永久の螺旋を断ち切る者
第1話
再会への序曲
「ふう。もうじき着くな」
祐一は視界の中でかなり大きくなっている街を見ながら呟いた。
その街の名は『カノン』、半島の中央部に位置する『キー王国』の首都である。
数多くの交易路が交わる地点であるため、各国から多種多様な物資が流れ込み、その賑わいはまさに大国キー王国の首都にふさわしい。
しかし、祐一がカノンを目指すのはそんなことが理由ではなかった。
「秋子さん達は元気だろうか」
秋子、フルネームは水瀬秋子。
祐一の母方の叔母であり、現在においては祐一にとって数少ない肉親である。
まだ両親が健在であったころはよく遊びに行き、良くして貰ったのをおぼろげながら覚えている。
そして、自分と両親の死をきっと悲しんでいるであろう人物であった。
彼女の当時の所在地がカノンなのである。
「きっと驚くだろうな。なんせ10年ぶりだからな」
祐一が謎の男、蒼月神威に拾われてから既に10年の月日が流れていた。
もちろんその10年の間、祐一とて秋子達のことを忘れていたわけではなかった。
何度と無く神威に『会わせて欲しい』、それがダメなら『自分が生きていると知らせて欲しい』と頼んだ。
しかし神威の答えはいつも『駄目だ』であった。
理由としては、秋子が祐一が生きている事を知れば自分が引き取りたいと言う公算が高く、それを断れば確執が起こるし、祐一にとっても精神的に良くない、と言うものであった。
祐一もまあ理解できることだったので深くは言わなかった。
しかしやはり彼も会いたかったのである。
だからこそ、相応の実力がつき、神威の元から旅立つと同時にカノンを目指したのだ。
最も、本来なら一月でつくような行程を祐一はその三倍、三月を掛けて進んだのだが。
「しかし、ずいぶんと寄り道しちまったな」
そう寄り道である。
しかし祐一が望んだわけではないし、そもそも『寄り道』と軽々しく言えるようなことでもなかった。
少なくとも貴族間(しかも公爵同士)の抗争に巻き込まれたり、暴走した魔獣の討伐に強制参加させられるようなことを、世間一般では寄り道とは言わないだろう。
最もスパルタを極めた神威によって鍛えられた祐一の実力は既に一流であり、それほど難儀なものではなかったが。
「早く会いたいぜ」
と、早くも再会の時を想像し心躍らせている祐一だが、彼は肝心なことを失念していた。
彼は『自分が生きている』と言うことを、秋子に知らせるのを忘れていたのである。
本当は最初に立ち寄った町で手紙を出そうと思っていたのだが、初っ端から珍事に巻き込まれたため出せなかったのだ。
つまり、今の祐一は未だに『死んだ事』になっており、そんな人物がいきなり現われれば、たいていの者は驚くどころか驚嘆し、気の弱い人物ならその場で失神してしまうと言うことを全く考えていない。
「名雪達も元気だといいな」
自分の犯している失態に全く気付くことなく、祐一は今度は幼馴染達に思いを飛ばす。
従姉妹の水瀬名雪、泣いている所を出会った月宮あゆ、麦畑でであった川澄舞である。
全員女の子と言うのはご愛嬌であるが。
「ん?」
ふと、祐一の視界の端に一人の少女が映った。
学生服の様な服を着た、小柄な少女。
短めの銀色の髪を持った少女が、ただ立っている。
ただそれだけ。
街の外には魔物が徘徊するとはいえ、真昼に近い時間帯、それも都の近くである、人が外に出ていてもさほど不思議ではない。
しかし、祐一はなぜかその少女が気になった。
それに。
(なんで神威を思い出しちまうんだ?)
祐一は少女を見てなぜか神威を思い出した。
特に似ているわけでもないのに、である。
いや、確かにどちらの髪も銀系統の色であるし、おぼろげに見えた少女の瞳はもしかしたら赤かったかもしれない。
しかし、祐一が神威を思い出したのはそんなことが理由ではなかった。
なぜか、そう本当に『なぜか』としか言いようが無く、ただ思い出したのだ。
「あれ? いない」
祐一が再び少女のいた方を見ると、少女は既にそこにいなかった。
いや、周りを見渡しても何処にもいない。
完全に姿を消してしまった。
祐一の周りには誰もおらず、ただ風が吹くのみである。
そのようなことがあったが、ともかく祐一はカノンへと到達した。
「ようこそカノンへ」
門番の歓迎を受け。
「ありがとう」
軽く流す。
カノンでは交易が自由であるため、よほど不振な格好や態度をしていなければ特に問題なく入れる。
それでは妙な連中も入り込みそうだが、そこは首都、国王直轄の騎士団や魔術師などが守護する街である、不心得者が現われても直に捕まる為治安はいい。
祐一もそのまま通り過ぎ街に入る。
そして、暫く進んで立ち止まり辺りを見回す。
「ふむ。さすがに変わってるか」
さすがに10年の月日は長く、街並みは祐一の知るものとは随分と変わっていた。
最も、最後の記憶が7歳の時のものであるため、それほど鮮明に覚えていたわけでもないが。
それでも街並みが変わっていると言うのは彼にとっては困ったことだった。
ひょっとしたら街を見れば思い出すかも知れないと思っていたのに、この様子では秋子の家に相当近づかなければ期待できそうに無いからだ。
「取り合えずどっかで食事でもして、その店の人に聞いてみるか」
当面取るべき行動を決め、再び歩き出したそのすぐ後。
ドン!
「うにゅ!」
軽い衝撃と共になにか意味不明な声が聞こえた。
「ん?」
声のしたほうを見ると、赤い髪で祐一よりやや年下に見える女の子が尻餅をついている。
先ほどの衝撃と声から察するに、この少女は祐一とぶつかり、弾き飛ばされたらしい。
祐一もそのことに気付き。
「すまない、大丈夫か?」
やや涙目になっている少女に手を差し出す。
「あ、はい。大丈夫です」
少女は即座に返事をし、祐一の手を取る。
「ごめんなさい」
「いや、いいよ」
互いに怪我の無いことを確認し、そのまま別れようとした時。
「ひなた」
「あ、お兄ちゃん」
一人の少年が少女、少年の言葉からひなた、の肩に手を置いて声を掛けた。
どうやら少女の兄らしい。
「何かあったのか?」
「うん。この人にぶつかっちゃって」
ゲシッ!
「うにゅ!」
ひなたの言葉を聞くと同時に、彼女の兄は彼女の頭に手の平を水平に振り落とした(要するにチョップ)。
妙に心地よく響く音と共にひなたが悲鳴をあげる。
どうやら『うにゅ』というのはひなたの口癖らしい。
「この馬鹿。前を見ないで走るからだ。すいません、大丈夫ですか?」
「ああ。俺は特に何も無い。そっちの子も大丈夫だったしな」
「うん、ひなたは「こいつは頑丈にできてますから心配しなくてもいいですよ」ううぅ・・・」
言葉だけだと妹をぞんざいに扱う兄と言う構図だが、どちらも表情は笑っており、この兄妹がとても仲がいいのは明らかだった。
祐一もこの兄妹のやり取りについ表情が緩む。
「本当にすみません」
「いや、いいさ……そうだ。一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい、いいですよ」
「ここらでおいしい食事ができるところはないかな?カノンには久しぶりに来たから分からないんだ」
祐一の言葉に兄妹は顔を見合わせて頷く。
どうやら二人の間で意思疎通ができたらしい。
「それならいいところを知ってますよ。こいつがぶつかったお詫びです、案内しますよ」
「助かる」
どうやら案内して貰った方が互いに後腐れが無くなると判断し、その提案を受け入れる祐一。
「そうだ、自己紹介もしてませんでしたね。俺は丘野真。こっちは妹でひなたです」
「俺は相沢祐一だ。それと、敬語はいらないぞ。たぶん年はあまり変わらないだろうからな」
いや、むしろ俺が使う立場かな、と思いつつ、祐一も名乗った。
真が祐一を案内したのは、彼らが会った場所からそう遠くない場所にある喫茶店だった。
店の名前は『百花屋』。
昼食時からは少し時間がずれているせいか、中には2,3組の客しかいない。
「へえ、結構いい店だな」
「だろう」
内装を見渡して素直な感想を口に出す祐一。
それに応える真の口調は既に素のものだ。
ここまで来る途中で互いに自分のことを少し話し合い、祐一が実は真よりも年下と知って気負いが消えたのだ。
最も、それを知ったとき時、真とひなたは揃って『えっ!?』と声をあげ、祐一を苦笑させたのだが。
ちなみに、祐一は年上と知って真に敬語を使おうとしたのだが、他ならぬ真の希望で常の言葉使いをしている。
「何がお勧めのメニューはあるのか?」
「パフェ!」
ひなたが勢い良く答え。
ゲシッ!
「うにゅう!」
再び真のチョップが炸裂する。
その手際が実に鮮やかなため、祐一はこれがこの兄妹の日常であると、出会ってほんの十数分で察していた。
「誰がお前の食いたいものを言えと言った」
「くくくっ。悪いが昼飯にはならないな。それに俺は、どちらかと言うと甘いものは好きじゃないんだ」
「ここは何を頼んでも美味しいぞ。少なくとも不味いものは無い」
「そんなの当たり前じゃないですか、先輩」
真に応えたのは祐一ではなくウェイトレスの制服を着た女の子だった。
年はおそらく祐一と同じくらい、長い栗色の髪をポニーテールにしている。
声の調子やしぐさからして活発そうな印象を受ける。
「あれっ、望ちゃん?今日ってバイトの日だっけ?」
どうやら彼女は望と言うらしい。
「いいえ、違いますよ。友達の代理です」
「へえ」
「知り合いか?」
取り合えずこのままだと放って置かれると思い、祐一が声を掛ける。
案の定真は少しバツが悪そうな顔をして。
「えっ? ああ、ごめん。この子は藤宮望ちゃん。俺達とは同じ国の出身なんだ」
祐一に望を紹介する。
「同じ国? キーで生まれたんじゃないのか?」
「ああ。俺達はカザネって言う国で生まれたんだ」
祐一は記憶、子供の頃から神威に教えられた知識を辿り。
「カザネ……確か小国家連合の一つで、能力者の出生率が高い国……だったかな」
真たちの故郷の特徴を挙げた。
ここでこの物語の舞台となる地域の説明をしよう。
この物語は、東以外の三方を海に、東を山脈に囲まれている半島が舞台である。
半島の中心部には『キー王国』、西方に『リーフ共和国』、東方に『オネ公国』があり、この3つが国力が最も大きい3大国である。
その3国の北方には多数の小国家が存在し、それらはまとまり連合制を取っている。
そしてそのさらに北方はエルフやドワーフなどの亜人族の領地となっている。
東方の山脈は険しく、これまでに越えた者はいない(あるいはいたかも知れないが誰も戻ってきていない)。
次に祐一が言った『能力者』だが、これは読んで字の如く生まれつき特殊な能力を持つ者のことである。
能力の種類は『炎を生み出す』、『人の心を読む』等多種多様である。
その多くは魔法でも可能なことであるが、能力者の力は同質の魔法よりも優れている場合が多い。
また魔法が魔力、つまりは精神力を源としているのに対し、能力者は生命力を源としているという相違がある。
能力者はなぜかある特定の地域にまとまって生まれることが多く、真たちの故郷『カザネ』もその一つである。
能力者であるか、能力者であってもなんの能力を持っているかを判別する方法は無く、自分が『能力者』であると気付かぬ者も多い。
「へえ。よく知ってますね」
「まっ、いろいろあってね。俺は相沢祐一、好きに呼んでいい。よろしく望ちゃん」
いきなりちゃん付けだが、これは先ほど真のことを『先輩』と呼んでいた事から、少なくとも同い年と判断してのことだ。
「はい、よろしくお願いします」
「望ちゃん、祐一は望ちゃんと同い年だから敬語はいらないと思うよ。な?」
「ああ。同い年なら敬語は使われたくないな。まあ、それが常なら無理強いはしないけどな」
「えっ!? 同い年だったの!?」
驚きを露にした望の声に、真とひなたが笑い、祐一が若干顔を引きつらせた。
「またか。俺って老けて見えるのか?」
祐一の問いに真は苦笑しつつ。
「いや。物腰と言うか雰囲気と言うか、なんか落ち着いて見えてな。なあ、ひなた?」
だから敬語を使うのを止めてもらったんだ、とは言わない。
「そうだよ。お兄ちゃんなんかより全然大人に見えるよ」
ゴス!
「うにゅ!」
今までで一番痛そうな音が響いた。
「一言多い」
「くくくっ。お前ら、やっぱり仲いいな」
「相沢君は兄弟とかいるの?」
「いや。俺の家族は10年前に全員死んだ」
「ご、ごめん」
「いいさ」
望が思わぬ答えに顔を俯かせるが、祐一は全く動じていない。
彼にとって、その問題は既に決着をつけたものだった。
確かに最初は悲しかったが、今では自分がいつまでも悲しんでいては両親が浮かばれない、と思っている。
「それに、親戚がいないわけでもないからな」
「へえ、そうなのか。ひょっとして、カノンにいるのか?」
真がまだやや暗めの雰囲気を変えようと祐一に答えを促す。
「10年前はいた。多分今でもいるはずだ」
ちなみに、祐一がここまで言い切るのには理由がある。
この世界では、田舎から都市に移ると言うことはあってもその逆は珍しいのである。
カノンほどの街となればなおさらだった。
「俺にとっては叔母に当たる。水瀬秋子と言うんだが、知ってるか?」
あくまで一応、知っているとは誰も答えないだろうと思っていたが、予想外の答えが返ってくる。
「「「水瀬先生!?」」」
「せんせい?」
祐一はオウム返しに聞くことしかできない。
「俺達は『カノンアカデミー』の生徒なんだよ。で、先生の中に水瀬秋子先生って言う人がいるんだ」
『アカデミー』とは、剣術や魔法に代表される様々な技術と知識を教える学校である。
幼年部6年、中等部3年、高等部3年の計12年間となっているが、幼年部から通い始めるものは稀で、大半が中等部か高等部から入る。
前述の3大国のみが有しており、それぞれ『カノンアカデミー』、『リーフアカデミー』、『オネアカデミー』と呼ばれている。
カノンのみ国名ではなく首都名なのは、元々キー王国という国家自体がカノンという国家を母体としているからである。
今から300年ほど前に、周辺国家の中で最も有力な国家であったカノンが、周辺国を統合していって今のキー王国が誕生したのだ。
また各アカデミーの交流は盛んで、交換留学も頻繁に行われている。
3年に一度は各アカデミーの代表生徒が集い雌雄を決する対抗杯もあり、前回は3年前にカノンが勝利した。
「秋子さんが、先生ねえ」
驚く反面、祐一はあの人なら不思議じゃないな、とも思っていた。
常に温和な笑みを絶やさず、優しく料理上手でまさしく主婦といった感じだが、同時に何処か妙に謎めいた部分のある人だった。
この人なら何をしていてもおかしくない、祐一の叔母である水瀬秋子とは、そんな印象を与える人物だった。
「じゃあ家とか分かるか?」
「さすがに家は知らないな。望ちゃんは?」
「私も知りませんけど、大丈夫だと思いますよ」
「なんでだ?」
妙に自信のありそうな望に聞く祐一。
「それはですね」
「いちごサンデーください!」
望が答える前に、扉が勢いよく開かれて一人の女の子が入ってきた。
青い髪を肩くらいまで伸ばし、なかなか可愛い。
そして、祐一は彼女を見て、なんだが以前に会った事があるような気がした。
(はて? どっかで会ったような……誰だっけな?)
「名雪、いらっしゃい」
「あっ、望ちゃん。いちごサンデーちょうだい!」
入って来たときと同様に必要以上に大声で注文する。
体も若干前かがみになっており、いまにも飛び掛ってきそうな感じである。
(なゆき……名雪……!?)
「お前、あの名雪か!秋子さんの子供の!」
目の前にいる少女と、記憶にある従姉妹の面影が重なり、少女が誰かを理解した祐一が思わず大声を上げる。
対して名雪はいきなり声を掛けられて驚いている。
「えっ?」
「分からないか? 俺だよ、俺」
繰り返しになるが、祐一は今『死んだ事』になっている。
よって、名雪が目の前にいる少年が祐一であると言うことを理解する可能性は極めて低い。
というかほぼゼロである。
「どちら様でしたっけ?」
「俺だってば、祐一。相沢祐一だ」
ついに名乗り、名雪のほうでも今の祐一と昔の祐一の面影が重なり、目の前にいるのが祐一だと理解したようである。
そして、いきなり目の前に死んだことになっていた人物が現われて、平然としていられる人は少数派である。
そして名雪はその少数派ではなかった。
「……だお」
バタン!
事態を飲み込めず混乱し、珍妙な声をあげて倒れる。
「名雪! おい、どうした!?」
「名雪!?」
しつこいようだが、死んだはずの相沢祐一が生きているのを見て驚いたのである。
かなり状況が混乱してきたが、そこにさらに事態を複雑にする人物がやってきた。
「はあっ、はあっ。名雪、毎度のことだけど人を置いて行かないでくれる、ってどうしたの!?」
ウェーブの掛かった髪を伸ばした、年齢よりやや大人びた印象受ける少女が息を荒くしながら店に入ってきて、倒れている名雪を見て悲鳴をあげる。
そしてその少女は、原因と思われる見慣れない少年、即ち祐一に食って掛かってきた。
「あなた! いったい名雪になにをしたの!?」
「いや、なにって……久しぶりに会ったもんで、名前忘れられてるみたいだったから名乗っただけだぜ?」
「それだけで倒れるわけ無いでしょう!? 嘘をつくとためにならないわよ!」
少女の手は腰の片手剣に伸びており、今にも切りかかっていきそうな勢いである。
ちなみにこの世界では、モンスターなどが出没するため一般市民でも武器の携帯が許可されている。
正し、最新鋭の武器である『銃』は例外で、一定の基準を満たした上で許可を受けた者しか、携帯どころか所持することを許されていない。
一応ここにいる他の面子の武器を上げると。
祐一はやや大型の片手剣、真は一般的な片手剣、ひなたは短剣、望は今は携帯していないがカノンでは珍しい片刃の両手剣(要するに日本刀)、名雪は短剣と片手剣の中間サイズの剣(つまりはショートソード)である。
片手で扱える武器が多いのは、この世界においての戦闘スタイルは、武器と魔法のコンビネーションが主流だからである。
武器だけで戦うものはあまりおらず(魔術のみという者はそれなりにいる)、多くのものは武器と魔法を併用する。
そのため、印を切ったり魔法を放出したりする際に片手が自由になるように、片手武器が主流なのである。
「待て待て、本当だ。なあ?」
「ああ、確かにそうだぜ」
「うん、ほんとだよ」
「ええ、相沢君は嘘は言ってないわ」
祐一の意見を他の3人が肯定したことで、少女はやや頭が冷えたらしく手を剣からはずす。
「そんな。じゃあ、あなた誰なの?」
「俺は相沢祐一。名雪の母親の秋子さんの姉の息子。要するに名雪の従兄弟だ」
「嘘ね」
即座に否定する少女に、祐一と真たちが顔を見合わせる。
「ねえ、香里。どうして言い切れるの?」
どうやら少女、香里の知り合いらしい望が聞くと、香里はやや哀しげな顔になって。
「だって、名雪から聞いたのよ。自分の従兄弟は死んだって」
「俺は死んでねえ!」
「じゃあ、あなたが名雪と従兄弟だと言う証拠はあるの?」
その言葉に祐一は『うっ』と言葉に詰まる。
私達の世界には遺伝子鑑定と言うものがあるが、当然この世界にそんなものは無い。
「証拠と言われてもなあ。ガキの頃に俺と名雪、あゆや舞と遊んだことを覚えてるってのじゃあダメか?」
「そんなこと調べればすぐに分かるじゃない」
「ああ、ったく。じゃあどうすればいいんだよ」
祐一が頭を掻き毟りながら問う。
「そうね。なら、秋子さんのところに行きましょうか。あの人なら判断できるでしょうしね」
「いいぜ。もともとその気だったしな」
祐一がカノンに来たのは、もともと秋子を訪ねるためである。
僅かな記憶が完全に役に立たなかったのと、真達に会ったからここに来ただけなので、その申し入れは祐一にとっても都合が良かった。
「なら。行きましょう」
「名雪はどうする?」
「放っておけばいいわ。どうせいちごサンデー食べないと機嫌が悪くなるしね」
その言葉に祐一は昔の名雪を思い出す。
昔から、自分が好きなものには異常なほどの執着を見せる少女であった。
祐一の脳裏に浮かぶのは、悪戯でショーケーキのイチゴを食べて、当時覚えたててあった魔法で追い回された記憶。
他にも、猫アレルギーにもかかわらず猫を見つけると抱きしめ、案の定涙と鼻水を流しながらも猫を放さなかった時もあった。
「いちごジャンキーは健在ってわけか。ひょっとして猫狂いの方も健在か?」
「ふうん。昔からそうだったってことを知ってるの。本当に本物かもね」
祐一の言葉に苦笑いを浮かべつつも、否定する気は無いらしい。
「だから本物だってば」
「それを判断するのは秋子さんよ」
「はいはい。じゃあ真さん、ひなたちゃん、望。機会があったらまた」
店の主人に自分と真達の分も含めた代金を払い、扉に向かう。
「おう」
「またね」
「さようなら」
ちなみに、祐一とこの3人、この数日後に考えてもみなかった意外な再会をすることになるのだが、彼らはそんなことを知る由も無い。
「ここが秋子さんの家よ」
「ああ、そうそう。こんな感じだったな。さすがに10年たつと記憶も薄らぐわな」
香里に案内されてついた家に、祐一は何処と無く見覚えが会った。
間違いなく祐一の叔母、水瀬秋子の家である。
「まあ、そうでしょうね」
「そういえば」
「なに?」
「お前、名前はなんていうんだ?」
その言葉に一瞬呆けたような顔になるが、自分が自己紹介をしていないのを思い出す。
「そういえば言ってなかったわね。私は美坂香里よ。香里でいいわ」
「分かった、香里。俺は好きに呼んでくれて構わない」
香里があっさり名乗ったわけは、ここにつくまでに祐一から昔の名雪達のことを聞いたからである。
たしかに大まかなことは調べれば分かる、しかし祐一が話した事には、他人にはあまり話さないようなことも含まれていた。
香里は名雪の親友であり、あゆや舞とも付き合いがあるから知っていたが、他人が調べるのはかなり難しい。
よって、香里は今、目の前の少年がほぼ確実に名雪の従兄弟であると確信していた。
今思えば、わざわざ相沢祐一の名を騙るメリットも無いのである。
いや、実はあるのだが、香里はそれを知らなかった。
ピンポーン。
香里が呼び鈴を鳴らす。
するとすぐに玄関をあけ、一人の女性が出てきた。
名雪と同じ青い髪を束ねている温和そうな女性。
外見は20代の半ば頃、浮かべている微笑は見るものを穏やかにする。
名雪の母であり、祐一の叔母である水瀬秋子である。
驚くべきことに、祐一の知る10年前から容姿が殆ど変化していないが、神威もそうであったので祐一はさほど不審に思わなかった。
「こんにちは秋子さん。じつはこの人が……」
「お久しぶりです、祐一さん。すっかり逞しくなりましたね」
「「!!」」
秋子の言葉は祐一と香里を硬直させるには十分すぎるものだった。