SS作家の朝は早い。
午前6時、目覚まし時計が鳴る30分以上前にベッドから起き上がる。
あくまでも目覚ましは万が一の為。自然とこの時間に起きるよう身体が出来てしまっている。
「……さてと」
顔を洗うべく階下へ降りる。
そしてキッチンの前を通りかかった時、同居人からいつものように声をかけられた。
「おはようございます、ご主人様」
「ああ、おはよう」
住み込みメイドの美咲さん。
年は俺と2歳程度しか代わらないのに、とても大人びて見える素敵な女性だ。
「ここのところパン食続きでしたので、今日の朝ご飯は和食にしてみました」
「お、気が利くねー。ありがとう」
「いえ……。そ、その代わりご褒美を……」
「ハハハ、ちゃっかりしてるな美咲さんは」
恥ずかしそうにうつむく美咲さんの側に寄り、そっと唇にキスをする。
「……あ、ゴメン。まだ歯磨く前だった」
「……いいんです。寝起きそのままの秀一さんを感じられましたから」
「ブッ!! 時々恐ろしいことを言うねキミは」
でもそういうところが可愛いんだけど。
「……今朝も食べさせ合いっこ、しましょうね?」
「わかってる、わかってるよ」
ねだる彼女をチョコンと小突き、俺は洗面台へと向かうのだった。
美咲さんは我が家のメイドであると同時に、俺の大切な人でもある。
そんな彼女と2人きり、俺はこの4LDKの一軒家で暮らしている。
両親共に海外へ長期出張に出かけており、
かつ親の居ぬ自宅にメイドさん兼彼女さんと二人暮しという、
それこそゲームでしかありえないような境遇に置かれている俺の名前は上城秀一(かみしろしゅういち)
どこにでもいる、しがないSS作家だ。
〜SS作家妄想伝〜
本日の大学の講義は2時間目から。
大講堂後方の席に陣取り、今朝の情事を思い返す。
全く、彼女のタコさんウインナー大好きっぷりには困ったものだ。
大人しそうな見た目とは裏腹で、実に積極果敢な娘さんなんだから。
講堂に教授が入ってきた。
ちなみにこの時間の講義は、学部学科の区別なく全学生必修の共通教育課目。
やる内容も『大学生のノートの取り方』といった初歩的な内容で。
そんなことをわざわざ教えなければならないくらいに、今の大学生の質は落ちているのだろうか。
正直、医学部の自分にとっては話を聞いている時間が勿体無いとすら思えるつまらない講義だ。
それでも出席点だけで単位が決まる講義なので出ざるを得ないのである。
「……」
こんな時俺はどうやって時間を潰すかというと、そう、SSを書くのである。
高校生の頃から何となく書き始めた、各種ゲームの二次創作。
昔から物語を考えたりするのが好きな子供だったので、
多い日には1日に2本3本と、自分でも引くくらいのペースで作品を創り上げていく。
そして50作品以上貯まったところで、折角だから人に見てもらおうと、
レンタルスペースを借りて自身のサイトを作成し、作品の公開を始めたのが高1の冬。
するとどういうわけだかこれが各方面で評判となり、
開設3ヶ月目には80万ヒットを記録し大手サイトの仲間入りを果たしていた。
自分でもよく分からないのだが、俺の書くSSは人に言わせれば大変「詩的」だそうで。
それが今までのSS業界にない作風だということで、大受けした最大の要因になったらしい。
しかし、その辺りは自身別に狙って書いているわけでもなく、
そのように評価されることは未だに不思議でならない。
ただまぁ自分で言うのも何だけど、最近になって
才能というのは案外そういうものかも知れないなと思えるようにもなってきている。
「……さてと、あの戦場の哀しさをどう書こうか」
机の上に白紙のルーズリーフを置き、現在連載中の某アニメの二次創作・最新話の構想を練る。
思えば彼女、美咲さんとの出逢いもこのSSがきっかけだったな。
何気に女性人気も高いこのアニメの二次創作を書き始めたのは、
ちょうど俺が大学へ進学し、両親が海外赴任へ出て行った時のこと。
そして一読者、いや一日に何通もメールを送ってくる熱狂的な読者だった彼女と
直接顔を合わせたのが連載開始ひと月たった頃。
まぁ普通、読者と直接会うなんてありえないことだけれども、
メールのやり取りをしていくうちにお互い住所も近いことが分かり、
軽い気持ちで会ってみたら、二人が二人とも恋に落ちたという状況で、
まるであらかじめ運命の糸が結ばれていたような感じとでも言うべきか。
まぁ下衆な言い方をすれば、ネゲットに成功したとも表現できるわけだ。
で、何でその彼女が住み込みメイドさんをやっているかって?
そこはホラ、賢明な諸兄ならお分かりのように、メイドというのは男の浪漫。
要は恋人同士の同棲なのだが、彼女に無理を言ってメイドさんを演じてもらっているわけ。
この点はさすがに我ながらド変態だと思う。
「……っと、そんなこと思い出してる場合じゃねぇな」
いつの間にか講義開始から20分以上が過ぎている。
貴重な執筆時間だ。雑念は振り払い、モノを書くことだけに集中しよう。
こうして俺は教壇のハゲ教授が語る最近の若者への愚痴をBGMに、
連載最新話の執筆を進めるのであった。
――――昼休み。
「結局2話分しか書けなかったな」
学生食堂窓際の席に座り、先ほど書いたルーズリーフ5枚に目を通す。
若干の校正は必要なものの、これをそのまま打ち直せば今週分の更新は事足りるだろう。
ただ、あくまでも足りるのは該当一作品のみ。
現在自サイト以外に数箇所投稿連載も行っているので、まだまだ筆を休めるわけには行かないのだ。
まぁあくまでも趣味なので、商業作家のように締め切りに追われるということはないのだが。
「……っと、いたいた。どうもー上城さん」
「ん?」
見た目30歳そこらのスーツ姿の男性がこちらに向かってきた。
「どうもーお久しぶりです、角山出版の平井ですー」
「お久しぶりって、つい先週来たばっかじゃないですか」
「まぁまぁそうおっしゃらずに」
と、馴れ馴れしく俺の隣に腰をかける平井さん。
「で、今日こちらに参りましたのは……」
「分かってますよ、執筆依頼でしょ?」
「相変わらずご理解が早い。是非とも上城先生に当社で一冊書いていただけないかと思いまして」
「……何度も言いますけど、僕、商業でやっていくつもりはありませんから」
「いやいやそんな弱気なことをおっしゃらずに。上城先生の実力はうちの連載作家陣の皆さんも認めているんですから」
「いや、実力の問題じゃなくてですね……」
これも自分で言うのもどうかと思う話だが、俺自身、自分にはある程度の文才があるんじゃないかなぁとは思うし、
実際にプロの作家としてやっていける自信も少なからず持っている。
しかし……俺にとっての『モノ書き』はあくまでも趣味なのだ。
「お話は大変ありがたいのですけど、何度も言ってますように、僕、モノ書きとして食べていこうという気はないんです。あくまでも医者志望ですから。実習とか始まったらそれこそSSなんて書いてる暇なんて無くなりますし、その時にはキッパリ筆を置くつもりでいますから」
「いやいや、別にモノ書き一本になれなんてことは言いませんし、執筆も時間に余裕があるときだけで構いませんから。その辺の融通は利かせますので、ホントお願いしますよ〜」
「……」
ネット上ではそれなりに名は知れているものの、特に新人賞を獲ったわけでもないド新人を、
何故にここまでして欲してくれるのか。
平井さんの気持ち、角山の気持ちは本当にありがたい。
……だけど、ありがたい分、重いのだ。
「……やっぱりお受けできません。そんな生半可な気持ちで書いてたんじゃ、角山さんや真面目な気持ちで書いている他の作家さん、それに何より読者の皆さんに対して申し訳ないですから。だから平井さんも僕なんかじゃなくて、もっとこう、俺にはモノ書きしかないんだーって熱い想いを持っている人間をスカウトしてあげてください。その方が絶対いいんです。絶対」
「……」
惜しむべきは、俺がモノを書く楽しさに目覚めるのが遅すぎたこと。
医師を志すより前にその気持ちが芽生えていれば、このお話も喜んで引き受けられていたのだが。
「……分かりました。とりあえず今日のところは引き上げます」
「いや、何回来てもらっても同じですが」
「ノンノン、上城さんにそんな強い想いがあるのと同じく、私にも上城さんに是非書いてもらいたいっていう確固たる決意がありますから。こうなったら維持と維持とのぶつかり合いです。次回は説き伏せてみせますからね」
そう言い残して平井さんは食堂を後にした。
……アレだけ熱い想いをぶつけられたんじゃ、断る方も辛い。
お互い情熱を向けるベクトルが同じ方向を向いていれば、絶対に最高のパートナーになれるんだけどな。
まぁ……そのためには現状俺が折れるしかないわけか。
「何か別の場所で出会いたかったな」
ただただ世の中の不条理、運命のいたずらを呪うばかりです。
午後4時過ぎ、今日は早めに帰宅。
美咲さんはまだ帰って来ていないようだ。
メイドなんてやらせているが、彼女も普段は立派な女子大生。
これで通う大学まで一緒だったら言うこと無しだけど、
そこまで人生上手いこと出来てはいないわけで。
「……じゃ、執筆タイムと参りましょうか」
自室に入り、PCの電源を入れる。
まずはメールチェックから。新着メールが37件、全てがSSに対する感想のメールだった。
「……こういうの読んでたら、プロの作家も悪くないかなーとは思えるけどな」
だけどプロになったらなったで、驕ってしまいそうな気がして怖いのだ。
アマチュアに過ぎない現時点でも、「俺、文才あるんじゃねーか?」と己惚れ始めている部分も有り。
これでプロなんて肩書きを付けてみろ。いろいろと自制が効かなくなりそうだ。
「……それに、やっぱり批判は嫌だしな」
今日も37通の感想のうち、6通が批判的な感想であった。
反対意見が有ってこそ一人前だが、だけどやっぱり自分の作品を嫌いって言われるのは嫌だよな。
プロになれば当然読者の絶対数は増え、同時に批判的な意見も激増するだろう。
結局は臆病者なんだよな。
「だから、今くらいの規模でやっていくのが一番いいんです、と」
メーラーを閉じ、メモ帳を開く。
とりあえず今は余計なことは考えず、午前中書いた連載の打ち出し作業に勤しもう。
そう思い、カバンからルーズリーフを取り出したその瞬間。
「だーれだ」
「……だーれだって、この家に俺と美咲さん以外誰かいたら怖いだろ」
「それもそうだね」
まだメイド服に着替えていない、大学帰りの彼女の姿がそこにあった。
「執筆中?」
「ん、あぁ。今から書こうかと思ってたところ」
「そっか……じゃあ邪魔しちゃ悪いね」
そう言って部屋から立ち去ろうとする美咲さん。
「いや、いいんだ」
「え?」
「何か今日はいろいろあったから気が乗らないや」
「えー、それじゃあ今日の更新は無し? 早く最新話が読みたかったのに」
「……だったら、美咲さんだけにこっそり教えてあげようかなー」
「え、いいの?」
「もちろんもちろん。それじゃ、リビングのソファーでゆっくりと……」
人間やっぱり目の前の欲望には勝てないわけで。
まぁこんな感じで無責任な執筆ペースを保つためには、やっぱりアマチュアでいるのが一番。
それより何より今の生活が一番楽しいから、無理に変える必要なんてないだろう。
現状だけでもいちSS作家としては最上級に素晴らしい境遇なんだ。
これ以上幸せになったら呪われる。
「幸せな生活、略してSSってか」
上手い締め方が思いつかないので、下手な駄洒落で締めさせていただきます。
そんな、とあるSS作家の日常。