曰つきのヤツやら、俺と既に関わりができているヤツやらが多いな、どうなることやら・・・・・・寝るか」
こうして祐一のカノンでの初日は終わった。
明日からはアカデミーで教鞭をとることとなる。
そしてそれは、彼の人生の中ある意味最も大きな事件の始まりであることを、彼は知る由もなかった。
永久の螺旋を断ち切る者
第4話
祐一の初登校
「うわっ!毎度毎度殺す気か、テメエ!?」
「安心しろ、手心は加えている。さすがに、弟子を殺す気はない……多分な」
直撃すれば間違いなく大怪我をするであろう攻撃を連続して放つ神威に、その攻撃を必死に避けながら祐一が叫ぶ。
だが、神威は全く気にした様子もなく、手を休めることもない。
ちなみに、祐一の『毎度毎度』の言葉どおり、神威の教え方は必ずと言っていいほど極度の危険が伴うのだが……慣れのレベルを軽く超えているため毎日命がけである。
その攻撃の激しさを露骨に物語るのは辺りの風景。
訓練前にはそれなりに草木が生えていて、平坦な土地であったのに、今はそこらかしこに焦げた後や小型のクレーターがある。
「ちょっと待て、今なんか言わなかったか!?」
最後に小声で(祐一にとって)とてつもなく嫌なことを呟いた神威に、半ばキレながら抗議するが、そんなことを気にするような男であるはずがなかった。
「気のせいだ。さて、次にいくぞ。これで今日は最後だ、見事防いで見せろ。我が身に宿りし太陽の飛礫よ、我が祭神の大いなりし加護の顕現よ、その力を我に貸し与えよ……プロミネンス……
詠唱と共に中空に刻印を描く、それは契約魔法の発動方法。
そして、発動。
複雑怪奇な、少なくとも現代の一般的な術式とは全く異なる魔法陣から、超越的な威圧感を伴って炎の鳥が顕現する。
「うわぁ〜〜!」
あまりのプレッシャーに反射的に残った魔力全てで障壁を展開し、思わず叫んだところで、
「はあっ、はあっ……夢か」
眼が覚めた。
そう、先ほどのことは祐一の夢、まだ神威と共にいたころの修行風景の一部である。
(すかっりトラウマになっちまってるなあ)
トラウマですんでいるだけで凄い。
はっきりいって凡人なら一年もたずに死ぬか廃人になる。
神威の修行はそれだけ無茶苦茶であった。
「さて、起きます・・・・・・」
ジリリリリリリリリリリッ!!!!!
「うおっ!? なんだ!?」
とりあえず起きようと布団から出たところで、壁の向こうから聞こえてきた大騒音に思わず耳を塞ぐ。
それなりの厚さがあるはずの壁を挟んでも、なおこれだけの音量、直に聞けば確実に鼓膜が麻痺することであろう。
「外からか?」
「あ、祐一君!」
「あゆ、なんだよこの音!」
あまりのうるささに着替えるのを後回しにして外に出て、外にいたあゆに事情を問う。
「名雪さんの目覚ましだよ!」
「目覚ましだあ!?」
あゆからの返答は、まあ、響いている音からすれば妥当なところなのだが、その音量からすれば在りえないはずの返答であった。
思わずオウム返しに聞き返す祐一だが、あゆもその反応は予想通りだったらく、頷く。
ちなみにさっきから叫びっぱなし(『!』がある)なのは、あまりにも目覚ましがうるさくて小声では相手に聞こえないからである。
電車が横を通過している最中を想像して頂ければ分かってもらえるだろう。
「うん! 起こすの手伝って!」
「起こすって、この状況で寝てんのかよ!?」
祐一にしては珍しく、心の底からの驚嘆をそのまま表情に出して叫ぶ。
まあ、当然であろう。
常識人からしてみれば、壁を通しこしてなお耳に響くような騒音の中で熟睡できるような者がいるとは思えない。
耳栓でもしていれば別だが、目覚ましをかけておいて耳栓などするわけがないから、やはりこの騒音の中熟視していることとなる。
常識人から、いや、ちょっとばかり常識から外れている者からしてみてもまずありえないだろう。
「これくらいで起きてくれるなら苦労しないよ!」
(このくらいって……名雪って一体……?)
あゆの言葉に、己の従姉妹に思わず疑念を抱いた祐一であった。
「マジに寝てやがる。どういう神経してるんだ」
あゆに連れられて名雪の部屋(祐一の部屋の隣)に入った祐一が見たものは、この騒音の中実に幸せそうな顔で寝ている従姉妹の姿だった。
この騒音に顔を顰めることなく、実に寝心地がよさそうである。
目覚ましがうるさくて聞こえないが、体の上下から察して寝息なども規則正しく、完全に安眠していることがうかがえる。
(地震や火事があったら、絶対寝たまま永眠だぞ、これは)
従姉妹について、ちょっと(かなり?)不安を覚える祐一であった。
「とりあえず目覚ましを止めて!」
「分かった!」
目覚まし停止作業中です。
「……一体何個使ってんだよ、こいつ」
やっと全ての目覚ましを止めた祐一が、心底疲れきった表情であゆに問う。
少なくとも10個以上は止めた。
祐一の鼓膜は今も若干痺れていて、すぐ近くにいるあゆの声も大きさと方向が出鱈目である。
「えっと、確か先月37個目を買ったって言ってたよ」
「37個……今度からは水をぶっかけろ。いや、魔法で攻撃しろ」
「それはいくらなんでも無茶だよ」
ため息をつきながらの、祐一の冗談のようなそれでいてかなり本気の提案に、あゆは苦笑して誤魔化すしかなかった。
……内心では、『そうしようかな?』、なんて思っていたりするのは本人だけの秘密である。
ちなみに、相手を眠らせる魔法というものは存在するが、逆に眠っている相手を起こす魔法は存在しない。
「とにかく、起こすか。名雪、おい名雪、名雪!」
「名雪さん、起きてよ! 名雪さん!」
二人がかりで声をかけ、体を揺する。
しかし、全く起きる気配はなかった。
まあ、この程度で起きるのならばあの目覚ましの中で寝ていられるはずもない。
始めての祐一は呆れ顔だが、あゆは至って真剣であり、めげることなく続けていることから、この光景が今日だけのものではなく、日常のものであることを示していた。
「ふむ」
だが、生憎と祐一はこの従姉妹が普通に眼を覚ますまで待つような性格はしていなかった。
おもむろに手を上げ、名雪の顔に寄せる。
そして指先で刻印を形成、それを名雪の額に押し付けると、刻印は名雪の中に吸収されるようにして消えた。
ピクッ。
その直後、名雪の体が一瞬ではあるが不自然に震えた。
「えっ?」
「う〜ん。いやだお〜ジャムはいやだお〜……だお〜〜〜〜!」
あゆが戸惑ううちに、先ほどまであれほど安らかな表情であった名雪の顔は、まるで恐怖に耐えているかの如く青くなり、『むにゃむにゃ』とお約束の言葉を時折紡ぐだけだった口は、恐怖と焦燥を露に絶叫した。
「祐一君、何したの?」
あゆが首を傾げながら問う。
刻印魔法を使ったというのは分かるが、どういう効果なのかまでは分からなかった。
「ああ、精神干渉系の魔法でな、相手が一番怖がっているモノを見せるんだ。本来は拷問用の魔法なんだが、ちょっと応用を利かせてな。悪夢を見てもらった。つーか、ジャムってなんだ? パンとかに塗るジャムのことか?」
それについての祐一の答えは明確であり、あゆを納得させるものであった。
あゆはそんな魔法は聞いたことがなかったが、刻印魔法は術者のセンスが直接魔法に結びつくといっていいので、独自の魔法を持つ者が多い。
アカデミーの生徒ですら、同じ効果の魔法なのに、個人個人微妙に異なる刻印を使っている場合があるのだ。
これも、祐一か、あるいは祐一の先生である神威という人のオリジナルだと思った。
実際にはカノンに至るまでの道中で知り合った、無口な魔法使い少女に教わったのだが、そんなことをあゆが知っているわけが無いし、祐一も別に言う必要を感じなかったのでいわなかった。
閑話休題。
しかし、祐一がジャム(邪夢)と口に出した瞬間、あゆの顔が引きつり、眼はあさっての方向に向かってきょろきょろと慌しく動く。
どうやら、あゆは名雪がどんな夢を見ているのか見当がついているようである。
本当に、本当に深いため息と共に、祐一に答える。
「……そのうち分かるよ」
「あん? まあいいか。名雪、さっさと着替えて下りて来いよ」
あゆの態度に不審を覚えた祐一ではあったが、まだ着替えてもいないことを思い出し、この場はこれまでにしようと決めた。
「わかったよ〜」
いつの間にか覚醒し、上半身を起こしていた名雪が返事をする。
まだまだ顔が眠そうであり、下手をすれば二度寝をしそうだが、そこまでは祐一達も責任をもてなかった。
「おはようございます、秋子さん」
「おはよう、秋子さん」
「おはようございます、祐一さん、あゆちゃん。名雪はどうですか?」
着替えた祐一と、それを待っていたあゆが一階に下りると、秋子が朝食の用意をしながら出迎えてくれた。
一応名雪のことを聞いているが、母親だけあって娘の寝起きの悪さは熟知しているのだろう、やや諦めが見てとれた。
「俺が起こしました」
「まあ」
だが、あっさりと祐一が放った一言に、この人にしては本当に珍しく一瞬表情が硬直する。
「これからは名雪を起こすのは祐一さんにお願いしようかしら」
何気ないセリフであるが、秋子の表情は至って真面目であり、今まで相当苦労してきたことが伺える。
「謹んでお断り致します」
「あらあら」
祐一としても、毎日あの騒動はお断りだったので即座に拒否する。
秋子のほうでも、その返事は予想していたらしくやや苦笑しながら会話を流す。
ただ、後日祐一が件の刻印魔法を秋子に教えたため、目覚ましの騒音は無くなり、遅刻常習犯だった名雪の登校風景が改善された事を記述しておく。
正し、名雪の朝の目覚めは極めて不快なものとなってしまったが。
「そういえば、真琴はどうしたんですか?」
「真琴なら、今日から暫く妖狐の里の方に帰っていますよ。なんでも親戚が結納するそうで」
「へえ、狐の嫁入りってヤツですかね」
「うぐう? でも、お天気雨はなかったよ?」
何気なく漏らした一言にあゆが反応する。
表情からして、どうやら本気のようである。
「あほ。んなもんは迷信に決まってるだろうが」
祐一が苦笑しながら突っ込む。
秋子の方を見てみれば、彼女もかすかに笑っている。
「そうなんだ」
「感心してどうする」
祐一が苦笑を深くしながら言うが、これは馬鹿にしているというよりも完全に呆れているようである。
いまどきこういう奴も珍しい、と。
「おはよ〜」
未だに眠そうな声で挨拶をしながら名雪が下りてくる。
既に制服に着替え、鞄も持ってきている。
後は武器を持てば登校準備は完全である。
この少女にしてみれば、恐ろしく珍しいことであるといっていい。
「おはよう、名雪。はやくご飯を食べてしまいなさいね。祐一さん、コーヒーと紅茶のどちらがいいですか?」
「紅茶をお願いします」
祐一は紅茶派である。
というよりも、神威と過ごしていた時は、神威の好みに合わせて紅茶が主だったので、自然と祐一も感化されてしまったのだ。
ちなみに、神威は紅茶を煎れるのがかなりうまく、初めて飲んだ祐一が『人は見かけによらないなあ』と思わず呟いて、直後脳天に拳骨を貰ったのはご愛嬌である。
「はい、どうぞ」
「秋子さん、俺は今日どのくらいの時間にアカデミーに行けばいいんですか?」
「そうですね、後一時間以内に来てくださればいいですよ。家からアカデミーまでは、徒歩で15分程ですから、まだまだ余裕がありますね」
「分かりました」
秋子の言葉に祐一は頷く。
「じゃあ、私は今日はやることがありますから、お先に失礼しますね。食器は水に浸しておいてください」
「分かりました。いってらっしゃい、秋子さん」
「「いってらっしゃい」
出勤する秋子を見送る祐一達。
秋子が部屋を出ると早速食事に取り掛かる。
このとき祐一は、みんなせいぜい15〜20分位で食べ終わり、余裕を持っていけるだろうと思っていた。
が、彼は自分の考えが非常に甘かったということを思い知ることとなる。
「なんでお前はそんなに食べるのが遅いんだよ!」
祐一が唾を飛ばさんばかりの勢いで怒鳴る。
無論のこと、対象はこの事態を招いた張本人である。
「う〜だって〜いちごジャムなんだよ〜」
その張本人、名雪は祐一とは対照的にのんびりした表情である。
口調とその内容も至ってのどかであるが、この状況でのそれは相手をいらいらさせるだけだ。
「やかましい! 理由になるか!」
案の定、今度は本当に唾を飛ばして怒鳴る。
ちなみに、現在時刻は秋子が家を出てからおおよそ50分後、つまり、祐一は後10分以内にアカデミーに行かなくてはならない。
走れば間に合うだろうが、職員室を探す時間などを考えれば微妙な時間だ。
「くそっ、さすがに走ってたら間に合わないか。あゆ、アカデミーはどっちだ?」
「えっ? あっちだけど……」
アカデミーへの『道』『を聞かずに『方角』を尋ねる祐一に、怪訝に思いながらもあゆが答える。
「校舎は目立つか?」
「うん。敷地が王城より広いから絶対に分かると思うけど」
またしても要領を得ない問い掛け、それでもあゆが答えると、祐一はなにやら頷いた。
「そうか。あゆ、名雪、わるいが俺は一足先に行かせてもらう。さすがに教師が着任初日から遅刻はできん」
「分かったよ」
「ごめんね〜」
祐一の言うことはもっともであり、あゆたちも異存は無かった。
「そう思うならもう少し早く食え」
「大気に満ちる風の精霊よ我に力を、我に汝らの加護たる翼を授けたまえ、シルフィード=ウィング。じゃあな!」
祐一は飛翔の魔法を唱え中空に浮かび上がる。
そして名雪たちにことわり、かなりの速さでアカデミーの方向に飛び去ってしまった。
ちなみに、飛翔の魔法は風系統の詠唱魔法の中に複数存在する。
まず祐一が使った自分の背中に不可視の風の翼を生み出す『シルフィード=ウィング』は、小回りが利き、速度もかなり出すことが可能な最も高位のものである。
もっとも、その分制御が難しいが。
もうワンランク下げると、自分の周りをすっぽり風の結界で包む『エア=シール』という魔法がある。
これは簡易防御の役目も果たすという利点があるが、遮蔽物と風の結界が接すると風が暴走してしまうため狭いところでは自滅を招く。
最も簡単なもの、 『フライ』になると、ただ単に風で浮かび上がり、縦横斜めに動くだけという単純動作しかできず、しかも速度がかなり遅い。
たいていの術者は『エア=シール』までであり、『シルフィード=ウィング』まで使える者は少ない。
思わぬところで祐一の凄さを再び垣間見る名雪たちであった。
また、もう一つ付け加えると、この飛翔や、水中での呼吸、暗視のような人間には不可能な行為を可能にする魔法は殆どが詠唱魔法である。
刻印魔法では無理な理由は、刻印の効果の多くが即物的なものだからである。
飛翔・呼吸・暗視のような効果を継続させる必要があるものは詠唱魔法のカテゴリーなのだ。
例外として魔法陣を用いての結界や、武具への魔力付与は刻印魔法である。
ただしそれも効果が及ぶのは限られた時間で、定期的に魔力を込め直さなければならない。
ただ、古文書などによれば、太古の神代の時代には今では考えられないような強力かつ特異な魔法体系が存在したと記されている。
多くの学者や術者が、その魔法の研究をしているが、さほど効果は上がっていない。
「あそこか!」
飛翔の魔法を使って飛ぶことおおよそ三分、民家とは明らかに違う建物が見えた。
複数の建築物が繋がり、周りには幾つか円状の仕合場も見える。
まちがいなくアカデミーであろう。
「ふう、間に合った」
着地と同時に一息つく。
と、
「「祐一(さん)!?」」
後ろから驚きを含んだ声を掛けられた。
振り返ってみると、そこにあったのは最近、というか昨日見知った顔が二つと知らない顔が一つ。
「ん? おお、真にひなたか。また会ったな。どうした、そんな顔して?」
「あのなあ、普通人が空から降って来たら驚くだろう」
呑気に応じる祐一に、真がやや呆れの入った表情で言う。
たしかに、いきなり自分の上から人が降って来たら驚くだろう。
「悪いな、時間がなかったんでな」
「え? でも、まだまだ予鈴にも余裕があるよ?」
祐一の言葉にひなたが不思議そうに問う。
確かに、予鈴までにもまだそれなりに余裕がある。
が、それは生徒の場合である。
「ああ、俺は教師なんでな、はやめに来なくちゃあいけないんだ」
「……なんだって?」
真が、他人から見ればいささか間抜けに見える表情で聞き返す。
「だから、俺は今日からここの教師になったんだ。ちなみにひなたのクラスの担任だぞ」
祐一は真の問いに答えると同時に、ひなたに語りかける。
その内容が真達の困惑をさらに深めるであろうことは、祐一としてももちろん分かっている。
それでもいった理由は、彼らのリアクションを見るためであった。
「うにゅっ!?」
「どういうことだ?」
案の定、祐一の期待に真達は見事に応えた。
ひなたは、昨日も何度となく言っていた口癖を叫び、真は顔にかなりの皴が寄っている。
祐一としてもかなり満足のいく反応であった。
「説明してやりたいが時間がない。またの機会にな」
満足した祐一は、時間があまり無いことを思い出して、混乱している真達を放って校舎に入る。
「まこちゃん、知り合い?」
「……一応な」
残ったのは、呆然としている丘野兄妹と、まったく会話に入ることができなかった、真をまこちゃんと呼ぶツインテールの少女だけであった。
「職員室はどこだ?」
真達をアフターケアなしで放置した祐一であったが、彼はものの見事に迷っていた。
既に真たちと別れて10分、秋子から指定された時刻より5分オーバー、完全に遅刻である。
しかも、未だに職員室が見つかる気配は無し、このままではさらに遅れることになるだろう。
「なんでここはこんなに無駄にでかいんだよ」
誰にとも無く悪態をつく祐一。
確かにアカデミーは広いが、迷子になる者はあまりいない。
それでも彼が迷子になったのは、彼が特殊な方向音痴だからである。
どう特殊かと言うと、彼は『屋内』でのみ方向感覚が出鱈目になるのだ。
『屋外』ならば、そこが砂漠であろうと密林であろうと、ほぼ完璧に方位と位置関係を把握できるのだが、『屋内』だと、そこが遺跡であろうと洞窟であろうとほぼ確実に道を見失ってしまう。
さすがに普通の民家では迷わないが、貴族の屋敷クラスになると危うくなってくる。
以前も、以来を受けた貴族の屋敷で用を足しに出て迷った事があるほどである。
もっと前には、神威に神代の遺跡に放り込まれて、道に迷い、順調に行けば半日で出られるものを、三日たっても出られずに野垂れ死にしかけていたのを神威が救援に来たというエピソードもあった。
ちなみにこの祐一の方向音痴、やっかいな欠点があればともかく矯正する方針であった神威が、唯一矯正できなかった祐一の欠点である。
後は、味覚の鈍さやら、かなずちやら、寝起きの悪さやら、そういった欠点は全て『物理手段でもって』解消されている。
それほど彼の方向音痴は深刻なのだ。
そんな祐一が一度迷って自力で目的地に到達することは、ほぼ無理である。
「しょうがない、誰かに聞くか」
祐一も自分が方向音痴であるという自覚はあるため、あっさりと自力到達を諦めて誰かに道を聞こうと人を探す。
すると、タイミングを計ったかのように祐一の前の曲がり角から人がやってきた。
「おっ、ちょうどいい。お〜い、そこの人」
「……私ですか?」
祐一は声をかけたのは一人の少女。
銀の髪に、紅い瞳、その容姿に祐一は見覚えがあった。
「そうそう。すまないが、あれっ? 月代彩さん?」
そう、その少女は祐一がカノンの外で見かけ、そして祐一の受け持つクラスに在籍している少女、月代彩であった。
「そうですが、どうして知っているんですか?あなたとは会ったことはないと思いますが」
彩が、やや平坦に聞こえる声で問う。
確かに、見ず知らずの人物に名前を知られていれば、理由を聞きたくなるだろう。
「ああ、それは俺が今日から君のクラスの担任になるからだ」
「私と対して年齢は変わらないように見えますが?」
祐一としては、ここでこの少女の驚いた顔を見てみたかったのだが、期待に反して、彩はやや眉を寄せただけであった。
「ああ、一つしか違わないな。ちなみに俺が上だ」
「それで担任ですか?」
「一応それに見合う実力はあるつもりだ。まあ、見てろ」
「そうですか。それで、私に話しかけてきたのは何故ですか?」
祐一の言うことにあまり興味が無いような、いやおそらくは実際に興味が無いであろう彩は、祐一に話の先を促す。
「実は道に迷ってね、職員室はどこか教えてくれないか」
その態度にやや憮然としたものを感じながらも、祐一は自分が秋子を待たせていることを思いだして要件を告げる。
「構いませんよ。職員室は……です」
「分かった、ありがとう」
「いいえ。では」
用が済めばさっさと離れる。
そんな態度に、普通なら『人付き合いが悪い』、『とっつきにくい』など思うのが普通だが、祐一は、なぜかその態度に不信感を持った。
月代彩という少女にではなく、彩が人とあまり関わらないようにしていることに不信感を持ったのだ。
自分の意思ではないのに、人から距離を置こうとしている、と。
だが、それは無意識での漠然とした感情であり、本人にもはっきりとした自覚は無く、そう感じた理由も分からなかった。
祐一がそう感じた理由を知るには、まだ今暫くの時間が必要であった。
そして彼がそれを知る時、それは…………
「ああ、HRでな」
すでに祐一に背を向けている彩に、祐一は声をかける。
彩は返事をしなかった。
「ここか」
彩に教えてもらったとおりに進み、祐一はようやく職員室にたどり着いた。
さすがに、馬鹿ではないので道順を教えてもらえばちゃんとたどり着ける。
「失礼します!」
「あら、祐一さん遅かったですね、ぎりぎりですよ?」
祐一を出迎えたのは秋子。
遅刻した祐一に対しても常の笑みを崩していない。
「まあ、いろいろありまして」
祐一もまさかこの年になって『校舎で迷いました』とは言いづらいので誤魔化す。
「そうですか。では、祐一さんのクラスに行きましょうか?」
秋子もあまり追及する気はないらしい。
というか、実は彼女は祐一が遅れた原因は、100%名雪の食事が終わるのを待っていたからだと思っている。
だから、あまり追求する気になれないのだ。
「説明とかは無いんですか?」
「簡単な話しかありませんから、歩きながらで大丈夫です」
「分かりました」
秋子に連れられて教室に向かう。
ちなみに秋子の話の内容を要約すると次の様な内容になる。
祐一が担当するクラスは、一年生の中でも能力が高い、あるいは何かしらの才能があるものが多い。
また、倉田一弥や折原みさおのような、将来国家の采配に深く関与してくる者も意図的に集められている。
よって、彼らのへの修練では、あまり過剰な手心を加えずに、『実戦』というものを叩き込んで欲しい。
祐一が急遽担任をすることになった理由は、前任の者がアカデミーとは別口の以来を請け負っている時に事故に合い、第一線から退かざるを得なくなったからである。
とまあ、こんな感じになる。
祐一もこの話には特に異存は無かったが、彼は一つ気付いていないことがあった。
それは、本来なら真っ先に挨拶すべきである人物、アカデミーの学長に挨拶をしていないということだ。
しかし、周りの誰も咎めなかった事から、話は既に通されているらしい。
だれがそんなことをしたかは・・・・・・一人しかいないが、それに対してあまり突っ込まないように。
「ここが祐一さんに受け持っていただくクラスです」
とある教室の前で秋子が言う。
どうやらここが祐一の担当するクラスらしい。
一応今はHRの時間だが、教師がいないためか、結構大きな声で雑談をしていて声が外まで漏れている。
アカデミーとはいえ、年頃の子供ということだろう。
「では、行きましょうか。ああ、そうそう。一応勤務時間の間は先生と呼んでくださいね。私も祐一さんではなく相沢先生と呼びますから」
秋子の言葉に、若干顔が引きつる祐一。
別に自分が秋子のことを水瀬先生と呼ぶのがいいが、秋子に自分が相沢先生などと呼ばれるのは、はっきり言ってちょっと嫌だった。
というよりも、そう呼ばれているところを知り合いに見られたくなかった。
名雪たちの前で、秋子のことを水瀬先生と呼ぶなんてことになれば、笑われるのが眼に見えている。
だがしかし、秋子はそんな祐一の態度を無視して教室に入る。
祐一も、しぶしぶと秋子に続く。
「皆さん、静かにしてください」
秋子の声で、一応静かになる生徒達、しかし、視線は祐一に注がれている。
小声で隣の生徒に、『転校生かな?』などと話しかけている者もいる。
しかし、彼らは秋子の次の言葉で驚愕することとなる。
「私情で退職なされた先生に代わって、あなたたちの担任になる先生を紹介します」
秋子の言葉がもたらしたのは、無音の静寂であった。
秋子の隣にいる祐一、自分達と同年代に見える少年が、分達の新しい先生になると聞き、彼らは一切の動きを止めるほどの衝撃を受けた。
「相沢祐一先生です」
しかし、秋子はそんな生徒達を無視して話を進める。
祐一としては、いろいろといいたいことも合ったが、最早ここまできては後の祭りである。
開き直って自分の名前を言う。
「相沢祐一だ。先生といってもお前達と年は一つしか違わないから、硬くならないで接して欲しい」
というか、硬くなられては嫌だった。
自分の一つ下の奴らに、先生と呼ばれて敬語で話されるなんて、考えただけでも虫唾が走る。
(うにゅっ、ホントに先生になってる!)
祐一の自己紹介を聞き、生徒達も段々と復活していく。
その中で最も復活が早かったのは、今朝とはいえ一応事前に聞いていたひなただ。
ただし、利いていたとはいえ、普通ではありえないことに、驚いていたことは変わらないが。
しかし、例外的に何の驚きも見せない者もいた。
祐一が不思議な感情を抱きつつある少女、月代彩である。
彼女は、祐一が現われても、秋子の言葉を聞いても、何の感情の起伏も見せなかった。
いかにひなた同様偶然祐一から聞いていたとはいえ、やはり普通の反応ではない。
「はい、静かに。質問がある人は手を挙げてください」
言い切る前から何人もの生徒が挙手する。
何人かは『はい!』なんて大声のオプションつきである。
秋子はその中から、一人の少女を指名した。
「はい、相沢先生は私達のクラス担任のほかになにを教えるんですか?」
「相沢先生には総合戦闘を教えていただく予定です」
「私達と一つしか違わないのに、そんなことができるんですか?」
生徒から疑惑の声が上がるが、当然の流れであろう。
確かに、自分達の一つ上、アカデミーでは高等部二年生にあたる人物が、いきなり実戦訓練をするといっても、はいそうですかと納得はできないだろう。
「相沢先生の実力なら心配要りません。少なくともアカデミーの学生では手も足も出ないほどの力があります。いいえ、はっきりいって私でも勝てる確率は五割を切ります」
秋子の言葉に、生徒達から驚嘆の声が上がる。
秋子はアカデミーの中でも上位に位置する実力者であり、戦闘教科の教師でないことが不思議なほどなのだ。
その彼女が、勝率五割を切る、つまりは彼女よりも目の前の少年が強いということである。
秋子はよく冗談を言うが、真剣な場では絶対にふざけたりはしない、そのことを知っているだけに、その言葉が事実であると分かり、それが生徒達をさらなる驚愕へと導いていた。
「あき……水瀬先生、それは謙遜のしすぎでしょう」
おもわず『秋子さん』といおうとしたのを、あわてて言い直す。
「あら。でも実際に昨日は相沢先生が勝ったじゃないですか」
再び生徒達から驚嘆の声。
まさか、実際に秋子に勝っていたとはという感じである。
「全然本気じゃなかったでしょう?」
「相沢先生も本気ではなかったでしょう」
「でも、俺は奥の手を使いましたよ?」
奥の手、天魔剣である。
自分は特殊な武器を使ったのに、秋子さんは多少魔力の通りが言いだけの通常の武器、しかも自分は固有の能力まで使った。
切っている札はこちらの方が多いのですから、次に闘えば有利なのはそちら、ということである。
「アレの力はあんなものではないということくらいは分かります。全力で使われていたらよくて大怪我。それくらいの力は秘めているんでしょう?」
その言葉に、祐一は押し黙る。
秋子の言葉が事実であったからだ。
確かに、秋子との戦いで見せた力など、天魔剣本来の力から見れば、全くといっていいほど力を発揮していない。
特に攻撃に使った『魔』の力は、全力で放てば高位の魔物すら消し去る、気絶する事を承知で限界ぎりぎりまで開放すれば、数ダース単位で魔物を葬り去ることすらたやすい。
そのことを、秋子は察し、指摘しているのだ。
祐一に反論は無い、いやできなかった。
「水瀬先生と相沢先生はお知り合いなんですか?」
一人の女性とが不思議そうに質問する。
何人かの生徒も興味深そうに二人を見ている。
さすがに、呼び方を変えたくらいでは、雰囲気までは誤魔化せない。
この二人の会話のやり方は、明らかに知り合いのものだった。
ばれて当たり前、まあ、特に隠してはいなかったが。
「相沢先生は私の甥です」
祐一は少し慌てたが、秋子のほうは動じずに答える。
そんなこんなで、質問タイムはもう暫く続くのであった。
質問があらかた出揃い、生徒達が静かになったところで、秋子がおもむろに教室の扉に向かって歩き出した。
そして祐一に話しかける。
「では、相沢先生、言葉だけでは皆さんも納得できないでしょうから、次の時間は先生の実力を見せてあげてください」
「水瀬先生とまたやるんですか?」
祐一も、自分の力を見せることには異論は無かった。
どうせいつかは見せることになるのだし、早いほうがいい。
言葉だけでは信じられないものも、事実を見せれば納得せざるを得ないからだ。
『論より証拠』、『百聞は一見にしかず』というやつである。
その後の問いは、祐一にしてみれば確認のつもりであった。
祐一の実力を示すならば、この場で最も相手にふさわしいのは秋子である。
他の教師ということも考えられるが、祐一は秋子がわざわざ別の教師を呼ぶとは思わなかった。
だから、祐一は『はい』という返事が返ってくると思っていたのだが、秋子の返事は祐一の予想とは異なっていた。
「いいえ、生徒一人一人と仕合ってもらいます。資料は渡しましたけど、実際に体感した方がいいでしょうから」
あっさりと、祐一に言外に『今からさっそく教師としての仕事をしてもらいます』と言う秋子。
祐一は意外そうな顔になったが、自分に拒否権が無いことは身に染みているので特に何も言い返さなかった。
また、祐一は秋子の言葉の裏の意味も理解していた。
秋子は言葉では『生徒達に祐一の力を見せるため』といっているが、その実本当の目的は『祐一に生徒の実力を把握させるため』である。
そのために、わざわざ全員と仕合わせるのだ。
祐一も、眼で見るよりも自分が体感した方が相手の力というものは分かるので、まあ、異論は無い。
「はあ。いいんですか、そんなことして?」
ただ、一応確認はしておく。
この言葉の意味は、『勝手にそんなに時間がかかりそうなことをしていいんですか?』という意味である。
「ええ、だって次の時間は私の受け持ちですから。その次の時間は実技、元々相沢先生の受け持ちです」
二コマもあれば、生徒一人一人にさほど時間を掛けなければ大丈夫であろう。
裏を読めば、それだけの制限時間に生徒一人一人の実力を把握しろといっているのである。
無茶な部類に入る要求であるが、祐一はすまし顔で流した。
「そういえば、水瀬先生の担当ってなんですか?」
そういえば、今まで聞いていなかった、と祐一がきく。
「薬学全般ですよ」
「戦闘じゃあなくて?」
祐一が意外そうな顔でかえす。
前述したが、これはアカデミーでも多くの者が持つ疑問である。
何故薬学の教師、それも超一流の知識と技能を持つ、が何故あそこまで戦闘力を有しているのかと。
それを知る者は、すなわち秋子の過去を良く知るものであり、その多くは既に死んでいるため(秋子の夫や祐一の両親)、謎であった。
「ええ。もう若くありませんから」
秋子は苦笑しながら答える。
言葉だけ見れば、明らかな誤魔化し。
しかし、祐一は秋子の表情が一瞬曇ったのを見過ごさなかった。
「そうですか」
だから、あっさり引き下がることにした。
秋子の先導で屋外の修練場に全員が集る。
そして生徒の準備が整ったのを確認した秋子が、祐一に始まりを促す。
「名簿の順でかまいませんね?」
「はい、いいですよ」
「では、最初は天野美汐さん、出てきてください」
「はい」
秋子の指名に答え、生徒の中から大人しそうな印象を受ける少女が出てきて、祐一の前に立つ。
「両者、構えて」
場に緊張が走る。
武器を、槍を構える天野美汐に対して、祐一は天魔剣を鞘に収めたままである。
というか、使うつもりが殆ど無かった。
天魔剣はその真価を能力の発現によって発揮するが、決してなまくらではない、否、その切れ味は極上に部類される。
名刀は主の望む時にのみ切れ味を発揮するとの言葉どおり、祐一が望まなければ天魔剣も本来の鋭さを示すことは無いが、それでも一般に流通している武器など遥かに凌駕している。
アカデミー生徒の武器は基本的に自前のものであるから、剣を使って全員の武器を破壊したなんてことになってはいくらなんでも悲惨だ。
それに、なにより祐一は無手でも闘える。
神威にそう仕込まれた。
万が一剣を、武器を失っても相手に後れを取らぬために。
その実力、一流の格闘家にすら後れを取らない。
リーフ屈指の格闘家にすら勝ったほどだ。
だから、祐一は剣を抜かず、半身を僅かにずらすのみ。
「はじめ!」
秋子の言葉と共に、祐一とアカデミー生徒との連戦が始った。