「お、お願いだ、助けてくれ!」


俺に今回の目標ターゲット、肥えた白豚のような風貌の男が助けを求めてきた。

命乞い…か、散々汚い手を使って、その付けが自分に回ってきただけだろ?


「残念だがそれは出来ない。じゃあな」


だから俺は侮蔑をこめて冷たく吐き捨てた。

照準を眉間に合わせ、引き金に指をかける。


「ま、まて、待ってく―――」


ターゲットの懇願を最後まで聞かず、引き金を引く。
パスッと乾いた音が聞こえ、銃口から鉛の弾が吐き出される。
それだけ。それだけで仕事は終わる。それだけで人は死ぬ。

結局、人の命なんざ鉛弾一個と等価値ってことか。

俺は夜の闇に紛れる様にその場を後にした。
物言わなくなった死体を一体残し――――








Shine in the dark









俺は仕事を終えた後、いつもの店に行く。
そこのマスターは白髪の老人だがピンと伸ばした背筋と漂ってくる雰囲気のおかげで老人とは思えない。

いつものように店のドアを開くとカランと鐘が鳴った。

そのままカウンターの前に座り、注文する。


「マスター、いつもの」

「……君は会話と言うものを楽しもうとは思わないのかね?……まぁいいさ、わかったよ」


いつものように小言を言うマスターを視線だけで黙らせる。
三流ぐらいのヤツだったら腰を抜かすほどの殺気を篭めたのだが…いとも簡単に流された。
………やはり只者ではないな。

俺がそんなくだらない事を考えているとマスターが話しかけてきた。
どうやらいつものが無いらしい。
代わりでもいいか?と聞かれたがアレじゃないとダメだと俺が言ったため倉庫に取りに行くはめになったマスター。
嗚呼、客商売は大変だな。

店を見回してみると客は俺の他に三人。
そのどれもが酔い潰れて寝ている。


「よく潰れないな、ここ」


俺が失礼なことを呟いた時、入り口の鐘がカランと音を立て、客が一人入ってきた。

どこかのモデルだろうか?
緩やかなウェーブを描いたブロンドの髪。綺麗なライトブルーの瞳。
豊満な胸と引き締まった腰。細い手足。

マスターには悪いがこの店はこの女に酷く不釣合いだ。
彼女の周りだけが日常から切り離された絵のように思えてくる。

ふと、何かを探すよう店を見回していたその女と目が合う。


「あの、殺し屋さんですか?」


近づいてきた女が唐突に言った。
殺気も無く、敵意も無い。依頼…だろうか?

合わないな…女の顔は温和で、誰かを憎んだことが無いようにさえ思える。
そんな女が殺しの依頼?
だがそれ以外俺に殺し屋かどうか聞く必要は無いな…


「そうだ」


俺の短い肯定の言葉に何故か頬を緩ませる。
気を引き締めるでもなく、怯えた表情をするでもなく―――だ。

はっきりいって自分の職業を告げた時にこんな表情をされたのは初めてだ。

これには驚いたが…


「あの、私を殺してくれませんか?」


こっちの方が数倍上だった。








**********









「見てください!ゾウさんですよ!」

「……で、どうして俺はこんなところに居るんだ?」


ここは俺が住んでる街の比較的大きな動物園。

隣で子供のようにはしゃぐ女を見る。
もっと小さいならともかく170近くのモデル体形がやってると合わんな……

視線を感じたのか、俺を見上げてくる。


「どうしたんです、私の顔に何かついてますか?」

「……いや、気にするな」


まだ、何か言いたげだったがゾウの鳴き声が聞こえた途端、そちらに顔を戻す。
俺はそれに多少安堵し、上着の内ポケットからタバコを取り出し、火を点ける。
それを口に咥え、何故こうなったかを思い返す。

初めて出会った日、彼女はあの後、こう付け加えた。


『今、じゃなくて一週間後にしてもらえません?』

『死ぬまでに楽しい思い出を少しぐらい作っておきたいじゃないですか』

『そうだ!殺し屋さん、私の彼氏になってもらえません?お兄さん、格好いいからそうなってくれるとうれしいな』


で、俺の承諾も無しに勝手に決めてしまった。
そもそも「自分を殺して欲しい」など、そんな依頼をする者がいるとは思っていなかった。
動機は仕事に関係ないから聞いてはいないが。
そんなの自殺でもすればいいのだが……俺は依頼を断ることも無く、こうして彼女に付き合っている。

何故だろう…と、自分に問うが答えを見つけられず、なんとも言いがたいもどかしさが胸に残る。

しばし思考の海に沈んでいたが隣から咎める様な視線を感じたため、現実に引き戻される。


「…なんだ?」

「なんだ?じゃないですよ、私が呼んでも返事してくれなかったじゃないですか」


子供のように頬を膨らまして拗ねている。
外見と中身のギャップが激しすぎるが、慣れた。
なんせもう七日目だ。

………”もう”、だと?

それは俺がこの時を早いと感じたからか?
この時が楽しかった?俺にそんな感情が?

…ふん、バカバカしい。
ガキの頃拾われて、殺しをするためだけに育てられたこの俺がそんな感情持っているはずが無い。

自嘲し、口元を皮肉げに歪ませる――――ことは出来ず、頬を引っ張られた。


「…………何をしている」

「私の話を聞いてくれないからお返しです」

「…………………」


お返しというのは違うと思ったが聞いていなかったのは確かなので口を噤む。


「もうこんな時間ですね…」

「…そうだな」


辺りは夕焼けで真っ赤に染まり、夜を迎えようとしていた。
彼女にとって最後の夜を――――








**********









自分の最後の場所はここがいいんです、と言われ着いて行った場所は人気の無い公園。
時間が時間だからそれもしかたがないだろう。
と言うかこれからのことを考えると人が多いところはまずい。

公園に入り、最初に目を奪われたのはピンク色の花弁の木。
彼女の話では「日本から木の苗を持ってきた近所の人が勝手に埋めた」らしい。


「綺麗ですよね……私はこの木が好きなんです」


透明な微笑みで俺に語りかけてくる。

こいつは何故こんな顔が出来るんだ?
これから死ぬのだろう?俺に殺されるのだろう?
恐怖は無いのか?未練は無いのか?

さまざまな疑問が頭を掠めると同時に、動揺が体を駆け巡る。

俺は何故こんなにも疑問を抱く?
いつもならただ与えられた仕事を全うするだけを考えるのに―――


「どうしました?」


俺の目に映るのは小首を傾げ、木の前に立ち、こちらを見て微笑む彼女。
その微笑には一切の恐怖は無く、未練も無い。

……いや、俺が読み取れないだけかもしれないが。


「………何でも無い」


出来るだけ動揺を隠し、声を紡ぐ。

それに納得したかどうかは不明だがコクンと頷く。


「それじゃあ…………お願いできますか?」

「……………ああ」


自分の発した声が掠れていたのに驚いたが、それを表に出すことはしなかった。

ハンドガンを取り出し、照準を合わせる。
だが、いつもなら簡単な、当たり前の作業が出来ない。
手が震え、揺れ動く。

少し時間をかけ、震えを収める。
何故こうなったかはわからないが今は仕事を終わらせることだけを考えよう。


「……それじゃあな」


俺は静かに最後通知を送り、彼女は微笑んでそれを受け取った。








**********









肌寒さを感じて目が覚める。

どうやら気を失っていたらしい。


「昔の夢、か……」


こんな夢を見るあたり、どうやら先は長くないらしいな…

腹に開いた穴から血が止め処無く流れる。
止血するにも道具が無い。それにもう遅いだろう。

死が間近に迫っているにも関わらず俺は不思議と落ち着いていた。
それもそうだろう、今更生にしがみついても待っているのは闇。
俺が住むべき、住んでいた闇。
希望など、ありはしない。

だが、そんな闇の中に生きてきた俺に光が射していた時があった。
彼女といた時間。失った―――俺が知らず、終わらせてしまった時間。

あの時、何故手が震えたか。今ならわかる。
彼女を好きだったのだ。愛していたのだ。
何故彼女を愛してしまったかはわからない。だが、愛したのは確かだ。
故に疑問を抱き、彼女を殺してしまった後、心に穴が開いたのだ。ぽっかりと。

心に開いた穴は知らず拡大していき、俺は飲み込まれた。
日常の中、不意に彼女の笑顔が脳裏に浮かび、それの回数がだんだんと増えていった。
そして、今日、仕事中に浮かび、俺は腹に銃弾を受けた。
彼女のせいだとは思わない。それは俺の弱く、未熟な心が生んだミス。
決して取り戻すことは出来ない、ミス。

後悔は無く、未練も無い。だが―――


「せめて…死ぬ時は、こんな暗い路地裏ではなく、彼女と同じ場所へ、彼女が好きだった場所へ―――」










**********









あの時からだいぶ時間が経っているからあの木は、桜と言うあの木は咲いてないと思っていた。
それでもよかった。それでも彼女の好きだった場所なのだから。

俺のそんな考えは、公園に着いたとき、消えていった。

他の木は枯れているのに一本だけ今も咲き誇っている木があった。
それは彼女が死んだ、俺が彼女を殺した場所。

俺はその木に近づき、根元に腰を下ろす。


「俺が、彼女の元に、行けるとは思っていない…」


ただ、それでも、少しでも傍に行き、彼女を想っていたかった。

死ぬ前に最後の一服をしようと思い、タバコを口に据えたときそれは起こった。

幻想的な光が俺の目の前に集い、形作る。


「あ…あ、ああ……」


光が形作ったのは、もう二度と、見ることが出来ないと思っていた彼女の姿。

俺は涙した。冷たい悲しみの涙ではなく、暖かい涙を流した。
これは、初めて流す涙。歓喜の涙。

この光がなんなのかはどうでもいい。
朦朧とした意識が見せた幻覚でも、神の気まぐれでも、悪魔の悪戯でもなんでもいい。
死ぬ前に彼女が見れた。微笑を見れた。
それだけで、こんなにも心が温かい。こんなにも心が安らぐ。

彼女は何も言わず、俺の頬を両手で挟む。
そして、俺と彼女の距離は零になり、俺は光に包まれた――――