天と月の将 十六話
黄昏の退魔師
五月初旬。
若葉が芽吹き始める季節。
日本首都警察の本部である警視庁の高層ビル内、その廊下を歩く一人の少年の姿があった。
少年の外見からして、まず警官とは思えない。
一応の通行証を付けてはいるものの、一目で警官ではないとわかる少年の存在は、その場では浮きに浮いていた。
すれ違う警官達は、皆同様に一度はその少年に視線を向けている。
もっとも、当の本人は、そんな周りを気にする素振りなど全く見せず
まるで普通の往来を歩くかのように平然と闊歩している。
そんなふうに、あちこちからの視線を集めながら少年はある場所までやってくると、扉の前で足を止めた。
どうやら目的の場所にたどり着いたらしい。
少年が立ち止まった場所は、公式には存在していない事になっている警視庁内でも極秘中の極秘部署。
内情的には日陰部署として扱われているそこは、その実、普通では取り締まる事のできない事件。
霊障を主としてその対策の為に置かれた退魔専用部署である。
―――――日本政府でも、魔祖やそれ以外のこの世ならざる存在が実在することは認知されている。
だが、国民の大多数には、当然その事実を知らされてはいない。
それは、国民への余計な混乱を防ぐために、関連の事件は全て巧妙に隠蔽、情報操作し、非公式に処理してるが為である。
そういった理由からか、この部署には正式な名前は付けられてはいない。
ただ、存在を知る者からは【対策課】という隠語で呼称されている―――――
少年は何の遠慮もすることなくそのドアを潜ると、辺りを見回した。
すると―――――
「祐一〜、こっちこっち!」
奥の席で声を上げながら手招きをする人物の姿を自然と眼前に捕らえることができた。
名を呼ばれた少年、相沢祐一はその女性が座るデスクの方へと近づいていく。
「早かったじゃない、ちゃんと迷わずに来れた?」
「子供じゃないんだ、迷うはずないだろ」
「冗談よ♪」
軽い口調で、あどけない笑みを浮かべながら喋る女性。
対して祐一は、余り面白くないといった表情を見せている。
そんな祐一を見ながら、今度は少し真面目な顔で女性は口を開いた。
「御免ね、わざわざ私のところまで来てもらって。
でも、別に私が出向いてもよかったのよ? 会えるんだったらどっちだって嬉しいし」
「別にいいさ、こっちの頼みごとなんだしな」
「ふ〜ん……とりあえず場所移さない? ここじゃ何だしね。
ちょうど良い時間だし一緒にランチでも食べながらさ?」
特に何も言わずに首を縦に振っただけの祐一だったが
その一動作だけで充分すぎるほど女性には意思が伝わった。
そして、今度は勢いよくデスクを叩いて立ち上がり―――
「よろしい、それでは沢渡真琴、急用が出来たので早退させていただきま〜す♪」
―――とその場にいた全員に聞こえるようにのたまった。
そんな上司の言葉に、その部下達が皆いっせいに同じ思いを抱き
まず、すぐ近くにいた比較的年齢の若い男Aが先陣を切って声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!
今、都内で通報があってN地区で魔祖によると思われる事件が起きてるんですよ?
この忙しい時に理由も無いのに早退なんてしたら警部今度こそクビですよ、クビ!!」
「え〜、いいのかな〜? 私ほどの逸材をむざむざクビになんてしちゃってさぁ〜
警察の退魔師って、ただでさえ人数少ないうえに腕利きも少ないのにねぇ〜」
ふふんと余裕の表情でAをあしらう真琴。
しかし、その横で女Bが男Aを援護するかのように二の句をつける。
「何を言ってるんです! ここ最近ろくな仕事もせずに毎日、ネットゲームで遊んでるだけじゃないですか!
それに、つい二ヶ月前に山口県に行ったときも仕事そっちのけで経費でふぐ料理食べまくった挙句
お腹壊して『毒にやられた〜、ハリセンボンが〜、テトロドトキシンが〜』って現地で大騒ぎして怒られたでしょ!!
……もし次に問題起こしたら私達が警視に何を言われるか…………うぅぅ」
「そ、それじゃあ至急現場に急行、そこから直帰って言うことにしといてちょうだい。
これなら問題ないでしょ? 別に仕事サボるわけじゃないし」
後半は、泣きが入る女B。
少し痛いところを突かれたようで、真琴も声が少しどもってしまう。
いつもの真琴なら、羞恥を他人に知られること自体は、別段、大した問題ではない。
ただ、今は傍に祐一がいた。
保護者の一人であり、姉的立場の真琴としては、祐一の前ではしっかりとした部分を見せたいというプライドを持っている。
そのため、祐一にはあまり聞かれたく内容の話に、苦い顔色を示したのだ。
―――――予断だが、祐一は当然そんな事実を知っている…………
そんな真琴の内心を知ってか知らずか、今度は反対側に座っている男性Cが口を挟む。
「まだ昼前ですよ! 公務員の定時はまだ先です!!」
その他、次々に挙げられる部下達の不平、不満の声を聞き
これ以上は自分の立場がピンチと悟った真琴は
「真琴しらな〜い。じゃ、あとよろしくね♪」
会話を強引に押し切って責任を放棄。
そのまま耳を押さえながら、祐一と連れ立って逃走した。
残された真琴の部下達の悲痛な叫び声は
防音処理が完璧になされている壁に阻まれて、部屋から漏れることは無かったという。
真琴の運転する覆面パトカーは、交通ルール無視のジェットコースタードライビングで道路を爆走。
そのおかげで途中、同系に追いかけられ、パトカー(覆面)とパトカー(パンダ)が繰り広げるカーチェイスに
一般市民が何事かと度肝を抜かれていた。
そんな事はお構いなく、無事にパトカーを撒いた真琴と祐一は
十数分もしないうちに、通報があった東京都N地区へとたどり着くことができた。
車から降りると、すぐさま祐一が辺りの気配に探りを入れる。
警察が人払いをしたのか、辺りに人の気配は無い。
そしてある一点からのみ放たれる瘴気に向かって二人は駆け出していた。
「あれ? 祐一、刀は置いてきちゃったの?」
ハニーブロンドの髪を風になびかせながら走る真琴の疑問の声に
息も切らせず、何事も無いように祐一が言葉を返す。
「叢雲も天雲も海鳴だ。都会じゃ目に付くからな、今日は必要がないと思って持ってこなかった」
『叢雲』と『天雲』とは祐一が使用している二振りの日本刀の銘である。
いつも倒滅の時は布袋に入れて持ち歩いているのだが
今日に限っては、先程の理由により海鳴に置いてきてしまっていた。
だが、祐一の顔には焦りの表情は見受けられない。
それは、刀が無くとも何とかする事が出来るという自信の現われだった。
刀が無くても祐一自身の力はさること、それに加えて……
「黄昏の女神がいるんだ俺が気張ることもないだろ?」
「もう、私にそのあざなは似合わないわよ」
自嘲的に笑う真琴。
祐一には、その言葉は謙遜に思えた。
真琴のスタイルは無駄なく整っており
限りなく金に近い髪は、その容姿と相まって気高さと優雅さを感じさせる。
凛としている彼女の姿をみれば、女神と謳われていることに何の違和感も持たないだろう。
普段の彼女を知らなければ、だが……
「―――見えたわ」
立ち並ぶ店々のショーウィンドは粉々に砕け散り
数分前には綺麗に飾られていたであろう、オープンカフェの椅子やテーブルは
荒らされ、残骸と化し、今は無残な姿を晒している。
祐一の眼前には、二人の警官と男四人の姿。
「―――おい」
一番手前にいた男が、不意の呼びかけに反応を示し、声の方へと振り向いた。
「!!?」
男は気づかなかった―――――いや、気づけなかった。
ここまで接近を許してもなお、微塵も気配を感じなかった。
いつの間に…………そんな思考をする暇もなく男の体は宙に舞う。
視界のブラックアウト―――――男は、一撃で意識を刈り取られていた。
気配を消し、祐一は相手に肉薄する。
微動だにする暇を与えずアスファルトの地面を蹴り、身を沈め、一気に男の懐へ潜り込むと
下から押し上げるように手のひらを相手の丹田へと打ち込む。
身体に触れる刹那の瞬間、その部分から自分の霊力を爆発的に叩き込んだ。
『十拳流』四法『衝弾』―――――
掌底の威力と霊力による力の流れを諸に喰らった男は
受けた反動で弧を描きながら吹っ飛び、重力に従って地面へと激突する。
その直後、黒い霧のようなものが分離し空気中へと四散していった。
事態を見て気配に気づいた残りの者達が、一斉に祐一の方にへと向き直る。
「雑魚が……手間を掛けさせるな」
鋭い眼光を放ちながら威嚇する祐一。
対する三人の男たちは、たじろぎもせず、工事現場にでも転がっていた鉄パイプや立て看板
どこかの店にあった木刀など、思い思いの武器を構えて襲い掛かる。
「失せろ!」
考え無しに、むやみやたらと突っ込んで来る男達に冷静な対処をしながら
祐一は、確実に人間の気流の中心へと『衝弾』を打ち込んでいく。
そこから数十メートル離れた位置では、気が狂うように笑い
左腕をだらりと下げ、口から唾液を垂れ流す――――――さながらゾンビのような格好の警官が二人。
冷たく黒い鉄の物体を手に構え、狙いを絞っていた。
男達が標的にしている的は、男三人を相手取り、ただ一人で立ち回る、正面の祐一。
「ヒャッハッハッハッ!!」
発狂とも思われる笑い声を上げながら、トリガーにかかっている指を引く。
その場に轟音が二度響いた。
「どうせ何処かの課が手柄焦って先走ったんでしょうけど…………
まったく、ミイラ取りがミイラにならないでよね」
―――――そんな台詞と同時に、さらに、金属同士がぶつかる音が同じく二度。
警官達が持つ拳銃から発射された銃弾は―――――突如としてそこに存在した『壁』に塞き止められる。
一瞬にして現れた『壁』は人間の身の丈を覆う程の大きさを持つ、厚さミリにも満たない超極薄の金属板。
だが、阻まれた銃弾はその『壁』を貫通することは勿論、傷さえつけること無く、威力を失い、重力に従って地面へと落下していく。
それは、ダイヤモンドやチタニウムを遥かに越える硬度を持ち、契約者の思いのままに重量、形状を変化させる
北方守護の四聖獣、『玄武』と契約した者のみが精製を許される究極の物質『織琶瑠金』で形成された、無機物では最高の障壁。
付けられた名は―――――『地神の壁』
浅黒い色と、鏡のような表面を持つそれは、片面に呆然とする警官二人を映していた。
攻撃が阻まれた、その事実のみを認識し、警官二人は次の相手に銃口を向ける。
そこには、片腕を腰に当て、もう片方の手で自分の髪を弄びながら対峙する真琴が
同様に相手を見定めている。
「ま、聞こえてないか」
呟きと同時に、瞳の色を切り替える真琴。
次の瞬間、真琴は『織琶瑠金』を剣へと変化させ、駆け出していた。
大剣―――――いや、長剣に近い形のそれを両手で構え、警官達との距離を詰める。
しかし、真琴が警官二人を間合いに捉えるより速く、警官達は再び引き金に指をかけていた。
その様子を見ても、真琴は『織琶瑠金』を『壁』の形状へ変化させようとはしない。
警官達の握る銃の撃鉄が徐々に後ろに下がり、そして―――
―――――目の前で構えられていた警官二人の拳銃を蒼い光が弾き飛ばした。
「ナイスアシスト、祐一♪」
勝ちを確信した、勝利宣言とも言える笑みを浮かべた真琴。
警官二人の間を駆け抜け、無駄を含まない動作で即座に反転。
地面に映る姿、二人の影を遠慮なく手に持つ剣でぶった斬る。
警官達に次のモーションの機会はなく
黒い霧が立ち上った後、糸の切れた人形の様にその場へと倒れこんだ。
二人から瘴気が完全に消えたのを確認した真琴は、相棒に向かって視線を送る。
そこには、手に持つ霊銃の銃口を下に降ろした祐一が佇んでいた。
仕事完了の報告を入れると、すぐさま一帯を包囲していた警官達が現れ、あとの処理をしていく。
ここからの仕事は彼らに一任して、祐一と真琴はさっさと車に乗り込み
昼食へと出かけることにした。
その折、車内で真琴が思いもかけない言葉を祐一に告げた。
「祐一、少し…………可愛くなったね♪」
「なっ!」
何の脈略もないその言葉に、祐一は珍しく少し慌てた顔をみせる。
その反応は当然であろう。
祐一は常日頃から限られた人にしか心を許さず
それ以外への反応は無関心というぐらい素っ気無いものであり
自身もそれは分かっているつもりである。
しかし、あろうことか可愛いなどという自分と全く無縁の単語を、しかも身内に言われたのだ。
その祐一の反応を楽しむように、悪戯っ児のような笑顔を浮かべながら真琴はさらに続ける。
「倒した相手に特に大きな外傷はなかったわよ?
今までだったら、相手の骨の一本や二本ぐらい叩き折って病院直行コースだったのに」
「……そういう日もあるさ」
「どういった心境の変化かしら? それとも、何かいいことでもあったのかな〜?」
「……どうだろうな」
釈然としない祐一の言葉に訝しげな思いを抱く真琴。
だが、真琴の想像はつい最近、祐一の身に起きた出来事の的を確実に射抜いていた。
真琴が感じたように祐一は、ほんの少しだけ変わっきている。
雰囲気もそうだがもっと内面的な部分。
心のベクトルとも言うべきものが段々とプラスの方向へと向かっていた。
祐一に起きた出来事、それは数日前にさかのぼる……
あとがき(楽屋裏)
作者:待っていて下さった皆様、長らくお待たせいたしました。『天と月の将』第二部スタートです。
祐一:案の定、更新が遅いよな。
作者:その点に関してはもう謝るしかありませんです。というわけでお届けした第十六話でしたが
本人、東京に行った事はないし警察の組織体系とかよくわかんないので割と想像で書いてます。
祐一:そんなんで書いてていいのか?
作者:書かないと先に進みませんから。
祐一:ところで話変わるが、話の内容にお便りがきてるぞ。
作者:読んでみてください。
祐一:よし、まず1枚目、『この話、内容飛んでないか?』これはペンネーム、アンテナさんからの手紙だな。
作者:はいそうですね、これは時間軸的に言うと二部の終わりの話ですから。
祐一:どういうことだ?
作者:まあ、早い話、結、起、承、転、結といった感じですね。
第二部は、一部の伏線を部分的に消化しながら、さらに伏線を張りつつ
お前の成長というか心の微妙な移り変わりを書いていこうかなと。
祐一:また無謀な……
作者:チャレンジャーですから。
祐一:質問2、これはペンネーム、謎ジャムさんから。
『真琴さんの能力について詳しく説明してあげてください♪』だって、また作者に都合のいい内容だな。
作者:うるさいよ、真琴さんについては『玄武』の契約者ということで、能力については
五行の木、土、金の力、つまり大地に関係あるものを操れるという感じで、詳しくは本編で書きます。
祐一:中国の四聖と違うんじゃないか? 玄武は水のはずだが?
作者:ご都合主義、バンザーイ♪
祐一:中途半端な説明だな、あと『一部で出る予定なのに何故でていない、俺を出せ』ペンネーム、人形使いさん
『あはは〜早く出番くださいね』ペンネーム、お嬢様さんなど他、多数から催促が来てるぞ
作者:まあ、順番ですね、次回あとがきにはD.C.キャラの〇〇〇が来ます(ひらがな三文字)
それから、ハリセンボンは河豚科ではなくハリセンボン科で食べるとおいしいらしいです。
祐一:前半はギャグ調だからな、ヘボヘボだけど。
作者:といった感じで次回から、あとがき(楽屋裏)コーナーはこのように拍手のお返事とかをお届けしようかと思います。
祐一:言うほどコメント来てないけどな。
作者:ではでは、次のあとがき(楽屋裏)でまた会いましょう。