――――― キーン コーン カーン コーン ―――――





午後の授業が開始されるチャイムが校舎内に響き渡る。

このチャイムは予鈴では無く、本鈴。

本来ならば、生徒は教室で授業の真っ最中のはずである。




―――――相沢祐一は、静まり返った廊下に堂々と居た。

図書室で美由希と別れた祐一は、その後、真直ぐに教室へ向かおうとはせずに

ただ一人で、何かを窺うようにぶらぶらと校舎内を歩き回っていたのである。




「おう、そこのサボり、ちょっとツラ貸せ」



―――――唐突に祐一の後ろから声が聞こえた。

























天と月の将 八話

平凡な昼下がり



























今、この廊下に祐一以外の生徒の影はない。

つまり、相手が呼んでいるのは自分であると言う事だ。



…………しかし、祐一は振り向いたりはしない。

それどころか、まったく気にも留めずにスタスタと歩を進めていく。




「待てコラ」



再び背後から声が響いた。

声の高さからすると男のものであろう。

祐一の態度が癪に障ったのか、その声は第一声よりもささくれていた。



自分に突っ掛かってくる身知らぬ男に苛立ちを感じた祐一は、チラッとだけ後ろを確認する。

そこには、眼がねをかけて、白衣を着た、金髪で柄の悪い男が立っていた。




「何か用か?」



歩みを止た祐一は、体半分を男の方に振り返って言う。




「おまえ、ヒマだろ? ンならちょっと手伝えって言ってんだよ」


「生憎だが、俺は用があるんだ。あんたに付き合う時間は無い」


「……教師にタメとはいい度胸だな、てめェ」

「…………」



二人の間には威圧を覚えるピリピリとした空気が流れている。

喧嘩を売ってるとしか思えない男の態度に敵意を持った祐一は、男に向かって一瞬だけ殺気を放った。





―――ビュッ!!





はっきりと聞こえる風きり音。

それは祐一に放たれた蹴りの音だった。



祐一は咄嗟に腕を払って、パァン! と蹴りを叩き落とす。

そのまま捌いた動作の延長線上、ほとんど条件反射に鋭い正拳を男に見舞った。




「チッ……やるな…お前」



バシッ! と言う音と共に祐一の拳を受け止めながら言う男。

瞬時の事で、手心を加えていなかった一撃をいなされ、祐一は警戒心を強めたが

男に怯む事なく、平然とした口調で言う。




「へー……随分と暴力的な教師がいたもんだな」


「ハッ! 最初に殺気向けたヤツが言う台詞か?」



涼しい顔の祐一に、男はキッと睨みを強めた。

その状態のまま、グッと両者が睨み合う…………




「あー……ヤメだヤメ、クソジャリと本気でやりあうほどヒマじゃねーンだよ」



唐突に、男の眼から覇気が消え失せた。

そのまま、憂さを晴らす様に乱雑にタバコを取り出すと、校舎内にも関わらず火をつける。




「……生徒に対する暴力行為、あんたが本当に教師なら懲戒免職だな」


「あァ? お前、ほんとに俺のこと知らねーのか?」



訝しげに男は訊き返す。




「つーことはだ…………お前が、転入試験で満点取った帰国子女か……中々、生きのいいヤローだな。

 桜井のヤローがふぬけてから、ちょーど退屈してたんだが……」



じろじろと祐一を見ながら、ぶつぶつとそんな事を言いう男。

祐一は男のそんな様子に、鋭く眉を顰めている。




「まあいい……俺は谷川っー名前で、この学校の養護教諭だ」



谷川と名乗った男はそう言いながら、疑いの眼を向けている祐一に向かって、教員免許を見せた。




「……偽造?」


「ンなわけねェーだろ、どこの世界にンなモン偽造して、教師なんてメンドクセー

 仕事選ぶヤツがいる。……正真正銘のほんもんだ」



ちなみに、この学校は生徒数が多いので

聖の第一保健室と谷川のやる第二保健室とに分けられているのである。

その統計をとると、男の生徒は第一へ、女の生徒は第二へ行く割合が多い。




「わかったら、さっさとツラ貸せ」



自分の正当性を示すした谷川は再度、祐一に付いてくるように促した。

しかし、それがどうしたと言わんばかりに祐一はその意見を撥ね付ける―――――




「言っただろ、俺は『こう見えて園長とはマブでなー』……」



反論しようとした祐一が言い切る前に、割り込むように谷川が口を開いた。

その園長と言う単語に敏感に反応し、祐一は口を閉ざす。




「色々話は聞いてるンだぜ、チクられてェーか? 相沢よぉー……」



未だ名乗っていなかった名前を相手に言われた祐一は、それ以上、何も言わなかった。




















風芽丘学園第二保健室




消毒液よりもハーブの香気が勝る保健室内。

その室内からは、豪快な音量でハードロックが垂れ流されている。




「無駄に五月蝿いだけのCDなんて止めたらどうだ? いくら教師でも

 白昼同道とこんな事してたら、あんたの教職員としてのモラルが問われるぞ?」



仮にも今は授業中。

外まで聞こえている大音量は、真面目に授業を受けている生徒達には迷惑であろう。




「知らねェのか? 音楽のもたらすリラクゼーション効果ってのは

 学会でも認めらつつあンだぜ。しかも、園長の『了承』つー御墨付きでだ」



祐一の多分にトゲを含む言葉に、即座に言い返す谷川。




「違ェよバカ、その棚はあっち。そこは机だっつったろ」



室内の模様替えをしている祐一の中では、段々とイライラがこみ上げていた。



自分が強制している手伝いを、谷川自身はハーブティーとダンベルを両手に持って

堂々と椅子に座りこんだ状態のまま傍観し、偶に罵声で指示を飛ばしているだけなのだ。



普通なら、祐一がキレていても不思議は無い。




「機能的にはこっちの方が良い。それよりも、何よりも、あんたが手伝え!」


「あァ? 何か文句あっか? サボりを黙認してやッてンだろ」



それを言われると祐一は何も言えなかった…………が

この肉体労働は、その条件と比べると割りに合わない仕事だ。

祐一にはそれほど苦ではないが、授業に出ている方が遥かにマシである。




「コウキっ!」


「チッ、まーたやかましいのが来やがった」



突如、保健室のドアが開かれる。

それと同時に、青色のジャージを着た男が、怒声を上げながら現れた。




「学園内で生徒の情操に障る音楽を垂れ流すなと、何度言えば解るんだ!」


「あー、悪りぃ悪りぃ」



入ってきた男の名は浅間弥太郎。

保健体育の教師で、生徒達の間では『鬼浅間』の通称で通っている真面目で熱血系な教師だ。



来て早々説教を行う浅間に、谷川は適当に返事を返している。




「ギャー ギャー騒ぐなや、ヤタローよー……

 ちょっと、サボりに説教かましてただけじゃねぇーか」


「サボり?」



谷川に言われて、浅間の視線は祐一へと向かう。

浅間の登場にも動じず、祐一は律儀にも淡々と配置換えをおこなっていた。



向けられた視線に気がつくと、祐一は浅間の顔を見る。

浅間は、軽く咳払いをすると真面目な口調で切り出した。




「……君、名前は?」


「相沢祐一です……」


「……相沢だな。 今は授業中のはずだが、何故君はここに居るんだ?」


「これと言った理由は無いんですが」


「そうか……ちょっと生徒指導室の方まで来てもらおう、話がしたい」



体育会系ならではのビシッとした言葉で事実の確認を行う浅間。

並の生徒なら緊張するであろうその雰囲気に、祐一は全く怯んでいないのだが

出来るだけ穏便に事を運びたいのか、素直に言う事を聞くことにする。




「まあ待てヤタロー、そいつには俺がもう説教かまし終えた」



祐一と浅間が部屋から出て行こうとした時、谷川が不意に切り出した。




「……谷川先生が?」


「あァ、相沢、お前はもう言っていいぞ」



少し驚いた表情を向けて、浅間が谷川に聞き返す。

だが、谷川は浅間の方を見ずに、祐一の方を向いて『とっとと行きやがれ』という視線を送っている。






祐一は軽く礼をすると、これ以上ややこしくなる前に、足早で保健室から去っていった。




















六時間目の授業も終わり、校門からはこの学校の生徒がドッと流れ出ていく。

祐一は、通り去っていく生徒達を何気なく見送りながら、その場所で高町美由希を待っていた。



祐一の視界の中には、相も変わらず花びらを落とす桜の木がある。

そこで、桜のピンクとは違う鮮やかな色彩を視界の端に捉え

祐一の視線は自然とそちらの方に向く。



桜の木の下辺りでは、オレンジ色の髪をした少女が通り過ぎていく生徒達に何かを呼びかけている姿があった。

しかし、行きかう学生達は放課後の開放感ゆえか、全く聞こえていない様子で通り過ぎていってしまう。




「う〜〜…………」



少女は、振り返って桜の樹を見上げながら、うなり声を上げている。



祐一は、少女の視線の先を遠目から追った。

見ると、野良であろうか、一匹の猫が木の上で『みゃ〜』と心細下に鳴いているのを発見した。




「ふぅ……」



祐一は一つ溜め息を付くと少女にスッと歩み寄り―――――




「ちょっとこれ持ってろ」


「はい?」



と言って、ノートパソコンしか入っていない鞄を強引に少女に持たせた。

行き成り鞄を押し付けられた少女には、その行為の意味が解からず、顔に疑問の色を浮かべて祐一の方を眺めている。



手ぶらになった祐一はトンと地面を蹴ると、桜の木の幹でもう一度踏み切り

子猫のいる場所に手が届く位置へと、一気に上昇。

そのまま、ヒョイと子猫の体を抱きかかえると、綺麗に元の位置へと着地する。



一瞬の出来事に驚いた少女は、眼を丸くして祐一を見ていた。

いろいろと騒がれるのが嫌な祐一は、腕の中の猫を道端に下ろすと、そのまま校門の方に戻ろうとする。






―――――そうしようとして祐一は立ち止まった。

自分にとって必要な情報が入っている鞄を少女に持たしていたままだったのだ。




「あ、ありがとうございます!」



再び近寄ってきた祐一に向かって、少女が頭をさげた。

何故、礼をされたのか、その意味が解らず祐一は困惑する。




「この猫さん、木の上から降りられなくなって、ずっと困ってたみたいなんですよ」



頭を上げた少女が祐一の戸惑う様子を見て、気持ちを察したのか理由を口にした。




「それでですね〜、私じゃ助けられないし、どうしようかと思い悩んでいる所に

 あなたが来て猫さんを助けてくれましたから、そのお礼なんです」



そう言った少女は腰を下ろして、猫に優しく触れる。



そんなふうに猫を撫でている少女に、祐一は涙を流しながら猫と遊ぶ従姉妹の面影を重ねていた。

勿論、容姿や背格好が似ているという訳ではないのだが、猫を見る優しい眼を見たからだろう。






「あの〜、どうかしたんですか?」


「あ、ああ……何でもない」



自分の方をぼうっと眺めている祐一の姿を不思議に思い、少女が見上げながら声をかけた。

祐一は素っ気無く返事をすると、少し自分の心を自嘲する。




「あのですね、もし疲れてるんでしたらこれを食べて下さい。

 私の元気の秘訣ですから、食べればきっと元気になると思います」



と元気よく言った少女が手に持っているのは、房で繋がっているバナナであった。




「いらん」


「えぇっ! どうしてですか〜!?」



即座に断った祐一に、少女が大声で絶叫した。

その表情は、まるで信じられない物を見たとばかりに驚き。

その眼は、バナナの価値をしらない祐一に対して哀れむような感情を含んでいる。




「バナナにはビタミンB1、B2、B6、カリウム、食物繊維。

 その他いろいろの体に必要な栄養素がほとんど入ってて、三食全部バナナでも十二分に生きていけるんですよ?

 そもそもバナナとはバショウ科の植物で―――――」




(……この騒がしい感じ……どこかで…)



自分に向かってやいのやいのと言っている少女の姿に、祐一は何故か見覚えがあった。

ただ、この少女と話したのは、今日が初めてである事は間違いない。




「―――で、どのくらいバナナが好きかと言うと、毎日いつでも手放さず

 常に携帯して持ち歩いているぐらい、私に取っては生きていく為の生活必需品なんです。ですから――――――」



祐一がそんな事を頭で考えている間も少女は喋り続けており

少女の話は祐一に対する講義から、いつの間にか自伝のバナナ論へとシフトチェンジしていた。




(…………アイツか)



目の前の元気な少女を見ていて、祐一の頭の中をある人物が過ぎる。

それを皮切りにして、芋蔓式に目の前の少女の事も思い出した。




「なあ、お前、一昨日ぐらいに折原って奴と一緒にいなかったか?」


「はい? 折原…という事はみさおちゃんですよね〜。

 う〜んと……一昨日だったら、確かに一緒にいましたけど?」


(やっぱりな……)



案の定、祐一が連想した人物の関係者だった。

見覚えがあったのも当然。

一度、ファーストフードショップで見かけていたのだから。

特徴的な毛色が、どこと無く頭の中に残っていたのだろう。




「相沢さん」



直ぐ後ろの校門の方から祐一を呼ぶ声が聞こえる。

振り返って見ると、そこには待ち人である高町美由希の姿があった。




「…………もしかして! 彼方が相沢祐一さんですね!?

 それはそれは、申し送れました。美春は天枷美春と申します、みさおちゃんとは同じクラスなんですよ〜」


「天枷?」


「あっ、別に美春でもいいですよ。相沢先輩」



祐一の言い方は聞き返すような口調ではなかったのだが

美春はそう取ったのか、気兼ねなくと言った感じで返事を返した。



二人がそんなやり取りをしている内に、美由希も祐一達の方へと近寄ってくる。




「すみません。あの、待たれましたか?」


「いや、そんなに待った訳じゃないよ」


「…………あっ! 私、急に用事を思い出してしまいました!!」




二人の会話を聞いた直後、美春が突然ポンと手を叩き、大きな声を上げた。

祐一と美由希にはその意図がわからず、何事かと美春の方を向いている。




「と言う訳で、美春はこれでお暇させて頂きます。

 相沢先輩、どうもありがとうございました〜!!」


「あ、おい!」



去り際、祐一の手の中に無理やりバナナを握らすと、止める間も無く美春は走り去って行く。

見送る祐一と美由希と一匹は、しばし、その姿を唖然と眺めていた。




















あとがき(楽屋裏)


作者:えー……と言う感じで終わった八話でした。

祐一:なあ、一つ訊いていいか?

作者:何でしょう?

祐一:この話に意味はあるのか?

作者:その話はゲストを紹介してからですね。

祐一:じゃあ、サクサクっと進めてくれ。

作者:はいー。それではゲスト紹介に移ります、D.C.より、今回の話にも出ているわんこ、天枷美春!!

美春:カク カク カク

祐一:……何やってるんだ美春?

美春:ゼンマイが切れました。

祐一:そっちの美春かよ!

美春:冗談ですよ、先輩♪

祐一:はぁ……それはそうとして今回の話は何なんだ?

作者:突発的なモノ……ではないんです。ただ、どっちかって言うと重要なのは美春じゃなくて……ごにょごにょ(耳打ち)

祐一:なるほどな。先の展開じゃあ、そうなる予定なんだ。

作者:あくまで予定ですから、ボツになる可能性高いですけど。

美春:お二人で何の話をしてるんですか?

祐一:わんこは知らなくてもいい事だ、庭でも駆け回って来い。

美春:そんな事言わないで美春にも教えてくださいよ〜

祐一:残念、時間切れだ。

作者:ではこの辺りで〜

美春:う〜、美春はまだ物足りませんよ。

作者:次もありますんで我慢してください、それでは。