それは聖夜の出来事。

 ブリックモールで一番忙しい日が終わった夜のこと。














 「うう……寒っ……早く来いよぉ、里伽子ぉ……」


 やっぱり、まー姉ちゃんの言う通りまー姉ちゃんの家で祝杯でもあげてたほうがよかったのかなぁ……

 正直、俺だって半分諦めていたりするんだから……

 それに本当のところ、迷っていたりもする。

 俺……今でもちゃんと里伽子のこと好きでいれてるのかなぁ……

 また失敗するかもしれない想いと今でも好きな想い……

 その二つがせめぎあっている。

 でも……

 本当はもう誰でもいいのかもしれない……

 里伽子もそれを見抜いているから姿を現さないんじゃないか?


 「俺の『本当』は何処にあるんだろうなぁ……」


 俺のそんな迷いの言葉を覆い尽くすように雪は白く降り積もっていた……
















 パルフェSS てんちょはつらいよ 〜クリスマスの災難〜















 「……ったく、さっさと帰ってよ仁」


 こんな寒い日に……

 それも雪が降ってるような日に……

 身じろぎもせずに座ったままでもう何時間も……

 早く帰ってお風呂にでも入らないと風邪ひくじゃない……私も……仁も……

 そんな事を思いながら私は草陰から仁の姿をもう何時間も見ていた。

 私はもう決めたから……

 もう絶対に好きとか愛してるとかの言葉に惑わされないと……

 だっていうのに…………どうしてここから離れられないかなぁ……私。


 「もう、しょうがないなぁ、仁は」


 こうなったら持久戦よ。

 仁が帰るまで私も帰ってなんかあげな……


 ガサガサッ!


 ああもう! さっきからうるさいなぁ……

 隣の方の茂みから時折ガサガサと音が鳴って気が散る。

 一度それが気になってしまうと、それが気になって仕方が無い。

 なるべく気にしないようにしながら仁を観察していたので、気付かなかったことがあった。

 その茂みの方向から時折『ううぅぅぅ……』と世界中のあらゆる拷問を冤罪で受けさせられた後の死刑囚でもこんな声は出せないだろうと思える程の禍々しい唸り声が聞こえる。

 大方、イブに振られた年増が彼氏の姿を見ながら唸ってでもいるのだろう。

 ……でも解りにくいけど、この声どこかで聞いたことあるような……



 「ううぅぅぅ…………仁くぅ〜ん……」


 うん、あれね。

 仁のことを『じんくん』なんていう人は一人しか思いつかない。

 こんな草陰でなにしてるんだか……って答えは一つか。

 私はコソコソとその声の主に近づいて小声で話しかけた。


 (……何やってるんです、恵麻さん?)

 (えっ? ええっ!? リッ、リカちゃん!?)


 恵麻さんは慌てて尻餅をつき、あわわ、と後ずさった。

 よっぽど後ろめたい事をしているんだろうと思わせるには十分な驚きよう。

 ……まぁ、こんな場所であんな声あげているのだから答えは一つなのだけど。


 (……恵麻さん?)

 (ちっ、違うの。違うのよリカちゃん? 仁くんが帰ってくるのが遅いから見に来ただけで、もしかしたらもしかしちゃったりする事態に備えてここで見張ってた訳じゃないのよ? 本当よ!? 信じて!)

 (……相変わらずのブラコンなんですね。そんなことばっかりやってたら仁もいい加減、愛想つかしますよ)

 (そんなことないわ? 仁くんは私にはいつだって優しいもの)

 「……くっ! 他人の恋路を邪魔してヌケヌケとまぁ……このブラコンパティシエ!」

 「そっちこそ、ウチの仁くんに振ったくせにまた色目使って……!」 

 『ぐぬぬぬぬ……』


 顔をつき合わせてにらみ合う私とブラコンパティシエ。

 もちろん、にらみ合うだけでなく互いに互いを罵倒しだしてしまうのだけど、場所がいけなかった。


 「……二人とも、こんな場所で何やってんだ?」

 『あ……』


 見上げるとそこには頭の上に雪を積もらせた仁が情けなさそうにこちらを見下ろしていた。





































 「で? 二人ともこんな場所で何してるんだ?」


 不満気に二人に言い放つ仁。

 里伽子が来てくれた事は、それは当然嬉しいのだが、あちらから目の前に現れてくれなかったという事は彼女が仁を受け入れていない事と同義である。

 それが解っているからこそ不満だし悲しい。

 さらに言うとこの場に姉がいるのが全くもって怪しさ爆発である。

 家で孤独なクリスマスパーティをしている筈だし、もう少ししたら仁も加わる予定であった。

 なのにその張本人がこんな場所でしかも里伽子と何やら言い合っているのである。

 怪しくない筈無かった。


 「え、えーっと……」

 「……なんでもないわ」

 「そうそう、なんでもないのよ仁くん」

 「こっち見て言え」

 「やだわぁ……仁くんったら、姉ちゃんのこと疑ってる?」

 「当たり前だろ。まー姉ちゃんには今日の俺の事情は言ったはずなんだけど?」

 「それは……そのぅ……」


 真っ白になった地面に目を泳がせながら、必死に言い訳を考えるブラコンパティシエ。

 同じく疑惑視されている里伽子も同様である。

 ちなみに仁の方はというと、先ほどまでのマジメモードから一転、姉が出てきたことにより陰謀の匂いを嗅ぎ取ろうと必死である。

 姉が関わった時点で既に陰謀と感じ取る辺り、この姉弟のある意味鉄壁の信頼関係が窺える。

 ちなみにこれが某ウエイトレスの場合、考え込まずに既に陰謀が動き出しているものとして扱っているのも、ある意味強固な信頼関係だとも言える。

 そんな仁の動向はさておき、弟の為なら軽犯罪くらいなら軽く起こしそうなダメ姉が苦し紛れに出した結論がこれだった。


 「あ、あのね? 実は私達、二人で仁くんを誘いに来たの。一緒にパーティしましょ?」

 (え、恵麻さん何を!?)

 (だって〜……私は仁くんと一緒に居たいし、リカちゃんはこの場を何とか凌ぎたいのよね?)

 (それは……そうですけど……)

 (だったら、ここはとりあえず合わせて!)

 「仁がいつまで経っても帰らないから恵麻さんに連絡したのよ。そうしたら恵麻さんが強引に一緒にパーティしましょうって言うから、私は反対してたんだけど、それがそのうち言い合いになって現在に至るという訳よ」

 「う〜ん……一応、筋は通っているのか?」

 「筋が通っているのは当たり前、だって事実だもん」

 「だよね〜♪」


 いけしゃあしゃあと嘯く里伽子とその尻馬に乗る恵麻。

 それでもまだ疑おうとする仁に里伽子がトドメを刺した。


 「ほら、いつまでもこんな所にいても仕方ないわ、行くわよ仁」


 そう言って里伽子は右手で仁の手を取って歩き出す。

 手を取られてあたふたするシスコン店長とそれを見て頬を膨らませるブラコンパティシエ。


 「ああっ、ずるいリカちゃん! 私も〜♪」

 「うぅ……騙されてる。俺、絶対騙されてる……」


 それでも手を払う事が出来ない仁は、何となく糸で操られている人形の様に力無くなすがままにされるのであった。













 「で? なんで俺んちなんだ?」


 仁は素直な疑問を述べた。

 今、三人が向かっているのは、恵麻のアパートでも里伽子のアパートでもない、仁のアパートである。

 普通に考えれば準備がされているであろう恵麻の家に行くのが筋なのだが……


 「だって仁くんの家が一番近いんだも〜ん」

 「も〜んって……年を考え……なんでもないです」


 余計な事を言いそうになった仁が、姉の眼光を受けてビクリと身体を震わせ黙りこくる。

 相も変わらず姉に弱い弟である。

 そんな弱い仁がアパートの建物の入り口の前で足を止めた。

 仁が足を止めた理由である人物二人は雪の降る中、笑顔を彼に向けた。


 「てんちょ、遅いよ、待ちくたびれちゃったんだから」

 「ダメだなー、仁くん。女の子をこんな雪の降る夜中に待たせちゃ」


 二人とも頭に雪を積もらせ、壁に寄りかかるようにして、白い息を吐きながら、雪乃明日香と涼波かすりは仁に笑いかけた。

 頭に雪を積らせるほどに待っていて身体だって冷え切っている筈なのに……それでも彼女達は笑みを浮かべていた。


 「二人とも……どうしてここに……?」

 「私達がここでいる理由なんて仁くんに用事がある以外に無いと思うけど?」

 「そりゃまそうだけど、そうじゃなくて!」

 「どっち?」

 「ええい、今度は何を企んでるんだ、かすりさん!?」

 「やぁねぇ、何も企んでなんか無いってば」

 (だったら何で笑ってるんだ……)

 「実は……」

 「実は?」

 「仁くんとこに一晩泊めてもらおうかなーって」

 「…………は?」

 「…………」

 「実は紬姉さんがウチに来ててイブの日に一人で帰ったら怪しまれるし……」

 「…………」

 「ほら、私、仁くんと駆け落ちした仲だし」

 「…………」

 「「「ええぇぇっっっ!?」」」

 「かっ、かすりさ……」


 仁が最後まで言い切る前にその傍らに控えていたブラコンパティシエが目にも留まらぬ速さでかすりの両肩を掴みガクガクと揺らしながら問い詰める。

 その反対側に控えていた里伽子はかすりではなく、仁をじとーっと「どういうこと? あぁん?」と言わんばかりの視線で睨みつけている。


 「かすりちゃん! どういうこと!? 駆け落ちってどういうこと!? 私への壮大な嫌がらせ!?」

 「え、恵麻さん、落ち着いて……」

 「かすりちゃんのこと、信じてたのにー! 信じてたのにーっ!?」

 「恵麻さん、ギブ! ギブー!?」


 恵麻が涙目でかすりを締め上げているよこで、仁は仁で里伽子の絶対零度の視線に晒され、未だかつて無い恐怖と混乱に陥っていた。


 そんな目で見るなよ、里伽子ぉ……

 お前、そんな視線で俺を見てたら泣きたくなるじゃないか……

 かすりさんに嫉妬してるって……勘違いしちまうじゃないか。

 それなのに拒まれてるって……立ち直れなくなってしまいそうになるじゃないか……


 「そ、それで、かすりさんはそういう理由として、明日香ちゃんはなんで?」


 これ以上考えるのが怖くなった仁はそんな雰囲気を打ち消すように話題を変えようと試みる。

 もっとも、恵麻が暴走状態に入ったままで、かすりはガクガクと揺さぶられたままであったが。


 「そりゃ、てんちょがホントにかすりさんを……その……しちゃわないように?」

 「………………………………いやー……私は別にそれでも……」

 「なんか言ったっ!?」

 「いえ、なにも」

 「……話がよく見えないけど、ここは寒いし、とりあえず話は仁の部屋でしましょう」

 「さんせー」


 そんなこんなでなし崩し的に二人も仁の部屋へと来ることになった。











 エレベーターで五階まで上って、いざ、仁の部屋! という所で仁が扉の鍵を開けようとした時に気付いた。


 「……えー、皆に大変残念なお知らせがある」

 「……て、てんちょ、まさか」

 「……どうやら、店に鍵を忘れてきたみたいだ」

 「……まじ?」

 「まじまじ」

 「仁くん、合鍵は?」

 「…………………………………………あ、そういえばそんな存在もあったな」

 「寒いし、ちゃっちゃ仁くんの家に転がり込んじゃいましょー」

 「はいはい、ちょっと待っててくれ……ってあれ? 確かここにおいてた筈……………………あ、そうだ貸したままだ」

 「……なんですって?」

 「……仁くん? それって部屋の合鍵を渡すような女性がいるって事?」

 「う……これは恋人達が互いの垣根を壊す的な行為じゃなくてだな……」

 「……女性なのは否定しないんだね、てんちょ……」

 「じゃあ、どういう意図で、仁くんは、合鍵を、その人に、渡したのかしら?」

 「え、恵麻さん、落ち着いて……ここは落ち着いて仁くんがぼろを出すのを待ちましょう!」

 「かすりさん、フォローになってないフォローをありがとう」


 仁は、なんだかなー、という表情のまま隣の部屋の扉の横にあるインターフォンを押すのであった。








 時は仁達が部屋に帰ってくる数時間前に遡る。


 花鳥姉妹の長女である花鳥由飛は義妹である私こと花鳥玲愛のアパートへと来ていた。

 理由は仁が店に忘れてしまった鍵を届けに来たという、これだけだったらまぁ、至極真っ当と言っても差し支えのない理由である。

 だけど私は知っている。姉さんが鍵を届けに来た理由がその『至極真っ当』な理由からは程遠い理由であることを。

 姉さんは仁が店に鍵を置き忘れたという事実に便乗して、本来の目的を果たそうとしているだけだということを。

 何故そんなことが解るか……理由は様々ある。

 義理とはいえ姉妹なのだから、ある程度相手の性格は把握しているということもある。

 このすちゃらかが服着たような姉がわざわざ鍵を家まで届けに来るなんて殊勝な真似は天地がひっくり返ってもするまい。

 でもまぁ、一番の理由というのは……


 「で? 姉さん? いつまで私の部屋に居座る気なのかしら?」

 「だって仁まだ帰ってこないんだも〜ん」


 こうやって全く帰ろうとしないところだったりする。

 私から仁に渡しておくって言っても聞きやしない。


 「だから私から仁に返しておくってば」

 「でも〜、やっぱりこういうのって直接手渡ししないと気になるし〜……わざわざ敵に塩送るつもりもないし〜」

 「今、何か言った?」

 「何も言ってないよ〜」

 「そもそも、姉さんがそんな小さい肝っ玉してるわけないでしょうが……」

 「ん? 玲愛ちゃん今何か言った?」

 「いえ、何も」

 「ふぅ〜ん……ところで玲愛ちゃん?」

 「何? 姉さん?」

 「玲愛ちゃんも名前で呼ぶようになったんだね……仁のこと……」

 「あ……」

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「……わ……悪い?」

 「ううん、悪くないよ……ただ……ままならないなって」

 「姉さん……」


 こんな表情の姉さん、初めて見た。

 何時でも何処でも過剰な程意味も無くどんな問題に当たっても自信に満ち溢れた姉さんの……不安げな顔。

 だから私は……


 「ねぇ、姉さん……勝負しよっか?」

 「勝負?」

 「えぇ、勝負よ姉さん。仁が帰ってきた時に自分の部屋より先に私の部屋に来たら私の勝ち、合鍵などで自分の部屋の扉を開けて自分の部屋に帰ったら姉さんの勝ち」

 「それって私が不利っぽくない?」

 「じゃあ私の方が有利だと思う?」

 「う〜ん……」


 普通に考えれば合鍵などを用意している場合、合鍵で開けるのが一般的だ。何しろ仁は今、鍵を持っていないのだから。

 しかし合鍵を作っていない場合、私の部屋に助けを求めに来るかもしれない。

 もしかしたら店まで取りに帰るかもしれない。

 普通なら……でも……


 「いいよ玲愛ちゃん、その勝負受けるよ。で、勝品は?」

 「仁」

 「おっけ〜、勝負だよ玲愛ちゃん!」


 だから私は…………この二度と訪れないかもしれない千載一遇の機会に勝負を決める。

 切り札は……私のポケットにある。


 「でも玲愛ちゃん?」

 「何?」

 「今日ってクリスマス・イブだし……帰ってこなかったらどうするの?」

 「その時は……二人でヤケ酒……飲み明かしましょ」


 これが数時間前の出来事であった。








 ピーンポーン


 ごくごく一般的な音のインターフォンが部屋に鳴り響く。

 お酒を飲みまくってフラフラの姉さんと顔を見合わせる。

 ……とは言え、私も飲みすぎでフラフラなんだけど。

 だけど都合が良いといえば良いのかもしれない。

 少なくとも、素面でこんなこと出来ないだろうから。


 「お〜い、玲愛〜? 寝てるのか〜」


 玄関の方から小声で仁の声がする。


 「う〜う〜」


 隣から不満気な姉さんの声がする。

 そんな中、ふらつく足取りで……それでも確実に前に……玄関に歩いていく。


 「いるわよ、ちょっと待ってて」


 さぁ覚悟を決めろ花鳥玲愛。

 私は姉さんと勝負して勝ったのだ。

 だからこれは正当な報酬……まぁ、合鍵は私が借りたままになってるのだから、勝つ可能性はかなり高かったのだけれども。


 「……す〜は〜、す〜は〜……いい私? 一撃で仕留めるのよ」

 「お〜い、玲愛?」

 「今開けるわよ!」


 勢い良く私は扉を開ける。

 開けた先には予想通り仁がいる。

 躊躇うな私。

 これは何となく直感なんだけど……この機を逃したら私はきっと一生仁を手に入れれないような気がする。

 直感とかまるで姉さんみたいだけど、感じてしまったものは仕方が無い。

 だから私は……

 キュリオの先輩に教えてもらったゴールデンルールに則り……

 相手の肩に手を乗せ……

 爪先立ちになって……

 瞳を閉じて……

 驚いている仁にキスをした。












 「お〜い、玲愛?」

 「今開けるわよ!」


 さっきから扉越しに何かポソポソと声が聞こえるが、何を言っているかまでは判別できない。

 最近の玲愛は何だか情緒不安定っぽいんだよなぁ……


 「うわ、玲愛、だって」

 「呼び捨てね」

 「呼び捨てだね」

 「じ、仁くぅ〜ん!?!?」


 だよなぁ……

 普通はこういう風に思っちゃうんだよなぁ……

 普通、こういう風に勘違いしちまうんだよ、玲愛。

 今までずっと、喧嘩ばかりしてきて……それでもお前のまっすぐな瞳を見せられると……変な誤解してしまうんだよ。

 弱くなった俺は必要以上に疑い深くなって……それでもやっぱり勘違いしそうで……

 思わず……


 「……私の顔に何かついてるのかしら仁?」

 「…………」


 否応無しに『あの時の事』を思い出してしまう。

 絶対に忘れられない、甘くて苦い記憶。

 でも……今回は違うんじゃないか? …って、思ってしまう。

 玲愛なら違うんじゃないか? …って、考えてしまう。

 もう、俺の中から消え失せた筈の『確かめる勇気』が湧いてくる。

 今回は勘違いじゃないんじゃないか? って……

 そんな想いが俺を狂わせていく。

 『俺は里伽子が好き』から変わっていく。

 『俺は里伽子がきっと好き』に変わっていく。

 狂うって言うのはそういうことだ。

 正気を失うことが狂うってことなんだ。

 正常な判断が出来なくなるから狂うっていうんだ。

 そういう意味では半年前から俺は狂ってた。

 里伽子に拒絶された日から狂ってた。

 正常な判断が出来ないから里伽子に……

 だからきっと今も狂ってる。

 里伽子への想いも狂った想いの産物だ。

 玲愛に感じてる想いだって狂ってるんだ。

 いや、里伽子や玲愛だけじゃない……周りにいるみんなへの想いだってきっと狂ってる。

 気の迷い。

 それ以外に何があろうか?

 きっと何もない。


 そう俺は狂ってた。

 だから当たり前のことに気付かない。

 里伽子と玲愛は性質こそ似ているが、性格は正反対だってことに。

 玲愛はいつもこっちの都合をすっ飛ばして……

 先へ先へと俺の手を引いていってしまう奴だってことに。


 バン! と無駄に勢い良く扉が開く。


 「うわっ、玲愛、お前危な……ぐむっ!?」

 「…………」


 気が付けば……

 俺の肩に手を乗せ……

 爪先立ちになって……

 瞳を閉じて……

 お隣さんが……

 キュリオのチーフが……

 あの花鳥玲愛が……

 俺の唇を問答無用で奪っていた。






 「あ、あ……て、てんちょ?」

 「仁……くん?」


 呆然と呟く二人の声が遠くに感じられる。

 玲愛もそれに気付き横目で二人を見るが……


 「…………」


 そんなもの目に入らない、と言わんばかりに無視しやがった。

 どういうことだよ。

 そうじゃないだろ花鳥玲愛。

 お前はライバル店のチーフだろ?

 それがどうして俺とこうなってるんだよ?

 落ち着け俺。

 これはどういうことだ、冷静に物事を捉えろ。

 間違っても花鳥玲愛はこういった冗談をするような奴ではない。

 え? なに? マジ……なのか? これ?

 ……と、ひとしきり混乱した挙句、ある事に気付いた。

 こいつ……


 「ぶはぁ!? 酒臭ぇ!?」

 「んなっ!? あ、あんた女の子にキスされて最初に言うセリフがそれ!? 信じられない!」

 「玲愛、お前……かなり飲んでるだろ」

 「何よ、悪い? 私達が自棄酒飲んでたら悪いって言うの!」

 「飲むなとは言わないが、俺を巻き込むなー!?」

 「うっさいわねー……何となくしなきゃいけないような気がしたんだから仕方ないじゃない!」

 「お前まであの姉のちゃらんぽらんな直感で動くんじゃねー!?」

 「私と姉さんを一緒にしないで!」

 「あー、もういいわかった。今のお前は間違いなく酔ってる。意識あるうちに俺んちの合鍵だけ返してくれ」

 「私は確かにお酒飲んでるけど酔ってないわよ!」


 と言いながらポケットから鍵を取り出す玲愛。

 こいつ……常時携帯してるのか? 他人の家の鍵を……まぁ、玲愛の性格からして悪いことは出来そうにないが……

 何てことを考えていると、玲愛の後ろから間延びした緊張感のない恨み声が聞こえてきた。


 「れ〜〜あ〜〜〜ちゃ〜〜ん?」

 「きゃっ!? ね、姉さん?」

 「玲愛ちゃん、仁のアパートの鍵持ってた……」

 「うっ……」

 「ずるした〜〜」

 「べ、別にズルじゃないわよ!」

 「お前ら、一体何の話を……」

 「玲愛ちゃんがずるして私の仁取ったぁ〜!」

 「誰が姉さんのよ!?」

 「いや、そのツッコミでいいのか花鳥玲愛?」

 「私もずるっこして仁を手に入れるもん!」

 「いや、だから何のはな……ぐむっ!?」


 またもや唐突に塞がれる唇。

 意図してなのか偶然なのかはまったく解らないし、そんなの考えてる場合でもないんだが……

 花鳥玲愛の姉である花鳥由飛は、妹とまったく同じ動作で、同じ唇を、同じく強引に奪ってくる。

 酒臭い所もまったく同じだ。

 ただ、さっきと違う所は……


 「むーむー!」(やめんか!)

 「むーむーむー!」(やーだー!)


 由飛の腕が俺の頭をロックして外さない所だった。

 げに恐ろしきは由飛の握力。

 首振ろうとしても動きすらしない。

 そんな由飛が義妹を横目で見る。

 それも勝ち誇ったかのような笑みで。

 何を勝ち誇っているのか全くの謎だが、酔っ払いに理屈は通じない、まして酔ってるのがあの由飛ならさもあらん。

 で、そんな視線に晒された義妹はいつもなら頬をピクピクさせながらも体裁は整える筈なんだが、やはり酔っ払い……いつもより少し自制心が減退しているわけで……


 「姉さん……」

 「むー♪」

 「仁から離れなさ……」


 そう言って玲愛が無理矢理にでも引き剥がそうとした所で……


 「いーーーーかげんにしなさーーーーーーーーーい!」


 まー姉ちゃんの一喝が聖夜の廊下に響き渡る。

 肩で息をしてゼーハー言ってる我が姉が無言で由飛を引き剥がして、まるで親鳥が雛鳥を守るかのように俺の前に立ち宣言した。


 「仁くんは私のなんだからねっ!」

 「あーあ、恵麻さんのスイッチ入っちゃったよ」

 「弟溺愛モードだね」

 「あの……明日香ちゃん? かすりさん? 出来れば見てるだけじゃなくて助けて欲しいかなーとか思うんだけど」

 「えー、てんちょ嬉しそうだしぃ」

 「嬉しくない嬉しくない! 困ってますからこのとーり!」

 「ぶぅ〜……せっかく姉ちゃんが庇ってあげてるのに仁くん、そんな事言うんだ」

 「いや、何ていうか……って里伽子、帰ろうとしないでくれっ!?」

 「よかったじゃない仁、どっちが本命か知らないけど、恋人出来ておめでとう」

 「里伽子っ!? こいつら酔っ払ってるだけだから!」

 「酔ってないって言ってるでしょう!」

 「酔っ払いのそのセリフほど信用ならない言葉があるかっ!」

 「じゃ、お幸せに」

 「だから帰ろうとするなってば! ええい、埒が明かん! 玲愛! その鍵を一刻も早くよこすんだ!」


 そう言って鍵を取ろうとすると、玲愛がスッと鍵を俺から遠ざける。

 そしてこちらを不服気に睨みつけてきた。


 「おい……」

 「なーんか納得いかないんだけど私」

 「好き放題しておいて一体何が不服だというんだこのお隣さんは」

 「仁、私の話まともに取り合ってないし」

 「お前が素面に戻った時に対する俺からの気遣いだ」

 「私……キスまでしたのに仁は他の女に気がいったままだし」

 「玲愛……いいから今日はもう寝とけ……」

 「だから、酔ってないって言ってるでしょ! ……っと、ほら開いたわよ」


 玲愛は俺のアパートの扉の鍵を開け、合鍵を懐にしまいこむ。


 「サンキュ……って、鍵を仕舞うんじゃない。 返せ」

 「嫌よ」

 「俺の家の鍵だぞ」

 「あると有事の際に便利なのよ」

 「いいから返せ」

 「……解ったわよ……はい」

 「ああ……っておい……俺の合鍵にはこんなかわいらしいマスコットは付いていなかったはずだが」

 「そりゃそうよ、だってそれ私の部屋の鍵だもの。私が仁の部屋の鍵を持つ代わりに、仁は私の部屋の鍵を持つ。これでおあいこでしょう?」

 「あいことかじゃなくてだな……俺の『じぃぃ〜〜ん、くぅぅぅ〜〜〜〜ん〜〜〜?』……はい、何でしょうかお姉様」

 「どぉぉぉ〜〜ゆ〜〜〜ことぉぉ〜〜〜?」

 「仁くん仁くん! 恵麻さん、もういっぱいいっぱいよ。そろそろ弁明の一つくらいしといた方がいいんじゃない?」

 「そうだよてんちょ! 恵麻さんがヘソ曲げたら明日のファミーユが営業出来なくちゃうよ」

 「それは困るな……って言っても俺からは玲愛が酔っ払って由飛みたいになってるとしか言い様がないんだが」

 「あ〜〜っ! 仁ひっどぉ〜い! 普段から私のこと酔っ払いみたいだって思ってたんだ!」

 「ごめん由飛ちゃん。私も」

 「か、かすりさん!?」

 「……というか普段から素面じゃ出来ないことばっかりやってるような……」

 「明日香ちゃんまでーー!」

 「元チーフとしてもあの接客はどうかと思うわ」

 「里伽子さんまで!? えーん……恵麻さーん! みんなが私のこといじめるんですー」

 「由飛ちゃん……」


 皆に言われ最後の砦とばかりに姉ちゃんに泣きつく由飛だが……

 今の姉さんに泣きつくなんて自殺行為だと気付いていない。


 「私最近思うのよ……やっぱり仁くん、由飛ちゃんのこと特別扱いしてるって」

 「へっ?」

 「だって由飛ちゃんがどんな失敗しても仁くん、ぜぇ〜〜〜ったい怒らないのよ!?」

 「そ、そうかなぁ?」

 「そうねぇ……仁くん、由飛ちゃんにいっつも笑顔でごまかされてるし」

 「ほんとだよ。あ〜あ、てんちょ由飛さんにばっかり甘いんだもん。モチベーションも下がるよ」

 「い、いや、君たち?」

 「そうね……いつの間にか名前で呼び合ってるし」

 「それは関係なくないか!?」

 「へ、へぇ……そうなんだ……姉さんは特別扱いなんだ?」

 「頬をピクピクさせるような事は全くしてないからな、一応」

 「そうだよ。仁ってばそんな素振り、全く見せてくれてないもん」

 「この娘にとっては名前で呼び合うのは、そういう素振りに含まれてないのね……」

 「いやー、面白くなってきたわね仁くん! 絵に描いたような修羅場じゃない」

 「ただの酔っ払いのいざこざにしか取れないんですけど……」

 「えー? だって二股かけられた姉妹とそこに元彼女とブラコン姉が入り混じって一人の男を巡って争ってるわけでしょ? これを世間一般では修羅場と呼ぶのよ?」

 「……元彼女って私のこと?」

 「わ、私はブラコンなんかじゃないと思うのだけど」

 「やっぱり二股かけてたのね! そしてやっぱりあの人が元彼女だったんじゃない!」

 「やっぱり仁、玲愛ちゃんにも手をだしてたんだー。ぶーぶー」

 「かすりさぁ〜ん……私のてんちょ絡みの役所ってないんですかぁ〜?」

 「よしよし泣くな明日香ちゃん。君には仁くんの性欲処理担当があるじゃない」

 「いい加減にしろーっ! 俺は二股なんぞかけてないし、里伽子が彼女だった時期もない! 姉さんがブラコンなのは今更! ついでに明日香ちゃんをそんな風に扱ったことは一度もないっ!」

 「え〜? でも仁くん、暇な時にしょっちゅう明日香ちゃんの胸みてるじゃない」

 「うっ……み、見てないぞ!」

 「タイムラグ0.4秒……嘘ついてるわね仁」

 「ふんっ! あんな脂肪分の塊に目を奪われるなんて、さいってー!」

 「玲愛ちゃん、胸ないもんねー」

 「こ……この……」


 拳を握り締めプルプル震えてる花鳥妹。

 前から何となく気付いていたが、やはり玲愛に胸の話はタブーだったらしい。

 そして傍から聞いていれば誤解しか生まないこんな会話を外でしているということは当然ながら……


 「あ……あのー……割と丸聞こえなんでその辺でやめといた方が……」


 二つ隣の扉から割りと見知った顔が頭だけ出してこちらを伺ってる……という状態を引き起こしかねない可能性があったわけで……
 

 「み……瑞奈……あなた……い、何時から」

 「出てきたのはついさっきだけど、話自体は高村さんが『酒臭ぇ!』って叫んでる辺りから聞いてたわね」

 「な、な……ななな……」

 「あ、それと高村さん。玲愛、割と本気なんでその辺り考慮してあげて下さいね」

 「あ、ああ……」

 「それじゃ玲愛、がんばってね〜」


 パタンと金属製の扉が閉まり、川端さんが戻っていくのを沈黙したまま見送る俺達。

 おそらく、川端さんだけじゃなく、このフロア一帯の人に歪んだファミーユ人間関係が知れ渡っただろう。

 あとキュリオにも……


 「……とりあえず、入らないか?」


 そういう俺の提案に異を唱える者は誰もいなかった。











 「……で、仁? なんでみんな一緒に帰ってきてるのよ?」

 「いや、お前の質問以前に、俺が質問したいんだが……何故お前がここにいる」

 「そりゃあ……ね……」

 「ね?」

 「姉さんを見張るためよ!」

 「玲愛ちゃんひっど〜い! 私のこと子供か何かだと思ってるでしょ!?」

 「まぁ、それは納得出来るが……」

 「……するんだ……納得」

 「じゃあ由飛は何でここにいる」

 「え〜? だって、ファミーユスタッフのクリスマスパーティーでしょ? 私だけ仲間はずれなの、仁?」

 「そういうわけでは断じてないんだが、ファミーユの集まりだと思うんなら、まず玲愛を帰すべきじゃないか……?」

 「あ、それもそうだね。じゃあ玲愛ちゃん、バイバ〜イ! また明日!」


 いきなり追い出されようとする玲愛は拳をプルプル震わせながら、目の笑っていない笑顔を俺に向ける。

 そしてそのまま、俺に近づいてくる。


 「ねぇ仁? 私、別にここにいても良いわよね?」

 「いや、姉妹そろって帰って欲しいのが本音…………ぶぐぁ!?」


 本音を漏らした俺の腹に玲愛のレバーブローが突き刺さる。

 そして笑顔のまま、玲愛はもう一度聞いてきた。


 「何だかよく聞こえなかったんだけど……私も参加させてもらっても良いわよね?」

 「…………お……おぉ」

 「ありがと、仁♪」


 俺のうめき声を強引に承諾の合図とみなして極上の笑みを向ける玲愛。

 そしてそのまま、酒臭い吐息を俺にはきかけながら嬉しそうに『ん♪』という声と共に俺の頬にキスをした。


 『…………』


 時が凍ったような気がした。

 テーブルの上の鍋のぐつぐつと煮える音だけが俺のアパートを支配していた。

 えーっと……なんだ……またか?

 またなのか?


 「玲愛……お前、やっぱ酔いすぎ」

 「何よ……私は酔ってないわよ。それと他にもっと言うことは無いの?」

 「そんな恥ずかしいこと言えるか!」

 「ふぅ〜ん……恥ずかしい感想なんだ……?」

 「その勝ち誇った表情をやめろ」


 玲愛がニヤニヤするのと比例して里伽子達の視線が冷たく鋭くなっていく。

 後ろから義姉君様のうなり声も聞こえてきた。


 「じぃ〜ん〜くぅ〜ん?」

 「しっ、仕方ないだろ!? 不意打ちだし、相手は酔っ払いだし!」

 「ふぅ〜ん? 相手が酔っ払いだったら仕方ないのね?」


 失言だった!? と思った次の瞬間には、何処から取り出してきたのか一升瓶をラッパのみする我が姉。

 皆が唖然とする中、ドン! とテーブルに酒を置きフラフラとこちらに歩み寄ってくる。


 「うふふ……これで仁くんに何してもいいのよねぇ? 私、酔っちゃってるし」

 「酒は俺への人権侵害の免罪符じゃない!」

 「ふ〜んだ! 酔っ払いにそんな理屈通じませ〜ん!」


 そういって飛び掛ってくる姉を闘牛士のように避ける俺。

 床にずるべしゃっ! と突っ込んだ姉は何事も無かったかのように、ゆらりと立ち上がり虚ろな視線をこちらに向ける。


 「仁くんが避けた……」

 「そりゃ避けるだろう!?」

 「由飛ちゃんやお隣さんは避けなかったくせに……」

 「避けれたら避けてたわ!」

 「仁くん……次避けたらファミーユの事、実家に言うわよ」

 「き……汚ねぇ!?」

 「うふふ……仁く〜ん♪」


 そう言って飛び掛ってくる我が姉。

 色々と逃げ場が無いので立ち尽くす事しか出来ない俺の足が急に払われて床に倒される。


 「えっ?」


 ……という間抜けな声を残して頭から壁に激突するまー姉ちゃん。

 そのままずるずると床に崩れ落ち動かなくなった。

 ……危険なのであのまま寝かせておこう。

 そんな事より、目の前でマウントポジションを取ってる明日香ちゃんが問題だ。

 誇示するように右手に握られているワンカップ○関が現状を全て物語っている。


 「てんちょ……私も酔っ払ったから、えっちなことしても良いんだよね?」

 「ルール大幅改定!?」

 「てんちょ……脱がすね?」

 「だ、駄目だ明日香ちゃん!」

 「わかったよ……じゃあ……脱ぐね?」

 「わかってねぇ〜!?」

 「……と言いつつも目の前の光景から目を逸らさないのが仁君クオリティねぇ……」

 「放っておくと、さらにエスカレートしそうだからだ!」

 「明日香ちゃん、ダメー!」

 「げふっ!?」


 由飛が、上着を脱ぎブラを外そうとした明日香ちゃんの頭を掴み、ゴキリ、と首を変な方向に向かせる。

 明日香ちゃんは乙女にあるまじき声をあげて、ゴトリ、と床に転がった。


 「ダメッ! 明日香ちゃん! 私の仁にそんな簡単に身体を安売りしちゃ駄目っ! 作戦は常に『からだをだいじに』だよ!?」

 「いや、明日香ちゃん、もう気絶してるし、何より一番明日香ちゃんの身体を大事にしなかったのは由飛だったような……」

 「ツッこむ場所はそこなんだ……」

 「姉さんの所有物については否定しないのね……」

 「酔っ払いに何を言っても無駄だからだ」

 「ひ〜とし〜♪ 酔っ払ったら仁を好きにしてもいいんだよね〜♪」

 「……もう、つっこまないからな」

 「ひとしも飲んで飲んで〜♪」

 「由飛、やめっ!? ……ごぼぁごぼぉ!?」

 「ひ〜とし〜♪ ん〜♪ 良いだきごこち〜♪」


 由飛が転がっている明日香ちゃんを隅へと転がして、俺へとしなだれかかって、酒瓶を俺の口に突っ込んでくる。

 強烈なアルコールの匂いと由飛の髪の良い匂いが俺の嗅覚を支配する。


 「ね〜ひとし〜? ちゅ〜してもいい?」

 「はぁっ!?」

 「だぁ〜ってさぁ、仁ってば明日香ちゃんに抱きつかれてデレデレしちゃってさ」

 「してない!」

 「してた!」

 「してたわねぇ」

 「…………ふん!」

 「…………」


 即座に断言する由飛。

 それに同意するかすりさん、拗ねた様に顔を背ける玲愛、そして無言でチビチビと酒を啜っている里伽子……ただし視線は氷点下。


 「ねぇ仁?」

 「り……里伽子! 助け……」

 「何で仁はダメって言わないのかしら?」

 「え?」

 「仁、由飛さんに甘いのは……まぁ、百歩譲って解るとしても、いくら何でもそれすら言えないっていうのはおかしくないかしら?」

 「……何が言いたい、里伽子」

 「仁……貴方は由飛さんに魅かれてる」

 「何をいきなり……」

 「違う? 仁は由飛さんを特別視してる……少なくともそれ位は解ってるつもりよ」

 「里伽子……お前……」

 「仁……一体、何から逃げてるの?」


 何から逃げてる?

 そんなの解りきってる。

 そんな解りきった事をよりにもよって、お前がそれを聞くのか?


 「仁はそんな人間じゃなかった。目に前に置かれた出来事から目をそむける様なヤツじゃなかった」

 「…………」

 「そんな弱いヤツじゃなかった」

 「……うるせえ!」

 「っ!?」

 「ひ……仁くん?」

 「「仁……?」」


 いかん、酒を飲まされた所為か、元々綻びかけていた感情が制御できない。


 「誰の所為で弱くなったと思ってるんだよ! 誰の所為でこういう事態から目を背けなきゃいけなくなったと思ってんだよ!」

 「……誰の所為だっていうのよ」

 「俺はな、里伽子……お前にまだ……ぐぼっ!?」


 俺が言ってはいけない何かを言いかけた時、いつの間にか傍に寄ってきていた金髪ツインテールとその姉にボディブローとヘッドロックを掛けられて止められた。


 「な……なにをする!?」

 「あんた……その先を言ってたら絶対に後悔してたわよ」

 「…………」

 「感謝してよね〜ひとし〜♪ ごほうびにちゅ〜して! ちゅ〜♪」

 「……えぇい! いい加減にしろ、このへべれけ姉妹!」


 ぽかっと由飛の頭を叩いて身体を離す。

 由飛がぶ〜ぶ〜言っているがとりあえず無視する。


 「あ〜……すまん、里伽子。今言いかけた事は忘れてくれ」

 「別に? 私は仁が何を話したかったかなんて、知らないし興味もないわ」

 「そ、そうか……?」

 「ただ、程々にしときなさいってだけよ」

 「解ったよ、里伽子」


 そう言うと里伽子は俺から顔を背けて、またちびちびとやりだした。

 ……先程よりいささか早いペースで。

 そんな里伽子に安堵と寂しさを覚えながら俺は身体に纏わり付いてるへべれけ姉妹を如何した物かと、アルコールの回り始めた頭で考え出した。

 だから、俺は気付けなかった……里伽子のもらした呟きを……


 「…………………………ちぇ……あと少しだったのに」










 それからも、里伽子はちびちびと呑み続け、かすりさんは鍋を食べ続け、由飛&玲愛のへべれけ姉妹は俺にまとわり続け、俺はそれを振り払いつつ鍋と酒を消費し続けて、明日香ちゃんとまー姉ちゃんは部屋の隅に転がっていた。

 おかげ様で、俺の酔いもそろそろ頂点に達しようとしていた。

 そしてかすりさんも地味に呑み続けていたらしく、そこそこ酔っていたりした。


 「ちょっと聞いてよ仁君〜」


 チューハイ片手にかすりさんが俺の方に擦り寄ってくる。

 へべれけ姉妹は俺に付き纏うのに飽きたのか、何故か里伽子とくだを巻いているので、残り物の俺達が必然的にくっつくことになる。


 「お〜……ど〜した、かすりさん〜?」

 「昨日、紬姉さんがウチ来てさ〜、もううるさいのなんのって」

 「あ〜、あの人なぁ〜……確かにうるさそうだなぁ〜?」

 「式場は何処がいいだの、結納はまだかとかって……そんな相手いるわけ無いのにさ〜!」

 「あの姉さん、まだ俺たちのこと誤解してるのか〜?」

 「そ〜なのよね〜、でさ〜? 面倒だからお酒飲ませて酔わせたのよ〜。そしたらさ〜」

 「どうした〜?」

 「紬姉さん、あんな顔してえっちに興味津々でね〜? 聞かれたのよ〜どんな感じだって」

 「ほ〜、意外だな〜」

 「とりあえず、その場は巧く濁したんだけどさ〜、私ってそ〜ゆ〜経験ないからさ〜何も言えないのよね〜」

 「じゃあ、嘘がばれちゃうな〜」

 「そ〜よ〜、バレちゃうのよ〜。バレたら実家に強制送還なのよ〜……だからさ〜、仁君、私を抱いて〜」

 「お〜、そりゃ大変だ〜、よし、かすりさんを抱くぞ〜」

 「ど〜んとこ〜い!」


 完全な酔っ払いと化した俺とかすりさんに理性など無い。

 会話の不自然さも、異常な流れも二人は気付かない。

 そんな二人が外野の不穏な空気を嗅ぎ取れるはずも無い。


 「かすりさ〜ん! ど〜ん!」


 本当にど〜んとか言いながら、加減の無いタックルのような抱擁でかすりさんを床に押し倒す俺。


 『…………なんかさー、無性に乾杯がしたくなってきたわ、私』

 『あら、偶然ね。私もよ』

 『でも〜私達、酔っ払っちゃってるから、変な方向に乾杯しちゃいそうだよね〜?』


 遠くでちびちびやってる三人の声も俺には届かない。


 「お〜、仁君が獣みたいだ〜」

 「わお〜ん!」


 馬鹿丸出しの俺を置いて、不穏な空気を纏っている三人の目がどんどん剣呑になっていく。


 『そうね……酔っ払いだし、ちょっと力を入れすぎてしまうこともあるかもしれないわ』

 『そうだよね〜、コップが手から離れてどっかに飛んでっちゃうかも〜』

 『まぁ、とりあえず乾杯しましょ……せ〜のっ!』


 三人の腕が『乾杯』する為に(?)大きく振り上げられる。


 「こらこら〜、変なトコに顔をうずめないの〜」

 『『『乾・杯!』』』

 「わお〜ん! ふぎゃっ!?」


 掛け声と共に全力投球された酒入りコップが二つ同時に俺の頭を直撃した。

 頭から酒を被り、その冷たさで少しだけ酔いが醒める。

 投擲された方を見ると、二対のきつい視線と一対の何だか戸惑っている視線がこちらに向けられていた。


 「え〜っと…………わお〜ん?」


 己の狂状を振り返り、とりあえず獣の真似をしてみたが視線は途絶えない。

 助けを求めるように共犯(?)のかすりさんの方へと視線を向ける。


 「はらほろひれはれ〜」


 ……頭にたんこぶ作って失神してた。

 当たり所が悪かったのだろう。


 「ごめ〜ん、かすりさ〜ん! 乾杯してたらコップが変な方向に〜……ってかすりさん?」

 「……………………」

 「あ、あはは〜っ、やだな〜もう〜! かすりさんってばこんな所で寝ちゃって〜呑み過ぎですよ〜」


 何処かのお嬢様みたいな笑い方をして、白々しく台詞を紡ぐへべれけ姉妹の姉。

 あくまで、かすりさんは酔いが回って寝てしまったと言いたいらしい。


 「よ……っと……とりあえずここに転がして置いたらいいかな?」


 負い目があるみたいな挙動をしていた割りには、かすりさんの身体をわりとぞんざいに、そこらにぶつけまくって転がして、玄関付近まで持っていった。


 「ひ〜とし〜♪ かすりさんも寝ちゃったし、一緒に飲も……って、仁、お酒臭〜い!」

 「お前にだけは言われたくない、このノーコンドランカーめ」

 「ひとし、ひっど〜い! ノーコンじゃないもん!」

 「あ〜も〜、酔いも醒めたし服も濡れたし、ちょっと風呂に入ってくる」


 ぶ〜ぶ〜唸る由飛を尻目に、俺は風呂へと歩いていった。



















 「はぁ〜……極楽極楽……風呂は人類の英知の結晶だな」


 一応、事前に湯だけ張ってあった風呂に浸かり、俺は気分を落ち着けていた。

 しかし、今日という日は何と言う日なんだろう。

 明日も仕事があるのは解っているのに、店の従業員全員(+α)でパーティしている。

 ……もっとも、半数は気絶しているのだが。


 「大体、何でこんな事態になってるんだ?」


 そんな事、自問した所で答えが返ってくるはずがない。

 そもそも、俺はこんな事がしたかったのではない。

 俺は里伽子にもう一度……


 「その為にはあの二人を何とかしないと……幸いな事に半数は気絶しているし」


 倒すべき二人を頭に思い浮かべる。

 能天気で人懐っこくて酔っ払うとさらにそれが酷くなるくせに、絶対に憎めそうに無い由飛。

 融通が利かなくてすぐに突っかかってきて素直になれなくて……最近、ドキッとするような事をするようになってきた玲愛。

 二人を思い浮かべると、否応無しに先のキスシーンが出てきてしまう。

 ムードも相手もギャラリーも全部無視して突っ込んできた二人。


 「酔っていたんだよ……なぁ?」


 ポリポリと頭をかきながら一人ごちる。

 『私は確かにお酒飲んでるけど酔ってないわよ!』うわ、何でこのタイミングでその台詞を思い出すかな、俺……もっと別のことを……

 『あ、それと高村さん。玲愛、割と本気なんでその辺り考慮してあげて下さいね』いかん、これもいかんむしろ余計にヤバい……もっと別のことだ!

 『仁……貴方は由飛さんに魅かれてる』よりにもよってコレか……里伽子の声で。


 「……くそっ……なんなんだよ?」


 俺は里伽子に……里伽子を……


 「きっと愛してる筈なのに……」


 ああ……ダメだ……もうダメだ。

 悟ってしまった……『きっと愛してる筈なのに』なんて言葉……

 もう、俺は自分の気持ちが見えていない。

 迷走状態に陥っていたんだ。

 だって、次に続く言葉はきっと……


 「……なんであの二人がこんなにも気になるんだろう?」













 『きっと愛してる筈なのに……』

 『……なんであの二人がこんなにも気になるんだろう?』


 脱衣所でソレを聞いてしまったのは偶然……と断言できないくらいの偶然。

 パサッと仁の代えの服を落としてしまったのは必然。

 嗚咽を漏らさなかったのは奇跡。

 瞳から流れる涙は奇跡の代償。

 ヤだな……なんで瞬時に解ってしまうかな私。

 『きっと』愛してる『筈』なのが私で……

 『あの二人』が居間で酔っ払ってるあの二人だって……


 (なんでよ……どうしてこうなっちゃったのよ!?)


 わかってる、本当は解ってる。

 これは私の自業自得。

 仁を恨むのはお門違いの滑稽な事だっていうことは。

 でも許せない。

 許せない……許せないけど……嫌いにならないで……

 絶対に許せないけど愛して!

 『あの二人』じゃなくて私を……夏海里伽子を!


 キス……してくれたじゃない。

 告白だってしてくれたじゃない!

 私の事が本当に好きだったなら、簡単に諦めないでよ!


 「…ぅ……ううぅ……」


 跪いて床に落ちた仁の着替えを右手で抱いて、嗚咽を堪える。

 だけど、そんなの抑えきれる筈がなくて……

 嗚咽を抑えるために仁のパジャマに顔をうずめる。

 でも、それは己の首を絞める行為に他ならなくて……

 嗚咽を漏らすまいと、きつく押し付ければ押し付けるほど、仁の匂いが私の嗅覚を犯してきて……

 余計に嗚咽が酷くなって……

 そんな状態の私が、いつの間にかシャワーの音が途絶えていることに気付けるはずが無くて……

 だから、本来ならもう少し冷静に対処できる事柄にも対処できなくて……

 仁が風呂場から出てくるというごく当たり前の行動に驚いてしまって……

 私は驚いて仁の方を向いてしまい、跪いた状態だったから……こう、高さ的に目の前に現れたのは棒状のアレだったわけで……


 「いっ……!?」

 「え……? り、里伽子……?」

 「いっ……いやぁぁぁぁっっ!?」

 「おっ、落ち着け里伽子! なんで里伽子がここに……ぷぎゅるぁkljほlhds@−!?」


 思わず思いっきりビンタしていた。




















 「ねぇ〜姉さん」

 「なに〜?」

 「結局、あの人は一体なんなわけ?」

 「里伽子さんは里伽子さんだよ」

 「……姉さんに回りくどい聞き方をしたのが間違いだったわ……あの夏海さんって人と仁の関係よ」


 三人でまた飲んでいたのだけど、夏海さんが仁の着替えを脱衣所に置きに行ったので今は二人。

 夏海さんが仁の着替えの場所を熟知している事もかなり引っかかるものがあるけど、まずは立場を把握しておきたかった。


 「う〜ん……私、あんまり知らないんだけど、ファミーユの一号店で働いていた時のチーフだったらしいよ〜?」

 「一号店? 今のが一号店じゃなかったの?」

 「ん〜ん、今のファミーユは二号店だって……前の店は……あれ? そう言えば聞いたことないや」

 「…………多分、聞かない方がいいと思うわ」

 「えーーっ!? なんでなんで〜? 玲愛ちゃん、知りたくないの?」

 「あのねぇ……今まで聞かされていなかったってことは、今まで聞かせたくなかった事って可能性が高いでしょうが」

 「でも……そんなのヤだな……仁が私に隠し事してるって思ったら、すごく悲しいもん」

 「う……」

 「それにね、かすりさんは里伽子さんと仁は付き合ってたみたいなこと言ってるけど、明日香ちゃんに確認したら微妙な顔するだけだし、恵麻さんに聞いたら『そんな事実は当方一切確認しておりません』って鬼気迫る表情で言われるし……」


 何か今、話がすごく飛んだ気がする……

 まぁ、この人相手だと今更なんだけど。


 「最後のブラコンの意見は審査外としても、何だか変な感じね」

 「それで、里伽子さんと仁に直接聞いてみたの」

 「……あんた……物凄い事するわね……」


 恐るべし花鳥家長女……空気読めないにも程がある。


 「でね? そしたら……二人とも『あいつとは付き合ってた時期は無い』って何処か遠くを見るような感じで言ってたの」

 「……」

 「私はね、今、直感的にその謎を解く鍵はその一号店から二号店に代わる時の何かにあると思ったんだけど玲愛ちゃん、どう思う?」


 ああ、なるほど……話がこう繋がる訳ね。

 しかし、これは難しいわね。

 この人の直感は馬鹿に出来ないものがある。

 理論的に考えても、一号店にいて一番当てに出来そうだと思われるかすりさんは、二人が付き合っていると思っていた。

 つまり、傍目からはそう見えており、その可能性が十分にあった。

 だけど、当の二人は腹に何か抱えたような感じで否定をする。

 そして現在、夏海さんはファミーユにいない。

 ちょくちょく顔をだしている所を見ると他にバイトもしていなさそう。

 付き合っているにしても、そうでないにしても、仲良さげに見えていた二人の片一方はファミーユで働いていない。

 それは何故か?

 二人の間に何かがあった。

 では時期は?

 一号店の閉鎖から二号店立ち上げまでの間。

 由飛の直感は見事にその時期を示している。

 では、何があった?

 片一方が告白してもう片方が振った?

 否、違う。

 そんな単純な話ではないはず。

 それならば、未だに二人の距離が一定よりも近いのはおかしい。

 少なくとも、もう少し距離が出来るはず。

 少なくとも私ならそうなると思う。

 では、どう対処する?

 基本的にノータッチ。

 触れてはいけない場所……だから相手から言うのを待つ。


 「……多分、そうだと思うけど訊くべきじゃないわ」

 「ふぅ〜ん……玲愛ちゃんがそう言うならそうなんだろーね」

 「……?」

 「あれ? どうしたの玲愛ちゃん? 変な顔して」


 そりゃあ変な表情だってするわよ。

 この人が……

 この姉が……

 この傍若無人で自身と余裕だけを身に纏って生きてるような姉が……

 私を頼りにしている。


 「あ……あの……」

 「ん〜? なに、玲愛ちゃん?」


 好都合にも、今、私は多分素面じゃない。

 だから今なら言えるかもしれない。


 「ずっと前から言おうと思ってたんだけど……」

 「……?」

 「私……姉さんのこt『いっ……いやぁぁぁぁっっ!?』『おっ、落ち着け里伽子! なんで里伽子がここに……ぷぎゅるぁkljほlhds@−!?』……」

 「はっ!? 仁の悲鳴!? ひとし〜!」

 「…………」


 ああ、握り締めた拳がプルプルと震えているのが解る。

 せっかく……せっかく言えそうだと思ったのに……

 私はゆっくりと立ち上がり悲鳴の聞こえてきた方へと向かう。






 「…………」


 私は無言のままに洗面所に入った。

 まず、目に入ったのが夏海さん。

 何故か鬼気迫る表情で目じりに僅かに涙を滲ませながら右腕一本で右手を執拗に洗っていた。

 何故、そこまで執拗に洗うのか、そこまで執拗に洗うくせに何故片手でしか洗わないのかが気になったが今はそれはどうでもいい。

 次に目に入ったのが義姉と仁。

 仁と姉は共に私に背中を向けており、仁は四つん這いの姿勢から腕を股間に持っていくような感じで倒れている。

 時折聞こえる苦悶の声が涙を誘う……だけど今の私には何も感じられない。

 ちなみに仁は全裸である。

 姉はそれより少しだけ私よりの方でしゃがんでいて『仁ぃ〜だいじょ〜ぶ〜?』と心配してるのかしてないのか良く解らない口調で声をかけていた。

 そして、仁の腰より僅かに下の辺りをトントンと水平チョップで叩いている。

 この場でどの様な惨劇が起こってしまったのか大体把握した。

 把握したし、同情もしてしまうが、とりあえずこれだけは言っておかなくてはいけない。


 「仁……」

 「あうっ! ひぎぃっ!」

 「あんたって人は……どうしていつもいつも……」

 「おうっ! おふぅぅっ!」

 「この……コウモリ野郎!」


 思いっきり右足を振りかぶって仁のお尻を蹴る……つもりだった。


 「ぷぎゅるぁkljほlhds@−!?」

 「「「あ……」」」


 ただ、余りにも怒りに震えていた私は少しだけ目測を裏切り、今まさに仁が苦悶の呻きをあげている原因の場所を思いっきり蹴ってしまった。


 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………」


 仁は無言のまま二、三度痙攣してそのままぐったりと床に寝そべったまま動かなくなった。

 義姉がしゃがんだまま、つんつん、と仁を指でつついてみるけど、全く反応しない。


 「やだも〜! 仁ったらこんな場所で寝てたら風邪引くよ〜」


 まだ酒が残っているのかハイな様子で、バンバンと仁の背中を叩いて洗面所から去っていく義姉。

 そして、私と夏海さんは共に今の出来事を無かったことにしたいわけで……


 「湯冷めしないうちに、服、着替えなさいね」

 「そ、そうよ? 明日……っていうか、もう今日だけど、忙しいんだから身体を壊したら大変なんだからね」


 そういって私達二人は服を置いて居間へと戻っていく。

 バスタオルを上からかけてあげる事だけが、置き去りにされていく仁への手向けだった。










 結論から言うと、仁は十数分後に復活して洗面所から出てきた。

 歩き方はぎこちなかったけど。

 そんな仁の第一声がこれだった。


 「お前ら、ちょっとそこに座って俺の話を聞け」


 私たちは仁を放置した負い目から正座で三人並んで座った。


 「あのな……この世にはやっちゃいけない事っていうのは沢山あるが、男に対して特にやっちゃいけないことが三つある」

 「え〜? みっつも〜?」


 この期に及んでこの態度の姉の能天気さはもしかしたらある意味才能なんじゃないかと思える。


 「おだまりゃっ!」

 「舌、かんでるわよ」

 「誰の所為でこんなに舌噛むほど興奮しとると思ってるんだ!」

 「女三人の前で興奮するなんて変態だね、仁」


 ポカッ!


 「いった〜い! 仁がぶった〜!」

 「一つ! 卵を粗末に扱ってはならない!」

 「「「それは仁だけの禁句よ(だよ)」」」

 「何を言う!? これは全人類の禁止事項だ!」


 仁の卵狂いはここまでだったのね……

 まぁ、そうよね……じゃないと……


 「はぁ……卵の為にろくすっぽ動けない私を押し倒す奴だものね……仁は」

 「「…………へ?」」

 「当たり前だ。卵の為なら玲愛ごとき何度でも押し倒すぞ」

 「あんたね、病人の私の口にいきなりあんなもの突っ込まないでよ……あー……思い出したら腹が立ってきたわ」

 「「…………」」

 「いきなりじゃなかったら、口にしなかっただろうが!」

 「急すぎて、むせたわよ!」

 「「…………」」

 「でも、美味かっただろう?」

 「味なんて解るはず無いでしょうが!」

 「「…………」」


 あれ? 何? この沈黙?

 風邪を引いたときに仁に無理矢理、卵酒を呑まされただけの話のどこに沈黙を生む要素があったのかしら?


 「……仁」

 「そうだ由飛! 姉からも言ってやれ。俺がそこまでしても玲愛のやつ、飲もうとしなかったんだぞ? 出されたものは素直にいただくのがマナーだと姉からも……」

 「……仁の」

 「……? 由飛?」

 「仁の……バカーーーーーーーッ!」


 義姉が真っ赤になってビンタした。

 何故だか良く解らないのだけれども。

 それはそうと仁は立って私たち三人を見下ろしており、義姉は正座したままだ。

 そして再び……あまりにも可哀相な事だけれども、義姉のビンタした位置には、さっきまで仁を行動不能に追い込んでいた惨劇の場所があった。


 「「「あ……」」」


 仁が再びあのポーズになってビクンビクンと痙攣していた。

 口からは意味の解らない苦悶の声が漏れている。


 「今のはちょっと可哀相だったんじゃない? ……というか、姉さんは何故ビンタを……?」

 「……へ? だって玲愛ちゃん……」

 「多分、味わって飲めば美味しかったとは思うし……」

 「れ……玲愛ちゃん?」

 「まぁ、仁の卵の扱いに関しては、私も認めてるし……卵酒だってお手の物だろうし……」

 「へ? 卵酒?」

 「そうよ」


 義姉がポカーンとした表情をしている横で、夏海さんが再び仁の腰の辺りを後ろからトントンと軽くチョップしている。

 その顔は何故か赤い。


 「ま、まぁ、仁にそんな度胸と甲斐性がある筈無いことは解ってたわよ」


 何故か自分に言い聞かせるようにして呟いている夏海さんが印象的だった。










 今度は数分後に復活を遂げた仁が、もう止めればいいのに意地で先程の続きを語りだした。


 「先の話の何処に俺がこんな仕打ちを受けなければならない要素があったのかは不明だが、さっきの続きだ」

 「え〜まだやるの〜?」


 ポカンと警告すらせずに義姉を殴る仁。

 先程の一撃にまだ不満があるらしい。


 「二つ目だ! 無闇に男のベッドの下に隠されているファンタジーゾーンを漁ってはいけない!」

 「え〜? なんで〜?」

 「……やっぱりあるのね」

 「余計なお節介かも知れないけど、さすがに『露出狂メイドの淫獄生活』とか『デザートは巨乳ウェイトレス』とかは見つかった時のリスクが大きいから程々にしなさい」

 「す、既に漁られてるーーーっ!?」


 がっくりと膝をつく仁。

 ま、まぁ……仁だって男だし……

 それにあのチョイスは一点を除いて明らかに私に向けられたものだし……

 そう考えてしまうと少しくらいは私も寛大な処置を……


 「あ〜本当にあった〜! うわ、裸ばっかり〜! 胸も大きいのばっかり〜」


 か……寛大な処置を……


 「……本当に巨乳系ばっかりね……そんなに胸が好きなのかしら?」


 か、寛大に……


 「こらっ! 返せ由飛!」

 「や〜だ〜!」

 「『バスト80以下は胸ではない!』ってすごい名前の本ね」


 プチ


 「仁、仁?」

 「なんだ玲愛? 俺は今忙し…『仁?』何でしょう玲愛さま」

 「だれの・むねが・むねじゃない・ですって?」

 「…………」


 ありったけの怨嗟をこめて言い放った私の言葉に仁は、しばしキョトンとした表情をしてからポンと手を叩いた。


 「ああ! やっぱり玲愛の胸は八十未ま……」

 「死になさい!」


 仁が全てを言い放つ前に立ち上がって右足を振りぬいた。

 仁は本日四度目の激痛と共に床に倒れ付した。















 「み、三つ目だ……」

 「ま、まだやるの?」

 「いい加減にして、安静にしとくべきだと思うわ」

 「誰の所為で俺がこんなこと言わなきゃならんと思ってるんだ!?」


 不死鳥のように復活を遂げた仁が唸り叫ぶ。

 本当に大丈夫かしら?


 「みっつ! 不用意に男の急所を乱暴に扱ってはならない……っていうか、もう本当に勘弁してくれ」

 「「「う……」」」


 土下座だった。

 もう、涙流しながらの魂からの懇願だった。

 それほどまでに仁の……その……あの部分はダメージを受けていたのかしら?

 今までの言動を振り返る。


 夏海さんの証言によると一撃目は全力ビンタ、二回目がキックで、三度目が未だに理由が謎のビンタで、四度目が全力キック。

 …………さすがに酷すぎるような気がしてきた。


 「だ、大丈夫だよっ! 仁!」

 「あの仕打ちの何処に大丈夫な要素がある!?」

 「ほ、ほら……え〜っと……その……そう! もし仁が使い物にならなくなったら、責任を取って私が仁を貰ってあげるから!」

 「は?」

 「え?」

 「な…」


 今、この義姉は何と言ったのか。

 責任を取る?


 「あ、あほかーーーーー!?」

 「え〜? ぶ〜ぶ〜! 何が不満なの〜?」

 「そういう問題じゃないだろうが!」

 「……そうね、確かに違うわね」


 さすがに堪りかねたのか夏海さんが仁の援護に……


 「元はといえば、私が仁のを叩いてしまったのが原因。だからスジとして責任を取るのは私よ」

 「え?」

 「あ…?」

 「なっ!?」


 この人……被害者顔して仁を持っていく気!?

 この……ぬけぬけと……


 「ちょっと待ちなさい! 仁に決定的なダメージを与えたのは二回も蹴った私よ! もし不能になってるんだったら私こそが原因! だから責任を取るべきは私よ!」

 「む……」

 「くっ!?」

 「いや、お前らちょっと落ち着……」

 「「「仁は黙っててっ!」」」

 「……はい」


 私たちの一喝に仁は股間を隠しながら部屋の隅でガクガクブルブルと震えている。

 そして被害者不在の責任問題会議の末に出た結論は……























 「で? 結局どうなったんだい、仁君」

 「それ以上はさすがに黙秘権行使だ」


 俺はげっそりとしながら缶コーヒーに口を付ける。

 120円な酸味と苦味が喉を潤してゆく。


 「え〜? 教えてくれたっていいじゃん〜けち〜」

 「男が言ってもキモいだけだから止めてくれ」


 心底嫌そうにして俺は休憩時間の重なったキュリオ店長の板橋さんに言った。


 「まぁ、真面目な話をするとね、カトレア君の動きが何時もより悪い方向でおかしいから、出来るだけ答えて欲しいなーと」

 「だったら、そのにやけ顔を何とかしてから言ってくれ」


 コーヒーの缶をゴミ箱に投げ捨てて……

 恐らく俺を呼びに来たのであろう由飛がこちらへ走ってきている姿が見えた。

 板橋さんの方も玲愛からお呼びがかかっているのか、玲愛が急ぎ足でこちらへ向かってきている姿が見える。


 「さぁ〜て、もうひと頑張りするかぁ〜!」

 「ちぇ〜、カトレアくんも、もう少し空気を読んでくれれば……」

 「空気が読めなくて悪ぅございましたね……商売敵とダベってる間があったら店を手伝ってください! 今は猫の手も借りたいくらいなんですから!」

 「ひとしぃ……もう厨房が……厨房がぁ……っていうか恵麻さんがぁ……」


 仮にも店長を店のほうに蹴っ飛ばす玲愛と涙ながらに腕を取って店に引き戻そうとする由飛……というか姉さんは一体何をやらかしたんだ……

 腕をとられ歩き出す俺の視線と、板橋さんを蹴っ飛ばして店に追いやっている玲愛が不意に振り向いてこちらを見る視線とが交差する。


 (言ってないでしょうね!?)

 (言うわけないだろ!?)


 「む〜……」


 玲愛と俺がアイコンタクトで確認しあっていると、由飛が頬を膨らませて掴んでいる腕を体全体で抱え込むようにして抱きついてくる、視線を玲愛に向けて威嚇するかのように。


 キッ!


 玲愛の視線が急激にきつくなる。

 玲愛の背後で雷が落ちたような気がした。


 「いい度胸ね、姉さん……昨日の今日でルール違反なんて」

 「いや、落ち着けお前ら……ここは何処だ? クリスマスのブリックモールだぞ? 人だらけなんだぞ?」

 「喧嘩売ってきたのは姉さんよ!」

 「売ってないだろーが!?」


 玲愛がこちらへと引き返してきて由飛が掴んでいる腕とは反対側の腕を抱きつくようにして抱え込んだ。

 そして由飛を睨みつける玲愛。

 そして両腕からファミーユ、キュリオの両方のウエイトレスをぶら下げている俺。

 そんな三人を興味深げに見ているお客様。

 終わった……何かが完璧に終わった。

 遠くの方から視線が突き刺さる。

 背筋に寒気を感じながらファミーユの方を見てみる。

 明日香ちゃんがじとーっと見ていた。

 そして無言でファミーユの中に入っていく……おそらくだが、もうしばらくしたら我が姉が飛び出してくるだろう。

 つまり店が回らなくなる、このクリスマスという日に。

 慌てる俺を差し置いて睨み合いを続ける花鳥姉妹。


 「「やれやれ……俺も厄介な姉妹に目をつけられたもんだな」」


 呟いた俺の愚痴に寸分違わず同じ言葉を重ねる声。

 こんな事の出来る奴は俺の知る中でただ一人。


 「心を読まないでくれ……」

 「仁が読み易過ぎるだけ」


 いつの間に来ていたのか里伽子が俺の正面に立っていた。

 そして俺の状態を見て溜め息を一つ。


 「やっぱり一日も堪たなかったのね……」

 「俺に言うな」


 俺の目の前で自分の額に手を当てて『しょうがないな、仁は』とお馴染みの台詞を言っている里伽子。

 気付け里伽子……お客様がお前の出現でさらなる展開を希望しているようだぞ?

 妙に静かになってきている周囲を見る限り間違いないだろう。


 「仕方ないわ……仁、隠す事が出来なかった場合の次善策があるんだけど、どうする?」

 「じゃあ、それを頼む……最早俺ではこの事態をどう収束していいものか見当も付かん」

 「あら? 収束なんてしないわよ?」

 「え……?」


 こちらにさらに一歩踏み出して、俺の胸倉を右腕で掴んで里伽子が俺を引き寄せる。

 そして里伽子がつま先立ちになって……


 「ん……」

 「「ああ〜〜〜〜っ!?!?」」

 「ぐむっ!?」


 時間にして数秒程の……俺にとっては数時間にも思えたキスをした。

 里伽子は何事もなかったかのように身を離して宣言した。


 「隠せないのなら、せめて仁は私のモノだと主張することにしたわ……それが『私の』次善策」

 「あ……なっ……?」

 「たった一回で私に責任があるかどうか確かめる事は出来ないし、仁はその度に私に責任を負うのよ。仁は誰よりも、家族よりも、私を愛さなければならない責任」

 「え……? いや待て里伽子、大体、頼んでもないのに責任があるとか言い出したのはお前ら……」

 「待たない。その責任を果たしてくれている間は、私は仁を許し続けるわ」


 え? いや、待て里伽子?

 お前、一体何の事を……

 それにそもそも、無理矢理に責任がどうとか言って襲い掛かってきたのはお前らだろ!?


 「じゃあね、仁……また今夜そっちに行くわ」


 そう言って去っていく里伽子。

 完全に予想の斜め上の展開に俺は絶句し、ギャラリーは色めき立っていた。


 「……だから、この事態をどう収めればいいんだよ……ぐむっ!?」


 呆然として呟いていた俺の言葉を由飛の唇が塞いでいた。

 あ、またギャラリーが色めき立ってる……


 「わ、私も今夜、仁の所に行くから待っててね〜」


 そう言って由飛が慌てた様子で去っていく。

 ああ、なるほど姉さんがこちらへ物凄い形相で向かってきてるや……

 この流れだと……と思い、玲愛の方を見てみる。


 「こ……この……あんな破廉恥な真似……卑怯よ」


 玲愛が真っ赤になって拳を震わせていた。

 この期に及んで玲愛の羞恥心と素直になれない性格が、玲愛を思い止まらせているらしい。

 抱きついてる時点で色々と終わっていると思っていたんだが、この辺が花鳥玲愛の玲愛たる所以なのだろう。

 頑張れ玲愛、さすがにこれ以上キスシーンを露出させる趣味はない。

 そして玲愛の羞恥心がそれ以外の何かを打ち倒したのか、何事をするでもなく俺から身体を離す。

 そして俺を指差して宣言するように言い放つ。


 「だ、誰がアンタなんかにキスなんt『あ、ごめん玲愛、足が滑った』きゃっ!? ……んんっ!?」


 もう絶対、アンタ狙ってただろ!? 

 というタイミングで近寄ってきていた川端さんがワザとらしい台詞と共に、玲愛の背中を物理的にも精神的にも押した。


 目を見開いたまま唇を重ねること数秒、ギャラリーの声も聞こえないし、遠くで悲鳴を上げている姉の声も聞こえない、聞こえない事にしておきたい。

 玲愛がこれ以上無いくらいに真っ赤になって身を離す。


 「やっぱり、仁は危険だわ……他の人が仁の毒牙にかからない様に夜も私が監視しておく必要があるわね」

 「お前らの方がよっぽど危険だ!」


 玲愛がこんな所にまで持って来ていた俺の家の合鍵の存在を確かめながら『待ちなさい瑞奈!』『何怒ってるの玲愛?』『怒らない訳無いでしょう!?』『本当は嬉しかったくせに』『んなぁっ!?』なんて会話をしながらこの場からフェードアウトしていく。

 ああ、俺もこの場からフェードアウトしたい……

 だが、そんな俺の願いは俺を射程距離に捕らえた姉と、まだ続くのかと期待しているお客様によって叶えられる事は無いのであった。



 すまん、今夜、帰れるかどうかすら解らん。


 そう心の中で謝って裁きの時を待っているのであった。







 後日、明日香ちゃん、かすりさん、姉さんの三人が手を組んで俺を罠にはめようとしたりするのだが、それはまた別のお話。















 あとがき


 おそらくすごい勢いでお久しぶりな秋明です。

 近作は多分、秋明さん史上で一番時間がかかったSSです。

 長い時期をかけて書いたので、方向性が微妙に統一されてなかったりされていたり。

 最後らへんはリハビリ気分で書いてました。

 そんな、ある意味不真面目なSSですが、皆様、如何だったでしょうか?

 パルフェ本編の記憶が所々欠損してるので微妙におかしい設定があるかもしれませんが、そーゆーSSってことで一つご勘弁ください。