春。
 あの冬から一年が過ぎ、相沢祐一がこの街で向かえる二度目の春。
 長い冬が終わり、ようやく草花が息吹き始めるこの季節。
 春といえば桜。桜といえば花見。
 お祭り好きの馬鹿二人がこの時期におとなしくしているはずもなく、この日、祐一を始めとする通称“美坂チーム”は水瀬家から一番近い桜の名所で、花見と称した馬鹿騒ぎを展開していた。

「香里っ! 酒だ! 酒を持って来い!」
「美坂っ! 酒だ! 酒を持って来い!」
「いきなり酒なんて要求してんじゃないわよ、このバカコンビッ!」

 バカコンビこと祐一と北川の頭を何故か持っていたハリセンで叩く香里。
 その時のあまりの良い音に、名雪が二人の頭が空っぽなんだと思ったのはここだけの話。
 
「……平和だね〜」

 のんびりとした名雪の呟きは三人の耳に入らぬまま空へと溶けていった。





――Orange Days――






「しっかし、凄い光景だなこりゃ。こんな場所、前の街にはなかったぞ」
「どうだ相沢、凄いだろう? 凄いと思ったらオレを称えろ」
「別に北川君の手柄じゃないでしょう?」
「でも本当に凄いよね、ここ」

 辺り一帯に立ち並ぶ桜の木。
 その中の一本の傍にシートを敷き、そこに座っている四人の姿。
 名雪の母であり、祐一の叔母である秋子に教えられて訪れたこの場所は、この時期では考えられないほどに人がおらず、穴場中の穴場だった。
 何故こんな場所を彼女が知っていたのか激しく疑問に感じた祐一だったが、オレンジ色の恐怖が脳裏をよぎった為にそのことはとっくの昔に忘却の彼方へ。
 その反動で祐一のテンションはすでに最高レベルへ到達していた。

「花見と言ったら酒! 酒と言ったら花見! 無礼講じゃ皆の衆っ!」
「応よ! 日頃の鬱憤を今こそ晴らすとき! 今日は飲みまくるぞっ!!」
「……この精神異常者どもは桜の下に埋めるべきだと思うんだけど、どうかしら?」
「駄目だよ香里。そんなことしたら桜が枯れちゃうよ〜」


 当社比三倍以上に狂った様子の祐一と北川を少し離れたところで観察しつつ、さらりと恐ろしいことを話す香里と名雪。
 だが二人はそのことに気付かず、さらに会話は続いていく。

「それで北川よ、肝心の酒はどうした?」
「ククク……同士相沢よ、心配は無用だ。職員室に隠されていた石橋の秘蔵コレクションから二、三本ほどかっぱらってきた」
「それはそれは……おぬしも悪よのう」
「いえいえ、お代官様ほどではございません」
「いきなり時代劇に突入してんじゃないわよっ!」

 かおりん我慢の限界。
 近くにいた名雪にも見えないほどのスイングで右手に持ったハリセンを振るった。
 その威力はハリセンが根元からちぎれ、使用不可能になるほど。
 そんな一撃を食らったバカコンビは仲良く地面とキスする羽目になった。
 
「「痛てぇ……」」
「当然の報いよ」

 地面にはいつくばったままの男二人(祐一、北川)と、手の中に残ったハリセンの残骸を投げ捨てながら冷酷に告げる女(香里)という構図から、名雪は祐一の部屋に『女王様と下僕』というタイトルのAVがあったことを思い出した。
 それと同時に「あぁ、これが祐一の趣味なんだね」と悟った彼女。
 名雪は途端に全てがどうでもよくなり、ふと空を見上げた。

 空は、どこまでも、青かった。



* * *




「さすが石橋め。良い酒集めてるじゃねぇか」
「確かにな。だが水瀬と美坂にはこの良さがわからんらしい」
「わかりたくもないわよそんなの。大体、コレはどうするのよ?」

 香里の一撃から復活して酒盛りを始めている二人。
 そんな二人に香里は呆れた表情で隣にある物体を指し示している。
 その物体は興味本位でアルコールに手を出して撃沈した名雪だった。
 祐一はそんな名雪を一瞥すると、嘲笑を浮かべつつ口を開いた。
 
「ここで倒れるなら名雪は所詮その程度の女だったってことさ」
「なら名雪を見捨てる貴方は所詮その程度の男って事ね」
「なるほど、相沢はその辺のゴミ程度の男、と」
「誰がゴミだこの妖怪アンテナァッ!」

 祐一と北川、バーリトゥード突入。
 短時間のバトルの結果、見様見真似の右ストレート(使用者=香里)で北川をKOした祐一は、その後どこからか持ってきたスコップで地面を掘り出した。どうやら北川をこのまま埋めようとしているらしい。
 そんな祐一を香里はあえて止めようともせず、北川のことなんて気にした様子もなく口を開いた。

「ところで、なんで四人で花見なのよ? 先週彼女達も含めてやったばかりじゃない」

 それは香里がずっと抱いていた疑問。
 実はこの日の一週間前にも、彼らはいつものメンバーで花見をしていた。
 それにもかかわらず今日、こうやってまた四人で花見をしている。
 北川のくすねてきた酒を除いては、各自弁当を持ってきているだけの花見だったが。

「あぁ、そんなことか」
「そんなことって……あたしとしては結構気になることなんだけど?」

 穴を掘り終え、その中に北川を投げ込んだ祐一のそっけない答えに香里は少しむっとしながら言った。
 そんな香里の仕草に、祐一は不謹慎だと知りつつも可愛いと思ってしまった。それと同時に北川を沈めといてよかったとも。

「ふむ、こいつに見せるにはちともったいないな」
「え、何か言った?」
「いや、独り言。気にするな」

 思わず漏れた呟きも、どうやら香里には聞こえていなかったらしい。
 そのことに安心した祐一は北川を放り込んだ穴にどんどん土を戻していく。
 哀れ北川。

「ほどほどにしときなさいよ? 後で掘り返すの大変なんだから」
「別にそのままでもいいんじゃないか?」
「放置してたら桜が枯れちゃうじゃない」
「なるほど、確かに」

 口ではそう言いながらも、浮かんでいる表情は笑み。
 なんだかんだ言ってもやはり香里はこの四人で過ごす日常が嫌いではなかった。
 そうしている間に祐一は土を全て戻し終え、今はその土を踏み固めていた。

「それよりも相沢君……さっきに質問にまだ答えてくれてないわよ?」
「む、そういえば忘れてたな」

 気のない返事をしながらそこら辺に落ちていた枝で墓標を作り、それを地面に立てる祐一。そこには『北川、ここに眠る』と彫られていたりする。

「忘れてんじゃないわよ。なんなら相沢君も彼の隣に埋めてあげましょうか?」
「死んでまでこいつの隣ってのは勘弁してもらいたいもんだ」
「ならさっさと答えなさいよ」

 気になることはとことんまで追求しないと気が済まない女、美坂香里。
 それを知っている祐一は苦笑しながら、近くにあった桜の木に体を預け、言った。

「発案者はそれ。協力者は俺。目的は思い出を作ること」
「……何それ?」
「なんでも生前の奴は四人“だけ”の共通の思い出が欲しかったらしい」
「なるほど、ね。確かに彼なら考えそうだわ」

 納得したような表情を墓標に向ける香里。
 どうやら彼は完全に死んだことにされているらしい。

「俺達全員別々の大学だしな。寂しくなったんじゃねぇの?」

 この春、晴れて高校を卒業した四人はそれぞれ別の大学へ進学が決まっていた。
 楽しかった日々、もう戻らない日々。香里はそこで始めて一抹の寂しさを感じた。

「そう……ね。振り返ってみればこんなにも騒がしくて、大変で……それでいて楽しかった日々なんて二度とないだろうし、寂しく思うのも無理ないわよ」

 何気ない香里の独白。
 マイナス方向の感情が見え隠れするその言葉に、祐一は呆れたような表情を浮かべた。

「そこまで悲観的に考えることもねぇだろ。まだまだ先は長いんだぜ?」
「あら、なら相沢君は寂しくないっていうの?」
「少なくとも香里ほどは」
「北川君も報われないわね。生前最後の友人がこんなに薄情な人だったなんて」
「これはまた手厳しい。でもな……」

 香里の言葉に肩をすくめる祐一。
 その動作に少し不快感を表す香里。
 だがそれは全て次の祐一の言葉で吹き飛んだ。

「俺達の関係がこの程度で終わりなんて誰が決めた?」
「……え?」
「どうせ何も変わらないさ。また一緒に騒いで、笑って、馬鹿やって……そんなもんだろ? 俺達の場合は特にな」
「それが簡単じゃないからこうやって……」
「簡単じゃない? それは大学が違うからか? それとも、なかなか会えなくなるからか? 冗談じゃない。俺達は“ここ”に居るんだ。それだけ解ってりゃ十分だ」

 祐一は一切の不安もなく言い切った。
 それは香里達が自分の親友だと思える自信。
 それは自分が香里達の親友だと思える自信。
 あぁ、確かに相沢祐一とはこういう男だったと、香里は改めて思った。

「全く……相沢君らしいわね」
「そりゃ、これが俺のスタイルだし」

 呆れたように、それでいて嬉しそうに笑う香里。
 その表情に翳りはない。
 それにつられて祐一も笑みを浮かべる。
 だが……。

「お前等オレを差し置いてイチャイチャしてんじゃねぇぇぇぇっ!!」
「うひゃあっ!?」
「……あー、やっぱ生きてたか」

 突如地中から飛び出し、姿を現した北川。
 そのいきなりの復活に香里は可愛らしい悲鳴を上げ、祐一は特に驚いた様子もなく呟いた。
 そんな二人に北川は体中についた土をしばし払い、ある程度とれたところで祐一の襟首をもの凄い形相で掴み挙げた。

「相沢ぁっ! テメェって奴はぁぁっ!!」
「うおっ!?」
「き、北川君!?」

 驚く祐一と香里。
 最悪の状況を予想した香里は慌てて二人の間に割って入り、引き離そうとした。
 だが、それよりも早く北川は……何故か泣き叫んだ。

「なんで……なんで俺と別に大学に行くんだっ! 俺達死ぬまで一緒だって誓ったじゃねぇかよぉっ!!」
「いや、誓ってないし。つーか酔ってるな? 酔ってるだろテメェ」
「美坂もだっ! なんで別のとこなんだよ!? 俺の気持ちを知ってるくせにぃっ!!」
「は? き、北川君の気持ち!?」
「言ったじゃねぇか! 俺は美坂のことを愛してるってっ!」
「……………………えぇっ!?」
「……うわ、こいつ酔った勢いで告りやがったし」

 酔っぱらい北川の突然の告白に驚き、熟れたトマトのように顔を真っ赤に染める香里。
 一方の北川は完全に酔っぱらっていて自分が何を言っているのか理解していない。
 そんな二人を祐一はしばし傍観していたが、いきなり何を思ったのか北川を突き飛ばし、傍にいた香里を右手で抱き寄せた。

「ちょ、ちょっと相沢君!?」
「あ、相沢っ!?」
「よく聞け北川」

 いきなりのことに抗議してくる香里を無視して、祐一は未だ酔っぱらっている様子の北川を指差して宣言した。

「お前にやるには香里は勿体無さ過ぎる。つーわけで宣戦布告だ」
「せ、宣戦布告…………って!?」
「……………………何ぃぃぃぃっ!?」

 静寂、混乱、驚愕の三種類の状況が見事に混ざり、その場に響くのは男の悲鳴と女の声にならない叫び。
 その状況を作り上げた当人である祐一は、そんな二人の反応を見て満足そうな笑みを浮かべている。

「まぁ、そんなわけで。宣言したからにはこんなこともしてみたりするわけだ」
「な、何を……………………っ!?」
「お前まさか……うがぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 そう言って香里の頬に軽く口づけをした祐一。
 その行動によって香里は完全に硬直し、北川は暴走を始めた。

「ぐおぉぉぉぉぉっ! み、美坂に、キ、キ、キスしただとぉぉぉっ! 死んで償え相沢ぁぁっ!」
「やかましい」
「ギャフゥッ!?」

 延々と暴走を続ける北川の頭に祐一の一撃炸裂。
 北川はそのままゆっくりとスローモーションのように傾き、倒れた。
 ちなみに祐一の右手には赤く染まった元墓標が握られていたりする。

「……そろそろ帰るか?」
「……そうしましょうか」

 しばしの静寂の後、祐一と香里は帰り支度をしてその場を後にした。
 彼らのいなくなった場所には掘り返された地面と赤く染まった墓標が残され、それを覆うかのように桜の花びらが降り注いでいた。



* * *



 帰途へつく四人。ただし二人は行動不能だったりする。
 未だに夢の世界から帰還する気配のない名雪は祐一に背負われ、祐一の一撃により意識を刈り取られた北川は香里に引きずられながら進み続けていた。

「今日はいろんな意味で疲れたわね」
「全くだな。元凶はほとんどこいつだが」
「相沢君もよ。大体冗談でああいうことしないで欲しいわね」
「ちゃんと制裁は受けたぞ? 顔の形が変わるくらい」
「あたしとしては足りないわよ」
「これ以上食らったら俺死ぬぞ?」
「大丈夫よ。多分北川君と同じで不死身だと思うから」
「多分で命賭けるなんてごめんだな」

 顔の左半分を腫らした祐一と香里がそんな掛け合いをしている間も、二人が目を覚ます気配はない。
 やがて祐一・名雪組と香里・北川組が分かれる地点へと到着した。

「それじゃああたし達はここで。でも最後に一つだけいいかしら?」
「なんでございましょう?」
「あの時の宣戦布告は本気? それとも冗談?」

 本気か冗談か?
 嘘か真実か?
 Truth or False?
 香里の真摯な問いに、祐一は視線をそらしつつ答えた。

「……冗談ならあんなことしないっての」
「そう? あなたならやりかねないと思ったけど?」
「香里は俺をなんだと思ってるんだ?」
「相沢祐一」
「ごめんなさい、もう言いません」

 必死の抵抗を試みた祐一だったが、香里に真剣な表情でそんな答えを言われてしまった為にあえなく無条件降伏。
 悔しそうにする祐一は、捨て台詞の如く言い放った。

「覚えてろよ? 絶対に北川に勝って俺が香里を手に入れてやるからな!」
「はいはい、期待して待ってるわ」
「うわ、絶対に期待してないし」

 香里の反応にガックリと肩を落とす祐一。
 対する香里はそんな祐一に凛とした表情で、自信を持って、告げた。

「あたしが欲しいのなら本気で勝負することね。そんな簡単に手に入れられるほど……あたしは安くないわよ?」
「……上等だっ!」



 男達は、女達は、それぞれ自分の道を歩いていく。
 その途中で訪れる、甘くて酸っぱいOrangeDays。
 これは彼らに訪れたそんな日々の話……。