みさおと瑞佳が浩平を背負って校舎に向かう。
ちなみに、その旨を伝えられた浩平のクラスの担任(石橋)は、またあいつか、とぼやいたと言う。

「では、少々ハプニングがありましたが、次の仕合に移ります」

その後、二人ほどの生徒が祐一と仕合をしたが、やはり簡単にあしらわれた。

「では次、倉田一弥君」

次なる祐一の相手は、キー王国の第一王位継承者にして、アカデミー高等部一年生の実技主席、倉田一弥である。

 

 

 

 


永久の螺旋を断ち切る者

第6話

祐一の初授業その2


 

 

 

 

 

 

「さて、お手並み拝見、王子殿」

一弥が前に出ると同時に、芝居のような口調で言う祐一。
表情はにやけており、明らかな挑発である。
これで、この程度で僅かでも心を乱すのならば、性根から鍛えなおさねばならない。

「乗りませんよ、そんな挑発には」

だが、一弥は祐一の挑発を軽くいなした。
表情も平然としたものであり、無理に抑えているという感じでもない。

「結構。上に立ち、采配を振るう者は如何なる時でも冷静でなくてはならない。時には自己を殺さねばならない時もある。覚えておくといい」

ゆえに、祐一も満足そうに頷く。
……なんだかんだで、教師役を楽しんでいるようである。

「はい」

「では、はじめ!」

秋子の声で仕合が開始される。
祐一はこれまでどおり、無手で相手を待ち構える。
一弥は、やや大型の、天魔剣とほぼ同サイズの剣を構えている。
片手、両手のどちらでも扱えるように考案された、所謂バスタードソードである。

「来な」

「行きます」

一弥は、剣を両手で持って思い切り振り下ろす。
風を切り裂く音と共に自身に迫ってくる剣を、祐一は紙一重のところでかわしてみせる。
さすがに、これを手で止める気はないらしい。
いや、その気になればできるが、その気になる気はないようだ。

風圧で僅かに髪が揺れたが、ただそれだけ、祐一に実害はない。
しかし、一弥の方もそれは予想のうちであったらしく、慌てることなく剣を片手に持ち替え、初撃の力をそのまま利用し回転するような形で第二撃を放った。
それに対し、祐一は僅かに眼を見開いたがあっさりと避ける。
しかし、その表情は楽しげであった。

「うん、いいな。技の切れもいいし、なにより攻めに迷いが無い。だが」

瞬間、祐一の姿が消え、一弥のすぐ目の前に現われる。
手が触れ合うどころではなく、互いの吐く息がかかるような距離、この零距離といっていい射程では剣を振るうことはできない。
振るったところで相手に痛打を与えることなどできない。
少なくとも、今の一弥では。
対して、祐一は攻撃するのに何の問題も無い。

「くっ!それなら!」

それを瞬時に判断した一弥は、剣士としては意外な行動に出た。
自ら剣を放し、後ろに跳び下がったのだ。

剣を持ったままでは身軽な行動ができないし、なにより体勢的に跳び下がるのには無理がある。
ならば剣を放せばいい。
そして、放した剣は一弥を追撃するであろう祐一の正面に落ちる、これは僅かとはいえ足止めになるだろう。
そう考え、いや、無意識のうちに判断し行動に移した。

そして跳び下がった一弥は、剣を放した両手で中空に刻印を刻んでいる。

「甘い、が……いい判断だ」

一弥の下した判断は、状況的には間違ったものではなかった。
いや、好判断だといっていいだろう。
しかし、祐一からしてみれば、一弥がその程度の判断をしたからといってどうということでもない。

再び姿が霞むほどの速さで動き、片手で一弥の腕を取り、この時点で刻印魔法は実行不可能になった、もう片方の手を一弥の鼻先に突きつける。
勝敗が決した。

眼で『どうする?』と問う祐一に、一弥が眼を瞑りながら頷く。
敗北を認めたのだ。
そこで祐一も手を放した。

「なかなかだな。実技主席というのも頷ける」

これは本気でそう思っている。
少なくとも、今までに仕合をしてきた生徒達よりは強い。

「先生もさすがです。舞さんの言っていた通りですね」

「ん、舞の知り合いなのか?」

意外なところで出てきた幼馴染の名前に、驚きの混ざった声で尋ねる。

「ええ。僕の姉さんと舞さんは親友なんです。それで僕も親しくさせてもらっています」

「ふ〜ん。舞が王女様とねえ、接点が見当たらないな」

社交性というものにいまいち欠ける舞と、キー王国の王女。
祐一にはどうしてこの組み合わせが生まれたのか、いまいち理解できなかった。
顔もいささか皺がよっており、本気で思案しているのが見て取れる。

「僕も詳しくは知りません。気付いたら二人は一緒にいたって感じですよ」

これに対しては、一弥も同意見のところがあるようなので一度頷く。
だが、彼女達二人の仲がいいことに反対かといわれれば、彼は間違いなく否と答えるだろう。
たしかにいまいち接点の分からない二人であるが、現在の二人の友情・絆は本物である。
それをよく知っている一弥は、自分の姉と、その親友である無口な少女が大好きだった。

「ふん、まあいいさ。あのシスコン馬鹿のせいで時間が無駄になっちまって、あまり時間を取れないからな」

言うまでも無いと思うが、折原浩平のことである。

「シスコン馬鹿って、仮にも他国の大貴族の跡取りにそれですか」

「権力者になびくつもりは毛頭無い。自分の信念と相反するものであれば、たとえ国王であろうとも従いはしない」

「そう公然と言えるのは凄いですね」

しかも王子の目の前で、である。
下手をすれば不敬罪に問われるところだ。
いい度胸どころか無謀といってもいい。

「褒め言葉としてもらっておこう」

が、祐一にとっては本当にどうでもいいことだった。
彼は実際に権力者に媚びるつもりなど無い。
自分からみて誤ったことを為しているなら、貴族だろうが国王だろうが一欠けらの遠慮すらなく糾弾するだろう。
従わないどころか、いき過ぎた行動を取れば物理的に消滅させることすらいとわない。
ただし、融通が利かないわけではない、というか、自分の価値観だけで判断しているわけではない。
多数の価値観があるということはしっかりと認識している。
自分から見れば誤った行動でも、他人から見れば正しく見えることもあるという事があるということは、よく分かっている。
だから、即座に行動を取るわけではない。
周りの意見を聞き、現状を見極めてから、行動するか否かを決める。
決して独りよがりではない。

もっとも、一度行動すると決めたら、どんな障害があろうと突き進んでいくのだが。

「さて、お前については特に問題は無い。そのまま精進すれば強くなれるだろう。というので終わらしては給料泥棒になりそうだから、一つだけ言っておく」

何度目かの祐一のレクチャー、しかし、今回は他の生徒と違って言うことがあまり無かった。
倉田一弥は、実技主席にふさわしい実力を身に付けていたからだ。
明らかに同年代の中では強い。
祐一には及ぶべくも無いが、それは祐一が、というか祐一の師である神威の鍛え方が異常だったからである。
普通はあそこまで凄まじい修行をする必要は無いし、もしこの場にいる生徒全員に神威と同じような鍛え方をすれば、死人や、死ななくとも精神に異常をきたす者出てもおかしくない、というか絶対に出る
そういう実情を踏まえると、倉田一弥に言うべきことはせいぜい『j経験を積め』くらいになってしまうが、それでは教える意味が無い。
そこで、祐一は更なるステップに進むために一つ助言をすることにした。

「なんですか?」

「それはな、何か一つでもいいから、自分が絶対に信頼できるものを持てということだ。技でも魔法でもいい、何か一つ、自分の持てる全力を込めることができるものを持て。そうすれば、自信もつくからな」

これも、祐一が神威に言われたことだ。
自分を信じることができない者は、格下相手であっても自分を信じている者に敗れることがある。
まあ、それは所謂『信念』といわれるものだが、闘いの技のにもこれは当てはまる。
己の技に誇りを持てない者は、己の力を信じることができないものは、真の強さを得ることなどできない。
もちろん、この場合の自分の力を信じるというのは、自信過剰の天狗になることとは全く異なる。
積み重ねてきた修練に、培ってきた経験に誇りを持ち、信じるということだ。
そのうえで、己の全てをつぎ込んだ『なにか』を持つことができれば、それは絶対的な武器となる。

「絶対に信頼できるもの」

「そうだ」

まあ、この方法でついた自信は、その信頼していたものが破られた時に完全に砕け散る可能性もあるが、それは言わない。
言っても無駄なことだし、それを乗り越えなければ上の位階になど上り詰めることができないからだ。

 

 

 

「次は、月代彩さん」

「よろしくお願いします」

秋子の声に応え、生徒の中から銀の髪と紅の瞳の少女、月代彩が祐一の前に出てくる。
その手には僅かに反りのある片刃の剣、刀が握られていた。
珍しいことにその鞘は鉄ごしらえではなく白木でつくられている。

「おう」

「はじめ!」

秋子の仕合開始の声がかかっても、両者は共に一歩も動かなかった。
祐一は本来のスタイルは先手必勝型だが、今回の仕合では一度も先手を取ってはいないから別にいい。
これまでと違うのは、生徒、彩が全く動いていないことだ。
開始の声から今まで、刀を正眼に構えたまま微動だにしていない。

「来ないのか?」

「はい。私は自分から攻めるタイプではありませんから」

祐一の問いにも、淡々と返す、その声には微塵の感情も込められていないように感じられた。
その表情も同じように、感情の起伏を見せることなく祐一を見つめている。
なんにしても、自分のスタイルを貫き通せるというのは良いことである。

「そうか、なら、俺からいかせてもらう!」

このままでは何時間たってもここままであろうと思った祐一は、自分から攻めに出ることにする。
これまでの生徒の仕合と同じように、最初の踏み込みでほぼ目的とする速度に達し、高速で券打を浴びせる。
ただし、その攻撃速度はやや遅めにしてある
彩の実力を把握するためには、どの程度の速度まで反応できるのかを見極めることも必要だからだ。

「「「おおおっ!!」」」

だが、そんな祐一の考えを知る由も無いギャラリーの生徒達は、祐一が始めて自分から攻めに出たことに声をあげる。
そしてそれは、祐一の繰り出す生徒達から見れば速い拳打を、彩が少しもかすらせることなく避けているのを見たことによって歓声へと変わった。

だが、祐一はその彩の動きに腑に落ちないものを感じていた。

(妙だな)

祐一の繰り出す攻撃を、あるいはさばき、あついは受け流し、かわしていく彩。
今の祐一の動きは本気とは程遠く、完全に学生レベルに合わせている、だから、優秀と評価されている彩がこの程度の攻撃をかわすことは、そうおかしいことではない。
しかし、祐一は何か違和感を覚えた。

(なら、これだ!)

自分の疑問を確かめるために、祐一はそれなりに力を込めた攻撃を繰り出すことにした。
その直前までのそれまでどおり学生レベルの攻撃、その乱打のなか急に一発だけ現われる明らかにレベルの高い攻撃。
普通ならばかわせずに直撃するか、あるいはかわせたとしても体勢を崩す。
少なくとも、彩の実力がアカデミーの考査表の通りならば、その二つの内のどちらかのはずだった。

しかし、彩の反応はそのどちらでもなかった。
あっさりと後ろに飛んでかわしたのだ。
まぐれでかわせたという風な動きではない、明らかに祐一の攻撃を見切っての体裁き。
その動き自体はそう鋭いものではない、今まで仕合をしてきた生徒の中でも、例えば倉田一弥ならかわせてだろう。
しかし、彩にはかわせないはずだった。
それをかわした、つまりは。

(やっぱり、こいつ、実力を隠してる。何故だ?)

彩が実力を隠しているということを確信した祐一は、一度自ら下がって距離をとった。
その行為に生徒達が戸惑いざわめくが、ただ一人、秋子だけは祐一と彩を強く見つめていた。
秋子の表情を見て、秋子も彩が実力を隠していることを知らなかったと悟った祐一は、一層顔を引き締めた。

その表情の変化にも、またなにより祐一の行動の意味にもまず間違いなく気付いているであろう彩は、それでも全く表情を変えなかった。

「どうしました?」

「分かっていると思うが?」

「なんのことです?」

祐一の確信を持った問いかけにも全く揺らがない。
その胆力に、祐一は心の中で舌打ちした。
そして思う、この少女は何者なのか、と。

「……まあいい。どうせこれではっきりするからな」

少しの沈黙の後、祐一は呟いた。
その声には、今までとは異なった響きがあることに、気付いたものがこの場に何人いたことか。
彩は気付いたようだが、それでも祐一が何をしようとしているのかまでは分からない。

そして、祐一が動いた。

「はっ!!」

全力の、手加減、手心全くなしの全力の踏み切り、それこそ、師・神威を相手にしているかのよな気迫を込めて。
その動きは、尋常で無いという言葉ですら生ぬるいほどだった。
この場にいた大半のものは、祐一が動いたことすら認識できていない。
祐一が掛声を上げたら、もう彩の目の前にいた、としか見えなかった。
残像すらも見えない、いや、残像すら見ることができなかった。
アカデミーレベルどころか、一般的に一流と分類される実力者でやっとかわせるような一撃であった。
しかも、明らかに人一人を一撃で殺して余りある威力を持っている、間違っても学生レベルの仕合で放っていいようなものではない。
それを、この少女は、アカデミー一年生で優秀ではあるが飛び抜けてはいないと評価されている月代彩は、

「くっ!」

少々危なげながらも、避けた。

(やはり避けるか、だが、これなどう……っ!?)

だが、避けられることは祐一の予想の範囲、というよりも避けてもらわなくてはかえって祐一が困っていた。
なぜなら、この一撃はコンビネーションの一発目、避けられるのが前提の攻撃だからだ。
慌てることなく次の一撃を放ち、慌てて命中寸前のところで急停止させた。
なぜなら。

なぜなら、初撃をあれほど鮮やかに避けた彩が、次の攻撃には全くの無反応であったからだ。
自身に向かってくる拳に何の対処もせずに無防備に体を晒していた。
紙一重での回避を狙っているというような素振りも無かった。

「はあっ」

危ういところで拳を止め、祐一は無意識に息を吐いた。
まさか避ける素振りすら見せないとは思っていなかった。
中途半端な攻撃ならいざ知らず、致死レベルの攻撃ならかわすと思っていた。
にもかかわらず、この少女は微動だにしなかった。
反応できなかったという可能性は無い、彩の眼は確かに祐一の拳を捉えていたし、僅かだが体が震えたのが視えた。
つまり、体が反射的に行動しようとしたのを意識的に止めたということだ。

おそらくは、初撃は突発的なものであったから咄嗟に反応してしまったが、次の一撃は故意に体の反応を抑制したのだろう。
明らかに自分の力を隠そうとしている。

「私の負けですね」

一歩間違えれば間違いなく命を失っていたであろうにもかかわらず、彩は微塵も揺らいでいない。
そのことに若干の薄ら寒さを覚えながらも、祐一は平静を装って応える。

「そうだな」

「月代は……一発目を避けた時の動きは良かった、多分お前はあの程度の動きができるだけの素養があるんだろう。もっと修練を重ねて、あの動きが常に出せるようにしろ」

おなじみ祐一のレクチャーだが、今回はいつもと違って、言っている本人と言われている当人双方共に白々しい。
彩は明らかに手を抜いていたし、祐一もそれを確信しているのだから。

「はい」

本来ならば、祐一は彩にいろいろ問い詰めたい事があったが、まだ生徒との仕合は済んでいないためにこの場ではかなわなかった。
ただし、生徒の中に戻っていく彩を、祐一がずっと見つめていたのに対し、彩は一度も振り返らなかったことは記述しておく。

 

 

 

この後は特に変わったこともなく仕合は終わった。
ちなみに、香里の妹、美坂栞の実技成績は、少なくともお世辞にも優れているとはいえなかった、とだけ言っておく。

 

 

 

「水瀬先生」

「なんですか?」

授業が終わって生徒を解散させた後、祐一は秋子を呼び止めた。
呼び止められた秋子のほうも、祐一の用件は分かっているらしく、視線で先を促している。

「彼女は、月代彩さんは一体何者ですか?」

その問いを紡ぐ祐一の声はやや暗い。
それに比例して表情も真剣なものである。
秋子も自然と表情が引き締まる。

「……分かりません。少なくとも、今までアカデミーでみせた成績では、あんな動きはできないはずです」

秋子はかぶりを振りながら答える。

祐一との仕合で見せた彩の動きは、秋子にとっても予想外のものだったのだ。
もともと秋子は実力は高いが戦いを教える教師ではない。
その秋子が気付かなかったのは、まあ無理も無いだろう。
それでも、今回のことではっきりと分かった、月代彩は実力を隠しているということを。
そして、その実力は少なくとも一流に分類されるということを。
アカデミーでの一流ではなく、実戦での一流に。

「そうですか」

祐一もその答えは予想できたいたので頷いただけだ。

「私からも質問があります。どうして月代さんが力を隠していると分かったんですか?」

この質問には、祐一は少し困ったような顔になった。
しばし宙を仰ぎ、言葉を選ぶようにして言う。

「言葉で説明できるような明確な理由はありませんよ。強いて言うなら勘と、彼女の雰囲気ですね」

「雰囲気、ですか?」

秋子が眉をひそめながら聞き返す。
それに対して、祐一は片手で後頭部を掻きながら続きを言う。

「ええ。彼女の雰囲気が、あいつに、神威になんだが似ているような気がしたんです。圧倒的な何かを持っていて、それでいてそれを隠しているような雰囲気が」

祐一の脳裏に浮かぶは、自身の師であり、両親が死んでからの育ての親といってもいい銀の髪と真紅の瞳をもつ青年。
まあ、青年といっても、暮らしていた間ずっと容姿が変化していなかったから、実年齢など分からないのであるが。
というか、人間なのかすら分からない。
あまりに老けないからエルフかとも思ったが、耳は尖っていなかったし、外見上は完全に人間だった。
その実力はまさに絶大、おそらくは齢を重ねた竜ですら赤子の手を捻る様にたやすく屠るだろう。
月代彩は、どことなく彼と似た雰囲気をかもし出していた。

「では、月代さんは神威さんに匹敵するほどの実力を持っていると? お話では神威さんは相当の実力者だそうですが」

「そこまでは分かりません、俺はあんな少しの時間で相手の力量を全て把握することなんてできませんから。ただ、神威クラスの実力者なんて、そんなにそこら中にいるはずないと思いますから、多分そこまでの強さは無いです。ですが俺と比べたら分からないです。最後の一撃は文句なく全力でしたから」

「それほどですか。分かりました、カザネの方に問い合わせてみましょう」

頷く秋子。
祐一はその言葉を聴きつつも、おそらくは無駄であろうと思っていた。
あの月代彩が、そうそう手がかりを残すとは思えない。
祐一はなぜかそう確信出来た。

「お願いします。彼女は、多分何かを隠してます。多分、とても重い何かを」

それでも、僅かでも可能性があるのならば賭けてみる価値はある。
祐一は表情を引き締めて頭を下げた。

「くすっ」

「どうかしましたか?」

いきなり笑い出す秋子に訝しげな声で問う祐一。
自分としては変な行動を取ったわけではないのに、笑われる理由が分からなかった。

「いえ。祐一さんが随分と月代さんのことを気に掛けているので」

「気に掛けている、ですか?……そうかもしれませんね。なんだか、気になります」

一瞬秋子の言葉に面食らった祐一だったが、しばしの沈黙の後ゆっくりと肯定の意を示した。
本人は全く意識していないが、このときの祐一の表情はとても穏やかであった。
だから、秋子がこんなことを聞いたことも決して的外れなことではなかった。

「ひょっとして一目惚れですか?」

『だとしたら名雪たちは失恋かしら?』なんてことを呟きながら問う。
その表情は眩しいくらいの笑顔だが、祐一にはその背中に黒翼が、臀部に尻尾が見えた。

「そんなんじゃないと思います。まあ、今まで恋なんてしたこと無いから分からないですけど、でも、多分そういうのじゃないです」

「分かりました。そういうことにしておきましょう。これからどうします? もう今日は祐一さんの授業はありませんよ」

「取りあえず医務室に行ってきます」

秋子の問いに、祐一は校舎を指差しながら答えた。

「ああ、折原君ですね」

秋子は祐一の意図を即座に察した。
妹であるみさおと仕合をした祐一に飛び掛り、返り討ちにされた隣国オネの大貴族の跡取り。
彼は祐一により魔術師最大の人体急所といえる丹田を強打され意識を失い、みさおと婚約者である長森瑞佳によって医務室に運ばれていた。
しかし、あれから結構な時間がたっているし、もう目覚めていることだろう。
祐一は彼の見舞いに行こうというのだ。

「ええ」

「分かりました。それじゃあ、その後はもう自由にしてくれて構いません。ですが、今日の仕合を元に生徒の皆さんの能力評価表を作成しておいてください」

「はあ、面倒くさそうですね」

「それも教師の仕事ですよ。それでも私みたいな学問の教師の方々と違って、ペーパーテストを作らなくていいんですからまだ楽ですよ」

そう言われれば黙らざるをえない。
確かに書類作成も教師の仕事の一つであろうからだ。
ペーパーテストを作らなくてよいという点もありがたかった。
はっきりいって、祐一にはそんなものを作る自信が無かった。

「分かりました。期限はいつですか?」

「そうですね、一週間以内にお願いします」

「分かりました」

秋子と別れて医務室へ向かう祐一。
しかし、彼は一つ失念したいた事があった。
彼は医務部屋にはまだ一度も行ったことがなく、そして一度も行ったことの無い屋内の場所に彼があっさりと辿り着いた事は殆どなかったということを。
つまり。

 

 

 

相沢祐一はアカデミーで再び迷子になったのであった

 

 

 

「……やっと着いた」

結局祐一が医務室に着いたのは、祐一が校舎に入ってから30分の後であった。
ちなみに、最短距離で行けば5分とかからない道のりである。

「失礼します」

「はい? すいません、今は先生いないんですけど」

奥の方から聞き覚えのある声が聞こえてくる、折原みさおだ。

「折原か、俺だ」

「あ、相沢先生ですか?」

「ああ」

みさおの声に応えて医務室の奥へ。
祐一の目に、並べられた幾つかのベットと、一つだけ白い布の仕切りで覆われたベットが映った。
浩平が寝ているのはそのベットだろう。

「邪魔するぞ」

ベットを囲んでいる仕切りの中に入る。
まず眼に入ったのは、すぐ目の前にいたみさおと、向かい側にいた長森瑞佳だ。
祐一は、みさおに手を挙げて挨拶し、瑞佳には頭を垂れた。
みさおと瑞佳も頭を下げて挨拶をする。
そして、祐一はベットに横たわっている浩平に眼を向けた。

既に浩平は意識を取り戻していた。
顔色もいいし、もう大丈夫だろう。
少々キツイ目つきで祐一をにらんでいるが、それは祐一も覚悟の上である。
ただし、その瞳には悪意は感じられないので、ひょっとしたらこれが素なのかもしれない。

「テメエか」

口調も乱暴だが、声に険はない。
やはり地のようだ。

「お、もういいみたいだな」

「ああ」

「すまなかったな。咄嗟だったからつい急所にいっちまった」

一応祐一の行動は正当防衛に当たるが、それでも少々やり過ぎたと感じている祐一は素直に謝った。

「いや。原因は俺だからな。それよりも」

「なんだ?」

声の調子をいきなり変えた浩平を、祐一がいぶかしむ。
浩平が言葉を続ける。

「もっと大事な事があるだろう?」

「大事なこと?」

祐一には分からない。
みさおと瑞佳の方に眼を向けてみるが。

「それってなあに、お兄ちゃん?」

「なんのこと、浩平?」

彼女達にも分からないようだ。
三人で顔を見合わせていると、自分の言いたいことが通じないのが気に入らないのか浩平の目つきがさらに悪くなった。

「ふう、なんだ揃いも揃って分からないのか?」

大げさにため息をつきながら肩をすくませる。

「それはな」

顔をあげて、祐一の方を真剣な表情で見つめる浩平、自然と祐一の表情も引き締まる。

僅かな沈黙の後に浩平が言った言葉は。

「それは……こいつが見舞いの品を何一つ持っていないと言うことだ」

祐一、みさお、瑞佳の三人を揃って脱力させた。
祐一は思った、やっぱりこいつは変わっている、と。

「ま、冗談だ」

「当たり前だよ」

しばしの沈黙の後、いけしゃあしゃあとのたまう浩平と、がっくりと肩を落とす瑞佳。
その光景が、なんだか慣れたもののように感じられてしまうのは、おそらく祐一の勘違いではないだろう。

「……なるほど。聞きしに勝る変人ぶりだ」

祐一にいたっては、もうこれしか言うことがない。
初見にはいきなり飛び掛られ、次はこれである、祐一もまあ常人からすれば若干感性がずれているかもしれないが、それでも個性で済ませられる範囲である。
しかし、浩平のそれはいささか行き過ぎている。

(折原侯爵家、こいつが跡目で大丈夫なのか? こんな奴が近衛総監になって、本当に大丈夫なのか、オネ公国?)

思わず折原家とオネ公国の行く末を案じてしまう祐一であった。

「本人を目の前にして言うか、普通?」

やや憮然とした表情で言う浩平。
しかし、声に陰はさほどない。

「お前は気にしそうにないんでな」

だから祐一もあっさりと答えた。

「まあ、別に気にしないけどよ」

祐一に言われたことはさほど気にしていないようだが、なんとなく釈然としないような表情の浩平。
それは他人にはどうしようもないことのように思えたので、あっさりと祐一は無視した。

「しかし、いきなり飛び掛られたときには驚いたぞ」

「わりい、わりい。みさおが負けそうなの見てたら、つい、な」

全くもって悪びれた様子のない浩平。
その様子はいたずらを親に叱られた童のようである。
年齢には分相応な表情、だけど祐一にはなぜかこの折原浩平という男にはそういう表情が似合うように思えた。
また、この少年はいつまでたってもそんな表情を浮かべているだろう、と漠然と感じた。

「俺の言うべきことではないかもしれないが、それは少し過保護すぎやしないか?」

そんな浩平の表情に、もとから殆どなかった毒気を完全に抜かれてしまった祐一が、苦笑しながらも思っていたことを言う。

「うるせえ」

「お兄ちゃん、私はもう全然平気だから。そんなに心配してくれなくても大丈夫だよ」

「わあってるよ、んなこと」

「昔病気でもしたのか?」

憮然としつつ言い返す浩平と、それをなだめるみさお、何と言うことのもない会話だったが、双方表情が険しい。
それに何かを感じ取った祐一は、少し失礼かな、思いつつも自分の推測を尋ねた。

二人の会話、特にみさおの言葉から察するに、みさおは昔何かの要因で体調を崩していた事があるようだ。
それも浩平の表情からするとかなり深刻な事態に陥るほどのもの。
となれば怪我か病気と言うことになるが、もう、ということばを発した時のニュアンスからして結構な期間その状態にあったようだ。
となれば、原因は病気だろう。

「はい。5年前まで」

みさおは祐一の推測を肯定した。

「ふうん、なるほどね。事情は分かった。まあ、それなら仕方ないか」

苦笑いと共に言う祐一だったが、雰囲気が少し暗くなってしまった。
見れば浩平とみさおだけではなく、瑞佳の表情も険しい。

「そういえば」

「あん?」

だから、祐一は少々強引に話しを変えることにした。

「いや、自己紹介をしてなかったのを思い出してな」

微笑みながら自己紹介をする。

「相沢祐一だ。秋子さんの甥で、お前達と同い年だが教師をしている。別に敬語はいらないから、好きに呼んでくれ」

瑞佳もそれに続く。

「私もそういえばちゃんとした自己紹介はしてなかったよ。長森瑞佳です。よろしくね、相沢君」

「ほら、浩平」

瑞佳がこの中で唯一自己紹介をしていない浩平を促す。
浩平はそれに苦笑しつつも。

「へいへい。折原浩平だ。ま、よろしくな」

いいながら手を差し出した。
祐一もその手を握り返す。

「おう」

今の彼らには知る由もないが、これが後に無二の親友と言っていい関係になる彼らの始めての邂逅だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


後書き
ヒロ:ここまでが再投稿分になります。
神威:今思えばかなり少ないな。
ヒロ:ですね、でも、『永久の螺旋を断ち切る者』自体リメイク版みたいなもんですから、それを考えるとそれほどでもないのでは?
神威:そうとも言えんことはないだろうが、もう少しペース上げられんか?
ヒロ:お任せあれ、そもそもプロットは既にできているんですからね。
神威:途中で変更したり横道にそれなければな。
ヒロ:あはは、きついですねえ。
神威:あのなあ。
ヒロ:冗談ですよ。
神威:はあっ、もうどうでもいい、ちゃんと書けよ。
ヒロ:ええ。