手を伸ばして
「紗奈香?最近どうかしたの?」
最近、蓮からよくこう訊かれる。
そして、私はいつもこう答えるんだ。
「何でもないよ」
蓮は、きっと私が何かされてることに気付いてると思う。だけど、蓮は本当に相手の意思を尊重するから…
だから、私が言い出すまでは蓮は何も言わない。
けど、こっそり調べて周ったり、裏で解決したりすることがある。
蓮は、私の味方だった。
私は、いつもあと1ヵ月。そう思いながら学校に通っている。
あと1ヵ月でやめるんだ。そう思いながら通ってる。
すぐにやめたくなるときもある。でも、それを留める理由がある。斜め前の席に座っている、琴平君。彼の姿を見ることだけを楽しみに通ってる。
ごめん。あと1つ。蓮に会うのも楽しみ。この2つがなければ、私はここにいることに耐えられなかったはずだ。
「紗奈香、また見てたの?」
「あ、うん…」
蓮のことは大好き。でも、私といることで蓮もクラスの中で孤立し始めてた。
だから、たまに自分から蓮から離れたりすることもある。
「そうだね。少しくらい、楽しみがないとやってけないもんね」
きっと、蓮には全部ばれてるんだろう。でも、言えない。
年度末までには、蓮は私に対する嫌がらせを撲滅する。だけど、暫くすると、なるべく蓮に気付かせないように、次が始まるんだ。
そして、少しずつ私の心を壊していく。
そんな中で、私の助けになるのは変わらずに傍にいてくれる蓮と、近くの席に座る琴平君。
琴平君も、あまり周りと関わるほうじゃない。だから、多分、私のことになんて気付いてないと思う。
けど、それでいいの。気付かないままで。私のことになんて気付かなくていい。
「蓮…お昼行かない?」
「いいよ」
お昼休みだから、私は蓮を誘って職員室の裏側に向かった。そこなら誰も来ないし、来たって職員室にばれてしまうから何も出来ない。
ここが私の逃げ場所。でも、使えないときもある。
泣きそうなとき。その時だけは使えない。
先生たちに気付かれたくないから。
「蓮、彼氏できたって?」
「あ、うん。ちょっと、年上の人なんだけどね」
噂が流れてた。
蓮が援交してるらしいって。だけど、それは半分くらい嘘だって知ってる。
蓮は絶対にそんなことしない。
だから、きっと年上の彼氏ができたんだと思った。
「どれくらいなの?」
「大学生。3年生だって」
普通に大学に入って、留年もなしに上がっていったとしたら21ぐらい。5つ違う。
「大人だねぇ…」
私が感心して言うと、蓮は苦笑いした。
「全然。お互いに責任が取れるようになるまで体の関係は絶対に持たないって言われたし」
「それって、固い人?」
今どきそんな人は見たことない。けど、そういうのもいいかもしれない。
「全然固くないよ。それに、前までは普通に体だけの関係の人とかもいたらしいよ」
思想が180度方向転換してますけど。
きっと、何かきっかけがあったんだろう。でも、良かったな。
蓮は、幸せそうで。
この前は家族のほうでちょっと問題があったらしくて不安定だったけど、いい人に会えたみたい。
それに比べると私はどうだろう?
いつまで経っても自分で自分の問題に決着をつけられない。それでいつまでも蓮に頼ってるわけにもいかない。
「蓮。よかったね、色々悩んでたもんね」
「うん」
蓮は嬉しそうだった。私だって嬉しい。
だって、蓮にとっては初めての彼氏。それが、結婚まで視野に入れてるって言うんだ。本当に大切にしてくれてるんだろうな。
蓮には、辛いことなんて経験してほしくない。
彼氏と別れるとかもそう。だけど、これならその彼氏が守ってくれそうだった。
一度蓮と別れて、ロッカーに向かう。
この学校は、ロッカー室がある。
そこには1人1つずつロッカーが用意されていて、体育とかの着替えもここでしてる。
何となく、いやな予感がしてたんだ。
ここは、体育のないときなら男子でも入ることができる。
いや、本当は立ち入り禁止だけど、誰もそんなことを気にしたりはしない。もう、普通に入ったり、招いたりしてる。
逆も然り、だ。
そして、それは起きていた。
「なぁ。喜嶋。これ、どういうこと?」
そこにいたのは琴平君だった。そして、私のロッカーは、
「何で、こんなに壊されてるわけ?しかも中は水浸し。どうして、こういうことを隠してたんだ?」
琴平君が言ったとおりだった。
あーあ。やっぱりね。最近、ちょっと大人しいな、とは思ってたもん。
「なあ、喜嶋?」
「琴平君は、どうしているの?」
私は質問には答えない。だって、先生は何もしないから。
だって、ここまであからさまで気付かないのはおかしい。先生だって、波風を立てずに、“平和なクラス”ってのを最後までキープしていきたいんだ。
だから、私の事は見ない。
だって、実行してる連中は、それを表に出さないようにしてるから。
「見えたんだ。あいつらが、バケツ持って歩いてるの。自主的に掃除しようなんて殊勝な連中じゃないから、何かと思って見に行ったら、もう他の連中がお前のロッカーを壊してた。で、最後にその水をぶちまけてた」
知らないでほしかった。
私は、このまま泣き出してしまいたかったから。しかも、こんなのじゃ、蓮も気付く。
今回は、知られたくなかったし、琴平君にだって知られたくなかった。知らないままでいてほしかった。
私が見てるだけの人でいてほしかった。
「別に、大した事じゃないから気にしないでいいよ。ちょっと怒らせちゃっただけだし」
「ちょっととか、そういうレベルじゃないと思う」
「うん、でも、そういうことだから。片付けるから、出て行ってくれないかな?」
私は琴平君を追い出しに掛かった。ここにいてほしくない。これから私のすることを見てほしくない。
だから、出て行ってほしかった。
「いや、片付けるんなら俺も…」
「琴平君」
手伝おうとする琴平君の言葉を遮った。
「いつまで、女子ロッカーにいるつもり?」
「…すまん」
琴平君は申し訳無さそうに出て行った。きっと、それは作業を手伝えないことへの申し訳なさ。
優しい人なんだね。
けど、そんなことすらどうでもよくなってしまう。
「…っく」
気付けば、涙が溢れていた。
どうして、こんな目に遭わなきゃいけないんだろう?私だけが。
だけど、絶対に蓮は巻き込みたくない。
いつも、蓮が私を助けてくれる。でも、もう巻き込みたくなかった。
新しい家族ができて、彼氏もできた。
そんな幸せの中にいる蓮をこんな人の闇の部分に巻き込みたくなかった。
だけど、終わろう。
もう、こんなところ、辞める。
琴平君にも知られてしまった。もう、こんなところにいたくない。
だけど、最後にこの事実を全部暴露して、ロッカー代とかは全部あいつらに払わせて、退学か停学くらいには追い込んでやる。
それは、私に許された、たった一つだけの復讐だったに違いないから。
その日、奴らは浮き足立っていた。
理由はわからない、わけじゃない。蓮の彼氏が蓮を迎えに来るらしい。そして、奴らは蓮が援交してるかどうか確かめて、根も葉もない噂を広げるんだろう。
それが、奴らの蓮への復讐。
だけど、奴らの目的は完璧に打ち砕かれてしまった。
放課後、蓮が教室を出る前に彼氏は教室に踏み込んできた。先生だって見てるのに、先生は何も言わない。
OBだったからだ。久々に母校が見たくなった。そう言って、彼は堂々と学校に入ってきたんだ。
大学3年っていうのは、私が思ってるよりも大人だった。
一目で奴らの考えていることを見抜いて見せた。そして、私の周りで何かが起きていることまで。
「おい。下らないことするなよ」
たった一言。それだけで、奴らは蓮に手を出そうという気はなくなったに違いない。
だけど、私に関してはどうだろう?
私と彼には直接の接点はない。
だから、私のことが耳に入ることはそうそうないはずだ。
私は狙われる。
それは、間違いなかった。でも、いい。
だって、私はここから居なくなるんだから。
「君が、紗奈香っていうんだよな?」
なのに、彼は私に声をかけてきた。
蓮は私のことを話したんだろう。だけど、何を話したのかが分からない。
「言いたいことは、素直に言ったほうがいい」
は?
唐突にこの人は何を言い出すんだろう?
「おい。この子のロッカーぶっ壊したの、誰?」
「!!」
蓮はもう知ってたんだ。
そして、それを彼も知っていた。
「ほんと。下らないことするね、君ら」
底冷えのする声だった。怖い。
それが、私に向けられるものでもないのに。いや、私はその後が怖いんだ。
これが過ぎて、いなくなった後の報復が。
今度は何があるんだろう?やだよ。もう、こんなの…
「おい…貴様ら」
そんな時、琴平君の声が聞こえた。
「この前、昼休みにロッカー室に屯してたお前らだ」
ドアから体を半分入れて、こっちを見てる。
「職員室に来いってよ。理由は、わかってるだろうな?」
まさか、皆が私を助けようとしてる?
駄目。それじゃ駄目。後から何されるかわからないよ。
「喜嶋。何かあるなら、助けを呼んでくれ。それは、堤も思ってるし、関わってしまった俺だって思ってるんだ。
だから、俺はお前を助けてやりたい。男は、今回の件を知らなかったんだ。これで、お前のされてることを知らせていけば、変わるはずだ」
違う。
解放されたいとは思ってたけど、違う。
私は、鞄も持たずに学校から飛び出していた。行き先なんて考えてなかった。
「きゃっ…!」
どこかで、誰かにぶつかった。
小さく、可愛らしい悲鳴。
「あれ…喜嶋先輩?」
そこにいたのは、中学時代の蓮の部活の後輩。たしか、蓮が凄く気にかけてた子だったはず。
そして、あの頃から仲のよかった私をこの子が知ってるのは当然だったかもしれない。
その隣には男子部の有名だった宮古隆哉がいた。
「先輩、こっちです」
女の子の方がぐい、と私の手を引っ張った。
どこかに連れて行こうとしてる?でも、それは止めて。私は、1人になりたいの。
「先輩、1人になりたいんですよね?ですから、1人になるのにいい場所、教えます。そこでなら、思いっきり泣けます。だから、それまではこんな強引な後輩に我慢してください」
この子、鋭い。
「あ、誤解のないように言っときますけど。中本はかなり鈍いですよ。今回は、自分とよく似てるから気付いただけですから」
だけど、宮古隆哉が修正する。
そうなんだ。ということは、この子はよく泣いてたのかな?今は、宮古隆哉と一緒にいるみたいだけど。
「ごめんね、デートだったんじゃない?」
「え!?そ、そんな畏れ多い…」
中本、がうろたえた。デート、なのよね?
「中本。まだそんなこと言ってるのかよ。俺、凄いショックなんだけど」
「あ、その、そんなつもりじゃなくて…」
からかわれてるのに気付いてないし。そりゃ蓮も宮古隆哉も夢中になるのも分からないでもない。
だけど、デートを邪魔しちゃったのは悪かったなぁ。確かに、1人にはなりたいけども。それは人の幸せを邪魔してまですることじゃないと思う。
「あ、先輩。1つ言っときますけど、中本は結局、泣きそうな人をほっとけないんです。たとえ、それがデートの最中だろうと、キスしてる途中であっても。
そんな中本だから、俺は好きになったんですよ」
宮古隆哉が中本に聞こえないように教えてくれる。
たとえ、それが私の罪悪感を軽くしようとする嘘であったとしても、助けになった。
そして、やってきたのは神社だった。ここは私だって知ってる。
「喜嶋先輩、こっちです」
だけど、中本は私を神木の方へと連れてきた。
「ここです」
神木の真下に、小さな空洞があった。これは、知らなかった。
「これ、戦争中に当時の神主様が掘った防空壕らしいんです。結局、使わなかったらしいんですけど。で、状態もいいので子供の頃は遊び場だったんですけど、気付けば泣き場所になってました」
中本が空洞の由来を語る。どうやら、普段は隠してあるらしい。
それを、中本はずっと知ってたみたい。それで、ここでよく泣いた、と。
「宮古、彼女泣かせるなんて、最低だね」
私は思ったことを口にした。
自分に対して悪意を持ってない相手ならこんなに素直に口に出せるのにね。ホント、情けないなぁ。
「あ、その…宮古君は関係ないんです。ここは、まだ、宮古君と付き合い始める前に…自信が持てなくて、何かあるたびに来てた場所なんです。
誰も話を聞いてくれるわけではないんですけど、ここには…家族や、色んな人を守ろうとした昔の神主さんの想いがあるような気がして。だから、頑張れる気がしたんです」
守ろうとした想い、か…
私は、自分とか蓮とか…守ろうとしたことがあったのかな?自信なんかないけど、それを持とうとしたことはあったのかな?
「…ありがと。暫く、ここで考えてみるね」
「あ、はい。でも、ここに来るのもいいですけど、偶には誰かに相談してくださいね?ここは、自分に気付く為の場所で、乗り越える為の場所じゃないんです」
中本が最後にそんなことを言い残して去っていった。
気付く、場所ね…
次の日。
私は怖かったけど、学校に行くことにした。蓮からは電話で休むって連絡が来た。
何でも、今日入籍するとか。蓮じゃなくて、お父さんが。
まず、ロッカー。
「新品だ…」
新しい。
久しぶりに見た、綺麗なロッカー。落書きもない、破損もない。
やっぱり、昨日のあれは効いたのかな、なんて思った。もしかしたら、これで終わりなのかもしれない。
そんなことを思ってしまう私は、やっぱり甘いんだ。
教室に入って、私は違和感を感じてしまった。
何だろう…何かが違う。
「おい、喜嶋」
「あ、はい」
入り口で止まってると、後ろから先生に呼ばれた。
「すまんがこれを配っといてくれないか」
プリントの束を渡されて、呆然としてしまう。
「前から言われてた試験対策のプリントだ。先生はちょっと職員会議に出なきゃならんから」
「わかりました」
そういうことなら断る理由はない。
そう思って、私はプリントを抱えて教室に入った。
鞄を先に机の上に置いて、一つ一つの席に置いていく。けど、女子の殆どが席に着いてるから直接渡していくことにした。
そして、気付いてしまった。
受け取ってくれない。私の声を聞いてくれない。存在を認識してくれない。
そうだ。
これは、無視っていう攻撃だったんだ。昨日の一件があったから、表立ってできないから、こういう手段に出たんだ。
駄目…表立って攻撃されるほうが耐えられる。でも、これは駄目。
気付けば、プリントを教室中に放り捨てて飛び出していた。
なのに、教室を出ようとした私の手首を掴む人がいた。
「離して!!」
私はその手を無理矢理引き剥がそうとして暴れる。
「落ち着いて」
「離してよ!!」
「落ち着け!!」
暴れる私に、きつい言葉を浴びせてくる。
「…琴平、君?」
少しだけ冷静になって、相手を見てみると琴平君だった。
「何があった?また何かあったんなら力になりたい」
「駄目。あんなことしちゃうからこんなことになったんじゃない!!もう構わないでよ!!」
空いた手で琴平君の頬を叩いて、呆然としたところで振り払って逃げ出した。
そうだ。全部、琴平君の所為だ。彼が気付かなければまだ私は耐えられたはずなのに。
そう思うと、少しだけ気が楽になったけど、胸の奥が痛んだ。
教室には帰れなかった。
そして、ロッカーの中。いつも教科書の中に隠してあった紙を取り出す。そこに書いてあるのは退学届。一緒に遺書まであったりするけど、これは使わない。
ついに、これを出す日が来てしまった。
明日から琴平君は部活の大会で3日、学校に来なくなる。蓮も明日も来ないって言ってた。今しかない。
私を止める人がいないうちにここから消えてしまえば…
「…うん」
決めた。退学届をポケットに入れて、私は職員室に向かった。
そろそろ職員会議も終わる頃。丁度いい。
「失礼します」
職員室に入って、担任の所まで行く。
「ん…あぁ、喜嶋か。さっきはありがとう」
「いえ…」
調子が狂う。けど、そんなものに負けるわけにもいかない。
「先生。これ、受け取ってもらえますか」
「おいおい。俺は家庭持ちだぞ?からかうもんじゃ…」
先生が笑いながら退学届を受け取って、目にした瞬間に固まった。
一瞬で、さっきまでの和やかな空気が消えてしまった。
「…本気か?」
「はい」
迷いはない。
「…わかった。だが、少しだけ時間はやる。その間に身の回りの整理とか、お別れとか、済ませておくように」
先生は理由を聞かなかった。それは、何となく、昨日の一件で私が何をされてきたのかを少しだけ垣間見ることができたからなのだろうか?
だけど、もう遅い。
もっと早ければ、違う結末があったかもしれない。でも、遅かったんだ。もう、戻らない。帰ってこない。
「はい。お願いします」
私は職員室から出た。
今日は帰る。いや、もう来ない。明日からも。
まずはロッカーに向かった。
中に入ってる教科書類は特にない。元々、入れておくだけで誰かにボロボロにされていくんだから、入れておけなかったんだ。
だから、入ってるのは今日使うはずだったものばかり。これぐらいなら、鞄に詰めて持って帰れる。
入りきらないものは焼却炉にでも入れておけばいいか。
プリントの類とか、そういった一部のものを抱えて、私は外に出た。
焼却炉を開けて、呆然とする。
私の鞄が燃やされていた。教室を出たほんの少しの時間で、ここまでされていた。
これが、答えだったんだ。私に居場所はない。それがあるように錯覚していたのは、蓮が自分の場所を大きくとってたから、そこに入れば自分の場所があるように感じられただけなんだ。
「…捨ててやる」
もう、何もない。
だったら…そう思うと、一気に何かが爆発した。持ってたプリント類を纏めて焼却炉に放り込み、燃やした。
真っ赤な炎が鞄、プリントとかを焼いていく。泣きたくなった。でも、泣かない。
ここは、泣くところじゃない。ここは、感情を抑えるところ。
そして、私は家に帰った。
4日後、突然学校から呼び出された。
取り敢えず、まだ学校に籍は残ってるらしい。どうでもいいけど。
生徒指導室に連れて行かれた。
そこで、蓮と琴平君が待っていた。先生は先生でやれやれと言わんばかりに肩を竦めてみせた。
「ねぇ…紗奈香。どういうこと?学校に出てきてみれば紗奈香が退学してるって」
「そうだ。俺だって、あんなことの後で、学校に出てみれば喜嶋が退学したって聞かされたんだ」
確かに、私は何も言わなかった。だって、言ったらこの人たちは私を止めに来るから。
「どういうことも何も…私は辞めるんだよ。このまま学校に行っててもいいことないし。居場所もなくなったし」
そうだね。ちゃんと、言って終わりにしようか。そうしないと納得できないなら、それも仕方ないよね。
「違う!どうしてその前に相談してくれなかったの!?私、紗奈香とは友達だって思ってたのに!!」
友達だよ。私の心の支えだった。だから、言えなかった。失くしてしまうのが嫌だったから。
それに、琴平君もそう。あなたの存在は私の支えだった。
関わることがなくても、私はあなたに支えられてきた。だから、関わるようになっても、何も言えなかった。
言ってしまって、知られてしまって、失くしてしまうのが嫌だったから。
「友達、だったよ?でも、言えないことだってあるよ。知らないままでいてほしかったよ。
特に、琴平君は」
琴平君がビクッと少しだけ震えた。
そうだ。琴平君に知られた日からおかしくなっていったんだ。知られなければ、まだこの学校にいられたのに。
あの日のことが、なかったことにできたら…いや、せめて琴平君が気付きさえしなかったら。
それだけで、私はまだ頑張れたはずなのに。
「喜嶋!俺は…」
「やめてよ。私は、あなたを見てただけだった。それが私の密かな楽しみだった。なのに、気付かれちゃった…
駄目だなぁ…蓮に隠し切れないだけじゃなくて、琴平君にまで隠しきれないんだから」
ホントに、駄目だ。こんなの。
好きな人には、知られたくないのにね。
どうして、好きな人ばっかり気付いて、周りは気付かないんだろう。
「…ねえ、紗奈香。何も言わなかったのは、私に知られたくなかったから?」
そう、だね。知られたくなかった。呆れられたくなかった。ばれてるって言っても、あれぐらいのことに耐えられない人だなんて思われたくなかった。
「知られたくなかったよ。あの程度のことに耐えられない人だなんて思われたくなかったし、家族もできて彼氏もできた、そんな幸せの中にいる蓮に迷惑かけたくなかったし」
蓮には何も知らないままでいてほしかった。
「勝手だよ…紗奈香。そんなの、友達じゃないよ。ずっと、心配してたんだよ?でも、私から聞き出すのもおかしいから言えなかったよ。
だけど、聞き出せばよかった。こんなことになるくらいなら、紗奈香が友達っていう意味を誤解してたんなら聞いておけばよかった」
私が、間違ってたの?
そんなわけない。私は間違ってない。
「私じゃ、絶対に教えてもらえないだろうから。だから、琴平君に助けになってほしいって頼んだのにね。遅かったんだ。
自分ひとりで抱え込んで、解決できる問題じゃない。そんなに簡単な問題じゃない」
待って。
琴平君に頼んだ?
「蓮…何で琴平君を巻き込んだの?関係ないはずでしょ。私がただ見てるだけだって、知ってたはずでしょ?」
「違う」
琴平君が割り込んできた。
「俺は巻き込まれたわけじゃない。関係ないわけでもない。俺はあの日、お前の現実を知った。でも、お前は知ってほしくなかった。
だから、俺は堤に話を持ちかけたんだ。その上で、堤は俺にお前のことを頼んだ。赤の他人のほうが裏では動きやすいんじゃないかってな」
学校に出たときには退学してるとは思わなかったけどな、と締めた。
「…私は、琴平君は無関係でいてほしかった。見てしまったときも、気付かないふりをしててほしかった。
私にとって、琴平君は“普通の日常”の象徴だった。だから、関わってほしくなかった。もしも私が普通の日常を送ることができて、それであなたの隣に立てたらって考えて勝手に楽しんでた。なのに、あなたはこっちに来てしまった」
結局、私1人の考えだったのかもしれない。
けど、私と一緒にいるからって蓮と琴平君まで変な目で見られるのはいやだ。そんなの私だけでいいのに。
私は慣れてる。小学校からずっとだった。誰にも言わないし、隠し続けるから。
それをわかってるから皆が私に手を出した。
中学で蓮に会った。
あの頃の蓮は陸上部だったからそんなに一緒にはいられなかったけど、それでも友達でいられた。
あの頃からだ。
3学期ぐらいになると、私に対する嫌がらせが突然なくなったのは。それが、蓮によるものだって気付くまで時間は掛からなかった。
あれからいくらか時間も流れて、高校生になった。
ここでも同じ学校、同じクラスになれた私たちだったけど、今度は蓮まで仲間はずれにされていくようになった。
だけど、蓮はそんなこと気にしてなかった。寧ろ、暫く後になって発覚したお父さんの再婚問題とか、彼氏ができたりとか、そういうので充実した毎日を送ることができるようになっていった。
私1人だけが取り残されてしまった。
蓮は日常の中を生きることができる。
私は、1人。
そんな中で、私は琴平君、という支えを見つけた。
いつも見てるだけの人。だけど、その姿を見て、もしもの世界を少しだけ想像して…それだけだった。
でも、それでも良かった。
その世界に私を嫌う人なんていないから。1人にはならなかったから。
だから、私は琴平君の姿を追い続けた。
「俺は…1人でいる奴を見るのが嫌いなんだ。お前は、1人じゃないのに、1人でいるんだよ。
お前が作った、お前の想像の中の世界じゃない。それは逃げだ。逃げてどうする。諦めてどうする。止まってどうする。お前はここにいて、俺も堤もここにいる。1人になるな」
そして、私が追い続けた琴平君は、気付けば私の中に踏み込んできてる。
「何か、完全に蚊帳の外だな」
ふと、先生が口を開いた。すっかりいたことを忘れてた。
「なぁ、喜嶋。どうして、ここにこの2人がいるのか知ってるか?」
どう、して?
そういえばそうだ。退学したのに、最後に転校するとかそういう話かと思えば、蓮と琴平君がいて。
気付けば私のとった行動を咎めてくる。
「この2人はな、お前の退学を取り消してくれって言ってきたんだよ」
そう言って先生はポケットから紙切れを取り出した。
「で、この2人はこんなに真剣にお前の退学を止めたいと言ってくれてるんだ。
その上で訊こう。本当に、これ、出していいのか?」
先生が持っていた紙、私の退学届をそっと手渡してくれた。
私は、辞めたくなかった。
でも、辞めなきゃ駄目だった。
「紗奈香。辞めちゃ駄目だよ。今度は、ちゃんと向き合おう。全部。私とも、琴平君とも、現実とも」
向き、合う。
それが、私がずっと逃げてきたこと。
「喜嶋。もしも、残ってくれるなら、言っておかなきゃいけないことがあるんだ。今言うと、卑怯だと思うから言わないけど」
2人が私のことをこんなにも気にかけてくれてる。
私は…
私の答えは…
私は、あの新品のロッカーの前に立った。
あの日、教科書とかを焼いた日に、つい、持ったままで来てしまった。
あの、退学届と一緒に隠していた遺書。
それを、私はロッカーの前で破った。
これは、私なりの決意だった。
いなくなってしまいたいと思っていた私との決別。
そして、
「終わったか?」
「うん」
新しい日々を迎える為に。
私は、そっと、手を伸ばした。