「やっぱりお前か」
祐一は校内をぶらつくのではなく、まっすぐに屋上を目指した。
先ほど視線を感じた場所である。
皆には気のせいということで納得したように見せたが、祐一は気のせいとは思っていなかった。
だからここに来た。
「相沢先生、ですか」
そして見つけた。
銀の髪と真紅の瞳を持つ少女を。
「何か御用ですか?」
「御用はそっちじゃないのか? さっき、こっちを見ていただろう」
「別に見てませんよ」
感情の起伏のない声で、祐一の疑問を否定する。
しかし、祐一には確信があった。
「嘘だな。俺はこれでも気配察知は得意なんだ。確かに視線を感じた。それも偶然のものではなく、意図したものをな」
「ほんとうに、変わった人ですね」
ニュアンスには笑いがこめられているが、実際には声も顔も笑っていない。
相変わらずの無表情、いや、むしろそう繕った仮面の表情。
祐一にはそう感じられた
永久の螺旋を断ち切る者
第9話
月代彩という少女
「なあ、お前は一体なんなんだ?」
数々の疑問をこめて、祐一が問う。
「あの演習の時のこともそうだ。あの時お前が見せてた動き、あれは尋常な動きじゃあない。自画自賛になるが、あの時の動きは俺にとってもかなり本気だった。現役の戦士だってそうそうかわせやしない。ましてや未だに本当の修羅場、実戦を知らないアカデミーの学徒が、それもそのなかでも中の上の成績の奴では、逆立ちしたってかわすどことか反応すら出来ない」
ここまで言って深く息を吸い、彩の目を見つめる。
彩も祐一を見つめ返し、視線は合わさった。
されど、思いは交わらず、彩の目からは何も読み取ることは出来ない。
祐一は先ほどまでの声よりも深く、そして静かに最初の、核心を突く問を発した。
「お前は一体何者なんだ?」
「なんだと思いますか?」
「聞いているのは俺なんだがな」
言っている内容だけ聞くと、取り留めの無い会話をしているように思えるのに、相手の声に感情が無ければこうも雰囲気が変わってしまう。
そのことと、仮面を崩さぬ彩の様子に思わず祐一は苦笑する。
また、自身の感想に一部変更を加えていた。
最初彩を見たとき、神威に似ていると思ったが、それはある意味では正解であり、またある意味では誤りであった。
本質というか、深い所ではおそらく二人には共通するものがある、それはおそらく間違いは無い。
しかし外に出ている部分はだいぶ違う。
神威はなんだかんだと言いつつも感情、あるいはそこまでいかなくとも漠然とした思いを外に出していた。
そういったものを外に出すことで、逆に核心を深く隠していたのだろう。
しかし彩はそれらを外に出さない、いや、出てきそうなのを押し留めている。
そうすることで全てを隠そうとしている。
それが二人に決定的な違いを与えていた。
この態度が常とは思えないが、この在りようはまっとうなものではない。
こんな生き方を続けていれば、人の心などたやすく磨耗してしまう。
「逆に聞きますが、相沢先生は自分が何者かなんてすぐに答えられるんですか?」
「誤魔化すな。俺が聞きたいのはそんな哲学的なことじゃない」
この期に及んでも核心に触れさせないでいる彩に、祐一はなんだが悲しいものを感じた。
何故だか、仮面の内で泣いている少女が見えた。
放っておけない、そう強く思った。
「どうして……私にかまうんですか?」
しばしの沈黙の後、彩が聞き取れるか分からない程の音量で呟いた。
その顔には変わらず感情は無いが、声は僅かに戸惑っているようにも聞こえる・
そう、彼女は、月代彩は戸惑っていた。
彼女の目の前にいる相沢祐一という少年に。
永い間、彼女にこれほど関わってこようとした者はいなかったのだから。
「さあね、俺にも分からない」
「分からない?」
「ああ。強いて言うならなんとなく、だな」
祐一はそんな彩の戸惑を含んだ問いかけに、なんら明確な回答をもたらさなかった。
いや、ある意味においては明快極まりなく、また全く疑問の余地がない回答ではあるのだが……『なんとなく』という言葉は。
しかし、言われた方にとっては最も腑に落ちない回答であることも間違いない。
「……いい加減な人ですね」
事実彩も祐一に対して非難するような言葉を放った。
「そうか? 人の心なんてそんなもんだと思うぞ。全部が全部理由付けできることだけで済むなんて、全然面白くないじゃないか」
しかし、それが祐一の狙いでもある。
型どおりの言葉を発していては、この少女は揺るがないと確信してたのだ、だからこそ些か普通とは違った反応をすることにしていた。
無論のこと、明快な理由がなく『なんとなく』そうした、というのは紛れもない事実ではあるが。
「その顔は全然信じてないな……じゃあ、教え子を励ますのは教師としての義務だとか言ったら納得するか?」
肩を竦めながら、明らかにからかっていると分かる口調で言う。
「ふざけないでください」
「そうそう、それでいい」
「え?」
再び非難する言葉を放った彩に、祐一はニヤリと笑う。
想定外の反応に唖然とする彩に対し、祐一は表情を変えることなく言葉を続ける。
「今俺の考えに興味を持ったんだろう? それでいいさ。自分から閉じこもっちまっても、いいことなんかないと思うぜ」
「……私がどうであろうと貴方には関係ないでしょう」
微妙に表情を崩しそうになりながらも、それでもなんとか無表情を保ち、冷たく言い放つ。
声の調子も険を増し、聞く者によっては背筋を凍らせるほどになっている。
しかし、もちろん祐一には通じない。
「悪いな、俺はお節介なんでね」
全くこたえていない様子の祐一を一瞥し、彩は身を翻しその場を去ろうとする。
「確かに俺はお前の事情を知らないが、一人で抱え込むのは絶対にいい方向には進まないぞ」
だが、祐一のこの言葉に、ピタリと歩を止め振り返る。
「人に言っても意味のないことだってあります」
言う彩の様子は明らかにこれまでと違っていた。
その声には、今までの彩の声にはなかった要素がこめられていた。
即ち、明確なる悪意。
見れば表情、いや、眼も明らかに違っていた。
「それは認める。だが本当に人に言っても何の意味もない問題なんて、ほとんど存在しない。たとえ直接的には解決に結びつかないとしても、一度でも誰かに聞いてもらうことは、自分の中から吐き出すことは必要だと思うぞ」
その変化に気付いていながら、祐一はまるで用意していたかのように流麗に言葉をつむぐ。
その態度が、さらに彩の感情を波立たせることを見越した上で。
「だからあなたに話せと?」
「そうは言わない。さすがの俺もそこまで傲慢じゃない。その相手はお前が判断することだ。もちろん、俺に話すというなら聞くぞ。言い出したのは俺だからな」
「……遠慮しておきます」
暫しの沈黙の後、それでも彩は祐一を拒絶する。
「そうか」
「それだけですか?」
どことなく拍子抜けしたような声が空気を震わせる。
「ああ。別に強制したいわけじゃないからな。結局はお前が自分から動かないと何の意味もない」
そう、祐一が無理強いしては意味がない。
あくまでも、彩が自分の意思で決断しなければ、意味がない。
祐一に、他人に出来るのはあくまでも背中を押すことのみ。
最後の一歩は、当事者が自身の意思でもって踏み出さなければならない。
彩にはそれだけの強さはきっとある、そう祐一は感じた。
だから、祐一は精一杯のお節介をする
「言いたいことを言って最後はそれですか。勝手ですね」
「言ったと思うが? 俺はお節介だってな」
再び、ニヤリと笑う
内心で、その効果を期待しながら
「ええ、そのようですね……もう行きますよ」
彩は、表目上での平静を保ちながら、しかし内面には大きな揺らぎを生じさせながら、その場を去ろうとする
少しでも早く、目の前の自分を戸惑わせる人間、祐一から逃げ出そうとするかのように
「ああ、最後に一つ。これは純粋に単なる質問なんだが」
「……なんですか?」
しかし、そんな彩を再び祐一が呼び止める。
彩は声に陰をこめつつも、その声に足を止める
だが、本当に嫌ならば、そんなモノは無視すればいい。
しかし、彩は祐一の静止に応じ、会話を続けることを選んだ。
それは、彩の心のうちを表しているのかもしれない。
本人ですら気付いていない、いや、本人は否定したい心のうちを。
「お前、どこであんなに強くなったんだ? 同年代の連中とはかけ離れすぎてるぞ」
「それを言うなら、あなたこそそうでしょう。到底学生レベルではないはずです」
祐一の問に対し、彩は僅かに苦笑しながら言う。
心なしか、先ほどまでより受ける印象が柔らかくなっているように思える。
それはやはり、話の内容が、当たり障りのないものへと変化したからなのか、それとも……
「ま、確かにな……俺の場合は、今までの人生の半分以上修行してたからなあ……師匠が異常だったというのもあるが」
「あなたの師、ですか。あなたを見る限りまともな方ではないようですね」
「俺はあいつほど無茶苦茶じゃあない。それに……むしろお前の方が似ているぞ」
「私が、あなたの師に?」
このとき、彩の表情が大きく変化した。
何をか思い、そしてそれを即座に打ち消したかの様に、瞳が揺れる。
それは祐一からもはっきりと見て取れた。
「ああ、特に雰囲気なんかそっくりだな」
だから、祐一はこの話題を続けることにした。
そうすることで、少しでも彩の内面を知りたかったし、なにより、彼も本当に思っていたからだ。
自身の師たる蒼月神威と、目の前にいる月代彩は、似ている、と。
「……その方の名前は?」
「神威。蒼月神威だ。白銀の長髪と真紅の瞳を持つ、俺の知る限り比類なき実力者」
彩の、どことなく今までとは違った声での問いかけに、祐一は様々な感情を乗せた声で答える。
そして、目を瞑り思い出す。
その姿を。
その絶大と言うべき力を。
そして、祐一に感じられた限りの、その在り様を。
「……知らない名前ですね。似ているといっていましたが、容姿が、の間違いではないですか」
対する彩の反応は、頭を振るった後の拒絶。
未だに目を瞑ったままの祐一には見えなかったが、その表情には僅かな落胆の色があった。
「違うな。まあ、容姿も似てるといえば似てるが……なによりそっくりなのは、なにかを背負っているだろうってことだ」
数秒の逡巡の後、祐一は、おそらくは今までよりも一歩踏み込んだ言葉を発した。
そう、自分の感じた、神威と、そして彩に共通することを。
目は瞑ったままで、重く。
「背負って、いる?」
再び彩の表情が明らかに変化した。
目は見開かれ、口から僅かに声が漏れる。
おそらくは、祐一との会話の中でも、最もはっきりした変化だった。
「ああ。直接聞いた事は無いが、神威は、俺の師は確かになにか目的がある。それは間違いない。今までに会ってきた何かを背負っていた人たちの同じモノを、いや、それ以上のモノをアイツは持っていた。そして……」
祐一はここで一旦言葉を切り、深く息を吸う。
そして、閉じたままだった目をそっと開いた。
「お前から同じようなモノを感じる」
そして、静かにしかし確かに言葉を紡いだ。
「……知った、ような、口を、利かないでください」
彩は、それにまるで泣きそうな表情でこたえた。
その顔は、まるで涙をこらえることものように子供のように、哀しく歪んでいた。
「……そうだな、引き止めて悪かった」
祐一は、そんな彩に言葉を続けることが出来なかった。
言いたいことは、まだまだある。
まだ、彼女のことは全くといっていいほど分かっていない。
しかし、これ以上問い詰めることは、祐一には出来ない。
目の前の、今にも泣き出しそうな、一人の少女を、これ以上苦しめることは、できない。
彩は今度こそその場を去り、後にはなんとも言えない表情をした祐一だけが残された。
「先は長い、か……あれ? なんで俺はそんな風に考えてるんだ?」
彩と別れた祐一は一旦職員室へと戻った。
そこで椅子に座りながら出た言葉がこれである。
完全に無意識に発した言葉であり、祐一自身にもなんでそんな言葉が出てきたのかは分かっていない。
「ま、いいか」
「なにがですか?」
「いえ、こっちの話です。で、どうかしましたか?」
思考を断ち切り、話しかけてきた秋子へと向き直る。
そして、その顔が思いのほか真剣なのに少し驚いた。
「ええ」
短く言葉を切り、あたりを見回し、さらに小声で呟く。
「月代彩さんの件で」
刹那、祐一の顔も真剣みを増した。
ほんの少し前まで会っていた相手であり、また考えていた相手でもあるので当然である。
「もうですか? 随分と早いですね」
しかし、祐一の言うとおり秋子の動きはあまりに早い。
祐一の授業の後すぐに調査を依頼したとしても、時間にすると数時間足らず。
たしかに、主要国家間が魔力を用いた遠距離通信設備で結ばれつつはあるが、それでもまだまだ不安定である。
それを踏まえると、今回のスピードは異常の部類に入るといえるだろう。
「ええ。無理を言って急いでもらいましたから」
「なるほど。で、どうでした?」
しかし、驚くべきことを為した秋子は、平然と常の笑みを浮かべてくる。
それを見て、祐一も深く追求するのを止めた。
情報が早く手に入ったならば文句はないし、なにより秋子に聞くことがなんとなく躊躇われたのだ。
「表面上はなんの問題もありません……ですが」
だが、秋子の笑みはすぐに消え去り、再び真剣味を増した。
祐一もそれに合わせて表情を引き締める。
「やっぱりなにかありましたか?」
「断言できるほどのことではありませんが……月代さんは確かにカザネに『いた』ことにはなっています。でも、それを示す証拠が存在しないんです」
聞き様によっては不可解な、矛盾を含んでいるようにも聞こえる秋子の言葉を、祐一は正確に理解した。
「というとつまり、知り合い……いや、実際に話したことのあるヤツがいないということですか?」
「はい。確かに向こうの教育機関に名前はありました。そして彼女がいたということも覚えている人もいます。ですが、どういう場面でどういうことをしていたか、ということを覚えている人はいませんでした」
「……秋子さんはどう考えますか?」
どう考えても普通ではない事態に、祐一は暫し目を瞑り、己も思考しながら秋子に問う。
「似たようなことを出来るのは暗示ということになるんでしょうが……」
暗示とはいうまでもなく相手の精神を操作する術のことである。
私達の世界でもあるような科学的な方法と、魔法を使った方法の二つに大別される。
科学的な方はさておき、魔法の場合は相手に刻印を刻んで施術することになる。
祐一が今朝名雪を起こすために使った、相手に悪夢を見せる術も、大別すればその類だ。
しかし、刻印の魔力は何かしらの仕掛けを施していなければ徐々に薄れ、最後には消滅してしまう。
そのため、定期的に魔力を補充しなければならないという欠点がある。
また施術者の魔力が対象に残留してしまうため、比較的発見しやすい。
なら科学的な方法の方がいいのかというとそうでもなく、こちらは発見されにくいが魔法で簡単に解除されてしまうのだ。
「ええ、規模が大きすぎます。都市一つをカバーする暗示なんて聞いたことありません。『神器』級の遺物や古代魔法を使えば可能かもしれませんが、そんなものがホイホイと出てくるわけはないですし……そもそも理由が分からない」
それに、どちらにして対多人数に向いてはいない。
また仮に出来たとしても、そんな人数が暗示にかかっていれば絶対に誰かが気付くはずである。
……普通ならば。
「その通りですね。そんなことをしてまで『アカデミー』に潜り込んで、彼女がなにをしたいのかが分かりません」
「今までは目立たない生徒だったんですよね?」
「ええ……今思うとあまりに目立たな過ぎていたような気もしますが」
目を細めながら、過去を振り返るように呟く秋子。
秋子と祐一の想像通りなら、月代彩は少なくともカザネからアカデミーに来た当初から、実に数ヶ月の間皆を欺いていたということになる。
アカデミーで教鞭を取っている者達は、確かに性質上現役第一線で活動している者などは少ないが、決して無能ではない。
その彼らを容易く欺くなど、半端なことではないし、なんの理由もなくするようなことでもない。
だが、今の祐一達にはその理由が分からない。
「何かを待っている、というのは考えられませんか?」
暫し考え、呟くように自分の考えを言う祐一。
確信あってのことではないので、半分秋子に問いかけるような口調である。
「待っている……つまり、彼女は何かしらの目的があって『アカデミー』に来ていて、今は行動を起こす時期ではないということですか?」
しかし、秋子は得心がいった、とばかりに頷いた。
どうやら、その可能性は考えずに、彼女の目的をひたすら考えていたらしい。
「ま、想像にすぎませんけどね」
「そうですね。今考えても答えは出ないでしょうね」
肩を竦めて言う祐一に頷き返す秋子。
そしてそろって頷き、さらにアイコンタクトを使って、この話は今はここまでに、という意思疎通を交わす。
「そういえば彼女のこと、他の先生たちには?」
「いえ、誰にも話していません。軽々しく話せることではない様に思えましたので」
「そうですか」
事の裏に潜む危険性を考えると、即座にアカデミー上層部、あるいは王宮に報告をするべきなのかもしれないが、何故か二人はそれをしなかった。
しようという気にならなかった。
この判断は、後に彼等、特に祐一にとって大きな影響を及ぼすこととなる。
「あ、そうそう。祐一さん、放課後は予定を空けておいてくださいね」
「なんかあるんですか?」
深く息を吐き、全身の緊張を解く祐一に、秋子が声をかける。
彼女の声も先ほどまでとは違い、完全に常の暖かみを帯びている。
そのことに僅かな驚嘆を覚えつつも、気楽な様子でかえす。
「いえ、さっき名雪に会いまして、放課後祐一さんと出かけたいそうです。あゆちゃんや舞さんたちも一緒に」
「了解です」
内容に、より正確に言えばそれによって引き起こるであろうことに、祐一は苦笑する。
そして思う、月代彩がなにを考えているのかは知らないが、この日常を壊すようなことは絶対に許さない、と。
それは、家族を失ったあの時から祐一の心に強く根付いた想い、祐一が力を求め、得た答え。
それを再確認し、祐一は一度外の空気を吸うために外へ出た。
その想いとは別の、未だ形づかぬ感情が自分の心に育っていることに気付かないまま。
「さて、とりあえず今日はこのくらいにしておくか……名雪たちが待ってるらしいしな」
一通りの雑務……とはいっても、実技担当である祐一の仕事は少なめだが……を終わらせた祐一は、誰にともなく呟いた。
時計を見てみれば、生徒達の授業が終わる予定の時間から15分ほど経っている。
教師が仕事を終える時間としては早い部類だが、そもそも祐一はそれほど仕事を抱えてはいないので、問題はないだろう。
大体にして、仕事である生徒達との仕合で得られたことのレポートを書きながらも、彩ことが頭から離れなかったのだ。
仕事に集中しようとしても、どうしても彩との会話や秋子から得られた情報のことが浮かんできて、度々手を完全に止めてしまった。
このままいたところで、どうせ能率のよい仕事など出来そうにはなかった。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
職員室を出る前に一礼し、扉を開けて外に出る。
するとそこには。
「あ、祐一!」
従姉妹の顔があった。
「名雪? 待っててくれたのか?」
「うん。皆もう校門で待ってるよ」
相も変わらずの陰のない笑顔である。
祐一としても、名雪の笑顔は嫌いではない。
特に今日は、彩のことで些か気分が暗くなっていたので、それを吹き飛ばしてくれるような感じを受けた。
「ちなみに、どんな面子だ?」
「えーっとね……あゆちゃんに香里、舞さんに佐祐理さんと栞ちゃんだよ」
「また女所帯な……一弥か浩平、それか真呼んでいいか?」
昼食事に続いての女所帯に、顔を顰めながら提案する。
巻き込まれる形となる彼らにとってはいい迷惑だろうが、祐一としても女数人の中で男一人は嫌だった。
一弥以外の者には、恐らくは各々の相方がセットでついて来るだろうが、それでも比率は変わる。
「残念、三人とも用事があるんだって」
しかし、祐一の提案はにべもなく却下された。
名雪が知っているということは既に誘ったということで、今更祐一が何を言っても彼らは来ないだろう。
本当に用事があったのか、はたまた逃げたのかは分からないが、どちらにしても祐一にとっては嫌な展開だった。
「……逃げたな、特に一弥……今度の授業は覚えてろよ」
思わず、教師としてあるまじき、そして当の一弥が聞いたら盛大に顔を引きつらせているであろうことを呟く。
ちなみに、場所は職員室の前のドアから動いていない。
秋子以外の教師に聞かれれば問題になりそうな発言であるが、幸か不幸か誰も聞いていなかった。
言った当人の祐一と、名雪を除いては。
「わっ、職権乱用はダメだよ〜」
唯一その笑えない呟きを聞いた名雪は、彼女としては盛大に講義した。
ただし、悲しいことに他人からみればおっとりしているという感じは否めない。
もっとも、それは彼女の動作の大半にいえることではあるが。
「大丈夫だ……ちょっときつくするだけだから、あいつらじゃあ誰も違いに気付かない」
(月代以外はな)
声には出さず、心中で呟く。
そして再び思考は月代彩に戻る。
そういえば、結局彼女はどれ程の実力を秘めているのだろうか?
少なくとも、かなりのスピードに対応するだけの目と反射神経は、間違いなく備わっている。
そもそも、あの体系からしてパワーファイトが得意とは思えない、高速戦闘型であることはほぼ決定だろう。
そして、得物は何か?
祐一のと試合では、結局一度も振りはしなかったが、彼女は刀を持っていた。
それは彼女の本来の得物なのだろうか?
ならば、高速戦闘型という予測とも合致する。
身体能力は魔力で補正できるが、それでも自分のスタイルに合った武器を選ぶのは必定だ。
そして、重量で叩き潰すことを目的とした大型の両手剣とは異なり、あの形状の刃は速さで切ることができる。
しかし、わざわざ柄と鞘を白木で拵えたわけとは何か?
軽くはなるだろうが、脆さからして実用的ではない、なにか他に理由があるはずだ。
それに、武器はまあそれでいいとしても、果たして彼女は魔法を使うのだろうか?
使うだろう、あのレベルの実力者が、武術のみとは考えづらい。
ならば、一体如何なる系統を得意とするのか?
……分からない、知らないことが多すぎる。
「そういう問題じゃないと思うけど」
名雪の声も祐一の耳には入らなかった。
いや、耳には入っても、その意味を理解することが出来ずに、単なる雑音としてしか捉えていない、というべきか。
「祐一……祐一、聞いてる?」
「ん? ああ、聞いてるぜ。んなことより、皆待ってるんだろ? 速く行こうぜ」
再度の名雪の呼びかけに、祐一の思考は中断させられる。
思いもかけず深くなっていた思案から呼び覚まされ、一瞬ではあるが目が見開く。
それを誤魔化すように、名雪の先をいき、ニヤリと笑いながら足を速める。
「あっ、待ってよ〜」
名雪の声を後ろから聞きながら、それでも彼女の元へ行こうとする思考を、ここに留めながら。
「祐一さん、遅いですよ」
名雪の言の通り、校門前では既に見知った面子、あゆ、香里、栞の三人、が揃っていた。
その中の一人、祐一の生徒でもある美坂栞が、(本人としては)盛大に抗議する。
「そういうな、そっちと違っていろいろあるんだ」
「遅れたお詫びに祐一さんの奢りですよ」
「美坂栞君、実技赤点決定……っと」
何も持っていないにもかかわらず、まるで何かに書き記すような仕草と共に、祐一は再び教師としてあるまじき言葉を放った。
無論こと、先の一弥への発言と共に冗談ではあるが、はっきりいって笑えない。
相沢祐一、実力はともかく、いささか人格面には難ありである。
「そ、そんなこと言う人嫌いです!」
案の定、言われた栞は、先ほどの抗議など比較にならない勢いで食って掛かってきた。
それはもう、見ていて微笑ましいくらいに必死で、もう一押しあれば間違いなく祐一に掴みかかっていただろう。
「相沢君、それはひどいんじゃあないの?」
「安心しろ、冗談だ」
さすがに妹のフォローに回った香里に対し、肩を竦めて。
「だって、今更決めなくてもどうせ栞は及第点には程遠いからな」
火に油を注ぐ言葉を発した。
「ううぅ、そんなこと言う人、だい、だい、だいっ嫌いです!!」
ただでさえ怒っていたところに、さらにそれを煽られ、栞はもう完全に怒り心頭である。
そのうえ。
「……なるほど、確かにそうだったわね」
実の姉はといえば、先ほどのようにフォローには入らず、腕を組んで唸っている。
言葉の通り、顔には『それは盲点だった』とでも書いていそうである。
「お姉ちゃん!?」
「わ〜、香里が酷いこといってるよ」
あまりといえばあまりの行動に、栞ばかりでなく名雪までもが驚いた。
栞は最後の味方を失った、とでも言いたそうな表情であり、名雪も珍しいことに本気で驚いている。
「そう言われてもね、事実だし」
しかし、香里は浴びせられる非難の視線を何処吹く風と無視している。
なかなかいい神経をしている。
「ううぅ〜〜!!」
「はいはい、拗ねない拗ねない。大丈夫だって、秋子さんからもお前の場合は虚弱体質を考慮しろって言われてるから、真面目にしてりゃ赤点ははつけないよ」
姉妹喧嘩に発展しそうな勢いの栞を、パンパン、と手を叩きながら宥める。
しかしながら、ことの発端はこの男である。
それを完全になかったことにして締めにかかっているのは、やはり性格に難ありだ。
まあ、とりあえず栞に対して安心材料を提供しているだけいいか。
「あ、そうなんですか?」
「ああ。最も赤点でないだけだがな」
と思ったのは一瞬、やはりこいつは人をからかうのが好きなようだ。
「ううぅ〜〜!!」
「唸るなっての。大体実技が嫌なら、総合教育の『アカデミー』じゃなくて教会かどっかで神官の修行をしろよ。あそなら暴力沙汰はご法度だろうが」
これは正論である。
栞は戦闘技能には殆ど興味がなく、その熱意は治癒系の技術に向いている。
ならば祐一の言うとおり、どこかの教会、あるいは神殿で修行をした方が、よほど治癒系魔法の力がつくだろう。
「だって……」
「だって?」
しかし、栞はその言葉に、意外なほどに深刻な表情で答えた。
「その代わり嗜好品もダメじゃないですか。バニラアイスが食べられないなんて、生きてる意味がありません」
聞いていた全員を、完璧に呆れさせる言葉でもって。
「……どこから突っ込めばいいのか分からんが、このクソ寒い国でアイスを食うのか、お前は」
前述したが、この国は水と、そして氷の精霊の影響力が強く万年雪だ。
その汚れなき純白の雪景色は風光明媚で知られ、他国からの観光客も多い。
が、むろんの事ながら平均気温は一年を通じて低い、はっきり言って氷点下前後を行ったり来たりしている。
公共施設などでは、火の精霊の力を意識的に高めたりしていて適温だが、精霊の影響力への干渉技術(刻印魔法の応用)は高度な技術を必要とし、またその中でも火の精霊への干渉は加減が難しいため(下手をすれば火事)、一般家庭には広まっていない。
そんな状況下でアイスクリームを好むものは、一般的に殆どいないといっていい。
「もちろんです!」
祐一の、ほぼ百パーセント呆れという感情のみがこもった言葉に、栞は、それはもう力強く頷いた。
両手を胸の前で握り締めて、心なしか鼻息も荒い。
「……香里?」
「言っても無駄よ。名雪の苺と同じ」
「あれと同レベルかよ」
吐き捨てるように大きく息を吐く。
心なしか、というか間違いなく両肩から力が抜ける。
「そういや、舞と佐祐理さんは?」
雰囲気を変えるために、話題を変える。
「先に行って、席を取ってもらってるの」
「なるほどね。じゃあ行くか……おいあゆ、お前いつまで固まってんだよ」
「うぐぅ」
月宮あゆ、一度も発言がなかったがそれもそのはず、彼女は、祐一の『赤点決定』発言からずっと、固まったままだったのである。
そんな感じの、取り留めのない会話をしながら、一行は百花屋へとついた。
後書き
ヒロ:あははははっ。
神威:なにをとち狂っているか、お前は。
ヒロ:いえ、今更ながらに自分の文才のなさに嫌気が差しまして。
神威:ああ、それは本当に今更だな。
ヒロ:ううぅ……
神威:そもそも、なんだ今回の話、ところどころ文体が違うぞ?
ヒロ:それは当然です、この話、書き上げるのに数ヶ月掛かってるんですからね。
神威:この話に何故それだけ掛かる?
ヒロ:正確に言えば、書き始めてからすぐ後に、忙しくなって長らく執筆できなかったんです。
神威:で?
ヒロ:そして、つい最近になって再開した結果、それまでに読んだ小説の影響を受けまくったのです。
神威:あのなあ……
ヒロ:あははっ、しかし、長かった。
神威:この調子では、完結させるのにどれだけかかるやら。
ヒロ:ううぅ……目標は今年中ですが……
神威:先は長いな。
ヒロ:ですが、精一杯頑張りますので、皆様どうか、第10話も、
ヒロ・神威:よろしくお願いします(頼む)。