ことりは、薄暗い教室の中で泣いていた少女―――――まいの話に耳を傾けている。
「あたしが待っていた男の子はね、あたしのことを怖がらなかったの。
あたしが持ってる不思議な力を……みんなが気味が悪いって言ったあたしを……あの子だけは、怖くないって言ってくれた。
それが凄く嬉しかった。だから、あの子がいてくれたら自分の力も好きになれる気がしたの」
七年前、この場所で同じ時間を過ごした男の子との思い出。
それは、たった一人だったまいに取って掛け替えのない時間であった。
「でも…………あの子も私を置いてどこかに行っちゃったんだ」
話しているまいの声が少し下がっている事は、ことりにも十分に聞き取れる。
その言葉には、目の前の少女の悲しみがあった。
「男の子が居なくなって、あたしは元居た所に帰れなくなった。
独りぼっちになって……それでも、ずっと、ずっとここで待ち続けたの」
たった一人で待ち続けた七年という気の遠くなるような歳月。
その時の流れの中で、たった一つの希望を信じて、まいは待ち続けていた。
「そして、やっとあの子は帰ってきてくれた」
自分で言った事実を嬉しく感じ、改めてそれを実感したのか少しだけ明るさを取り戻す。
けれども、それも一瞬のことで、まいは再び悲しみの表情を見せた。
「だけど……昨日会ったあの男の子は、私のことを覚えていなかった」
まいの腕には浅いが、刃物で切り裂かれた傷がある。
今も血が滲むその傷は、夕べ、少年の刀によって付けられた傷跡だった。
まいは、その部分を手で押さえながら沈黙する。
「……お姉ちゃん」
「何ですか」
しばらく間をおいた後、まいはことりに呼びかけた。
不安を含むその声に対し、ことりは優しく微笑みながら返事をする。
「さっき、一緒に探してくれるって言ったよね」
「うん」
「…あたしはもう一度会って、ちゃんとお話したいの。
だから……お姉ちゃんも一緒に付いてきてくれる?」
ことりに向かって、顔を上げたまいが、決意のこもった瞳で言った。
目の前にいる小さな女の子の精一杯の誠意を込めて発せられた言葉。
そんなまいの思いを、ことりはしっかりと解かっている。
そして、その思いに答えるべく、ことりはまいに向かって深く頷いた。
連れ立って歩き出す二人、まいはことりの手をしっかりと握っている。
そのまま教室のドアを潜り、暗い廊下へと足を踏み出した時
―――――しかし、そこで出会ってしまったのだ。
月明かりに照らされて、剣を持つ少女―――――川澄 舞に。
天と月の将 十壱話
心の叫び 中編
無言で抜き身の真剣を構える舞。
それを見た瞬間、まいの表情は氷付いた。
その様子を敏感に感じ取ったことりは、まいを隠すように舞の前に立ちふさがる。
「何をするつもりです!!」
「……どいて」
ことりの声にも全く動じず、舞はまるで感情が無い人形のように呟いた。
静かに向けられる殺気、それはことりの後ろに居るまいに向けられている。
そして、ことりは舞から放たれている敵意をはっきりと感じ取っていた。
「この子は魔物……だから斬る」
「魔物って……何を言ってるんですか!」
「……邪魔をするなら…」
「なっ……!?」
言葉を言い切る前に、舞は動き出す。
ことりが気づいた時には、舞の持つ西洋刀が自分に振り下ろされる直前であった。
「!?」
斬られるという恐怖から、反射的に目を瞑ることり。
彼女に出来るのはそれが精一杯であり、それ以外の動作をする余裕などありえなかった。
―――――その横を一陣の風が駆け抜ける。
キーン!!
廊下に木霊した音は肉を裂く音ではなく、金属どうしがぶつかりあう甲高い音。
「白河!!」
「あい…ざわくん?」
後ろから聞こえた声に目を開きながら振り返る。
見知った声を聞いて我に返ると同時に、ことりは安堵の表情を見せた。
そして再び前を向いた時、自分が何故斬られなかったのか、その疑問が一瞬で解消される。
ことりに襲い掛かるはずの舞の剣、それは、二人の間に立つ一人の男の得物によって空中で塞き止められていた。
祐一達がその場に辿り着いた時、既にことりへと刃が振り下ろされる直前だった。
ことりと祐一達との距離は十数メートル。
普通なら、その刃を止める事は不可能だ。
だが、この場にたった一人だけそれを成しえる人物がいた。
その者の名は高町恭也。
不可能を可能とした技、『御神流』奥義の歩法『神速』
一瞬の判断でその場から飛び出した恭也は、灰色の世界を疾走した。
数メートルの距離を一瞬でゼロに変え、舞とことりの間に飛び込み、その斬撃を防いだのである。
それは、この場では恭也にしかできない芸当だった。
ギン! と言う音と共に舞の剣を払いのける恭也。
自分の目の前に突如として現れた男に対し、警戒した舞は少し距離を置く。
「…………」
「……はぁ……はぁ……」
睨み合う両者。
恭也は少し息を荒げている。
武道の達人でもおそらくは反応できない御神流の切り札である『神速』
それは、使用者に大きな負担をかける諸刃の剣でもある。
特に、過去に膝を砕いてしまった恭也にとっては
その膝が、肉体の限界を超える多大な負担に絶えられないのだ。
しかし、頭痛と激しい膝の痛みに息を乱していても
恭也は相手に隙を与えていない。
「白河、何でここに! いや、それよりもそいつは!!」
恭也と舞が睨み合う、その最中
ことりに駆け寄った祐一の視線は自然とまいの方に向けられていた。
「…………」
「相沢君、この子は…その……」
まいは祐一の視線から逃れるようにことりにしがみ付き
ことりは、どう説明して良いのか解らず言いよどむ。
「…………事情は後回しだ」
そんな二人の様子からか、まいを一瞥しただけで
祐一は直ぐに、その前に立つ恭也の横に並び、両刀の鯉口を切る。
「手は出さないでくれ」
祐一の台詞は恭也に向けられたものである。
その一言から何かを察した恭也は、スッと後ろに後退した。
「……なぜ邪魔をしたの」
相対する者が、恭也から祐一に代わったおかげで、少し余裕を持てたのか
舞は自分の方から口を利く。
「じゃあ、なぜお前は白河を斬ろうとした」
「その子は魔物をかばったから……」
「それだけの……理由でか」
祐一の質問に対して、舞は何の躊躇いも見せずコクンと頷いた。
「だったら、俺たちも斬るのかよ」
「……そのつもり」
感情のこもらない返答と同時に舞の体が動く。
同時に、研ぎ澄まされた西洋刀が真上から重力に任せて振り下ろされた。
その剣を祐一は二本の刀で真っ向から受け止める。
「そうか……それじゃあもう一つだけ訊かせてくれ」
刀と剣が膠着したままの状態で祐一が口を開いた。
「何で、その魔物ってやつが―――――」
そして、その口から発せられた音は―――――
「―――――昔のお前の姿をしているんだ?」
―――――核心を示す言葉だった。
ドックンと、心臓が大きな脈を打つ。
「何を―――――言ってるの……?」
少年の口から空気を媒介とする振動が、鼓膜を伝わり情報を与える。
その瞬間、頭の中に誰かが泣きじゃくる姿が浮かび上がってきた。
それが誰の姿なのか、彼女にはわからない。
「そこに居るガキの姿は、七年前、ここで一緒に遊んだお前の姿そのままだ」
目の前の少年は、ただ淡白に続けて言う。
発せられた少年の言葉の意味がわからない。
なのに、体は焼けるように熱を帯びている。
「認めろよ。お前の言う魔物ってやつは、お前自身だ」
―――――ドックン
再び心臓が跳ね上がった。
「……違う」
これ以上、話を聞いてはいけない。
聞けば、自分の中の拠り所が消え去ってしまう。
言いようのない不安感が押し寄せてくる。
「違う!」
だから、舞は否定した。
それと同時に、言葉を振り払うように剣を振り回す。
刀と剣、二人の鋼が重なり合い、火花が散る。
「……言ったはず……私は魔物を討つ者、邪魔をするなら容赦はしない!」
「…そうか……だったら俺も遠慮はしない。叩き伏せてやるよ、わからず屋!」
心の中に迫り上がる動揺を押し込めて、舞は叫んだ。
そして、自分の方を見つめ返しながら言った少年に対し、渾身の一撃を放った。
自分の台詞が、目の前にいる少女を追い詰めている。
違うと否定する少女の姿に、罪悪感はあった。
それでも、そんな物はおくびにも出さないまま祐一は舞の剣をいなしていく。
舞の剣は振るう度に一撃一撃が重くなっていく。
だが、その剣は乱雑に振り回されるだけで、捌くこと自体は造作もない。
その最中、祐一は舞の瞳の中に宿る黒い光を見ていた。
澱んだ瞳の色。
(…………)
それだけで、祐一は全てを把握していた。
「…そうか……だったら俺も遠慮はしない。叩き伏せてやるよ、わからず屋!」
怒声とほぼ同時に銀の線が飛来する。
強烈な一撃とわかった。
ただ、それだけに大振りで単調な攻撃。
見切るのは容易い事だ。
自身の持つ二振りの刀を以って、舞の剣を受け止める。
そして、勢いを受け流しながらその勢いを利用し、その場で身体を回転。
―――――『十剣流』参式『双竜』
舞の剣の勢いと遠心力が加えられた二刀は、平行に二筋の弧を描きながら舞の身体を捕らえる。
―――――斬!
鈍い音がした。
祐一の一撃を受けた舞は低い呻き声を上げ、グラッと前へ倒れ込む。
「……ごめん」
自分の腕の中で眠る少女を、優しく抱きかかえながら
祐一は誰にも聞き取れない声でつぶやいた。
あとがき(楽屋裏)
―――――バタバタバタ
―――――ドタドタドタ
作者:……ふぅ。
祐一:何やってんだ? お前。
作者:ん、引越しだけど?
祐一:引越し?
作者:いや、こっちの話だから。 …さて、前置きはこれぐらいにして恒例のゲスト紹介行ってみましょ〜♪
祐一:また唐突だな。
作者:時間が限られてるからね。ゲストは今回の話のメイン、ちび舞ことまいちゃんです。
まい:こんにちは!
祐一:相変わらず元気いいな、お前は。
まい:うん! 上じゃあシリアスだけど、ほんとは無邪気な年頃だもん。
祐一:身長は永遠にちびっ子のままだがな。
ダダダダダダ―――ッ
作者:この足音は……
みちる:みちるキーック!!
祐一:ぐふっ!?
みちる:相沢祐一ーっ! まいをいじめるなっ!
まい:みちるちゃん!?
祐一:な、何でお前がここに―――
みちる:うるさいっ、ヘンタイゆうかいま二号!
祐一:―――アべシッ!
まい:でも、どうしてみちるちゃんが……
作者:あっ、美凪さんの方から連絡はありました。本人いわく
みちる:へんたいゆうかいま一号も出てるのに、みちるが出てないっ!
作者:のが理由だそうです。ちなみに一号とは往人さんのことですね。
みちる:にょわっ! こんな事してる場合じゃなかったんだ!
作者:あれ、もう気は済んだのか?
みちる:うん! これから美凪にシャボン玉教えてもらうの、まいも一緒に行こっ!
まい:えっ、えっ、え〜っ!?
作者:あ、ちょっと! …………行っちゃった。祐一、大丈夫か?
祐一:ああ、子供の遊びにも付き合ってやらんとな。
作者:お疲れ様。それでは、また次回で。