【夢桜に誘われて】



 「花見?」

 「そ、花見にいこっ」

 折原浩平がえいえんより帰ってきて数日、GWも明日に迫った四月末日のこと。
 いつものごとくどこからともなく現れた柚木詩子はそう提案した。

 「澪ちゃんも誘ってさ、みんなでどんちゃんしようよ」

 「……それはいい考えですね」

 突飛な提案に賛同するのは詩子の幼馴染である里村茜だった。
 あまり騒いだりするのは好まない性格の茜だが、最近は笑顔と共に少しずつ社交的になってきている。
 もっとも、その感情が一番花開くのはある少年の前だけであることは段々周知の事実になってきているのだが。

 「柚木にしては悪くはない提案だが……もう桜って散ってるんじゃないのか?」

 珍しくもっともな指摘をする浩平。
 が、詩子は不敵な笑みを浮かべるとどんっ、と胸を叩く。

 「詩子さんにぬかりはないわ。今の時期でも咲いている桜があるのよ」

 「はあ? また与太話じゃないのか?」

 「失礼ね折原君、ちゃんと場所も桜も確認済みよ。その桜はね、夢桜っていうの」

 「夢桜?」

 「そ。まるで桜がいつまでも夢を見ているかのように咲きつづけているから夢桜って呼ばれてるらしいの。
  まあ、そう呼ばれる理由はもう一つあるらしいんだけど」

 「ふーん、面白そうだな」

 「でしょ」

 「どうする茜? この面子だと弁当はお前に頼むことになるんだが」

 「私は構いません」

 「やった、じゃあ決定ね。それじゃあたしは澪ちゃんを誘ってくるから」

 言うが早いか風のように教室より去っていく詩子。
 残されたのは苦笑する茜といい加減慣れたのか頬杖をついてそれを見送る浩平だった。















 「で、花見当日なんだが」

 「説明口調だね折原君」

 「やかましい。というかなんでお前以外誰も来てないんだ柚木」

 「そりゃ集合時間は十二時だもん」

 平然と言い放つ詩子に対して怒りを通り越してある種の尊敬を覚えてしまう浩平。
 ちなみに浩平に告げられていた集合時間は八時であった。
 まあ、浩平が到着したのは九時だったが。

 「俺の貴重な睡眠時間を返せ……」

 「遅刻してきたのにそれはないんじゃないの折原君」

 「本当の集合時間が十二時なら余裕でセーフだろうがっ!」

 「まあまあ、いくら穴場だからといっても席取りは大事だよ♪」

 「がらがらじゃないか……」

 がっくりと肩を落とす浩平。
 その言葉通りに周囲には人の気配はない。
 浩平と詩子の二人だけである。

 「だからあたしが来てあげてるんじゃない。やったね、美少女詩子ちゃんと二人っきりだよ」

 「嬉しくねえよ」

 「流石折原君、茜一筋だねー」

 「そうだよ、悪いか」

 「わ、さらりと恥ずかしいこと言ってるね」

 「愛の力だ」

 「茜、こんなに想ってもらえてうらやましいなぁ」

 からかうような詩子の口調。
 しかし、微かにその中に羨望の念が混じっていることには浩平は気づけなかった。

 「お前も彼氏なりなんなり見つければいいだろうが。見た目だけに限ればまあ茜ほどではないが悪くはないし」

 「えっ、本当?」

 「俺は冗談は日常茶飯事だが嘘はたまにしかつかん」

 「それって嘘の可能性もあるってことじゃ」

 「安心しろ、みね打ちだ」

 「意味わかんないよ……」

 苦笑する詩子を横目で見つつごろりとシートの上に転がる浩平。
 ふざけてはみたものの、一応フォローは入れることにする。

 「いや、実際お前なら彼氏の一人や二人できるんじゃないのか?」

 「二人も欲しくないよ。けど誉め言葉だけは受け取っとくね」

 「ああ、そうしろ。あと数年はないだろうからな」

 「ひどいねー、極悪人だねー」

 「やかましい、俺は今から本来取るはずだった睡眠をとらねばならんのだ」

 「子守唄でも歌おうか?」

 「余計寝れんことになりそうだ」

 「む、詩子さんの歌は最高なんだぞ。聞いたこともないくせに」















 さぁぁぁ



 桜を風が揺らし、詩子の髪をも揺らす。
 詩子は髪をおさえながら寝転がっている浩平のほうを向いた。

 「折原君、まだ起きてる?」

 「すー」

 「寝ちゃった、か」

 そう呟くと詩子は浩平の側に寄って彼の髪を触った。
 ぼさぼさで手入れをほとんどしていない髪。
 茜はどれくらいこの髪を触ったのだろうか、そんなことを思う自分に苦笑する詩子。

 「むにゃ……」

 ふと、幸せそうな表情で眠りつづける浩平の顔が詩子の瞳に写る。
 詩子は何を思ったのか浩平の頭を軽く抱え、自分は正座をしてその膝の上にそれを乗せた。
 俗に言う膝枕の状態である。

 「こうしてみると結構折原君も可愛いね、うん」

 何かに納得しながら浩平の寝顔を飽きることなく見つめ続ける詩子。
 浩平は良い夢を見ているのか子供のような寝顔だった。

 そこで詩子は思い出した、頭上で咲き誇る桜が夢桜と呼ばれているもう一つの理由を。
 それはこの桜の下で眠ると必ず夢を見ることが出来る。
 しかもその夢を目覚めても覚えていることが出来るというものだった。

 「ふふっ、折原君の目が覚めたらどんな夢見てたか教えてもらおっと」

 ゆらゆらと舞う桜の花びら。
 詩子は背中を桜の木に預けながら、いつしか自身もまた眠りへと誘われていくのだった……















 「あれ……?」

 気が付くと周囲は一面の桜だった。
 咲いていた桜は一本だったはず、そう思った詩子は周りを見回す。
 他に変化はない。
 浩平は相変わらず詩子の膝枕で寝ているし、他に人は―――――いた。

 少年が一人、数メートル向かいに立っていた。
 詩子や浩平よりも数歳年下に見えるその容姿に、詩子はどこか記憶の扉を叩かれるのを感じた。

 「つかさ」

 自然に口から出た言葉。
 それが目の前にいる少年の名前であることを認識すると同時に少年についての情報が一気に蘇る。

 城島司、自分と茜の幼馴染。
 茜の初恋の人で自分の親友。
 そして―――――

 「なんで、ここに」

 何時の間にかいなくなって、そしてそれを疑問に思うこともなかった自分。
 わけがわからなかった。
 あんなに仲が良かったのに、あんなにいつも三人一緒にいたのに。
 だけど目の前の少年は記憶のままの城島司で

 「ここが詩子の夢の中だから、かな」

 なんてにっこりと言い放った。















 次の瞬間、ノーモーションで投擲されたビール缶(中身入り)は見事に司の額に直撃した。















 「痛たたたた……久しぶりに再会した幼馴染に酷いじゃないか」

 「茜をほったらかしにしてどっかに行ってた司に言われたくないわよ」

 「それを言われると痛いね」

 苦笑する少年を見て、ああ、こいつは本物の司だと詩子は意味もなく確信した。
 なんで今まで忘れていたかということを説明され、茜への悔恨でかなり心が痛んだがそれはそれ。
 まあ、色々言いたいことはあるのだが。

 「で、ここがあたしの夢の中ってどういうこと?」

 一番気になったことを聞いてみる。
 司は額をさすりながら、こほんと咳をした。

 「そのまんまの意味だよ。ここは詩子の夢の中。だから本来会うことのないはずの僕と会えてるというわけ」

 「てことは今目の前にいる司は偽者?」

 「半分正解。確かに僕が茜の目の前で消えていった城島司かと問われれば否定するけど……」

 「じゃあ、半分っていうのは?」

 「僕は詩子の記憶から生み出された城島司だからね。城島司であることは間違いない」

 「なんであたしの記憶なのに忘れていたはずの司が出てくるのよ」

 「さあね」

 「さあねって……」

 「そうだね、あえていうなら……きっと、君達に会いたかったからかな」

 「達って……」

 「そこで気持ちよさそうに寝ている折原浩平君と詩子にさ。茜には今更会わせる顔もないしね
  まあ、折原君は寝てるようだけど」

 司に言われて浩平を見下ろす詩子。
 相変わらず寝続ける浩平の姿になんとなく微笑ましさを感じる。
 が、さっきからこの体勢を見られていたと思うと気恥ずかしさがたってしまい、頬を染める詩子。

 「起こしたほうがいい?」

 「いや、そんな気持ちよさそうに寝てるんだし、起こさなくていいと思うよ。
  まあ、起きたら起きたでなんか僕殴られそうだし、それに彼は別の夢を見てるんだろうしね」

 「……そうだね」

 「しかし幸せそうな寝顔だね。なんとなく二人が彼に惚れたのもわかる気がするよ」

 ぼっ、と司の言葉に詩子の頬が染まる。
 先ほどの二倍は赤い。
 彼女にしては珍しく、わたわたと手を振りながら慌てる姿はかなり可愛らしかったりする。

 「あっ、あたしは別に折原君のことは」

 「あれ、僕は二人って言っただけで詩子がそうだとは言ってないけど?」

 「つっ、司!」

 「あはは、いいんじゃないの? 三角関係でもさ。そうやって我慢してるのって詩子らしくないし」

 「簡単に言っちゃって……」

 がくり、と肩を落とすと目の前には浩平の寝顔。
 なんとなくその幸せな顔がむかついた詩子は浩平のほっぺを摘んで引っ張った。
 浩平は痛いのかしかめっ面になる、それでも起きないのは流石だが。















 「ねえ司」

 「ん?」

 「帰っては……こないよね」

 それは否定を前提とした質問だった。
 当たり前である、そもそも目の前の司はそういう存在ではないのだから。
 それでも、聞かずにはいられなかった。
 司は予想通り首を横に振るのみだったが。

 「僕はもう詩子たちのいる世界にはいない。唯一繋ぎ止めていた茜もようやく吹っ切れてくれたしね」

 「司は、それでいいの?」

 「それが僕が選んだ道だからね。恨んでくれて構わないよ」

 「じょーだん、そんなことしても意味ないじゃない」

 「ははっ、そういうと思ったよ。ま、折原君がいるんだから当たり前か」

 「……あのね、言っとくけど折原君が司の代わりだなんてあたしも茜も思ってないよ。
  確かに折原君は司よりも顔は劣るし、馬鹿だし、デリカシーないし、似てるのは鈍感なとこくらいだけど……」

 酷い言われようだな、と顔を引きつらせる司。
 浩平に同情の視線すら送っていたりする。

 「けどね、折原君は茜が、あたしが、みんながいるこの世界にいる。
  そりゃ司と比べるなんてできないけど……大切な人なんだから」

 「……はぁ」

 「なによっ、溜息なんてついて」

 「それだけ言えるなら僕がこうして出てくる意味なんてなかったじゃないか……全く、こんな所で惚気られるなんて思わなかった」

 「もう一発、投げようか?」

 「遠慮するよ。……さて、そろそろお目覚めの時間だ、僕は消えるとするよ」

 「結局何しに来たのよ司は」

 「さあ……でもいいんじゃないか? 意味はなくても」

 「まあね。久しぶりに会えてあたしも楽しかったし……司のこと、思い出せたからね」

 「忘れることも出来るよ?」

 「まさか、今度こそ絶対覚えててやるんだから」

 そう言って笑いあう詩子と司。
 それは紛れもなく幼馴染のころの二人だった。















 「……ん」

 目が覚める。
 視界一杯の桜は消え、もちろん司の姿も消えていた。
 感じるのは膝の上の浩平の重みと温もり、そして髪をなびかせるそよ風。

 ううん、と上半身のみで伸びをする詩子。
 さっきのことが夢だと疑う余地はない。
 だけど忘れていない、それで十分だった。

 「結局起きなかったね折原君。元恋敵を殴れる折角のチャンスだったのに」

 くすり、と浩平を見ながら悪戯っぽく笑う詩子。
 発破をかけられたせいか、それとも桜の魔力なのか……彼女はそのまま顔を下げていく。
 が、

 「お待たせしました詩子」

 その唇が浩平に触れる寸前、茜と澪が到着する。
 素早く体勢を戻して何事もなかったかのように振舞う詩子。
 幸い今のシーンは見られていなかったのか特に茜が何かを言うことはなかった。
 しかし、膝枕はバッチリ見られた。
 心なしか茜の顔が嫉妬に染まっている。

 「何をしてるんですか」

 声に微妙に棘が含まれている。
 よくぞ茜をここまで成長させたもんだね折原君、などと感動しつつも冷や汗たらたらの詩子。
 ちなみに浩平は依然眠っている。

 「いや、その、ね? ほら枕がないから」

 「詩子はそんなことをするキャラではないはずです」

 「ひ、ひどいな茜。あたしだって女の子だし。ね、澪ちゃん」

 いきなり話を振られて慌てる澪。
 しかし茜の追求は続く。
 まさに絶体絶命の詩子を救ったのはやはりこういう星の元に生まれたであろう折原浩平であった。

 「……んあ、茜?」

 「あ、折原君起きたね。じゃあ説明よろしくっ」

 「……は?」

 「浩平、どういうことですか」

 「な、何が?」

 起きて早々自分の彼女から睨まれる浩平。
 わけもわからないまま状況を把握してみようとしてみれば何故か自分は詩子の膝枕の上。
 澪は何故だか半泣き状態でおろおろしていたりする。
 慌てて跳ね起き、即行で弁解を始めるのだった。

 「ま、待て茜。これは一体……というかまずは俺の話を聞いてくれ」

 「嫌です」

 「即否定!?」

 そして始まる大喧嘩。
 とはいっても茜の態度が冷たくなってそれに浩平が焦るだけなのだが。

 「あははっ」

 「笑ってる場合か柚木!」

 「ふふっ、ねえ茜?」

 「なんですか?」

 「ごめんねっ」

 それはいろんな意味を込めた謝罪。
 そして詩子は決意した。
 とりあえずは名前で呼んでもらおう、と。