君に届かぬ花の名を
たとえ、俺が何を言おうとも、何を考えようとも、世界はそこにあるだけで変わらない。
何もしないのだから、空白を埋めることすらも出来ない。
日常さえも肯定できない。
過ぎ行く季節でさえも、俺の中では意味を持たない。
舞い散る花の名も、それを見て騒ぐ人々の心も俺にはわからない。
いつから意味を無くしたのか。
いつから何も感じないのか。
それさえもわからない。
虎も闘争心をなくせば巨大な猫に過ぎない。
俺は虎であることを忘れた猫なのかもしれない。
牙を失い、爪をなくし、闘志さえも忘れた俺には、空白しか残っていない。
どれほど激しい雨でさえも、流すことの出来ない記憶。
後悔と憎しみの記憶。
あれから彼女はどうしているのだろうか。
愛されるということを知らない俺が、ただ一度、一人だけ愛した、水坂
神人が愛した夏の花の名を持つ彼女は……
たとえ、私がどれだけ拒絶しても、どれだけ逃げても、世界はそこにあるだけで変わらない。
近付けさせないのだから、空白を埋めることすらも出来ない。
自らの言葉さえも肯定できない。
過ぎ行く時間でさえも、私の中では意味を持たない。
舞い散る花も、それを見て騒ぐ人々の心も私には関係ない。
花の美しさも。
人々の笑顔も。
それさえも関係ない。
狼も、所詮は犬に過ぎない。
私は、狼であることを忘れた犬なのかもしれない。
群れることを忘れ、気高い誇りを失った私には虚無しかない。
どれほど激しい風でさえも、吹き飛ばすことの出来ない記憶。
後悔と悲しみの記憶。
あれから彼はどうしているのだろう。
拒絶を知らなかった私が愛した、向日 葵が愛した、神の子の名を持つ彼は……
雨はいつあがる?
風はいつ止む?
君にはいつ会える?
この花の名前は?
桜は好きかなぁ?
あれから、六年が過ぎたな。
もう六年経つんだね。
あれから、色々と怖くなった。
君が傍にいてくれたら、怖くはないのかな?
もし、君に会えるなら、君の隣に立てるなら……
忘れてた笑顔も、知らなかったことも、全て取り戻せる。
「一年前は、こんなの見ようとも思っていなかったな」
「神人君らしいね、そういうところ」
俺、水坂 神人(みなさか こうと)と、向日 葵(むこうび
あおい)は再び出会い、六年越しに(正確には十年)互いの想いを告げた。
「去年の夏……だったよね」
葵は遠くの空を見つめて言った。
「色々、あったよね」
「あぁ。色々あったな」
再会し、些細なことで衝突し、互いを思い出した。
やり残したことを片付けて、ようやく平穏を手に入れた。
夏には海に行ったり、山に行ったりした。
秋は山に紅葉を見に行った。
冬はスキーに行った。かまくらを作って中で餅を焼いたりもした。
そして、春……
「桜、綺麗だね」
「あぁ」
『桜』という、一切の関心を持っていなかった木の下で、その花を見ている。
「俺としては、“あの”花を青いに贈りたいんだけどな」
「…あの花って、まさか……」
俺は、何も言わずに頷いた。
「それって、何かのあてつけ?」
神人君と再会してから、二度目の夏が来た。
「春に言ってたこと、本気だったんだ……」
何時の間にか部屋の真ん中に置かれていた大きな鉢植えを見て、私は大きく溜息をついた。
立派なヒマワリの花。
私のフルネーム、向日 葵と同じ字の花。
「…プレゼントであることには変わりないよね」
私は着替えてリビングに向かった。
「おはよう」
ドアを開けて一言。
「おはよう」
まずはお母さん。
「おはよう、葵」
そして、お父さん。
「あぁ。おはよう、葵」
それから……あれ?
私を含めた三人家族だったはずだけど…
「どうした、葵?」
「こ、こここ神人君!?」
私の夏は、すごいことになりそう。
そうだよね、神人君!
すべてが輝いて見える。
行く道に迷いはない。
君に届かぬその花は
儚く散りゆく運命。
桜の花は、君には届かない。
全ては、偶然の連鎖の果てに。