ただ、桜が綺麗だったから。
だから、ちょっとだけ歩いてみた。
枝に咲き、舞う桜 そして、小さな小さな花びら
暖かい日差し。桜が舞う並木道。……いつもより調子がいい自分。
それらに確かな春を感じながら、それらをかみ締めながら、栞は、ゆっくりと歩いていた。
今年から高校生。
中学生としての自分にさよならをして、新たな自分にこんにちは。
そんな日々が楽しみで、待ち遠しくて、姉にも呆れられて、それでもやっぱり楽しみで。
だから、始まりと別れの象徴とも言える桜を、眺めながら歩いていた。
「……あれ?」
そうやって、いくら歩いただろうか。
ふいに、桜の下に立っている女の人を見つけた。
普段あまり人が通らない道なのに、珍しいな。そんなことを思いながら、ゆっくりと栞は近づいてみる。
そして――
「桜、綺麗ですね」
――声をかけてみた。桜をじっと眺めていた彼女に。
すると、彼女はゆっくりと栞の方に向き直り……小さく頷いた。
そして、今度は二人で視線を桜に向けた。
ひらひらと、風に乗って桜が舞う。
その内のいくつか――といってもかなりの数になるのだが――が、顔や、服や、髪にひっつく。
それすらも心地よく感じつつ、栞は横の女性の顔を見た。
――だんごを食べていた。
――3色揃った花見だんご。そのうち一つは口の中。
「美味しいですか?」
違う。
栞が心の中で自分にツッコむ傍ら、女性は真面目な顔で小さく頷いた。
そして串を動かしてもう一口食べる。
「……美味しい」
幸せそうだった。
「そうですね。お花見だんご、美味しいですよねっ。でも……」
お花見の中、バニラアイスも美味しいですよ?
栞はそう続けようとして、やめた。
……何だか、あまりにも、「花よりだんご」な会話だったから。
「でも……何?」
「あ、気にしなくてもいいです」
「?」
「秘密ですっ」
そう、秘密。花よりだんごな自分は、秘密。
知らない人だけど……いや、むしろ知らない人の前だからこそ、栞は、少しでも子供っぽくない自分でいたかった。
それから、また無言で、二人は桜を見続けた。
一人は何もせず。一人はだんごを食べながら。
そうしていると、ふいに小さな、春らしい風が吹いた。
「んっ」
一瞬目を閉じながら、栞はゆっくりと片手を前に伸ばしてみる。
そして風がやんだ時には、ほんの数枚、てのひらに花びらが残っていた。
「ふふっ」
特に意味も無く、嬉しくなる。
そんな栞の顔を、今度は逆に、女性の方がじっと見た。
いつのまにか食べ終えたのか、串を口にくわえたままで。
風が吹く。
やんだ時には、彼女のてのひらに、栞より少しだけ多く、花びらが乗っていた。
そして、誇らしげな表情を見せていた。やはり串をくわえて。
「む……やりますねっ」
今度は両手。
二人同時に、手を伸ばした。
やはり少しだけ、栞の方が少なかった。
――そしてようやく、てのひらの大きさが違う、そのことに栞は気づいた。
「む……」
少し――いや、かなりの身長差の相手を、睨むように見る。
やはり、少し誇らしげな表情だった。
――こうなったら。
「えいっ!」
「!?」
風が吹く、と同時に栞はいつもよりいくらか長いスカートのすそを持ち上げた。
色々とぎりぎりではあったが、とりあえず袋のようにスカートの上に花びらが溜まった。
「どうですかっ」
少しだけ顔を赤くしつつ、栞は誇らしげに向き直った。
そして、女性は一瞬考える。
が、すぐに彼女も、栞と同じようにスカートを持ち上げようとした。
――ただし、栞よりはるかに短いスカートなわけだが。
「あ、あのっ!?」
「……勝つ」
「そういう問題じゃないですっ!!」
ここに負けず嫌い二人。
――栞が慌てて止めることで、その小さな戦いは幕を閉じた。
「ふう……」
ようやく落ち着く。
二人は多くの一本の桜の木の下で、花びらと、多くの他の木を眺めていた。
――女性は新たな串だんごを食べていたが。
「…………」
それにしても、と栞は思う。
「おかしい、ですね」
「……?」
女性は、不思議そうに栞の顔を見た。
「ついでに、おだんご美味しそうですね」
「…………」
少し無言で考えた後。
彼女は、ポケットから袋を取り出して、栞に見せた。
中にはだんご。串に刺さっただんごが数本。
……まるで自分が食いしん坊みたいな発言をしてしまったことに、ようやく栞は気が付いた。
「あの、いいです」
そう断るが、彼女はその袋を仕舞おうとはしない。
不器用な優しさ。だけど、それは確かに、栞の心にも届いた。
「じゃあ……一本だけ」
そう言って、栞は袋からだんごを取り出した。
串をくるくる回すようにして。だんごの形を確かめるようにして。……それから一口で、一番上のだんごを半分だけ食べた。
「……美味しい?」
そんな事、聞かなくても栞の表情を見ればすぐに分かる。
分かっているからこそ、ほんの僅かに嬉しそうな表情を、彼女もまた見せていた。
「はい、美味しいですっ」
春休み。桜舞う季節。
それは、ほんの小さな、何気ない一時。
「そういえば、名前を教えてもらえると嬉しいです」
……期待を胸に抱いていた少女と。
「川澄……舞」
まだ未来について考える事すら出来ない少女の。
何気ない、一時だった。
「……佐祐理、遅い」
大きな校舎の前、大きな校門の前で、小さく呟く。
桜舞う季節。……別れの季節。
その日は舞にとっては、本来なら学校との別れの日となるはずだった。
「…………」
だけど、彼女にはここを――学校を本当の意味で離れることはまだ出来なかった。
……やるべきことが、あるから。
それでも、一応は卒業なのだから、親友とお祝いをするつもりなのだが。
だけどその親友は……なかなか来ない。
舞は、いい加減待ちくたびれていた。
「まーいさんっ」
と、そこへ声が聞こえて、振り返る。
そこにいたのは親友ではなく――
「こんにちはっ」
「……栞?」
1年前の――戦友。
「また会いましたね」
「……うん」
それも、1年前と同じ、桜の舞う季節に。
ただ、あの時は並木道。今回は学校。
あの時は二人とも私服。今回は舞は和服、栞は一年生の制服。
あの時は二人とも桜を見るために。今回は、舞にとっては最後の学校行事。栞にとっては――復学以来の最初の学校行事だった。
また、あの時と同じように風が吹く。
「あ、暇ならまた勝負しません?」
「…………」
佐祐理はいつ来るか分からない。少し考えて、舞はそう結論付けた。
「構わない。けど……今度は私の服の方が裾が長い」
「今回は手で勝負です。前より少しは大きくなりましたっ」
そして、同時に手を伸ばす。
――もう一度風が吹く。
――ただし、今までで一番強く。花びらが、たくさん、たくさん飛び散るくらいに。
「きゃ……」
「……っ」
思わず二人は手を引っ込める。
そして、やんだ時には。
二人の服に、花びらがたくさん引っ付いていた。
……どちらからというわけでもなく、くすっ、と笑う。
「手の上にはないけど……服の上に、たくさん」
「引き分けですね」
「……違う。私の服の方が絶対面積が広い」
「あ、ずるいです。数えられないくらいたくさんですから、ドローに決まってますっ」
今度はにらみ合う。だけど、またすぐに笑った。
栞は、桜の樹を見上げる。
「……やっぱり、おかしいですね」
そして、楽しいです。心の中でそう付け加えた。
「あの……こんな形の友情って、ありだと思いますか?」
同じように樹を見ていた舞は、やはり少し考えて。
「ありだと思う」
一言、だけど心からの答えを返した。
「そうですか……じゃあ、私たち友達ですね」
二人が見ていた桜の樹から、舞い落ちる花びらの中で一枚だけ。
風とは違う方向に落ちていく花びらがあった。
「だったら、名前以外にも色々話をしませんか?」
「……色々?」
まるで、何かの悪戯のように。一枚だけ。
「そう、例えば……」
そして、その花びらの向かう先には――
「大切な人の話、なんてどうですか?」