視界を埋めるのは鮮やかな色彩

     瞼を閉じても鼻孔を擽る香りが姿を想像させる

     風と共に舞う花弁

     それはまるで雪のよう

     静かに、ただ降り積もっていく悲しみの連鎖

     だが、此処に凍える冷たさは無い

     幻想的なまどろみの世界が包み込む

     一歩足を踏み入れた時から感じた

     何処か似ているのだろう

     彼と彼女達と桜が………

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみの中の蕾 幸せに咲く桜

 

 

 

 

 

 

 

 

     ふらふらと気の向くままに歩く

     祐一は誰もいない桜並木で足を進めていた

     今日から高校はテスト休みで、そのまま春休みを迎える

     しかし、まだ桜の開花には早い

     なのに此処、初音島は満開の桜

     衰えを知らないのだろうか

     初音島は一年中桜が咲いている事で有名であり、観光客も絶えず来る

     祐一もその中の1人――――というわけではない

     家でテレビに映る桜を見て来ただけ

     目的も自分では理解しかねている

     道を外れて木々に囲まれた方へ行く

     彼の瞳に映るのは桜のみ

     変わらぬ景色が心地良さを生み出す

     体に向かってくる花弁も嫌にならない

     しばらくすると1つの大木が、己の存在を誇示するかの如く生えていた

 

     「大きいな……」

 

     そっと手を触れる

     身体に響く力強い脈動

     流れ伝わる生命

     自然と心が暖まっていく

     不意に後ろから草を踏む足音が聞こえる

     振り返ると1人の少女が立っていた

 

     「感じるの……?その木の力を…」

 

     少女が尋ねる

 

     「力かどうかは分からないけど、この桜が生きているってのは感じた」

 

     祐一は大木を背に座り込む

     その際少女の姿を捉える

     金髪を青いリボンでツインテールに結んでおり、メルヘン風な服を着ていた

     見た目は10歳程度なのだが、表情からもっと大人びた女性に………違う

     何処か諦めに似た、それは前に進む事を諦めた表情

     理由は頬が痩けている為に輪郭部分の骨が強調されているのと、朧気な彼女の目

     マリンブルーの瞳は濁り、生気が僅かしか宿っていないのに気付く

     それはあの時の自分と同じ

     絶望と悲愴で満ちていた

 

     「俺は相沢祐一。君は?」

 

     とりあえず自己紹介をしようと思った祐一

     恐がらせないように優しく問い掛ける

 

     「ボクは芳野さくら。えっと、祐お兄ちゃんって呼んでもいいかな?」

 

     さくらの問いに構わないと頷く

 

     「祐お兄ちゃんは観光で来たの?」

     「観光ってわけじゃないけどな」

 

     掌にある桜の花弁を見つめる

     軽く息を吹きかけると、地面へと落ちていった

     無意識に笑みが浮かんでしまう

     嬉しさ、楽しさからではなく、一種の悟りで

     さくらも彼の様子を見て、自分に似た境遇にいると直感した

     でも何かが違う

     祐一には生きるというオーラが纏われているのだ

     何故なんだろう?同時に負の感情も表れているというのに

     興味を持った………いや、惹かれたと言った方が語弊がない

     彼といれば見つけられるかもしれない

     自分という答えを………

 

     「何か辛い事があったの?誰かがいなくなったとか?」

     「ああ…。俺の目の前から確かにいなくなった。みんな……死んでしまったんだ」

 

     空を見上げて少し前の出来事を思い出す

     繋いでいた体温が消えてしまった

     積もる雪と同化していく彼女達

     冷たい身体を抱きしめる事しか、泣き叫ぶ事しか出来なかった自分

     祐一は全てをさくらに話した

 

     「そんなことがあったんだ……。でもどうして初音島に?」

     「似てるんだよ………彼女達と桜が…。みんなも楽しい日々を送っていたんだ。笑顔も温もりもそこにあった。

      だけどいとも簡単に崩れ去った…………今までのは夢だったというように……。次から次へと不幸が降りかかって、

      刹那に命の灯火は消えてしまった。一緒だろ?まるで桜のサイクルと………」

 

     祐一は落ちている花弁を両手で掬う

     それを上に投げて、華々しく舞い降りていく

     自分の体に付くのも気にならない

     地面に落ちていく花弁

     ――――フラッシュバック

     雪に消えていく彼女達の姿

     真っ白に……初めから存在しなかったかのように、染められる

     だがこれは違う

     薄く、恥ずかしげに浮かぶ淡い桃色

     覆っていくのは幸せの欠片

     決して雪国での日々も苦しみだけでなく、喜びもある

     忘れてはならない毎日は、思い出となって生きていく

 

     「もしかしたら俺自身が桜なのかもしれない。一度は峠を乗り切ったんだ。自惚れになるかもしれないが、

      その時から好意を寄せられていたのを知っていた。俺が来たことで短い時間だけど幸せの桜が咲き、

      命と共に散っていった………」

 

     さくらは祐一が自分よりも大きな闇に包まれていた事を理解した

     9人もの大切な命を一度に失って、悲しくないはずがない

     自分も周りの友達が死んでしまったら、正常ではいられなくなるだろう

 

     「ボクも悲しい事があった、といっても自業自得な部分もあるけど。自分にとってお兄ちゃん的な存在の人がいるんだけど、

      その人のことが好きだったんだ。でも違う女の子を選んでしまった……。恨んだんだ……憎かったんだ………。

      ボクだって8年も離れていなければ、ずっと傍にいればっ!………その想いは桜の魔法によって現れた。彼女を苦しめて、

      死に近付いた時もあった。逆にお兄ちゃんは助けようと頑張って、さらに強い絆で結ばれた…。卑怯なんだ、ボクは。

      そうやってお兄ちゃんを自分のものにしようと、他人を影から傷つける事しか出来ない。真正面からぶつかる事が

      出来ないんだっ!!」

 

     握り締めた手から血が滲み出る

     後悔、嫌悪、己に対しての嘲笑いが流れているように感じられた

 

     「どうすればいいんだろう………。お兄ちゃんの事はもう諦めたのに…胸が……苦しい……。

      いつもボクの中にお兄ちゃんがいたから、自分が自分でいられた。それが失くなったらボクは……ボクはっ!!」

 

     両手で顔を覆い、涙を振り撒く

     血が付着して、彼女の闇がよりくっきりと露出している

     空虚が自分を蝕んでいく恐怖

     好きな人の想い人を苦しませてしまった罪

     これらがさくらに重く冷たく圧し掛かっているのだ

 

     「弱気になるな」

 

     祐一が錯乱状態のさくらを抱きしめる

 

     「葉が落ちて、厳しい冬を越して桜がまた咲くように、新しい自分も生まれる」

 

     頭を撫でて気持ちを落ち着かせる

     祐一の体温がさくらを冷静な思考に導いて、鼓動が生きていることを伝えた

 

     「何で……何でそんな風にいられるの?ボクより辛い事があったのに………」

 

     彼の話を聞いて一番最初に思った事をぶつける

     悲しさはあるが周りに悟らせない

     確固たる自分を持っているのだ

 

     「今の俺は冬の俺じゃない。再び咲いたんだ……。そりゃあ思い出す度に悲しくなる。だけどそうやって逃げたくないんだ。

      何も出来なかったといって自分が死んでも、みんなが還って来るわけでもないし、他の人達までも悲しませてしまう。

      それに俺はまだ生きたい。みんなの分まで笑顔で生きていれば、安心すると思うから」

 

     漸く彼の強さを知る事が出来た

     先に進むという執念

     自分はただ罪に沈んでいただけ

     そこから抜け出そうと、もがくことさえしなかった

     心の片隅ではお兄ちゃんが自分を選んでくれるかもしれない

     淡い期待を抱いて逃げていたのだ

 

     「俺も暫く此処に滞在するから手伝ってやるよ。さくらがさくらでいられるように。今のさくらは冬を耐え忍ぶ桜。

      時が流れれば、必然と綺麗に咲き誇れるから」

     「…ぁ……ぅぁ……うああああああああぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

     祐一の言葉が優しく、とても温かく涙が零れる

     慟哭と一緒に溜め込んでいた負が吐き出される

     祐一も心の中で泣いていた

     彼女自身が気付いていない、残酷なまでの優しさ

     それに気持ちも分かるから……

     今度は救ってやりたい

     絶望を味わうのは一度だけでいい

     それぞれの想いを刻み込んで、2人は桜の舞い散る下で抱擁していた

 

 

 

 

 

 

 

 

     奏でられる風の音色

     桜も愉快に舞い踊る

     さくらの新たな門出を祝福しているようだ

 

     「ごめんなさい。服汚しちゃって…」

 

     顔を上げたさくらは血が涙と混じって跡が広がり、くしゃくしゃだった

     それでも笑顔は眩しい

 

     「黒いから分からないさ」

 

     さくらの頭を乱暴に撫でる

 

     「うにゃぁ〜、髪が乱れちゃうよ〜」

 

     言葉ではそう言うものの、嫌がる素振りは見せていない

     自分でも久し振りに笑ったような気がした

     偽りのない、本当の自分

     打ち明けて、いっぱい泣いてすっきりしたみたいである

 

     「そういえば祐お兄ちゃんは泊まるとこあるの?」

     「ホテルにしようかと考えてるけど、別に野宿でも大丈夫だ」

 

     あまり金は使いたくないしな、と苦笑いを浮かべる

     しかし、この時期に野宿は少々危険だと思うが…

 

     「だったらボクの家に来てよ。やっぱり1人だと寂しいんだ……」

 

     さくらの表情が曇る

     今は支えてもらえる人にいて欲しい

     祐一になら全てを許せる

     彼のおかげで自分の桜を満開に出来そうだから

 

     「いいのか?じゃあそうするか」

 

     あっさりと承諾する祐一

     決め手は2つ

     お金を使用しなくて済むこと

     そして、近くにいてあげて彼女の桜を咲かせたいこと

     後者が殆ど割合を占めているが

 

     「それじゃあ、レッツゴー!!」

 

     先程のシリアスな雰囲気は何処へやら

     すっかり本来の自分を取り戻せたようだ

 

     「その前に公園があったろ?そこで顔の汚れをとってからな」

     「うにゃ!そんなに酷い?」

     「子供だから遊んで汚れた、って言えばバレないか」

 

     彼の言葉に少々カチンときたさくら

     声を荒げて反論する

 

     「子供じゃないよ!こう見えても17歳なんだから!」

 

     祐一の表情が固まる

     17歳?このチビっ子が……?俺と同い年だって…?

 

     「さくら……。冗談はよくないぞ?お兄ちゃんはそんなのに引っかからないからな」

     「ほんとだよっ!ちゃんと高校に通ってるんだもん!」

 

     ぷくーと頬を膨らませる

     その姿はとても可愛く、祐一は抱きしめたい衝動に襲われた

 

     「学生証だってあるよ!ほらっ」

 

     何故私服でもっているのかは謎だが、学生証を祐一に提示する

     それを見ると、生年月日から17歳ということが判明した

     さくらに返して、遠い目で桜を眺める

 

     「長い白昼夢だな………。そろそろ現実世界に戻らなければ」

 

     ふっと冷笑を漏らす

     思わず顔が真っ赤になるさくらだが、すぐに叫ぶ

 

     「夢じゃないよ!現実なんだからっ!信じてよぉ………」

 

     次第に声は小さくなっていき、目元にはきらりと光る雫が照らされる

     泣かせてしまったと、祐一は拙いと慌て始める

 

     「じょっ、冗談だって!ちょっと俺の中のいたずらごころがわくわくしちゃって…………さ、さくらちゃ〜ん?」

 

     幾ら祐一が弁明しても顔を背けてしまう

     必死に頑張る姿を見てさくらが笑い出す

 

     「あはははっ!祐お兄ちゃんってば慌てちゃって、面白かったよ〜」

 

     祐一は自分が騙されたことに気付く

     しかしここで言い返しては大人ではない

     ここは彼女に勝ちを譲り、この話を終わらせる

 

     「まぁ、笑ってくれたからいいか。とにかく行こうぜ」

 

     さくらの手を握って歩き出す

     彼女も祐一から離れぬように抱きつく

     その顔はほんのりと桜色

     2人共笑顔を見せていた

     祐一の言っていたように、さくらはまだ冬を過ごしている

     彼はさくらを支えて元気付ける、さながら栄養分

     もしくはしっかりと根を渡らせている大木

     それを力として彼女の中の蕾は成長していく

     今は祐一に魅せる為に耐える時期なのだ

     悲桜散り行き、恋種蒔かれ

     万緑は幸広げ、不幸落葉と共に落ちる

     綺麗に愛花開く時は、そう遠くない

 

 

 

 

 

 

 

一度枯れた桜は 本当の強さを知っている

苦しみを乗り越えて 全てを染めよう

 

 

 

瞳に映る桜色の世界

初恋叶わず 共に散り行く

埋めていくのは悲しみの連鎖

涙を流しても 拭い去れない

 

 

 

若い緑が顔を出して

新しい命 出発の合図

花弁は過去の思い出になって

大地を蹴って 走り抜けよう

 

 

 

葉桜が覆う空に 指折り数えて捧げた祈り

儚い後ろ姿 風に舞って刹那に崩れた

砂に混ざる私拾わずに 出会いの唄を奏で続ける

 

 

 

凩の中で揺れる紅葉

頬も同じにほんのり染まる

木の陰から見つめて想う

何時の日か ひとつになれるようにと

 

 

 

凍る湖に降り積もる粉雪

孤独を飾る イルミネーション

冷たい両手 白い吐息

胸が痛いと虚構が叫ぶ

 

 

 

桜恋しくて 未来のアルバムを開いてみる

冬の静寂が 春の温もりを射抜いて砕く

今はまだ自分の身体抱きしめて 幸せの日差しを待とう

 

 

 

痛みは消えて 天使の羽そっと頬に触れた

夢の続きを 桜吹雪の下で感じる

澄み渡る大空に 揺るがない笑顔を

 

 

 

一度枯れた桜は 本当の強さを知っている

思い出残して 最初の一歩を踏み出す勇気

待ち望んだ春を受けて 此処に満開の愛を