散る、散る。
闇夜に赤い花が、散る。
ただ、その中に身を置くだけ。
散る、散る、赤い花。
血のように赤い花。
闇と、血の雨の中に、ただ、いるだけ。
赤く、散りゆく、花。
思えば、桜に良い思い出はない。
花見と称して騒いだことは、良い思い出とはいえない。
だけど、悪い思い出は、2つある。
正確には、あったはずだ。
1つは、記憶の奥底に。
そして、もう1つ、最近の記憶。
―桜の木の下には、死体が埋められている。
その死体の血を吸って、桜は赤く咲く。
そんな迷信を、信じた記憶。
桜の木の下に埋められた死体を見つけたいと思って、掘り返し続けた記憶。
その後、周りに怒られた記憶。
本当に見つかったらどうするつもりだったのか、と問われた。
答えた。
―ただ、その死体を掘り出そうと思っただけ、と。
この答えは、怒りか呆れの二通りの反応しか人に起こさせなかった。
故意か偶然か、言葉が足りなかったのだろう。
当面の目的としては、確かにそうだった。
死体を掘り起こすということは、だが、通過点だ。
本当にしたかったのは、
『赤くない桜を見ること』
自分の心の声と重なる、誰かの声。
何者なのか。
その疑問よりも先に立つ、疑問。
何故、同じことを言えたのか。
『あなた、わかりやすいもの』
そうなの?
『私も、ちょっと人を多く見てるしね』
私、ということは、あなたは女性?
見えない声の主。
『あ、それって偏見だよね』
じゃあ、男性?
『べつに、そうでもないけど』
結局どっちなの?
『そんなの、些細なことでしょ?』
確かに。
『ねえ、そんなことより、周りを見て?』
促されるままに見てみる。
相変わらずの赤。
赤。赤。赤。
これが何だというのか。
『そう、やっぱり、赤く見えるんだ』
ほかに何色に見えると?
『ううん、なんでもないんだよ』
なんだか要領を得ない。
結局、何が言いたいの?
『要領を得ないのは、あなたもだと思うけど。
ねえ、あなたは、なんであなたの見る桜が赤いか知っている?』
また質問?
まあ、いいけれど。
桜が赤いのは、桜の下に死体があって、桜がその血を吸ってるから。
そう聞いてるけど。
『有名なお話だね』
そうなんだ。
でも、なんだか違うといいたいような言い口だね。
『うん、だって少なくともここは、違うから。ねえ、他の話は知らないかな?』
他に?
う〜ん、ああ、そういえば、なにかの漫画であった。
桜の下には、大事な想いが眠っている、なんていうの。
まさか、これが正解?
『正解ではないかな。でも、死体より近いよ』
じゃあ、何か物でも埋まってるの?
『うん』
そう。
答えて、そそくさと桜に向かう。
『何やってるの?』
見ての通り。
『穴を掘ってるのかな。素手で』
そう、見ての通り。
『道具も無しで』
そう、見ての通り。
用意がなかったから。
『桜の下にある物を、掘り出すの?』
それで、赤い桜を見なくて済むというのなら。
『そう、そんなに赤い桜が嫌いなんだ』
とてつもなく。
『なんで?』
わからない。
『わからないのに、嫌いなんだ』
それを確かめたいのかも。
『そう。でも、後戻りできなくなるよ?』
どういう意味?
『あと3回。3回でわかるよ』
1回、2回、3回。
確かに、手の先に何か当たった気配。
引き摺り出す。
手にしっとりと馴染むそれは、ナイフだった。
何故か確信できる。
これが、赤い桜の原因。
だけど、なんで?
『思い出せない?そのナイフが何か』
思い出す?
『そう、思い出すの。だって、それはあなたのナイフだから。さあ、よく見て』
言われるままに、ナイフに目を落とす。
だが、ナイフより先に目を引いたのは、自分の手。
手で、地面を掘り続けたから、爪が割れてたり剥がれてたりする。
なんで、痛いと思わなかったのか不思議なほど。
赤く染まった手。
赤く染まった、手。
そう、今まさに急速に思い出されたあの時のように。
このナイフを使って、
『私を、あなたの恋人を殺したときのように』
あの夜も、桜が満開で、そして散っていた。
『私もあなたも、桜が好きだったんだよね』
過去形なんだ?
『私はもういなくて、あなたは、桜が嫌いになったんでしょう?』
嫌いなのは、赤い桜だけ。
きっと、思い出したくなかったから。
『でも、思い出したね』
そうだね。
悪い思い出も、無いと思っていた良い思い出も、みんな思い出した。
きみを殺したことが、今ならはっきりとわかる。
白い桜の花に、きみが流した血が散ったことが思い出せる。
まるで最初から、赤い花がそこにあったみたいだった。
どれだけ言っても足りないくらい、綺麗だったよね。
『私は見られなかったけど、綺麗だったんだ』
うん、きみの最期を飾るにふさわしい、綺麗さだった。
それからは、他のどんな桜も赤く見えたのがちょっと問題だったけど。
『本当の赤い桜を探して、探して、探して。やっと、この木にもどってきたんだよね』
そう、きみが散ったこの木に。
『ねえ、私にも綺麗な桜を見せてよ』
いいよ。
きっと、こうするためにこれは埋まっていたのだから。
かつて彼女を殺したときのように、迷いなく首にナイフを走らせる。
花に、血の雨が降る。
「キャアーーーーッ!!」
「じ、自分の首を切った!?」
「きゅ、救急車だ!いや、警察だ!?」
周りが騒がしい。
薄れてきた聴覚を完全に遮断するのは難しくない。
だから、聴覚を遮断する。
聴覚を遮断すると、弱り始めていた視覚が強められた。
周りの桜花に自分の血が飛んで、赤く咲く。
けれど、今はまだ、赤い桜は見たくないから、視覚も遮断する。
2つの感覚を失って、嗅覚が強くなった。
それが感じ取る、むせるような桜の花のにおいと、まじる鉄錆びたにおい。
それを忘れるために、嗅覚も遮断する。
残った感覚は、遮断するまでもなく失われた。
『本当に、綺麗』
『あのときは、独り占めして悪かったね』
『今は一緒だから、許してあげる』
『そう』
『うん。でも、あなたはいいの?赤い桜は嫌いなんじゃなかったの?』
『いい。きみと2人でなら、こんなに美しいものは他に無いな、って思える』
『そう。なんだか、うれしい』
明けることのない夜に、2人で、散る花を見ていた。
2人の想いがこもった桜。
それが散らす、赤い花。
闇と血の雨が、今はとても温かく思えたから。
だから、2人で、ずっと見ていた。