神魔戦記 番々外

                    「二人の微妙な距離」

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 マリーシア=ノルアーディは大きく吐息をついた。

 あぁ、なんで自分はこんなにも上手くいかないのだろうか……と悩みながら。

「ま、マリーシアちゃん。ほら、そんなに落ち込まないで〜」

「はい……」

 隣を歩く高町なのはに励まされるが、マリーシアは肩を落としたままだ。

 彼女たちがいるのは王立カノン学園。その廊下である。

 同じ制服を着た生徒たちが行き交う中を、授業が終わったばかりの二人が肩を並べて歩いていた。

「私、やっぱり魔術の才能ないんでしょうか……」

「う、うーん」

 困ったように呻くなのは。彼女たちが胸に抱えた書物のタイトルには、『応用魔術論』と記されている。

 それはつい先ほどまで彼女たちが受けていた授業の名前だ。必修ではなく選択授業だが。

 その授業で出た問題がマリーシアにはまったく理解が出来なかったのだ。ちなみになのはは全問正解だったりする。

「これじゃあ何のために『応用魔術論』を選択したのかわかりません……」

 学園の授業は大半が選択式で必修授業というのは少ない。『格闘術』なども選択授業の一つだ。

 というのも、この学園は決して兵を養成するためのものではない。だから魔術や格闘術などを強制させたりはしない。

 だから必修となっているのは魔術学や薬学の基礎、国語や数学、歴史や地理といった基本的なものばかりだ。

 あとは自分で知りたいこと、必要だと思うものを好きなように受講すれば良い。それが王である祐一の方針であった。

 だからこの授業もマリーシアとなのはは受けているが、亜衣やリリスは取っていない。彼女たちは今頃『応用格闘術・武器戦闘』の授業中だろう。

「あ、そうだ」

 と、そこでなのはが良い事を思いついたとばかりに手を打ち、マリーシアの手を握る。

「ね、マリーシアちゃん。いまからグラウンドに行こうよ!」

「え、え……?」

「わたしたちの授業は早めに終わったけど、多分亜衣さんたちの『応用格闘術・武器戦闘』はまだやってるはずだし、ね!」

 なのはからすれば気分転換で、という意味合いで言っただけだったのだが、不意にマリーシアの顔が赤くなる。

「ほら、行こう?」

「わ、ま、待ってなのはさん!」

 なのははそれに気付かずに駆け出してしまう。マリーシアも口でそう言いつつも、足はちゃんとなのはを追っていた。

 それは友達としての動きであると同時に、ちょっとした期待の現われでもあったり。

 ――あの人も、いるのかな……?

 

 

 

「はぁ……」

 倉田一弥は大きく嘆息した。

 あぁ、なんで自分はこんなところでこんなことをしているのだろうか、と悩みながら。

 彼がいるのは王立カノン学園のグラウンドのど真ん中。そこで腕を組みつつ目の前で行われている模擬戦を見つめている。

 実は一弥はカノン学園の授業、『武器学』、『応用格闘術・武器戦闘』、『基本護身術』の三つの講師を務めていたりする。

 確かにこの手の授業は軍関係者が行った方が効率は良いだろうし、実戦でも使えるものを学べるだろう。それはわかる。

 だがそれが何故自分なのだろう、と一弥は頭を悩ませる。

 学生程度(と言うのは少し言い過ぎかもしれないが)を相手に騎士団団長である一弥を講師に当てる、というのもなんとも豪華だ。

 まぁ祐一曰く、

「どうせ学ぶのなら最高の講師を揃える方が良いに決まっているだろう?」

 ということで、実際他の授業の講師にも舞やさくら、佐祐理、香里や美汐、鈴菜といった面々が揃っている。

 こうなってしまっては、自分だけがノーと言えるはずもなく、半ば諦めでこうして教職なんかもやっているわけだが……。

「ほら、もっと相手の動きをよく見るんだ。攻撃を受けるときに一々防御の姿勢を取っていたら攻め込まれるだけだよ」

「は、はい!」

 木刀で戦う二人の生徒に注意を促しつつ、思わず嘆息。

 確かに祐一の思想もわかる。頷ける。理解できなくもない。

 しかし現在戦争の真っ最中だ。なにもいまこんなことをしなくても良いのではないだろうか。訓練や軍備の強化などいくらでもやらなければいけないことはあるだろうに。

 ……といったことを先日姉である佐祐理に言ってみたのだが、

『一弥。祐一さんは、そういう思考こそ忌避しているんだと思うの。戦争中だからって戦争のことばかり考えていたら心は荒む。

 だから気分転換というか、そういう意味合いもきっと考えているんだと思うよ?』

 なんて返されてしまった。

 姉は随分とあの王を信頼しているようだ。元々カノン軍にいたメンバーの中では一番最初に祐一を認めていたわけだし、それも当然か。

「うわっ!?」

 と、その声で我に返る。どうやら勝負が着いたらしく片方の少年が尻餅をついていた。

「それまで!」

「いよしっ!」

 勝った少年がガッツポーズをとる。

 前々回の授業からトーナメント形式の模擬戦を行っており、いまのはその準決勝だった。つまり勝ったこの少年は決勝に進出ということになる。

 総勢五十名弱の受講者の中でトップツーともなれば、まぁ男としては嬉しいことだろう。

 ――まぁ、実際はトップツーとは言えないけど。

「連戦できそうか?」

「はい! 大丈夫ですっ!」

 気合十分で答える。実際いまの戦いも終始この少年が押していたし、攻撃らしい攻撃も受けていない。疲弊もさほどなさそうだ。

 一弥は時計を見やる。授業終了までさほど時間もない。決勝戦だけ次回に回しても良かったのだが、そう言うのなら続行しても良いだろう。

 ――どうせすぐに決着なんて着くだろうしな。

 口には出さず嘆息する。

「それじゃあ決勝戦を始めようか。……雨宮」

「はいっ!」

 威勢の良い返事はこの少年の決勝戦の相手。

 木製の斧を手に立ち上がったのは、少年とそう歳も変わらぬ少女。だがその気迫や雰囲気は少年のそれとは比べるべくもない。

 そう――雨宮亜衣である。

 連戦連勝。ほぼ全ての模擬戦を一分以内に勝利してきた王立学園最強の生徒である。

 唯一、一分を過ぎたのはリリスと当たったときだ。それでも接近戦は亜衣に分が合ったためにリリスは敗退。

 そのリリスは現在亜衣の後ろで無表情のまま拍手しながら出陣を見送っている。

 実際問題、このクラスのトップツーといえば亜衣とリリスの二人だろう。やはり実戦を知っている者とそうでない者の差は大きい。

「両者、構え」

 とはいえ、それでも女には負けたくないと思うのだろう。少年がグッと木刀を握る手に力をこめたのがわかった。だが力みすぎの感は否めない。

 対する亜衣は堂々としたものだ。木製の斧を悠然と構え、無駄がない。

 両者が構える。それを見届け、

「――始めッ!」

 告げた。

「うぉぉぉぉぉぉ!」

 先に仕掛けたのは少年だった。叫ぶと同時に強く地を蹴り、一気に間合いを詰めていく。

「らぁ!」

 渾身の振り下ろし。だがそれは亜衣の斧によって容易く横に受け流される。

 これがディトライクであったのなら亜衣は受け流さずに受け止めただろう。だがディトライクでない以上、武具としての重さはそのまま亜衣に圧し掛かるし、魔力強化も使えない。

 いくら魔力の扱いもよく知らない子供とはいえ、男である以上生身の亜衣では力は敵わない。

 だからこそ、ここでの亜衣のスタイルは従来の『剛』ではなく『柔』なのだ。

「せい!」

 受け流し出来た隙。その懐に飛び込み亜衣は斧の柄で少年の腹を横から突く。

「ぐぁ……!?」

 痛みは更なる隙を生む。訓練された者でなければないだけその隙は大きい。そして――そんな隙を、亜衣が見逃すわけがない。

「はぁぁ!」

 気合一閃。アッパー気味に振り上げた戦斧が少年の顎を下から一気に打ち抜く。

「がっ――!?」

 脳を激しく揺すられ、少年の膝から力が抜け……そのまま倒れ伏した。

 カラン、と木刀がこぼれ落ち静寂がグラウンドを包み込む。

「それまで」

 その静寂を打ち破ったのは一弥だった。

「勝者、雨宮。よって優秀は雨宮とする」

「はい、ありがとうございます」

 ふぅ、と特に何の感慨もなさそうに息を整える亜衣。途端、歓声と同時に亜衣が他の子供たちに取り囲まれた。

「すげー! やっぱ雨宮強すぎ!」

「雨宮さんホント凄いよ! 相手が男の子でも楽々勝っちゃうんだもん!」

「どうやったらあんなに鮮やかに動けるんだよ!?」

「私憧れちゃうよ〜!」

「あは、あははは……、うん、ありがとう」

 褒め称えられる中、照れ半分困り半分で頬を掻く亜衣。実際あのくらいの年齢でいえば亜衣はまさしく最強クラスの存在だろう。

 ともあれ、これで授業は終わりだ。気を失った生徒を運ばせ授業終了を言い渡せば晴れて自由の身である。

 ――最近訓練の時間が減ってきてるからね。さっさと終わらせよう。

 とはいえその分模擬戦などの時間が増えているので、ある意味では前以上に充実しているのだがそれはそれ。日課というのは続けるからこそ意義がある。

 そういうわけで授業終了を言い渡そうとしたのだが、

「あ、一弥さん。待ってください」

 それを人垣から逃げてきた亜衣が静止した。

「あの、時間があれば亜衣と一つお手合わせをして欲しいんですけど……」

 思わぬ申し出に、一弥はまばたき一つ。

「……僕と、ここで?」

「はい」

 それはつまり『神殺しなしで』という意味だ。

 舐めている……というわけではないだろう。現段階で神殺しを持った亜衣との模擬戦成績はほぼ五分五分だ。

 ただ純粋に亜衣は上を目指しているだけ。神殺しの力に頼るだけではなく自らの力も向上させようとしている。

 努力を惜しまぬその姿は、一弥にとっても好ましい。

 負けてられないな、と。そうも思えるから、

「……やれやれ。一回だけだぞ」

「はい!」

 一度だけ付き合うことにした。

 

 

 

 なのはとマリーシアがグラウンドに着く頃には、時間はもう授業終了間近であった。

 にも関わらずグラウンドを囲うように多くの生徒がいて、どこか熱気に満ちている。

「なんか騒がしいね」

「なにかあったんでしょうか……?」

 人垣を掻き分けながらグラウンドに近付いていけば、徐々に響いてくる……剣戟音。

「「……?」」

 近接戦闘に関してはてんで知識のないなのはやマリーシアでさえわかる。この音は普通の生徒たちの打ち合いのような響き方ではない。

 もっと激烈で、凄まじい攻防による乱打の音だ。

「あ、マリーシアちゃん! あれ!」

 ようやく中心が見える位置にまで移動し、見えてきたのは見知った二人の激突だった。

「一弥さんに亜衣さん……」

 どうして講師の一弥と生徒の亜衣がこの場で戦っているのかわからないが、これは確かに学生からすれば見物するだけの価値ある戦いだろう。

 とはいえ、

「さすがに神殺しなしじゃ亜衣ちゃん押されてるね」

「はい」

 神殺しを持ってようやく五分五分なのだ。それがなければ亜衣の勝ち目など万に一つもない。

 一弥とて武装を一つしか扱えないという枷はあるが、そんなもの亜衣の比ではない。それに一弥は既に亜衣の実力を認めているので慢心もない。

「はぁ!」

「っ……!」

 流れはもはや完璧に一弥にあった。亜衣はその類稀なる見切りで一弥の攻撃を読みきってはいるが、身体の反応が追いつかない。

 防戦一方。受け流す余裕さえもはやなく、ただ攻撃される場所に斧を置くような、そんな作業にさえ落ちていた。

「ふっ!」

「わっ!?」

 一弥の剣が一瞬の隙を突いて亜衣の斧を打ち払った。亜衣の手から離れた斧が乾いた音と共に地面を転がり、

「終わりだ、雨宮」

 亜衣の眼前に剣の切っ先が突きつけられる。

 それで勝負あった。

「参りました……」

 亜衣が敗北を認めた瞬間、周囲の見物人たちから歓声が轟いた。

「すごーい! さすがは倉田先生!」

「倉田先生って格好良いよね〜!」

「うんうん! しかもカノン軍の騎士団長にして倉田家の長男でしょ? 地位もばっちり!」

「武術も凄いし、才能ある人はやっぱり格好良いわ……」

「あぁ、良いな〜。あんな人のお嫁さんになりたーい!」

 きゃいきゃいと周囲から巻き起こる黄色い声。そんな様子になのはは苦笑し、

「あはは、一弥先生は大人気だね」

「そう……みたいですね」

 そう答えたマリーシアの歯切れはどこか悪い。

 確かに一弥の容姿は整っている。若干背丈が平均より低いものの、言われている通り地位もしっかりしているし人気があるのも頷ける。

 でも、なんだろう。

 ――どうして、こんなに苛立つんだろう……?

 マリーシアは自分でも理解できないその苛立ちを、完全に持て余していた。

 

 

 

 一弥はそんな歓声には耳を傾けず、緩やかな動作で剣を収めた。

 目の前では、カクン、と亜衣が項垂れている。

「う〜、やっぱりこの状態だとまるで歯が立ちません……」

 しょんぼりしている亜衣。だが一弥は嘆息し、その頭を軽く小突いた。

「あぅ! な、なんですか?」

 頭を押さえ見上げる亜衣に、一弥は鼻を鳴らす。

「見くびるな。僕が神殺しも持たない君に遅れを取ると思ったのかい?」

「い、いえ! さすがにそこまでは思いませんでしたけど……」

「けど? せめて一太刀くらいは浴びせたかった、と?」

 コクン、と頷く亜衣を再び一弥は小突く。

「はぅ!?」

「上を目指し精進することは良いことだけど、雨宮、君は少し急ぎすぎだ。もう少し冷静に彼我の実力差を考えろ。

 訓練だとしても怪我をすることはあるし、下手をすれば死ぬ。実力差の大きい相手に自ら枷をつけるような馬鹿な真似は今後しない方が良い」

「うぅ……。で、でも一弥さんも魔力強化まったくしてなかったじゃないですか〜」

「そんなことしたら訓練にならない瞬殺だ。というより自分より年下の女の子が生身で戦っているのに僕が魔力を使うとでも思ってたのか?」

「それは……そうですけど……」

「わかったか? 君は十分に強くなってる。だからもう少しゆっくりと努力しろ。急いては事を仕損じる、って言うだろう?」

「はい。わかりました〜……」

 小突かれた頭を抑えつつ、トボトボと下がっていく亜衣。その背中を見送って、一弥は再度溜め息を吐いた。

 ――むしろ僕は十分ショックを受けているんだけどね。

 亜衣はまだ『戦い』の経験は限りなく少ない。ちゃんと戦闘訓練と呼べるものに着手し始めたのもまだ数ヶ月だけ。

 そんな相手に、だ。……特殊な武器や魔力を一切抜きで数分もの間粘られたのだ。

 いかに終始優勢だったと言っても、魔力を使わなかったとしても、その条件下では一弥は本気で攻め込んでいた。にも関わらず亜衣はそれをしばらくの間凌いでいた。

 一弥はずっと昔からひたすら武術の特訓を繰り返している。十年以上も、だ。

 それがたかが数ヶ月訓練を積んだ女子相手に、同じ条件でその程度の差しかない。

 ……正直、この結果はかなり気が滅入る。

「これが才能の差、ってものか」

 見切りによる回避能力、それに準ずる高速の経験習得。神殺しに認められ、魔力完全無効化という極めて稀な特殊能力にも恵まれた天才児。

 一弥の数年来の努力などそれらに比べれば微々たるものなのだ、と突きつけられたかのようだった。

 ふぅ、と何度目かもわからぬ吐息がこぼれ、一弥は散っていくギャラリーたちに視線を向けた。と、そこで見知った少女たちを発見する。

「ん? あれは……」

 マリーシアとなのはである。

 先に授業が終わっていたのだろう。校舎へと戻っていく亜衣やリリスと合流し、楽しそうに会話をしている。

 ふと一瞬マリーシアと視線が合ったような気がしたが、既にマリーシアは亜衣を励ましている。気のせいだったかもしれない。

「お、あそこに高町とノルアーディがいるぞ」

 後ろからそんな声。どうやらギャラリーになっていた男子生徒たちのようだ。

「本当だ。歌姫じゃん。可愛いよなぁ、マリーシアちゃんって」

「まぁなー。ま、俺からすれば高町の方が良いけどな」

「ばーか。誰が何と言おうとリリスだろ」

「ここは雨宮に一票」

「いや確かに雨宮可愛いけどさ……なんつーか、辛いよな」

「あぁ。あの強さは男としてちょっとな。プライドが……」

「その点マリーシアは良いよなぁ。守りたくなる、っていうかさ」

「あー、あるかも」

 笑いながら校舎に戻っていく生徒たちを一瞥し、一弥は踵を返す。

「……? なんだ?」

 不意に、妙な感覚が胸に宿るのを自覚した。それは言い表すならば、

「怒り、か?」

 それは何に対する怒りか?

 自分の感情でありながら原因がまったくわからず、そのまま一弥は教員室へと戻っていった。

 

 

 

 その日の夜。

「ふぅ……。今日も良いお湯だった……」

 カノン王城の廊下を、マリーシアがやや上気した頬で歩いている。

 浴場からの帰り道である。

 着ている服もいつもの黒い修道服ではなく、マリーシアにしてはラフな、いわゆる部屋着に近いものだ。

「あの広いお風呂を一人で入るのって、ちょっと贅沢な気もするけど」

 今日は入浴が少し遅かったせいか、中には誰もいなかった。

 下校した後、その足で孤児院へ向かいいつものように子供たちと遊び歌を歌った。ただ今日は子供たちがなかなか離してくれず、いつもより帰って来るのが遅くなってしまったのだ。

 まぁおかげであの大浴場を独占出来たようなものだし、運が良いのかも? と自己完結する。

「くしゅん!」

 慌てて口を押さえる。

 やはりカノンの夜は冷える。風呂上りに歩き回っていては風邪を引いてしまうかもしれない。

 早くベッドに入って寝よう。そう結論付けてやや早足に進んでいく。

「あれ……?」

 その途中、中庭を横断する渡り廊下に差し掛かったところで、マリーシアは立ち止まった。

 知っている気配が中庭にある。それは別段珍しいことではない。が、その相手だからこそ足は勝手に止まったのだろう。

 目には見えないが間違いない。この気配は倉田一弥のものだ。

 マリーシアも魔力コントロールが向上したおかげで、『既に知っていて、危険のない気配』は感知を低下させる術を覚えた。

 逆にその分『知っていても危険な気配』、『未知の気配』、『敵意を持つ気配』などに関しての感知能力を上昇させることが出来るようになっている。

 いくらマリーシアの気配感知能力が高いとはいえ限界はある。これはその効率化の一環だが、それ故にここに来るまで気配に気付かなかった。

 何をしているのだろう。気配が感知できるとはいえ、その行動さえ把握できるわけではないし、暗いために視認は出来ない。

「……」

 一瞬躊躇したが、マリーシアは中庭に足を踏み出した。昼間の一件があったせいかなんとなく気になったのだ。

「ふ! せい! はぁッ!」

 近付くにつれて耳に届いてくる断続的な呼気は、熱に満ちている。まだ姿は見えないがきっと自己鍛錬の真っ最中なのだろう。

 ――邪魔しちゃ……悪いですよね。

 一弥が暇さえあれば鍛錬に没頭しているのはよく知っている。だから特に何の用事もない自分が近寄るべきではないだろう。

 頷き、踵を返そうとしたところで、

「ここまで来て帰るのかい?」

「っ!!」

 向こうから声を掛けられた。思わぬことに驚いて、一瞬悲鳴を上げそうになってしまった。

 そんな様子が伝わったのだろう。夜闇の中で鍛錬をしていた一弥から苦笑が聞こえてくる。

「そんなに驚かすつもりはなかったんだけど……。悪いね」

「い、いえ! ただ、一弥さんが鍛錬中に自分から誰かに話を掛けるなんてことがなかったから……」

「あぁ、それは確かに」

 月光に照らされて、ようやくマリーシアにも近付いてきた一弥の姿が見えてきた。

 彼はいつもの騎士装束を着てはいるが、さすがに甲冑はつけていなかった。持っている得物は槍。今日は槍の鍛錬のようだ。

「それで? こんなところに何をしに?」

「あ、えーと……その、お風呂との帰り道だったんです、けど……一弥さんの気配があったので……」

「何をしてるか気になった?」

 それは違う。一弥だからこそしていることは鍛錬であることは想像に難くない。が、他の理由も見つからないマリーシアはとりあえず頷いていた。

「ま、見ての通り僕は今日も今日とて鍛錬さ。……ちょっと、身体を動かしたくなってね」

 力ない笑み。それを見てマリーシアは、

「あの……違ってたらすいません」

「ん?」

「何か……落ち込むようなことでもあったんですか?」

 一弥は一瞬驚きに目を見開き、そして苦笑へと表情を変える。

「まぁ……落ち込んでいる、といえば落ち込んでいる……のかもしれない」

「それを聞いても……?」

 一弥は答えない。だが否定もしなかった。

 それが無言の許諾であると受け取り、マリーシアはただ耳を傾ける。

 一弥は一つ息を吐き、横を向いて再び槍を構えると、

「今日、見てただろう? 僕と雨宮が模擬戦していたのを」

「あ、はい」

「あれでね。改めて自分の弱さに気付かされたのさ」

「え……? でも――」

「ああ。確かに勝ったのは僕だよ。でもね、雨宮はまだ戦い方を習い始めてから数ヶ月の女の子だ。そして僕はもう十年以上鍛錬を続けている。それであの程度の差なのさ」

 ハッとするマリーシアの前で、一弥は自嘲気味に笑い、 

「やっぱり凄いものだ、とつくづく思わされた。あれが才能っていうものなんだな、って」

 マリーシアは以前佐祐理から聞いたことがある。

 一弥は決して才能に恵まれた人間ではなかった、と。むしろそういうものは何一つ持ち合わせずに生まれてきた、とも。

 だがそれにより蔑まれたり哀れまれたりすることをこそ一弥は嫌う。そうも聞いた。

 だから一弥は日々鍛錬を怠らない。努力を惜しまない。こうして現にいまも、愚痴りながらも身体を休めようとはしていない。

 何故だろう。

 何故そうまで頑張れるのだろう?

 それがどうしても聞きたくなった。

「えと……こんなこと言ったら失礼なのかもしれないですけど……その、挫けそうになることはないんですか?」

「ん? それは才能ないのにどうしてそこまで頑張るんだ、ってこと?」

「い、いえ! 決してそのような……!」

「良いんだよ。事実だからな」

 笑み。だがそれは決して自嘲めいたものではない。

 一弥は手を止めて、

「まぁ、正直言えば挫けそうになったことなんてそれこそ数え切れないほどある」

「え……? そうなんですか?」

「そりゃそうさ。自分になんの才能もないことくらい、僕自身が一番よくわかってる。

 だからこそ、何度も思った。これ以上やったって無駄なんじゃないか。仮に伸びたとしても才能のある人間には負けるんじゃないか、って」

「なのに、どうして……」

「あぁ、それは……」

 不意に苦笑。一弥は頬を掻き、

「考えるのが馬鹿くさくなったのさ」

「え……?」

「結局さ、考えたところでどうにもならないんだってことに気付いたのは割かし早かったよ。考える才能もなかったんだろう、僕は」

 再び槍を構え、

「何を考えたところで才能が花開くわけでも、いきなり強くなれるわけでもないし。だったらもう身体を動かすしかないだろ?

 考えている間にも、落ち込んでいる間にも、腕を動かし続けてれば。どれだけ頭が悪かろうと身体が勝手に動いてくれると信じるしかない。

 ……つまりさ、やっぱり才能のない人間なんてうだうだ考えてても出来ることなんて限られてるんだよ」

 そう言って突きを繰り出す。

「あ……」

 わかった。さっき妙に苛立った理由。

 あの子達が、倉田一弥という『外見』にしか目を向けていなかったからだ。

 容姿や地位、そして武術。彼女たちは一弥の内面をまったく見ていない。

 一弥の武術も才能の一言で片付けた。だがそれは全然違う。倉田一弥という少年は決して才能など持ち合わせていない。

 なまじ歴史ある家に生まれたおかげで更にその事実が浮き彫りになったにも関わらず、それでも諦めずにただただ努力し技術を磨き上げた。

 そう、この武術の完成度は彼のこれまでの人生の証、彼の生き様の表れだ。

 それを『才能』という一言で片付けられたから……マリーシアは苛立ったのだ。

「ふ、ふ……!」

 ただ無心に槍を突き出すその姿を、マリーシアはどこか遠い目で見つめる。

 ただただ真っ直ぐ、愚直なまでに前を見る彼の目にはどんな光景が映し出されているのだろうか。

「……一弥さんは、凄いですね」

 そんなことを考えていたら、ほぼ無意識にそんな言葉が口を突いた。

「え?」

「あ、いやその……!」

 素振りを止めてこちらを見る一弥に、マリーシアは慌てて手を振る。

 でもそれもすぐ止まり、マリーシアは小さく息を吸うと照れたように微笑んだ。

「尊敬、しちゃいます」

「ま、マリーシア?」

 その仕草に一弥の頬がやや赤く染まるが、マリーシアはそれに気付かず軽く俯く。

「私なんていつもオドオドしてて、いろいろ考えが空回りしちゃって……。失敗したらどうしよう、とか迷惑掛けたらどうしよう、とか。そればっかりで。

 もっと一弥さんみたいに前に進めたら良いのに……」

 自分の弱さが悔しい。自分の情けなさに腹が立つ。

 自分には何も出来ないからと諦めるのではなく、何も持たずとも何か出来るものがあるはずだと努力を惜しまない人だっているのに。

 ――私は、なんて……弱い。

 それは戦える力だとか、そういうことじゃない。心の強さだ。

 ただ逃げることしか出来ず、甘えることしか出来ず、戦うことも守ることも出来ず。

 母を殺されたときも父を殺されたときも、ホーリーフレイムに追われていたときも……ずっと自分はあのときのままだ。

 だが、

「そんなことはない」

「……え?」

「マリーシアは頑張ってるじゃないか。芳野さんに魔力の操作を教わったり、姉さんに魔術学を教わりに行ったり、薬学の勉強だってしてるだろ?」

「で、でもそれは……」

 頑張っている皆を見て、そこでようやく動き出しただけ。一弥のように決して自ら立ち上がったわけではない。

 しかし一弥は首を横に振る。

「卑下することなんてない。マリーシアは考えたうえでそういう行動に出たんだろ? それって、凄いことだと僕は思う。

 僕みたいに考えることを投げ出したんじゃない。マリーシアは考えた上で、自分の出来ること、したいことを探した上でその行動に出たんだ。

 ならそれにはきっと意味がある。君が想い描いた通りにはならずとも、試行錯誤した末の結果は嘘は吐かない」

 だから、と一弥は微笑み、

「大丈夫だ、マリーシア。君が歩く道はちゃんと未来へ繋がっている。地道な作業だけは得意な僕が言うんだ、間違いない」

 そっとマリーシアの頬に触れた。

 目尻に浮かぶ雫を指先で拭い去りながら、一弥もまたようやく学園での苛立ちの原因を悟った。

 マリーシアは決して守らなくてはならないような『弱い』存在ではない。それは彼らが彼女の外見からしか判断してないからこその感想だ。

 マリーシアは強い心を持っている。少なくとも一弥はそう思っている。怖がりながら、迷いながら、それでもなお顔を上げ前を見ようとする強さを。

「だから……そんな不安がるな。そんなに顔を歪ませちゃ、折角の可愛い顔が台無しじゃないか」

「あ――」

 その暖かさを感受するためのように、マリーシアが瞼を閉じる。

「傷だらけの手……」

「あ、ごめん。汚いな」

 一弥は手を退こうとしたが、それはマリーシアの手によって止められた。

「汚くなんてありません」

 柔らかい手に包み込まれる。首を横に振った彼女の髪が手にかかり、こそばゆい。

「強くて、ひたむきで、そして優しい……一弥さんの手です」

「マリーシア……」

「ありがとう、ございます。一弥さん。私は……いつもあなたの姿に勇気をもらえます。私にとって一弥さんは、誰よりも英雄なんですよ?」

 涙で潤む瞳。しかし悲しみではなく、顔に浮かんでいるのは綺麗な笑顔。

 あぁ、いつの間に。

 いつの間にこんなにも……。

「こちらこそありがとう、マリーシア。時々聞こえてくる君の歌声は、とても心を落ち着かせてくれる。平和を強く感じられる。

 そのために戦おうと頑張れる。……だから君は歌っていてくれ。ずっと」

 優しい顔で、一弥はその少女の頬を撫でた。こぼれそうになる涙を拭い、想う。

 あぁ、いつの間に。

 いつの間にこんなにも……。

「一弥さん……」

 共に、照れたように微笑む。

 恥ずかしいが、決して不快ではない。この相手になら、きっとどんなことだって話すことが出来る。受け入れてくれるという安心感。

 マリーシアはずっと一弥を目で追っていた。それは尊敬。

 憧れて、どこまでも真っ直ぐに突き進むその背中を見続けた。

 一弥はずっとマリーシアを目で追っていた。それは憧憬。

 尊くて、どこまでも優しくて人を救うその笑顔を見続けた。

 妙な高揚感と早まる動悸。二人の視線は互いから離れず、そのままで。

 マリーシアが一弥の袖を握り締めた。

 一弥がマリーシアの肩に手を置いた。

 まるで誘われるように二人の顔が近付いていく。いま、二人の意識には互いしかおらず――、

 

 ドタンバタン!! と、やおら大きな音が中庭に響き渡った。

 

 突然の音に二人はビクゥ!? と高速で身を離す。

 途端に動悸が激しくなり、自分たちがいましようとしていたことに対する恥ずかしさで顔が真っ赤になっていく。

 で、その元凶たる音源に視線を向ければ、

「あ、あははー……ご、ごめんなさい。折角良い雰囲気だったのに……」

「その、ご、ごめんなさい。覗き見するつもりは、その断じて……!」

「?」

 苦笑いを浮かべた倉田佐祐理、やたら慌てている雨宮亜衣の二人が地べたに転がっており、リリスが首を傾げて二人を見下ろしていた。

 ……激しく嫌な予感がする。

「……ね、姉さん。もしかしていまの……」

「い、いえ見てませんよ〜! 二人が凄く良い雰囲気でいまにもキスをしそうだったなんてお姉ちゃんまったく知らないよ!?」

「さ、佐祐理さんそれ答えちゃってますから〜っ!?」

 さすがの佐祐理もこの状況に少し動転しているらしい。亜衣が抑えて初めて墓穴を掘ったと悟ったようだ。

 えーと、とポリポリ頬を掻き、佐祐理はパン、と両手を合わせると、

「邪魔してごめんなさい!」

「「――」」

 かぁぁぁ、と。一弥とマリーシア、二人の表情がいままで以上に真っ赤に染まる。そして、

「違うッ!!」

「ち、違いますぅ!!」

 そう、同時に叫んでいた。

 

 

 

 そんな、二人の微妙な距離。

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 番々外の第六弾です。今回は『ラブ』を強めにしてみました。

 本当はこれよりも前にやる予定だったお話もいくつかあったんですけど、本編の関係上前倒しでこっちが来ました。すんません。

 で、内容ですが。

 一弥とマリーシアのお話です。もちろん一弥がいるので時間軸はキー大陸編前半だと思ってください。少なくともクリスに会う前の話です。

 作中前半の亜衣とのバトルなどはぶっちゃけ省いても良かったんですが、そうすると中身に深みがないかなぁ、とか思ってこの状態に。

 ……おかげで番々外としては過去一番の長さにw

 さて、次回の番々外は何になることやら。掲示板に出てたネタなども含め考え中。

 ではまた〜。