どこまでも澄んだ水面のような景色。

沈みながら、浮き上がる様な、感覚の曖昧な世界。

まるで、最果てのように感じる此処には

穏やかな安らかさと共に、どこかしらの恐怖も秘められている。



安息と同時に孤独が住まうこの場所に

彼女の意識は存在していた。




『―――――目覚める時は近い』



夢を見ているかのような感覚の中

見知らぬ声が内側から響く。




(…………あなたは)



彼女は驚くことなく、自然とそれに問いかけた。

だが、発したはずの声は、音には変わらない。




『―――――未だ想い出す事ができずとも』



意識がゆるやかに流れ込む。

彼女はその想いを知った。



陽だまりの様な暖かさ。

悲しみと喪失感。

自分の愛する人に捧げられた、大切な心。




『今、この一時だけ、私を―――――』



まどろみの様な出来事の中、自分が自分でなくなるような感覚と共に

彼女の意識は失われ、再び眠りへと陥った。

























天と月の将 十五話

兆しと決意



























開かれた扉。

そこに佇む一人の少女。

静かに自分を見据えているその瞳。




「―――――馬――ッ鹿やろう!! なん……でっ!!!」



何故この場所にと、疑問が浮かぶより先に

祐一は声を振り絞る。



まともに呼吸ができない状態から、肺の中の空気をすべて吐き出し

視界に入った少女―――――白河ことりへと向かって叫んだ。




「来る…………なっ!」



祐一の言葉など、耳に届かぬかのように

ことりはゆっくりと足を踏み出す。

その姿は井然としていた。




「―――――待て」



悠然とした歩調を声が遮る。




「娘よ、この場になに用だ」



自分に背を向け、ことりの方へと振り返った皇蝠。

祐一は直感として理解し、焦りを感じていた。



無関係とは言え、ことりは今この場所にいる。

それを、皇蝠が見す見す逃すはずも、寛恕するはずもない。



グッと両足に力を込めた。

皇蝠の居る位置は、祐一の間合いの中。

体は楽に動かせないが、一撃ぐらいならば浴びせられる。




(その隙にあいつだけでも逃げ出せればいい、その後のことは―――――)



勝算などありはしない。



あと少し時間を稼げば体も回復する。

ことりの存在を上手く使えば、場を繋ぐ事もできた。



それでも、形振りを構う事はできない。

辛うじて力が入る右手。

衝撃にも取り落とす事無く握っていた刃。

祐一は決断した―――――





(―――――っ!!?)





―――――動く素振りを見せた瞬間、四肢が縛られる。

自分のすぐ傍に、何者かの気配を感じた。




「…………貴様はじっとしていろ」



最後の抵抗は、あっさりと看破される。

行使されたのは『魔物』の力。

皇蝠の言葉に従属し、忠実に主人の命令を実行する。



考えてみれば自然だ、皇蝠が自分を自由にして置くはずがない。

その間にも、ことりと皇蝠の間隔は狭まっていく。




「……やめろ」



不意打ちの機を逸してまった祐一が為せる事は残されていない。




「―――やめろおおおおっっ!!」



無意味な物と知りつつも、咆哮を上げずにはいられなかった。

ただその鋭利な鉤爪が、ことりに振り下ろされるのを

傍観者として見ている事しかできなかった。




















自らを穿ち、切り刻もうと迫る鋭利な凶爪。

しかし、ことりはそれに動じない。



いや、ことりの瞳は皇蝠の爪どころか姿すら、まるで捉えていなかった。

その視線は初めから定められ、逸らされる事無く向けられている。



そして、皇蝠は勿論、祐一さえ気づくことはなかった。

ことりから発せられる、ある種の神秘的な力を。




「―――――退きなさい」



―――――その唇がわずかに動いた。




















爆ぜるような凄まじい霊力を感じた。

一瞬、自分の眼を疑う祐一。

それ程までに、目の前の光景は信じられない物であった。



肉眼で捉えられる程、高密度に収束された霊力。

一切の攻撃を無効とし、遮るその力は

皇蝠の爪を拒み、同時に強力な聖の氣を放って瘴気を浄化する。




―――――結界、それも並の物とは比べるべくもない。

形成する為に込められた霊力は、瑞佳の物すら遥かに凌ぐ量を秘める

絶対不可侵の防壁。




「ウッ……これは!? ヌゥオオオァァヅ―――!!」



不可視の壁に攻撃を阻まれた皇蝠は雄叫びを上げた。

振るわれた鉤爪は砕かれ、腕から肩にかけて引き裂かれる。



急速に奪われていく、自らの瘴気。

皇蝠の体はビクビクと痙攣を起こしている。

体の中を何かが駆け巡る様に、一部が膨張、収縮を繰り返す。




「がががッつごのばばばばばァアアァアァァアア!!!」



存在の固持が困難となるレベルまで削られる。

皇蝠にとっては地獄の拷問にも等しい責め苦。

後数秒、その状態が続いていれば皇蝠の存在を消し去れていたかもしれない。

だが、その時間は唐突に終わりを告げた。



守りの障壁はその姿を無へと帰す。

ふらりと揺らいだことりは、糸が切れるかのごとく

そのまま地面へと倒れ伏した。



呻きながら蹌踉つく皇蝠。

肉が沸騰しているかのように熱が渦巻き

その体からは未だ、聖の気が立ち昇っている。








―――――それを引き継ぐ者がいた。




















目の前で絶叫し、発狂する皇蝠。

その時、祐一を拘束する『魔物』の力が弱まった。

好機を見逃さず、緩んだ拘束から透かさず抜け出すと

今度こそ、手に持つ刃の柄を握り締める。



間合いから一足、後、単調に、ただ刀を突き上げる。

型や格好などは気にせず、貫く事だけを考えた、素人のように不恰好な突き。

それでも、皇蝠の皮膚、筋、肉を貫通するには十分だった。



血の吹き出る音と共に、祐一の日本刀に赤い血が纏わり付く。

刀は肩口から皇蝠を串刺しにしていた。




「はあああァァァーッ!!」



そこから、ありったけの霊力を刀を通して流し込む。




「グギャァァアアアァァアアアァァッ!!!」



雪崩込む霊力に、苦しみ、悶える皇蝠。

黒い煙のようなものが男から立ち上り、それは空気中へと散っていく。

最後の断末魔を上げ、皇蝠の存在は世界から消えた。



跡に残ったのは、憑代とされていた人間の姿。

男は鮮血に塗れたまま膝を付き、地面に転がった。

そして、祐一の意識もそこで途絶える事となる。



意識が遠退いていく中、かろうじて聞き取れた物音。

―――――それは、どこか気に食わない男の声だった気がした。




















「―――――っ」




微かな痛みが体を走り、祐一は目が覚めた。

寝起きでぼやけた視界に、白色が映る。

祐一は保健室に寝かされていた。




「……俺は」



呟いてから、夕べの記憶が蘇る。




(……気を失っていたのか)



窓から木漏れ日が入った。

日差しは、既に高いようだ。



眼の端に人の影を捉えたが、祐一は直ぐに瞳を閉じた。

寝起きで、思考が鈍っている事もあるが、さし当たってする事も浮かばない。

それに、今は疲れていた。

もう一眠りぐらいしても、罰は当たらないだろう。




「起きたのなら、早く教室に授業を受けに行ってくれないか

 いつまでもベットを不法占拠されるとこちらも迷惑なのでな」


「…………相変わらず、厳しいな」



指摘され、祐一は体を起こす。

誤魔化せると思ったが、しっかりとバレていたようだ。




「いま、何時です?」



そう言って、祐一はその女性が居る方に顔を向ける。

この部屋の主である霧島聖がいる方向に。




「まだ、始業の時間には余裕を持って間に合う時間帯だ、と言っておこう」



曖昧に返され、祐一は苦い顔をした。

体は、正直に気だるさを訴えている。

もう少し目覚めるのが遅ければ、一時間目ぐらいはサボれたのだが……

今となってしまっては、無理そうだった。



それに、目の前の聖は、それを黙認するほど優しくはないだろう。

メスを突き付けられての起床など、余り気持ちの良いものではない。

どちらにしろ、祐一は憩いのひと時を諦めるしかなかったのだ。




「……手当て、ありがとう御座います」



しばらく考えたのち、気を取り直して祐一はそう述べる。

祐一の肩には、綺麗に包帯が巻かれていた。

傷跡は少し引きつる感じがするものの、思ったよりも浅い感じだった。




「それは私ではないよ」



聖がふっと笑いながらそう溢す。

促すようにその美麗な瞳が動き、とある方向に向けられた。

祐一が聖の視線を追うと、その先には毛布に包まって寝ている那美の姿があった。




「彼女と、長森さんに礼を言っておくのだな」



聖は含み笑いを浮かべて祐一を見る。




「夕べはドタバタしていたようだが、彼女と君の隣にいる者以外は、みんな帰しておいた。

 それと、彼女達の保護者には私から連絡を入れておいたから、君は心配しなくていい」


「別に頼んだ訳じゃ……」


「んっ…………」



ムッとした表情で答えようとした祐一。

その横のベットで、目覚めの気配を感じさせる声が上がる。




「…………私はこれから学園長に報告がある。

 しばらく部屋を空けるが、帰ってくるまでには出て行くのだぞ」



そう言い残して、聖は保健室から立ち去った。



残された祐一は、しばし無言でそっぽを向いていたが

隣からは、ごそごそと起き上がるような物音が聞こえてくる。



結局、祐一はぶっきらぼうに口を開いた。




「…………よう」


「…………」



祐一の言葉に、川澄舞は静かにこくりと頷いてみせる。




「…………」


「…………」



挨拶は交わしたがそれっきり会話が進展しない。

いや、片側が声すら出していない状態では会話と取れるのかも微妙である。

堪えきれなくなったのか、祐一はまたそっぽを向いた。




「…………昨日の事」


「……覚えているのか?」



ポツリと漏らされた台詞に、沈黙は終わった。

舞は再び首を縦に振る。




「あの子は?」


「…………さあな」



誰の事を言っているのかは明確であった。

祐一はまいの存在が、あの跡どうなったのかを知らない。

皇蝠が消滅した事により、存在を支える力もまいに戻ったはずだ。



今は再び、校舎の中を漂う者となったのか

あるいは―――――



祐一はそこで思考を止める。




「…………これから、お前は如何するつもりなんだ」



過去の傷跡とは向き合った。

しかし、それは別の者に意図的に歪められ

乗り越えられないまま、事は終わりを告げてしまった。

得られたかもしれない答えは、結局の所、出ていない。




「……私は、どうすればいいのかわからない」



舞の眼差しが祐一に意見を求める。

今度ばかりは祐一も逃げる事ができなかった。




「…………好きにすればいい」



だからと言って、祐一が明確な答えを示せる訳ではない。




「勝手な言い分だが、もうお前が縛られる必要はないんだ」



曖昧かつ、良い意味に捉えられる言葉を吐くこと

祐一が言えるのは、その程度の事でしかないのだ。

本来なら、言える義理すらないのだから。




「……お前じゃない」



なんとはなしに、場の雰囲気が崩れた。

慎重に、そして真剣に頭を巡らし、搾り出した祐一の言葉に

それよりも、舞はまったく別の点を気にかける。




「舞、川澄舞、舞でいい」




不意に会話が蘇る。

もう一人の彼女が、自らを省みず口にした台詞。

何に措いても伝えるべき言葉。

一番望む事は何なのか。




「舞」


「……うん」



舞はか細い声で頷いた。




「…祐一、相沢祐一だ」


「……うん」



今度は、祐一の方が自分の名前を口にする。




「祐一」



しっかりと受け止め、舞は繰り返した。

そして―――




「私は、魔物を討つ」



―――――答えを出した。

舞は祐一の言葉を流した訳でもなく、無視した訳でもない。

『好きにすればいい』と言われた瞬間、ただ、すんなりと結論が浮かんだのだ。




「……好きにすればいいさ、舞が決めた事ならな」



もう一度、同じ台詞を口にすると、祐一はベットから立ち上がった。

そのまま出入り口の方に歩んでいくと、振り返る事なく保健室を跡にする。

一人残された舞は、扉が閉まる音と共に、その背中を眺めていた。




「……くぅん」



那美の傍で寝ていた久遠が、目覚めの鳴き声を上げる。

垂れていた耳をピンと立て、欠伸をするように口を開いた後

舞と久遠はお互いの視線を合わせた。




「……おいで」


「くぅん」



何の警戒もなく近寄り、ぴょこんとベットに飛び上がる久遠。

艶の良い毛並みを撫でながら、舞は再び決意を示す。

夜の校舎で唱えたあの言葉で。




「私は、魔物を討つ者だから」



その顔には、無表情の中にも暖かさが窺えた。




















―――――物語はまだ序章を終えたばかり

回り始める運命は、果たしてこれからどんな彩りを見せるのか

演じる役者はいまだ揃わない。










一部閉幕
























あとがき(楽屋裏)

作者:さて、今回で一部終わりですが如何だったのでしょう?

祐一:終わり方としては無難じゃないのか? 前半が謎なだけにな。

作者:まあ、それは仕様ですから、突っ込まれても答えられないのであしからず♪

祐一:それで、次回からはどうなるんだ?

作者:えっとですね、取り合えずキャラが増えます。

祐一:ほうほう、それからそれから?

作者:キャラも増えます。

祐一:んで?

作者:あと、キャラが増えちゃったりもします♪

祐一:なんでやねん……………………やってて虚しいな。

作者:……ネタも薄いしね。

祐一:というかキャラが増えること以外、未定って言えよ。

作者:まさかそこまで五里霧中な訳ないでしょう、ちゃんとこれから考えます。

祐一:考えなしかコノヤロウ。

作者:ではここで意味深な数字を一つ。

   祐一君:浩平君:恭也さん:???さん:???さん:その他
   2.5  :2.5  :1.0   :1.5    :1.5    :1.0

祐一:何なんだこの数字は? っておい、なぜ肩をぽんぽん叩く!? そのまま無言で去ろうとするなっ!!

作者:それでは読んでくれた皆様、次回もよろしくお願いします。

祐一:なぜ締めに入る! ちゃんと説明して行けえっ!!