりになる理由を無理なく作り出せる人物はいます」
「……なるほど、一弥とみさお。次期カノン国王第一候補にオネの侯爵令嬢ですか。 確かに如何な実戦形式の演習とはいえ、この二人に何かあったらまずいですからね。 特にみさおは、まず間違いなく浩平が暴走するでしょうし」
ここで祐一にも得心がいった。
アカデミーは各国直轄の機関であり、資金などは国家予算から捻出されている。
それゆえに、政治的な問題からも逃れられない。
祐一の言うとおり、自国の皇太子である一弥、そして盟友たるオネの大貴族の令嬢であるみさお、
この二人はアカデミーにとっても重要な位置にいる。
この二人のいずれかにもしものことがあれば、確実に国家規模の大事になる。
だからこそ、この二人には特別な監視をする必要性がある。
「ですが、あの二人を利用するようなことをしてまで、月代を監視したいわけじゃありません」
しかし、祐一は秋子の提案、つまりは『その二人と月代彩を同じ班とし、監視を強化する』という考えを否定した。
理由は言葉の通り、あの二人をだしにするようなことはしたくなかったからだ。
そもそも、何かをしでかす危険性のある月代彩の側においていたのでは、本末転倒になりかねない。
「祐一さんならそういうと思っていました。ですが、どの道あのお二人に注意しなければならないことには変わりありません。 そして、月代さんにも注意する必要があるということも。 それなら、いっそ月代さんと組ませてしまい、祐一さんの目の届くところに置いていた方が得策かと思います」
だが、秋子は祐一の説得を続ける。
彼女とて、自分の意見が歪んだ側面を伴っていることは、いや、むしろ歪みの方が多いということは自覚している。
元来優しい彼女は、そのことを完全に受け入れられているわけではない。
しかしそれでも、月代彩という少女に感じた予感は、秋子を動かした。
あの時、祐一の死すら与えかねない攻撃を、かけらほどの感情の揺らぎも見せずに静観し、
受けようとした彼女に感じた予感は。
「でも、俺が一弥たちに付けるかどうかはまだ分からないんでしょう? それに、多分月代には怪しまれます」
「それについては御心配なく。一年生に同伴する教師の中では、祐一さんが一番実戦経験が多いですからね。 まず祐一さんが指名されると見ていいでしょう。直接の担当であることも好材料ですね。月代さんについては……」
ここで言葉を切り、祐一の目をしっかりと見据える。
そして一言一句ゆっくりと、しかし明確に言葉をつむぐ。
「既に怪しまれているはずです。祐一さんも、そしておそらくは私も。そして、だからこそ祐一さんなんです」
「……そうですね、ええ、確かに」
大きく息を吐きつつ、祐一は秋子の言を肯定する。
授業での仕合や、なにより屋上の一件で怪しまれていることは明白だった。
そして、秋子の言うとおり、そこには祐一が彼女を監視するメリットがあった。
怪しまれているであろう自分が近くにいることで抑止力となり得るというメリットが。
「分かりました。一弥たちのお守りと月代の監視、お受けします。まあ、何も起こらないのが一番いいんですけどね」
本当になに起こらなければいいのに、と思いつつ、祐一は秋子の提案を受け入れた。
「そうですね。私も誰であれ人を疑うようなことは好きではありませんから」
「ですが、後で何か起こって後悔するよりはマシですからね」
「そうですね」
二人して笑いあい、ことを平穏を願う。
しかし同時に、そこにはなにかあれば全力を持ってそれにあたるという決意もあった。
「では、これで失礼します。明日は祝日です、お体を休めてくださいね」
退室する秋子に頷きながら、祐一は心中で思う。
(これでなにかあったら俺の責任だな。気張らないといけないな……しかし、嫌な予感がするぜ)
この祐一の嫌な予感は、結果としては的中することとなる。
だがそれは、祐一が今思い描いていることとは全く異なる形であることを、今の祐一には知る由もなかった。
後書き
ヒロ:大変お待たせいたしました。第10話でした。
神威:本気でギリギリだな。まあ、今回はかなり多忙であったからよしとしておこう。
ヒロ:ええ、もう本気で。
神威:ところで、三姉妹(ネタバレ?)が出揃ったところで聞くが、ひなたは望たちと同い年、彩より(学年は)一つ上ではなかったか?
ヒロ:ええ、原作ではその通りです。ですがイベント上彩と同い年にする必要があったので、動かしました。
神威:ほう、まあ、考えてみれば倉田一弥も多くのSSで普通に年齢が動かされているしな。
ヒロ:ですね。確か設定上はもっと下でしたし。
神威:あとは、なんだこの『スカウト』というのは? 冒険云々といい、変な影響を受けすぎだ。
ヒロ:ハテ、ナンノコトデショウ……
神威:分かりやすいやつだな。まあいいが、書くなよ? ついでにアカデミーにダンジョンなど造るなよ?
ヒロ:さすがにそれはしませんよ。と、次は祐一君の休日の予定です。
神威:……それはいいが、次はもっと早く書け。
ヒロ:合点承知。では、皆様第11話も、
ヒロ・神威:よろしくお願いします(頼む)。