「そういえば」
「あん?」
だから、祐一は少々強引に話しを変えることにした。
「いや、自己紹介をしてなかったのを思い出してな」
微笑みながら自己紹介をする。
「相沢祐一だ。秋子さんの甥で、お前達と同い年だが教師をしている。別に敬語はいらないから、好きに呼んでくれ」
瑞佳もそれに続く。
「私もそういえばちゃんとした自己紹介はしてなかったよ。長森瑞佳です。よろしくね、相沢君」
「ほら、浩平」
瑞佳がこの中で唯一自己紹介をしていない浩平を促す。
浩平はそれに苦笑しつつも。
「へいへい。折原浩平だ。ま、よろしくな」
いいながら手を差し出した。
祐一もその手を握り返す。
「おう」
今の彼らには知る由もないが、これが後に無二の親友と言っていい関係になる彼らの始めての邂逅だった。
永久の螺旋を断ち切る者
第7話
折原浩平と蒼月神威
それから十数分後。
「ん?」
「どうした、浩平?」
すっかり四人は仲良くなっていた。
特に祐一と浩平は、不思議と馬が合うのかかなり遠慮なく話している。
「いや、その剣なんだがな」
「剣って、これのことか?」
浩平が祐一の腰にぶら下げられている剣、天魔剣を指差す。
それを受けて、祐一はベルトから剣をはずして浩平によく見えるようにした
「ああ。なんか見たことあるような気がるすんだよ」
腕を組み、眉間に皺を寄せる浩平。
どうやら記憶をたどり思い出そうとしているようだ。
「どこだっけかなあ。ちょっと貸してくれねえか?」
「ああ、ほれ」
祐一は浩平に天魔剣を手渡した。。
浩平はまず鞘を見て、そして刀身を抜いてしげしげと眺めた。
「う〜ん」
それでも思い出せないらしく、うんうん唸っている。
どうやら思い出せるにしてもそれなりに時間がかかりそうだ。
「しかし、折原が病気だったとはな。もうすっかりいいいのか?」
浩平は当面放っておくことにした祐一がみさおに話しかける。
内容にデリカシーがないと言うなかれ、これでも祐一は闘い方を教える教師なのだ。
もしも体調面で未だに問題があるようならば把握しておかねばならない。
仕合の最中にいきなり倒れました、なんてことになっては目も当てられない事態になるかもしれない。
秋子に渡された資料にはそのような記述はなかったが、本人の口から聞いておくにこしたことはない。
はい。お兄ちゃんのおかげで」
だが、みさおの答えは祐一の想定外のものであった。
もうすっかりいい、と言う答えはともかく、浩平のおかげと言うのはどういうことなのだろうか。
「浩平のおかげ?」
「はい。ね、お兄ちゃん」
訝しげに問う祐一に、みさおはいたって簡単に頷いた。
どうやら、彼女の言うとおり、病気の完治には何かしらの形で浩平が関わっていたと言うことは確かなようだ。
そして、話しかけられた浩平はといえば。
「…………」
完全に沈黙している。
無視、と言うわけではなく、どうやら聞こえていないようだ。
どうやらまだ天魔剣をどこで見たのかを思い出そうとしているらしく、顔に浮かんだ皺がいよいよ濃くなっている。
「お兄ちゃんってば!」
「ん?なんだ?」
みさおが声を張り上げたことで、ようやく呼ばれたことに気付いたように顔を上げる。
「もう、なんだじゃないよ。私の病気が治ったのはお兄ちゃんのおかげだって話してたの」
「いや、アレは俺のおかげと言うよりも……そうだ!」
若干頬を膨らませながら兄に話しかけるみさおの姿は、傍から見ていた祐一からしても微笑ましいものだった。
しかし、みさおの抗議を受けた浩平は、突然何かを思い出したかのように両手をポンと合わせて快哉を叫んだ。
その後、うんうんと一人で納得している。
「「「は?」」」
当然の事ながら事態の分からない祐一達は、それって頭の上にクエスチョンマークをのせて顔を見合わせるのであった。
「思い出したぞ。この剣は、確かあいつが持ってたヤツだ」
祐一達を見かねて、というわけではなく、おそらくは自分に言い聞かせるような言葉、それだけではみさおと瑞佳には事態は飲み込めない。
しかし、祐一には浩平の言う『あいつ』の正体に見当がついた。
祐一の前に天魔剣を所持していた男。
それは祐一の育ての親であり、剣と魔法の師匠であり、そして祐一の知る限りでは、並ぶ者どころか続く者すらいないほどまでに圧倒的な実力を持つ男。
蒼月神威。
「あいつって、まさかとは思うが銀の長髪で紅い瞳の男か?」
祐一はその心中では、浩平の言っている『あいつ』がまず間違いなく神威であると言うことを確信しているが、一応の確認のために神威の外見上の特徴を言う。
「ああ。知ってんのか?」
浩平の返事は、祐一の言を肯定した。
祐一と『あいつ』―――神威が知り合いであるということにはかなり驚いた様子で、眼を大きく見開いている。
「ああ。俺の師匠で、それもあいつから貰ったんだ」
「ほう」
浩平がなにやら思案するように眼を瞑った。
こういうときの表情は真剣そのものであり、先ほどまでの、体が不真面目でできているような印象とは全く異なっている。
「どうしてお前が神威を、ああ、そいつ名前を蒼月神威っていうんだが、知ってるんだ?」
今度は祐一が浩平に問うた。
みさおの病気が治ったのは5年前、浩平と神威が出会ったのもほぼ同時期と見て間違いない。
そして、無論のこと5年前と言えば、祐一が神威の元で修練を積んでいた真っ最中である。
その間、祐一と神威はほぼ毎日侵食を共にしていたので、神威の元に誰かが訪ねてきたのであれば、必然的に祐一にも会うことになる。
だが、祐一の記憶では、少なくとも祐一と神威が一緒にいたときには誰も訪ねてなど来ていない。
となれば、いつ浩平が神威と会ったのかは、祐一としても気になるところだ。
そして、どの様に折原浩平に関わったのかも。
なにせ、数年間一緒に暮らしていた祐一ですら、蒼月神威と言う男は全く掴みきれていないのだ。
自分の知らない神威を知る機会に、祐一の目に僅かな好奇心が宿った。
「ああ、それはみさおの病気とも関わってくるんだがな」
浩平は静かに己と神威との事を話しだした。
時は現在よりおおよそ5年程さかのぼる。
その当時折原みさおは生まれつきのものであった病が悪化し、命の危機に晒されていた。
無論のこと、折原家の者達も手をこまねいていたわけではない。
国内のみならず、近隣諸国に存在する多くの名医や治癒魔法使いに治療を依頼してきた。
にもかかわらず、みさおは回復しないどころか、病の原因すら解明することが出来なかったのだ。
そしてとある日、それまでは辛うじて意識を保っていたみさおが、ついに意識を失った。
折原家の者達は、皆幼い少女の末を思い嘆いた。
みさおの兄である浩平もまたその一人であった。
だが、浩平はみさおが意識を失った次の日に、とある噂を耳にしたのだ。
『オネの北東、半島を遮断している山脈に程近い密林に一人の魔術師が隠れ住んでいて、その男はエリクサーを練成することが出来る』と言う噂を。
普通に考えれば根も葉もない噂である、真に受けるものなどいるはずはずがない。
実際にこの噂も都市伝説の類であり、信憑性どころか、根拠となるような事象すら存在しなかった。
しかし、浩平はその噂に賭けた。
いや、賭けたというよりも、何もせずにはいられなかったと言った方が正しいだろう。
ともかく、浩平は噂の魔術師に会うために折原の屋敷を一人で出て、北東の密林へと向かった。
このとき、折原浩平は12歳になったばかり、同年代の者達の中では上位であったがその実力はまだまだ頭に殻を乗せたひよこに等しく、人の手が殆ど入っておらず、天然の罠と魔物の待ち受ける密林を一人で探索するなどということは、自殺行為以外の何でもなかった。
そして案の定、浩平は魔物の牙に倒れ、重傷を負い地にひれ伏すこととなった。
既に傷を癒す魔法を使う魔力はなく、いやそれでころか立ち上がることすら出来ない。
朦朧とする意識の中、浩平は何かの足音を聞いたような気がした。
そして浩平の意識は闇に閉ざされた。
「……う」
次に浩平の意識が戻った時、最初に目に映ったのはどこかの天上だった。
薄暗い明かりに照らされている白い、おそらくは布でできた天井。
眼を数回瞬かせて、意識がはっきりしてきたところで起きようとすると。
「気がついたか」
すぐ隣から声をかけられた。
姿はあまりよく見えないが、声から察するに男だ。
「こ、こは?」
浩平は、男にここが何処かを問おうとしたが、疲労のためか舌がうまく回らず、つまった言葉になった。
「さてな、この地の名など知らぬな。まあ、とりあえず、お前は助かったとだけ言っておこう」
「助かっ、た?」
淡々と話す男の声を聞きながら、浩平は急速に眠気を覚えていた。
話すどころか、眼を開けていることすら辛くなってきている。
「ああ。お前の傷は俺が癒した。しかし魔法では失った血を補うことはできぬから、暫くは体に不自由が残るだろうが、それも数日のことだ」
「あん、た、は?」
朦朧とする意識の中で、浩平は男に問う。
しかし、その問いに対する答えは得られず。
「無理に喋らず今は眠れ。お前の体は安息を必要としている」
浩平の意識は深い眠りに落ちた。
浩平が次に目覚めた時、周りには誰もいなかった。
とりあえず、体調も完全に回復したようで、体を動かすことに何の支障もない。
問題といえば腹が減っているということだけだが、これはどうしようもない。
起き上がって辺りを見回した浩平は、自分が寝ていたところがテントの中であることを知った。
さして広くなく、物も余り置かれていない質素な内装。
その中を、布を通り越して太陽の光が照らしている。
浩平は取りあえず外に出て、早速自分を助けたであろう男を見つけた。
銀の長い髪を風になびかせ、真紅の色を讃える瞳を細めている男を。
「起きたか」
「ああ」
男は振り向くことなく浩平に声をかけた。
浩平もそれに応じる。
男は立ち上がり、浩平の方へ振り向いた。
真紅の瞳が浩平を見据える。
「もうすっかりいいようだな」
「おかげさまで」
「ふむ。まさか一日で快復するとはな、いや、若さは力だな」
特に感情のこもっていない声で淡々と話す男。
浩平は、なんだかこの男が普通の人間でないように感じた。
いや、こんな密林にいる時点で既に普通ではないのだが、そういう意味ではなく、『在り方』が違うように感じた。
そして、この男が噂の魔術師ではないかと思った。
「ぶしつけで悪いけど、一つ聞きたい事があるんだ」
「なんだ? 帰り道なら、近くの集落くらいまでなら送っていくぞ」
「そうじゃあない」
ここで男がようやく浩平の方に振り向いた。
浩平の、子供の無垢な瞳と、男の紅い瞳が交わる。
浩平は、その瞳に魅了されたように呆けた。
「では、なんだ?」
だから、一呼吸の後に放たれたこの言葉に反応することができなかった。
「どうした?」
ここでようやく浩平の意識が平常に戻った。
意識をよりはっきりさせるために頭を左右に振る。
この間も、男は浩平を見つめている。
「あんたがエリクサーを練成できるっていう魔術師なのか?」
「なんだ、それは?」
落ち着いた浩平の疑問に、男は疑問で返した。
この時点で、男が噂の魔術師である可能性はかなり低くなったが、浩平は気付かない。
いや、気付きたくないが故に無視した。
だから浩平は男に噂の事を話した。
一途の望を込めて。
だが、男は浩平の言葉を今度は完全に否定した。
「残念ながら俺ではないな。そもそも、俺がこの森にいたのは偶然だ。所用で一時的に滞在していただけで、数日もすればここからは去る。ついでに言っておくと、お前には悪いがこの森にはそんな魔術師の気配はないな」
「そう……か」
浩平の顔が、苦虫をまとめて十匹噛み潰したかのように歪む。
今浩平は心の中で泣いていた。
もう時間がない、浩平が折原家を出てから、もう半月ほどたっている。
今からすぐに帰らなければ、みさおが生きているうちに家に戻れないかも知れない、そんな時期なのだ。
目の前の男が浩平の捜し求めていた男でないのなら、もうみさおは助からない。
「だが」
「え?」
絶望に打ちひしがれていた浩平を、男の声が呼び戻す。
その声には、多分に『おもしろい』という感情が含まれているように聞こえた。
「人の噂とはなかなか怖いものだな」
事実男の顔は笑っていた。
どちらかと言えば苦笑の部類だが、これまで無表情を貫いていた男が笑っていることに、浩平はいささか驚いた。
「どういうことだ?」
「ほれ」
男は浩平に手の平に納まるサイズの小瓶を示した。
中には何かしらの液体が入っているようで、光を反射して淡く輝いている。
「これがエリクサーだ」
「な!? だって、あんた」
男の声に、浩平がほとんど悲鳴に近い声をあげる。
心中にあるのは、怒り。
この男は自分をだまして笑っていたのか、と。
「勘違いするな。これは俺が以前手に入れたものだ。俺が練成したわけではない」
淡々と言う男、自分はお前をだましたわけではない、と。
だが、浩平にとってはどうでもいい。
目の前の男が練成したのであろうとそうでなかろうと、目の前にエリクサーがあるのなら関係ない。
自分の目の前に、最愛の妹を、みさおを救える手段があるのだ。
どうして平静でいられようか。
「どうだっていい! 頼む、それを譲ってくれ」
浩平は男に掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。
「さて、どうしたものかな」
男は、淡々と何の感情もこもっていない声に戻って言う。
手ではエリクサーの入った小瓶をもてあそんでいる。
それ一つで一生どころか、七生かけて遊びとおしても揺るがないほどの大金を得られるだけの秘宝だというのに、それが入った小瓶を、まるで中身がただの水であるかのように、指先で回し、もてあそんでいる。
「頼む! 金が欲しいなら、俺の家に言ってくれればあんたの望む金額を用意する。だから、頼む!」
浩平は必死の形相で叫ぶ。
その眼はあくまでも純真な子供の眼、だから言うこともそんなことだ。
お金を払えば、代価を払えばきっと譲ってくれる、と。
「別に金など要らぬよ」
だが、生憎とこの男はそんなものには興味はなかった。
この時の浩平は知らぬことだが、この男は何年も人界との接触を断っているのだ、今更そんなものに興味を示すはずもない。
「頼むよ、妹が死にそうなんだよ」
「ふむ」
それでも必死に頼み込む浩平を、文字通り眺めていた男は、ふと頷くと、虚空より、何もなかったはずの虚空から一振りの剣を取り出した。
その剣を、この時より未来の祐一が見れば、こうその名を言うであろう。
『天魔剣』、と。
「小僧。この剣を持ってみろ」
男は……もう『男』などと言う必要もあるまい、神威は天魔剣を浩平の方に向けて、そう告げた。
その眼に感情の色は……ない。
「え?」
突然のことに、浩平は眼を見開いた。
分からなかった。
自分は今、エリクサーを譲って欲しいと頼んでいるのに、どうしてこんな剣を持たなければならないのだろうか?
その剣をもって、戦って、勝てば譲るということなんだろうか?
そうだとしたら、みさおのためとはいえ、俺に人を殺すことができるんだろうか?
分からない、分からない、分からない。
浩平の心の中は、疑問符で満たされていった。
徐々に混乱していく意識、しかし、神威の次の言葉で、浩平の意識は一気に高まった。
「この剣を扱えたなら、エリクサーをやらんこともない」
「本当だな!?」
絶叫というに相応しい、いや、そうとしか呼ばないであろう程の音量でもって神威に問う。
その表情も、まさに鬼のようであった。
「そんなタチの悪い嘘は言わんよ」
だが、神威はそんな浩平の様子にも、全くなにも感じていないかのように、剣を、天魔剣を浩平へと促す。
「ようし」
浩平は、それを手に取り、そして抜刀した。
シンプルな、それでいて美しい、吸い込まれるかのような刀身が眼に映る。
ただ、それだけで別に何も起こらない。
「これでいいのか?」
「まだだ。それでは持っただけだ。魔力を剣に込めてみろ」
「ああ」
言われるままに魔力を剣に流し始めた刹那。
「なっ!? がああああああああああっ!!?」
突如、そう正に突如、天魔剣から膨大な量の魔力が生じた。
魔力は紅と蒼の閃光となり、同色の稲妻となり、手を通じて浩平の体に流れ込む。
その魔力量は浩平が制御できる量を、否、浩平の体が耐えられる限界を完全に凌駕していた。
尋常ではない魔力の奔流が体中を駆け巡り、浩平を蹂躙する。
あまりの痛みに絶叫をあげる浩平の体は、いたるところから血が噴出し、魔力が吹き出していた。
「はっ!」
神威はそれを見て、表情の上では慌てることなく、しかし動きは恐ろしく早く、浩平の手首に手刀を打ち込んだ。
「がっ!」
うめき声と共に浩平の手から天魔剣が滑り落ちる。
地面に落ちた剣は、それでもなお閃光と稲妻を発生させ続けていたが、数十秒ほどでそれも収まった。
後に残ったのは、土で汚れた天魔剣と、全身の激痛に蹲り唸っている浩平、そして双方を無感情な目で眺めている神威だけである。
「やはりダメだったか。何かの縁かと思ったのだがな。やはりあいつに賭けるしかないか」
「ま、まだだ! もう一度、もう一度やらせてくれ!」
ため息と共に呟き、天魔剣を拾う神威に、まだ残る痛みを無視して叫ぶ浩平。
本当は立ち上がり、掴みかかりたかったのだが、体中に痺れが残っているため、せいぜい口を動かすことしかできないのだ。
「一度やってダメなら無駄だ。これは生まれついての相性が関わってくるからな」
だが、神威は残酷なまでに淡々と最後通告を伝える。
「そんな、じゃあ、じゃあエリクサーは」
その問いに関する応えは、沈黙。
神威は何も言うことなく、倒れている浩平を見下すだけである。
だがその沈黙は浩平にとって、どんな言葉よりも辛いものであった
「頼む。なんでもする、何でもするから」
痺れを無視して、神威の方に向かう浩平。
無論のこと、まだ立ち上がることなどできない。
だから、浩平は地を這って神威の方に進んだ。
その動きも、匍匐前進のようなしっかりとしたものではない、まるで芋虫のように鈍く、不安定な動きであった。
それでも、浩平は止まらなかった。
全身には、未だに即座に意識を手放してしまいそうな激痛がはしっている。
それでも、止まらない。
それでも、その眼は死んでいない。
体中の裂傷から、血が流れ落ち、這った後を紅く染めながらも、折原浩平は、僅か12歳の少年は止まらなかった。
「ふむ」
そんなさまを見ていた神威が、ふと唸った。
「それほど妹を助けたいか?」
「当たり前だ!」
ついに、浩平は痛みを振り切って立ち上がった。
当たり前だが、危険だ。
立ち上がった拍子に、ただでさえ足りない血がさらに勢いよく噴出し、意識が朦朧としてくる。
思わず踏鞴を踏むが、なんとか踏ん張り、神威を睨み付けながら叫ぶ。
「嫌だと言ったら?」
「そのときは、そのときはあんたと戦ってでも奪い取る!」
「勝てると思っているのか?」
半死人の体で、その上、今は武器すら持っていないというのに、裂帛の気合と共に浩平は吼えた。
その様子を見て、神威が呆れと興味を多分に混ぜ込んだ声で問う。
「そんなの関係ない。俺がやらなきゃ、だれがあいつを助けるんだよ」
その問いにも、浩平は己に出来得る限りの絶叫で答えた。
それは、浩平の決意。
普段はいたずら小僧で通っている、いや、家の者以外のほぼ全ての者に、変わり者と言うレッテルを張られている浩平の、真摯なる二つの決意。
その一つ。
すなわち、『妹であるみさおは、なんとしてでも兄である自分が守る』。
「ふっ」
そんな浩平を見て、神威は口元を歪ませ、低く唸った。
それは徐々に大きくなり。
「はははははははっ」
ついには爆笑へと変わった。
木々の間を神威の笑い声が木霊する。
だが、その声には嘲笑の色はなく、純粋に面白がっている。
そう、このとき神威は、この折原浩平という少年を、純粋に『面白い』と思ったのだ。
それは、彼にとっては随分と久しぶりの感情だった。
「よかろう。まあ、考えてみれば俺には無用の長物だし、この俺に啖呵を切ってきた奴など久々だ。その度胸に免じてくれてやるよ」
ひとしきり笑った後で、神威はあっさりとそう口にした。
よく聞いてみれば、声の調子や口調が今までと異なっていることに気がつくだろうが、今の浩平にはそんな些細なことは関係なかった。
「ほ、本当か!?」
ただ、『エリクサー』が手に入ると聞いて、喜色満面で叫んだ。
「ああ。ついでにお前の家、折原家まで送っていってやろう」
「なんで俺が折原の人間だと?」
安心したのか、はたまた、ついに危険なほどに血が足りなくなってきたのか、おそらくはその両方の相乗効果で、浩平の意識は急速に落ちていった。
自分の私情を知っていた神威に対する問いにも力がない。
「剣の柄についている家紋を見ればそれくらい分かる。さて、次にお前が目覚めた時、お前は既に家についている」「
その声を、もう浩平は聞いていなかった。
次に浩平が目覚めたのはそれから三日後のことである。
後に家人に聞いたところ、浩平はいきなり折原本家の食卓に現われたそうだ。
そう、文字通り瞬間移動したかのように。
折原みさおは、浩平が握り締めていた『エリクサー』で全快した。
後遺症もなく、これからは一般の者とまったく同じように暮らせるであろう、との判断が下った。
これが、折原浩平と蒼月神威のファーストコンタクトの顛末である。
「と、言うわけだ」
長い話を語り終えた浩平は、一息吐きつつ回りを見渡した。
「そんな事があったのか」
祐一は、自分の知らなかった浩平と神威の関係に心底驚いた様子で、意外そうな顔をしている。
また同時に、『よくもまあそんなことをしたもんだ』と言うような感じの、感嘆とも呆れとも言い切れない感情が浮かんでいた。
ちなみに。頭の片隅では。
そういえば、ちょうどそのくらいの時に、密林でサバイバル訓練をしてて、何日か神威と離れてたっけなあ・・・・・・
などと考えているが、当面それは関係ない。
「ん、お前らどうした?」
対してみさおと瑞佳はといえば、二人とも顔を無言で顔を俯かせている。
よく見れば、なにやら肩が震えていて、その震えは徐々に激しくなってきている。
そして。
「お兄ちゃん……」
「浩平……」
ようやく二人が顔を上げた。
「な、なんだよ?」
が、その表情は真剣で、有体に言えば、怖い。
思わず浩平が仰け反り、祐一が眼を逸らすほどに。
「「どうしてそんな無茶をしたの(んだよ)!?」」
そして、二人は同時に叫んだ。
見れば眼には涙が浮かんでおり、それを見た浩平はバツの悪そうな顔になった。
「だ、だってよ」
「「だってじゃない(もん)!!」」
「う」
言い訳しようとした浩平をピシャリと黙らせ、二人は浩平に説教を始めた。
その様子は、傍から見ていた祐一からしても凄まじいものだった。
普段なら、普段の奇行と言うか悪戯というか、とにかく普段の行いに対する説教ならば、浩平は馬耳東風と聞き流すが、今回は話が話だけに、そして二人の表情があまりにも真剣なために何も言い返せずに拝聴している。
そして説教は30分以上も続き、未だに終わる気配がない。
ちなみに、その間に何人かの生徒が医務室に来たのだが、その様子を見て泡を食って出て行った。
が、祐一を除く3人はそんなことに全く気付いていなかったが、それはどうでもいいことである。
そのことで、祐一が後ほど秋子に監督責任を注意されることになるのだが、本当に些事である。
「まあ、お前ら気持ちは分かるが落ち着け。それだけ浩平は折原が大切だったと言うことだろう」
終わる様子のない説教に見かねた祐一が浩平を援護に入った。
まあ、確かに無茶ではあるが、結果的には万々歳だったのだ、そこまで責められてはいささか哀れだ。
「で、でも、下手したら死んでたんですよ」
みさおが今にも泣きそうな顔で言う。
彼女が今こうして健在でいられるのは、その浩平の無茶のおかげであるということは、彼女自身よく分かっている。
だがしかし、それでも大好きな兄が死にそうな目にあっていたということが、何よりその理由が自分のためであると言うことが、悲しかった。
「そうだな、だが過ぎたことは変えられん。それよりも、今後同じような無茶をさせないことの方が重要だと思うぞ」
「……そうですね。お兄ちゃん、もうそんな無茶は絶対にしないでね」
何とか祐一の言葉で気を持ち直し、兄に言う。
もう私を悲しませないで、と。
「そうだよ、浩平。浩平になにかあったら、私いやだよ」
続いて瑞佳も言う。
一人にはしないで、と。
「わかった、分かったよ。もうしねえよ」
二人の言葉に、さすがの浩平も神妙に頷いたのであった。
だが内心では、もし目の前の二人になにかあったなら自分の命を賭けることなんてなんでもない。と深く思っていた。
言えばまた怒鳴られるので口には出さないが、これだけは譲れないのである。
「にしても、あの神威に突っかかっていくとは、たいした度胸だよ、まったく」
祐一の声には呆れと感嘆の色が濃い。
この発言には場の雰囲気を変えるという目的もあったが、祐一としては本気で呆れているのだ。
なにせ、あの『神威』である。
しつこいようだが、祐一の知る限り、あれほど『お前は本当に人類か!?』と問い詰めたくなるような者は他にいない。
そんな相手に、たかだか12歳のガキが本気で食って掛かったのだ。
怖いもの知らずにも程があった。
「そんなに強い人だったの?」
「俺の師匠だぞ? まあ、それじゃあよく分からないだろうから、一つ客観的な例を挙げようか。あいつは俺の目の前でケルベロスをまとめて十匹近く一撃で文字通り消し飛ばした。後には何にも残ってなかったよ。ああ、もちろん特別な武器なんて使ってないぞ」
目を丸くしながら問う瑞佳に、祐一は一般的な認識からしてみれば嘘と思われかねない内容を口にした。無論事実である。
ちなみに。
【ケルベロス】
地獄の番犬とも言われる、三つ首と蛇の尾を持つ魔獣。
魔獣の中でも高位に位置し、年代を重ねたものは片言ではあるが人語を解するとも言われているが、基本的には本能に忠実で好戦的。。
三つ首から炎、あるいは瘴気の吐息を吐き、強靭な四肢で素早い動きを誇り、その爪は鋼鉄を容易く切り裂く。
元々は魔界の生物と言われているが、神代の終焉と共に現世に現われたとされている。
主に遺跡などに生息し、一流に分類される戦士や魔術師でなければ、まず間違いなくろくに対処できない。
十匹近くを消し飛ばしたいう神威の実力は押して知るべきである。
ちなみに、祐一は天魔剣を使わないと同じ事はできない(長い詠唱や複雑な刻印を用いる魔法を使っても、何も残さず消し去るのは無理)。
「……マジか?」
聞き返す浩平は、顔と声が大いに引きつっている。
おそらく、自分がどんな人物に啖呵を切ったかを知り、心中ではかなり冷や汗をかいているだろう。
「ああ」
祐一は眼を瞑りながら頷いた。
脳裏に浮かぶのは銀髪・紅眼の師の非常識振りである。
「凄い人なんですね、その神威さんて」
みさおが本当に感心した様子で呟く。
祐一に言わせてもらえば、凄いなんてものではないのだが、やはり話だけでは実感がわかないらしい。
おそらくはヒロイック・サーガや神話の英雄達と同じような感覚なのであろう。
「ここに来るまでに、リーフや小国をいくつか通ったけど、あいつとまともにやれそうな奴には会ってないな」
神威と、というか、『本気』の祐一と互角の者すら数えられるほどしかいなかったのだ。
半島全てを回ったわけではないが、おそらくは神威に伍する者なんて、そうそうにはいないだろうと言うのが祐一の予想である。
「相沢先生だったら?」
「無理だな。一緒にいた間に何回も仕合をしたが、勝つどころか追い詰めたことすらない」
「そこまでいってるんなら、想像出来ないよ」
今度は瑞佳がため息と共に言った。
こちらはみさおよりも驚きが強いように見える。
「そいつ、なにものだ?」
「さあな。俺にも分からん」
浩平の問いかけに、祐一はやや大仰な動作で肩を竦めながら応えた。
事実、彼にも師の素性は何一つ分からなかった。
何故アレほどまでに強いのか?
何故自分を助け育てたのか?
何故自分に天魔剣を与えたのか?
何故? 何故? 何故?
祐一はその全ての問いに対する答えをそう遠くない将来に知ることとなるが、今の彼にはそれを知るすべはなかった。
こんなとき、私達の世界ならば『神のみぞ知る』とでも言うところであるが、この世界には神はいない。
そう、少なくとも今は。
「お、もうこんな時間か」
既に昼に近い時間をさしている時計を見て、祐一が言う。
ちなみに、この世界の時間は私達と同じく1年365日、1日24時間である。
ただし、四季の概念は無い。
その理由は、この世界において天候を左右しているのが精霊達だからである。
よって1年を通して気候はさほど変化しない。
カノン近辺のように水と氷の精霊の力が強く、万年雪の地域もあれば、リーフ中央部のように精霊達のバランスがよく、年中過ごしやすい気候の地域もある。
だから四季という概念はない。
むしろ天候の急激な変化は、精霊達に何か異常が起こったという現われである為一大事である。
また、一応は天候操作魔法というものも理論上では存在しているが、自然を術者の意のままに変化させるこの術は、言うまでもなく契約魔法であるため使える者はほぼ皆無といっていい。
少なくとも、現在において天候操作魔法を扱えるものは報告されていない。
神話などでは天候操作の力を有する神器も登場するが、それも今のところ発見されていない。
よって、この世界も気候が人の意のままにならないという点では、私達の世界と同様であるといっていいだろう。
閑話休題。
「本当だ、もうお昼」
「お前ら飯はいつもどうしてるんだ?」
なんとなく会話の流れとして祐一がきいた。
また、彼は昼食は食堂でいいか、と考えているため、もしも浩平たちも食堂なら案内してもらおうと考えている。
さすがに、限られた昼休みに道に迷いたくはない。
「えっと、いつもは水瀬さんたちと一緒に食べてます」
「水瀬さんって、名雪だよな?」
しかし、瑞佳の答えは祐一の期待とは違った、しかし、それ以上に祐一の興味をさそった。
とりあえずの確認のために聞いておく。
もし確認せずに付いて行って、名雪でなければ祐一はただの馬鹿だ。
「そっか、相沢先生って秋子先生の甥でしたね。だったら名雪さんとも当然知り合いですよね」
今度は瑞佳でなくみさおが答えた。
そしてその内容は、祐一の考えを肯定するものであった。
「ああ。俺も一緒に行っていいか?」
取り合えずみさおの呟きに頷いておいて、同行の可否を問う。
「いいぜ。というか来てくれ。戦力が増えるのはありがたい」
「戦力?」
祐一が不振そうに問い返した。
同行していいといわれたのはいいが、昼食に『戦力』とはこれ如何に?
よもや山に入って動物を狩り立てるわけでもあるまい。
祐一には浩平の言葉の意味がさっぱり理解できなかった。
「「あはははは」」
しかし、瑞佳とみさおには分かったらしく、二人揃って乾いた笑みを浮かべている。
「は?」
ますます祐一には分からない展開となった。
頭の中にいくつものクエスチョンマークが飛び交う。
幾ら考えても答えは出なかった。
「ま、いいからいいから。こっち来いよ、中庭で食ってるんだ」
そんな祐一に苦笑しつつ浩平がベットから起き上がった。
取りあえずは回復したらしく、動きに支障は見られない。
最も、それは肉体的なものだけで、魔法を行使するとなれば話は別であろうが。
「ああ」
まあ、とにあく祐一は浩平たちについていくことにした。
後書き
ヒロ:そしてここからが新投稿分になります。
神威:ふむ、そういえばそんなこともあったかな。
ヒロ:忘れてたんですか?
神威:ああ、特に覚えておく必要も無いことだったからな。
ヒロ:そんなこと言っちゃって、実は……
神威:あまり余計なことは言わない方がいいぞ。
ヒロ:分かりました。分かりましたから穂先をこっちに向けないでください。
神威:分かればいい。
ヒロ:ふうっ。ま、なんにしても、皆様第8話も、
ヒロ・神威:よろしくお願いします(頼む)。