「大鎌ですか」

そう、それは柄の部分だけで秋子の身の丈に匹敵し、刃の部分を含めると完全に秋子より大きくなると言う大鎌であった。

「はい」

身の丈を超える大鎌を持ち、温和な微笑を浮かべている妙齢(そうは見えないが)の美女。

(ある意味凄まじい光景だな)

ちょっと場違いな思考をする祐一だが、気持ちは分からないでもない。
はっきりってある意味で怖すぎる。
死神といわれても納得するかもしれなかった。

「舞さん、合図をお願いできますか」

「……分かった……用意」

祐一、秋子共に武器を構え魔力を練る。
両者一分の隙も無く、見ている者も思わず息を呑む。

「……始め!」

闘いが始った。

 

 

 

 


永久の螺旋を断ち切る者

第3話

秋子との仕合


 

 

 

 

 

 

 

「はあぁっ!!」

先手を取ったのは祐一、天魔剣をかまえ秋子へと肉薄する。
それに対し、秋子は大釜鎌をかまえて待ち受ける。
そして。

ガシッ!!

ガシッ!!

祐一の天魔剣と秋子の大鎌が幾度となく激突する。
僅かにかん高い音を発しぶつかり合うそれらは、互いに一歩も譲ることなく無数の軌跡を描くのみ。
その速さは一秒に5,6回は音がするほどである。
しかも、当然のことであるがただ単に武器を打ち合っているのではない。
祐一は秋子の間合いの内側に入り込もうとし、秋子はそれを防ぎつつ祐一の射程外から斬撃を放つ、というような明確な意図を持って放たれているのだ。
現状は全くの互角と言っていいだろう。

かといってこのままでは千日手とまでもはいかなくとも、暫くはこのままである。
しかし、祐一はそんな消極策にでるような男ではなかった。
その気になれば両手で持てるにも関わらず、敢えて片手で剣を持っていたのは、空いている手で魔法を放つためである。

ここで魔法についての補足説明をしよう。
この世界では、魔法はその使用方法から大きく三つに分類される。
つまり『呪文の詠唱で発動するもの(詠唱魔法)』、『魔法陣を書いたり印を切ることによって発動するもの(刻印魔法)』、『詠唱と刻印の双方が必要なもの(契約魔法)』である。
ちなみに基本的に『詠唱魔法』、『刻印魔法』、『契約魔豪』の順に扱うのが難しく強力になってくる。

『詠唱魔法』の方が簡単な理由は、『詠唱』とは精霊などへと語り掛けであり、『詠唱』することによって魔法の構成・発動を精霊が補助してくれるのに対し、『刻印魔法』を発動させるには、その『刻印』の持つ効果によって引き出された自身の魔力をもって、世界に満ちる魔力を自力のみで変換しなければならないからである。
ただし、前述の通り『詠唱魔法』は精霊の補助が必要であり、基本的に一般の術者が力を借りれるのは世界中にいる無名の下位精霊のみのため、それほど強い補助(魔力)を受けることはできない、よって高位の魔法でなければ威力もそれほどではないのだ。

それに対し『刻印魔法』は、確かに精霊の加護は得られないが、そのかわり『刻印』と術者の力量のままに世界に満ちる魔力を直接使うことができるため威力が高い。
よって、『刻印魔法』は術者によって威力のばらつきが激しい。

ちなみに精霊達が『刻印魔法』の行使の際に加護を与えない理由は、『刻印』の効果は即ち世界の調和を術者の意のままに崩すことであるため、調和を重んじる精霊達は手を貸さないのだ(意外に思えるがこれは闇の精霊にも言えることである)。

では、『契約魔法』とは何かというと、その名の通り高位精霊(水のウンディーネ、火のイフリート等)などの特別な存在と契約したもののみが扱える、『精霊などと協力して世界に満ちる魔力を意のままに変換する魔法』である。
使える者は極端に少ないが、そのかわり威力は絶大であり、個人戦のみならず、戦術級の威力を有する魔術も数多い。

また、世間一般の使用頻度としては『詠唱魔法』が過半を占め、『刻印魔法』はやや少ない、『契約魔法』は一生のうちに見れたら自慢話になるというような割合である。
祐一も『契約魔法』は使えない(神威は使っていた)。

一秒にも満たない時間で手の平よりやや大きめのサイズの円を描き、その中に魔法の特性を現す図形を描く。
そして最後に手の平を『刻印』に押し付けるような仕草をした刹那(実際に押し付けているわけではない)、魔法が発動し『刻印』が消滅すると同時に拳大の火球が現われる。
火球は一旦祐一達から離れるが、すぐさまとって返し秋子へと突き進む。

「くっ!」

それを見た秋子は祐一を弾き飛ばし距離を取る、これは同時に火球の効果範囲から逃れると言う意図もあったのだが。

「やりますね」

構成段階から追尾性を持たされていた火球にとっては無駄であった。
だが、秋子とて只者ではない。
今度は秋子が鎌を片手に持ち替え、祐一に匹敵する速度で『刻印』をえがき魔法を発動させる。
現われたのは水の球。
それは秋子に迫り来る火球にぶつかり、相殺しあう。
ここまではやはり完全に互角である。

 

 

 

一方その頃ギャラリーの名雪達は。

「祐一、凄い」

「うぐう」

「あうぅ」

「……凄い」

全員揃って呆然としていた。

彼女達にとって、祐一と秋子の仕合は壮絶なものとして映っていた。
まず、この中の誰のもがまともに秋子と打ち合いができない
最も近接戦闘に長ける舞でも無理なのである。
打ち合う度に手が痺れ、数回で武器を持つことすら不可能になるのだ。
他のメンバーはそれどころか2、3回で武器を弾き飛ばされるか防御を掻い潜られる。
しかも、今の秋子の斬撃の鋭さと速さは彼女達と訓練している時の比ではない。
それくらいは彼女たちにも分かる、そして自分であったらなす術なく敗北しているであろうことも

また、その後の魔法についても同じであった。
この中で最も魔法に長けるのは名雪である。
しかし、彼女にはアレほど素早く『刻印』を刻む事はできない。
そもそも『刻印』はただその形をなぞればいいというものではないのだ。
指先に魔力を集中し、魔法の構成を練るのが『刻印』であり、それは非常にデリケートな作業である。
一部分にこめる魔力の強さを誤っただけでも魔法は正常に発動しないし、最悪の場合は魔力が暴走することもある。
よって『刻印』を刻むには数秒から十数秒、複雑なものでは数十秒から数分は掛かるのが並みの術者である。
いかなさほど複雑でないものとはいえ、祐一達のように一秒足らずという術者はかなり希少なのだ。

仮にも『アカデミー』の教師たる秋子はともかく、自分達と同年代である祐一がこれほどの力量を持っていたと言うことに、名雪達は驚きを通り越して驚愕していた。

もっとも、本人たちからしてみれば、『互いに相手に大怪我をさせない』という暗黙の了解の上での、『試合』にすぎないのだが。

 

 

 

名雪達が呆然としている間にも祐一は冷静に策を練っていた。

(アレだけでかい武器なのに振り回されてない、さすがだ。それに魔法の構成もかなり速い。これは迂闊に攻められないな)

互いに相手の間合いの外で向き合うこと数秒、今度は秋子が動いた。

「はっ!」

再び『刻印』を刻み魔法を発動させる。
今度も水の魔法、しかし今度は球ではなく激流である。

(水の激流? そんなもの喰らったところでたいしたダメージには……「散りなさい!」なっ!?」

秋子の声と同時に水の激流が十数本に分かれる。
そしてそれらは各々が別の方向から、しかし確実に祐一に向かって降り注ぐ。

「くっ」

さすがの祐一とてコレを完全に防ぐことは無理である。
何発かは直撃し全身がびしょぬれになる。
そして外れたものは祐一の周囲を水浸しにした。

(しかし、コレで一体何がしたいんだ? 濡れてもせいぜい若干動きにくくなるくらいだが……ん? 水?)

「そうか!」

「雷よ奔れ、ライトニング」

バンッ!

(げっ、魔法の同時行使!? そこまでするか!)

祐一の叫びと同時に秋子は今度は『詠唱魔法』を放つ。
といっても最下級、詠唱も一言ですむような、ただ単になんのひねりもなく雷を放つだけの魔法。
しかし、秋子ほどの実力者なら並の術者が放つ『詠唱魔法』の中位魔法クラスの威力がある。
さらに、『詠唱』と同時に聞こえた音の正体は『刻印魔法』の発動音。
秋子は『刻印魔法』と『詠唱魔法』、二つの魔術を同時に使うという高等技をやってのけたのだ。
しかも電撃は即座に進路を変え、地面に落ちて水を伝ってきている。
伝導率が上がって通常の数倍の威力を発揮するだろう。

『刻印魔法』の方は一見何も起こっていないが、一瞬見えた術式から察するに風系統、おそらくはカマイタチ。

『魔法の真価は応用にある』と言う言葉がある。
たとえ強力な魔法を使えても、それを扱えきれなくては意味がなく、下級の魔法もやり方によっては数倍の威力を発揮することができるということを意味する言葉だ。
事実強大な魔法を得意とする術者がろくな魔法を使えないものに敗れたという話は結構ある。
この場合も、使われた魔法はどれも下位のものだが、連携によってこの上なく厄介なものとなっている。

(どうする? ただ単に避けても下も水浸しだからどうせ感電する。風で水を吹き飛ばしつつ同質の力であるカマイタチを打ち消すなんてのは無理じゃないが時間が足りない、火で水を蒸発させても風には効果が薄い、地面を変形させて壁に、却下、秋子さんが視界から消えちまう……なら、久々に使ってみるとするか)

この間の思考時間僅かにコンマ2秒。

意を決した祐一は天魔剣を両手で持ち、意思を込める。
それに呼応し、柄の中心部に埋められている宝珠が、純白から蒼へと色を変える。

「『開封・聖』! 全ての事象より我が身を守る盾を成せ!」

祐一の言葉と同時に、剣より淡い蒼い光りが溢れる。
光りは祐一を守るように広がり、風の刃と雷、さらには水すらも完全に消し去った。

それを見た秋子は、若干思案顔になり、頷きながら、

「……なるほど、それがその剣の力というわけですか」

自らの予想を告げる。
すなわち、『防御に特化した能力である』と。

だが。

秋子の呟きに対し、祐一は意味ありげな笑みで答え、再び剣に意思を込める。
宝珠の色が、今度は蒼から真紅へと変わる。

「『開封・魔』! わが敵滅せし刃を成せ!」

「なっ!?」

直後、今度は剣を紅い光りが覆い、祐一が剣を振り下ろすと同時に光は衝撃波となって秋子に突き進む。

「くうっ!」

秋子はとっさに魔力を開放し衝撃波を防ぐが、所詮は魔法として成り立っていない緊急措置、完全には防ぎきれず幾つか傷を負い、体勢を崩す。

「いまっ!」

「くっ、まだです!」

その隙に乗じ間合いを詰める祐一。
だが秋子も即座に迎撃の態勢を取る。
互いの間合いに入り、再び刃が火花を散らすかと思われたが。

バッ!

「なっ!」

祐一は秋子の間合いの半歩手前で後ろに飛び退く。
予想外の行動に秋子も戸惑い、瞬間的に体が硬直する。
それこそが祐一の狙いであった。

「大気よ我が手に集え、ウィンド・ブリット!」

短く『詠唱』し、手に風の塊を生み出す。
本来ならば相手に向かって放り投げ、何かにぶつかった瞬間に風が暴発するという魔法。
殺傷能力の極めて低い風系統の基本魔法。
だが、祐一は風の塊を投げるつもりはなかった。

「はあっ!」

祐一は手にした風の塊を、思い切り地面にたたきつけた。

ゴオオッ!

圧縮されていた風が解放され、大木すらも揺らがす程の暴風が吹き荒れる。
ただでさえ姿勢を崩していた秋子が、その猛威に耐えられるはずもなく。

「くっ」

完全に体勢を崩す。
そして、それは致命的な隙だった。

「チェックメイトです、秋子さん」

秋子の喉笛の数ミリ手前で剣を止め、己の勝ちを告げる祐一。
そして、秋子もそれを認めた。

「そうですね、私の負けです。本当に、強くなりましたね、祐一さん」

「ま、地獄を見ましたからね」

ちなみに、祐一の見た『地獄』とは、半殺し(あるいは三分の二殺し)にされた後即座に魔法で完全回復、また半殺しにされてまた完全回復が延々と繰り返される神威との特訓(死合)のことである。
彼はこの特訓で幾度となく臨死体験をし、天に召された筈の両親が巨大な川の向こう側にいるのを何度も見た。
余談であるが、両親のうち父親は祐一に向かって手招きし、母親はそんな父親に折檻をしていたという。

 

 

 

「「「「祐一(君)が、秋子(さん)に勝った……!?」」」」

ちなみにギャラリーの四人、現実を認められないらしく完全にフリーズしている。
再起動には時間がかかるだろう。

 

 

 

「ふふふっ」

「どうかしましたか、秋子さん?」

負けたというのにむしろうれしそうな声で笑う秋子に、祐一が不思議そうに問う。
このとき、秋子の笑みを見た祐一の心中に、凄まじくいやな予感がしたというが、結果的に見てその予感は当たっていたと言っていい。

「いいえ、これなら十分すぎると思いまして」

「は?」

いまいち要領を得ない秋子の言葉に、祐一は若干まのぬけた顔になりながら聞き返す。

「祐一さん、『アカデミー』の教師になっていただけませんか?」

「……はい?」

このとき、秋子の言葉をきいた祐一の受けた衝撃は、物理的に換算すれば師である神威の奥義に匹敵していたといっていい。
祐一は、秋子の言葉の意味を察することはできなかったが、実は仕合前の会話の流れからして、『アカデミー』関係ではないかとなんとなく思っていた。
だが、せいぜいが『生徒として通って欲しい』という内容がくるかもしれない、といったくらいの考えであり、『教師になってくれ』などという願いを受けるというのは、微塵も思っていなかったのだ。
それだけに、受けた衝撃は大きかった。

「あの、秋子さん。俺まだ本来なら学生やってる年齢なんですけど……」

言っても無駄であるということを無意識に悟りながらも、一般論を言うことで、秋子の気を変えようとする。

この行為でもわかるように、祐一は『アカデミーの教師』になるのは、はっきりいって嫌だった。
自分が生徒達同じ年齢であるというのは、まあ大きくはないが理由の一つである。

「そうですね。でも、もう祐一さんは『アカデミー』でも教わることなんてないでしょう?」

「まあ、それはそうかもしれませんが」

ちなみにこれが祐一がアカデミーに『生徒』として行きたくない理由だ。
神威に10年間、究極と言っていいほどのスパルタ方式で鍛えられた結果、祐一は実技・知識共に半島でも楽に一流に分類される域に達した。
いまさら『アカデミー』で学ぶことなどない。

「でしたら、その実力を有効に生かしていただかないと。それに今『アカデミー』では有能な教師が不足しているんです。ですから、祐一さんのような人材にぜひ来て欲しいんですよ。祐一さんなら、現職の教師の方々にも劣っているということはないでしょうし」

秋子の言は正しい。
実際問題として、現在『カノンアカデミー』で教鞭を振るっている教師のうち、総合的に祐一に匹敵する者と言うのは、秋子を含めても両の手で足りるほどである(高等部のみならず中等部、幼年部も、さらには常勤のみならず非常勤を含めても)。
また、『カノン』以外の『オネ』、『リーフ』のアカデミーを加えても、その数は楽に数えられる範囲である。
もっとも、評価基準を戦闘力に限定すれば、人数はさらに減るだろうが。

「いや、でも、同年代の奴ら相手に物事を教えるというのは」

だが、祐一の心は変わらない。

ちなみに名雪たちはというと、やっと復活したところを秋子の『教師になってください』で再びフリーズし、今は祐一の様子を黙ってみている。
また彼女達の顔には、一様に『どうせ結果は決まってるのに』と書いてあった。
彼女達の中では、祐一が秋子の願いを受けるというのは既に決定事項のようである。
というよりも、秋子が祐一に拒否を許すはずがないということを、彼女達は身をもって知っているのである。
そして、今回も水瀬秋子の不敗神話は崩れないであろう。

「大丈夫です。祐一さんに受け持って頂くのは一年生、祐一さんより年下ですよ」

「いや、年下って言っても一つしか違わないじゃないですか。それに俺の教え方は神威のマネになります。はっきり言って、怪我が当たり前、下手をすれば再起不能か死人が出ますよ?」

これが祐一が教師になりたくない、というよりもなれないと自分で思っている最大の理由である。
祐一はこれまでに誰かに物事を教えたことはなく、また神威以外の誰からも物事を教わったことはない。
つまり、祐一にはどの様にすればいいのか分からないし、唯一参考にできる人物を真似ればとんでもないことになるということである。
……祐一に教師の才があるかはともかく、神威の真似をすれば地獄絵図になることは確かだろう。

「……ダメでしょうか……?」

「え、いや、その、ダメ、というわけでは」

ついに秋子は女性の最終手段、泣き落としにでた。
秋子ははっきりいって美人である、高等部に通っている娘がいるとは思えないほどに。
そんな美女が悲しそうな顔で自分を見ている、しかも目尻には僅かに涙を浮かべて……男として罪悪感を感じない者は少数派であろう。
祐一もご多忙に漏れず、思わずどぎまぎし消極的肯定ともとも取ることが可能な言葉を発してしてしまう。

「ありがとうございます」

その言葉を聞いた途端、秋子の顔には穏やかな笑みが戻った。
この時点で、相沢祐一が『カノンアカデミー』の教師に就任することは決定したといっていい。

「いや、やるとは……分かりました。やらせていただきます」

反論しようとした祐一だが、再び顔を俯かせた秋子に轟沈、ついに自分から進み出る羽目になった。

「ありがとうございます、祐一さん」

(はははっ、どうすっかなあ)

満面の笑みを浮かべる秋子に苦笑いを返しつつ、明日からのことに頭が痛い祐一であった。

「では、そろそろ晩御飯にしましょうか。今日はうんと豪華にしませんとね。名雪、あゆちゃん、手伝って。舞ちゃんも食べていってくださいね」

「わ、分かったよ」

「うん」

「……」

「ご馳走になる」

自分達を完全に蚊帳の外に追いやって決定された祐一の教師就任に、それぞれ言いたい事があった彼女達だが、食欲と、なにより秋子の(意味深な)笑顔に勝てず、秋子に従う。

余談だが、その日の水瀬家の夕食は普段よりも確かに豪華であり、味も優れていた。
しかし、その食卓で終始笑顔であったのは秋子だけであり、祐一は時折頭を抱えて唸り、少女達は秋子と祐一を交互に見やっていた。
そのため、祐一はせっかくのおいしい料理の味もろくに分からなかったが、そんなことは些細なことであろう。

 

 

 

夕食後、祐一は『これが祐一さんが受け持つクラスの生徒表です。一通り目を通してくださいね』との秋子の言葉を受け、渡された資料に目を通していた。
そこには、生徒の名前と顔写真、出身地や特技などが記入されていた。
何故そんなものが用意されているのか問い詰めたい祐一であったが、聞いてもまともな返答が帰ってこないような気がしたので自粛した。

「ふんふん」

五十音順の一番先頭から目を通していく。

経緯は不本意であるが、祐一はいい加減な気持ちでむかおうとは思わなかった。
両親の死をはじめとして、神威との修行で、カノンに至るまでの旅で、祐一は多くの戦いを経験し、人の死というものを見てきた。
だからこそ、中途半端な実力と覚悟しか持たないものは、真っ先に死んでいくという現実を知っていた。
『アカデミー』、特に祐一が教鞭を振るうこととなった高等部は、そういったことを教える教育機関の最終課程であり、それを卒業したものはほぼ例外なく軍人であれば第一線に配備され、フリーランスの傭兵なら優先的に危険なところにまわされる。
祐一が担当するのは一年生、高等部の始まりであるこの学年でつまずけば後々ひびく事になる。
そんことは絶対にしたくなかった。
だから、なにをすればいいのかはまだよく分からないが、祐一は自分にできる限りの事をしようと心に決めていた。

そんな決意を胸に資料に目を通す。

「天野美汐」

天野美汐。
出身地:キー
特技:補助系統の詠唱魔法。
備考:特別に秀でているというわけではないが、冷静なため参謀役がこなせる人材。

別段変わったところはないのにおばさんくさく見えるのは何故だろうか。

「冷静、ね。実戦でどこまで通じるかね」

訓練と実戦は違う、練習どおりにすれば勝てるなどという者もいるが、それほど甘くはない。
それ以前にいきなり練習どおりにできる者など少数派だ。
だから、訓練で垣間見れる冷静さなど鵜呑みにできない。

「丘野ひなた、って、秋子さん、仕組んでないよな?」

丘野ひなた
出身地:カザネ
能力:身体能力、特に跳躍力の強化
特技:近接戦闘
備考:能力を生かした高速戦闘を得手としている。

今日知り合った元気な女の子、祐一がいきなり担任になどなったらどんな顔をするだろうか。
ちょっと楽しみな祐一であった。

「能力か、あまり知り合いにはいないが、使いこなせれば強力なんだよな」

能力者はその分野においては非能力者を超越する。
そして如何なる能力といえども、完全に自分のものとしているならば確実に一流にくいこむ。
能力者の焦点はただ一つ、どれほど自分の能力を使いこなすかなのだ。

「折原みさお……折原?オネの侯爵家の折原か?」

折原みさお。
出身地;オネ
特技:オールラウンド
備考:全般的に能力の優れている逸材、潜在能力は高い

折原家。
オネ公国の大貴族である。
武勇でもって爵位を得た貴族で、代々近衛総軍の将軍を排出している名家。
また現当主の姉だったか妹だったかが現公王の正妃であり、彼女は第一皇子を出産しているので政治の面でも影響力が強い。
……もっとも、風の噂では時期当主となるべき嫡男はかなり変人で、家名を潰すのではないかといわれているが。

「オネの貴族か。あのクソどもとは何の関係もないと思うが、あまりいい印象がないんだよなあ」

実は祐一はカノンに来る前に、オネの貴族(といっても男爵や子爵だが)をぶちのめしている。
もちろん非は相手にあり、その行動も名目上はリーフの貴族(公爵)の依頼によるものだったが(実際は共謀)。
折原家はそんな連中のとは違うだろうが、若干は気負う。

「倉田一弥……倉田、今度はキーの王族かよ。なんなんだよ、このクラス」

倉田一弥
出身地:キー
特技;剣と詠唱魔術の連携攻撃
備考:中等部3年次の実技主席、しかし、やや性格面で甘さがある。

倉田家。
キー王国王の一族。
キーの歴史数百年をたいした混乱なく治めてきたため臣民の忠義は厚い。
現国王倉田一政はなかなかの切れ者とされているが、重度の親馬鹿との専らの噂である。

「王族、しかも第一王位継承者か。どれ程の覚悟か見させてもらおうかね」

王族は例外なくアカデミーに通う。
魔物が徘徊する世界だ、戦いは日常茶飯事、だからといってむやみに武力を行使していいものではない。
その見極めのために、王族はアカデミーで戦いを学ぶ義務を背負うのだ。
ある意味最も中途半端な覚悟でいられては困る人物なのである。

「!この子、あの時の……月代彩、か」

月代彩
出身地:カザネ
特技:剣技と刻印魔法の連携
備考:能力は高いが集団行動を疎む傾向あり

祐一がカノンに入る直前に見かけた少女。
このような形で関わりあいになるとは、妙な縁である。

「……別に似てないよな。なんで神威が重なったんだ……?」

銀系統の髪に、真紅の瞳、多くはないが珍しいというほどでもない。
なのに、なぜか神威を思い出させた少女。
……祐一は知らない、彼女の背負いしものを……

「美坂栞、ひょっとして香里の妹か?」

美坂栞
出身地:キー
特技:治癒系統の詠唱魔法
備考:やや虚弱体質、後方支援のみにせよ

名雪の親友の少女に何処となく似ている少女、おそらく間違いないだろう。

「虚弱体質がアカデミーに通ってどうする……」

ちなみに栞がアカデミーに通うのを志した理由は、昔不治の病といわれていた自分を、日常生活に支障がない程度までに癒してくれた神官に憧れたからである。
そのため本人も治癒系統の魔法にしか興味がなく、治癒魔法や医療関係は優秀だが他は赤点ぎりぎりである。

「曰つきのヤツやら、俺と既に関わりができているヤツやらが多いな、どうなることやら……寝るか」

こうして祐一のカノンでの初日は終わった。
明日からはアカデミーで教鞭をとることとなる。
そしてそれは、彼の人生の中である意味最も大きな事件の始まりであることを、彼は知る由もなかった。