『ヴァインさん、私、貴方のこと愛してます!』
あの時、彼女はそう言った。
その瞬間、何かが変わった。
ただ緩慢な死だけを望んでいた僕を揺さぶった。
母の所にしか居場所が無いと思っていた僕に新たな居場所をくれるのかもと思った。
だけどよくよく考えてみれば、あのリネットさんのことだ。
ただ死に逝く僕に少しでも未練を感じてもらおうと思って言っただけの言葉なんじゃないだろうか?
なくも無い話だと思う。
故に僕は彼女の隣に立つわけにはいかない。
まして僕はもうすぐ――――
Secret medicine 【1:薬師再び】
ヴァインが薬師を辞めてから一ヶ月が経とうとしていたある日の夜。
その日、彼女――リネットは悶々とした夜を過ごしていた。
「はぁ……今夜も来ない……」
枕を両手でぎゅっと抱きしめてベッドの上でリネットは座っていた。
髪は風呂上りで纏めておらず、長い金髪がしなやかにベッドの上に垂れている。
パジャマは下着の上に白いワンピースもどき一枚で涼しげかつ非常に魅惑的である。
その瞳は扉の方に向けられており、まだ見ぬ来訪者を意識している事は明白だった。
「わりと頑張ってはみたのに……」
彼女の言う頑張りとは、何か機会があるごとにヴァインにくっついてみたり、風呂上りにバスタオル一枚で家内をうろついたりとかである。
もっとも、確かに効果はあがっているのだが、ヴァインは少々特殊なので傍目からすると全く効果があがっていないように見えるのだ。
ヴァインという青年の生きた時間は長いようで短い。
確かに肉体的には18年の歳月を経ている。
が、精神的にも18年分の経験があるかと言われると否だ。
ヴァインは12歳の時に母親をなくし、一人で暮らしてきた。
12歳にして天涯孤独と言っても過言では無い状況に放り込まれ、今まで生きてこれたのには理由がある。
ヴァインは良くも悪くも一途だった。
彼にとって『居場所』とは母の元に相違ならなかった。
そしてその母が死んだ。
ならば自らの居場所を求める子供の行動なんて限られてくる。
即ち、新しい場所を見つけるか、遠くにいってしまった場所に辿り着くか。
彼は後者を選んだ。
ただ、死を決意した12の少年を現世に留まらせたのは幼き日の誓い。
どうせ死ぬのなら、散らす命を使って人を癒そう。
それが死と癒しの誓いの妥協点だった。
それからはがむしゃらに薬師の勉強に打ち込んだ。
持って生まれた神術の才を捨てて、茨の道を突き進んだ。
薬が身体を蝕めば蝕むほどに、死を感じ安堵する。
彼の6年はそんな時間だった。
故に、ヴァインにおよそ恋愛に関する知識は殆ど無い。
医者という立場上、色々と知識だけはついているものの、恋愛において最も重要な恋や愛といった気持ちが自分でも解らないのだ。
こと、恋愛に関しては12歳時点での感情しか知りえないのだ。
止まっていた時が動き出したとはいえ、凍っていた時が戻ってくるわけではない。
つまり、身体は18歳で、精神的には色々と苦労した分の+αがつき外見以上の精神年齢ではあるものの、この6年に不必要だった部分……すなわち恋愛に関しては12歳のままなのである。
で、その12歳の少年の時が動き出し、18歳相応の場で満足に動けるかと問われれば否なのである。
では、そういった場におちた12歳の少年の行動は限られる。
つまり、12歳の少年ことヴァインのとった行動とは見て見ぬフリ。
対応に困るなら対応しなければいい。
それがその頃の彼の姿。
ヴァインもリネットの行動には逐一気を配っているのだ。
ただ、反応しないだけで。
特にヴァインは医者という立場上、患者がどれだけ酷い状態であってもそれを悟られないためのポーカーフェイスを取得している。
故にヴァインは余程の事が無い限り意識しているうちは感情をこぼす事は無い。
だが、当然ながらリネットにはそれが解らないわけで……
「……私のこと……本当になんとも思ってないのかな……」
さらに抱いた枕に腕がくいこんでいく。
さらに深い思考の海に呑まれ、悶々とした夜はまだまだ続いていく……
僕は……約束を破らなくちゃいけない。
窓から顔を出して見上げた月はいつも通りに輝いている。
しかし、その月ももうそろそろ無くなろうとしている。
いわゆる新月というやつだ。
僕が旅から帰ってきて三度目の新月が迫る。
もうすぐあの日だ。
リネットさんには悪いが薬を作る事にする。
このままだときっと狂ってしまうだろう。
だから狂ってしまう前に薬を完成させないといけない。
過去、己の命を磨り潰した代償。
それは今も僕の身体の中で眠っているのだ。
「傑作だな……薬を作った代償を抑える為に薬を作るなんて……」
自嘲気味に笑って僕は久々に薬剤道具を握ったのだった。
ヴァインが再び夜な夜な薬を作るようになって一週間後、シコードは領主と魔術師オリンに呼ばれて屋敷まで来ていた。
昔話でもしたくなったのか、と思いシコードは領主の館に行くことにした。
まぁ、一食分のお金が浮く事と、美味しいものが食べれる事に主眼を置いているのがシコードらしいといえばらしかった。
特に挨拶もせず、慣れた動作で屋敷の玄関から入るシコード。
入り口には誰もおらず、挨拶もしていないので人のくる様子も無い。
「しかし、相変わらず無駄に装飾の凝った家だな……ん、これなんか高く売れそうだ」
そう言って躊躇いもなく、手に取った金縁の燭台を懐にいれるシコード。
あまりに手馴れた動作に、初犯では無いことが窺える。
「シコード、お主と言う奴は……」
「ほら、言った通りでしょ? シコードなら絶対にあの燭台を盗むって」
その声に反応してシコードが物陰に隠れていたこの屋敷の二人の住人を見つけた。
「勘違いするな、盗むのではない。こんな家で燭台なんて使わないだろう? だから私はその哀れな燭台を本来の仕事の出来る環境に送ってやろうと思ったのだ」
「要するに闇市で売り捌こうとしたのね?」
「ふん、甘く見られたものだ。闇市なぞ盗賊どもの盗品だらけで売っても二束三文にしかなるまい、ちゃんと正規のルートで正規の値段で売り捌く」
「わかってると思うんだけど、それだって立派な盗品よ?」
「ちゃんと譲り受けたと言うに決まっているだろう。幸い、領主とは面識があるのは知られている、持ち主はこんなものが売ってる市場まで顔を出すまい」
「まったく……居丈高な盗人ね……」
領主は呆れながらシコードを屋敷の中に招いた。
その後をシコードが。
さらにその後をオリンがシコードに目を光らせながらついてゆく。
三人は既に料理が用意された席につくと、シコードが口を開いた。
「で? 一体、何の話だ? 昔話ならば私の方も望むところだが」
「それもあるわ。けど、本命はヴァインのことよ」
「ほぅ……」
「いやー、この前オリンと世間話してて、たまたまヴァインのことを話していたら思い出したのよ」
「何をだ?」
「ヴァインの疾患のことじゃ」
「……そうか」
シコードは、『ああ、やっぱり』と悲しげに納得した。
何しろ六年も薬師をしていて、何年も得体の知れない薬を飲み続けたのだ。
普段、そういったそぶりを彼は見せないから、シコードはもしかしたら幸運にもそういった類のものは抱えていないのかと思ったのだが……
「……それは死に繋がる疾患なのか?」
「……まぁ、死にはせんじゃろ、ある意味うらやましい病じゃと思うがの」
「は? うらやましい?」
「社会的に死ぬかも知れないけどね」
「……すまない、まったくもって病の内容が定まらないのだが」
クスクスとシコードの思い悩む姿を見ている魔術師とその主。
あの、いつも何を考えているのか今ひとつ掴めないシコードが思案する姿を見て二人とも満足いったのか、話を進める。
「で、その疾患って言うのが大体、月が3回満ち欠けする周期で起こるの」
「で、確かもうそろそろその時期じゃと思い出してのぅ。以前までなら薬で押さえ込んでいたのじゃが……それでもかなりの衝動があってのぅ」
「はぁ……」
「それで今回はその薬すら作らないんだから大変なことになるかも。薬あった時だって周りに迷惑かけたくないって理由で旅を決意したんだし、今回はどうなるかしら」
「そこでシコード、お主に一肌脱いでもらおうと思ってのう」
「それは構わないが、私はどちらかと言うと癒すより壊す方の人間だぞ?」
「いやいや、お主以上の適任者はおるまいて」
「で? 結局私は何をすればいいのだ?」
「なに、簡単なことよ」
領主はそこで言葉を切って、続きを魔術師に促した。
そして促された魔術師は神妙な面持ちと声とは裏腹にとんでもない事を言い出した。
「お主、今夜にでもヴァインを夜の町にでも連れ出してやってくれんか?」
二人曰く、ここまで間抜け面したシコードを見たのは後にも先にも一度きりだと、後に語ったという。
あとがき
はい、無謀にも何か始めちゃった秋明さん、既に後悔風味です(早っ
汐姉? 粉雪? そんなの後回しです(死ね
調子にのって勢いで書いちゃってる時点で色々と負け組。
とりあえず書きたいものを書く、それが原点だと思うのですよ。
嫌々書くのと好きで書くのじゃスピードが違いますしねー♪(しかし早くないのは仕様です
はてさて、一気に最後までいけるかなー?
そんなこんなでSecret medicine、良ければ長い目で見てやってくださいねーっ♪
ついかのなんて古代の遺物です。(捨て台詞