目を開けるとそこは桜舞う校門の前だった。
俺は坂の頂上を目指す。
どうして目指しているのかは解らない。
坂の上には何があるのだろうか?
いつも通りの学校だろうか?
それとも何か別のものだろうか?
でもそれは全く意味のない疑問。
登ればすぐにわかることだ。
駆け出そうとする俺の前には一人の少女。
あの日から……汐が生まれた日から……
渚がいなくなった日から変わることのないその姿。
きっとこれは夢。
あの日から幾度と見た夢なのだ。
あの日から幾度となく見て、常に変わらない物語の夢。
いつものように、渚に手をさしのべる。
結果は解っているのに……
この手はもう渚にとどかないのに……
それでも手をさしのべずにはいられなかった。
これが俺と渚との始まりだったから……
狂おしいほどに渚を渇望していたから……
でも、夢の中の現実は無情で……渚は反応しない。
さしだした手に気付く事無くどこか遠くを見ていた。
渚の瞳の奥には何が映っているのだろうか?
俺は手を引っ込めて歩いていく。
駆け出さないのはきっと俺が弱いから。
歩いていれば渚と少しは長くいられるから。
歩いていれば渚の遅い走りでも俺に追いつけるから。
歩いていれば渚がいつか俺に追いついて並んでくれるかも知れないから。
だからゆっくりと歩く。
優しい風に吹かれながら。
穏やかな日差しを浴びながら。
舞い散る桜に心を洗われながら。
ゆっくりと一歩一歩。
頂上を目指して歩いていく。
ゆっくりゆっくり歩いている筈なのに気がつけば頂上は目の前だった。
頂上にあったのは学校。
そこには智代や杏や春原といった知った奴らばかり、みんなこっちを見て笑っていた。
汐が手をさしのべる。
はやくいこうっパパっ! と言うかのように。
楽しそうに笑う皆を見て少し心が痛んだ。
どうして渚だけがいないんだろう……と。
悲しい気持ちを閉じ込めて汐の手を取り、皆の下へ行こうとしたその時……
夢が変わった。
きっと、この瞬間、俺を取り巻く世界全てが変わった。
世界が誤作動を起こしたに違いない。
だって、そうじゃないと説明がつかない。
見間違うはずもない。
この俺の胸のあたりに後ろから回された腕は……
「置いて行かれると悲しいです……朋也くん」
「だったら、もう…………放すなよ?」
恥ずかしい事に……渚に会えて嬉しすぎてまともに話すことも出来ない俺はぶっきらぼうにそれだけしか言えなかった。
そんな俺を渚はクスリと笑って走り出す。
もちろん手をつないだままで……
頂上についた瞬間……
世界が光に覆われた。
汐と愉快なお姉さん達 Operation World Errors その6 世にも優しくて残酷な前奏曲
今度こそ目を覚ますと……
「起きたか、朋也」
「起きたなら、ちょ〜〜っとお話したいことあるのよねぇ……朋也」
夢とはうって変わって地獄が繰り広げられようとしていた。
ちなみに車の中で逃げ場はない。
なんだか、物凄く目覚めのいい夢を見たような気がしたのだが、それを一撃粉砕してくれる恐怖の笑みが俺を待っていた。
さて、どうしたものかな……下手な受け答えは出来ないぞ?
何しろ、見たこともないような笑顔の宮沢が微妙に口元を引きつらせながら、例の本を開いている。
他の面々もなんと言うか、準備万端、いつでもどうぞ? って言う状態だ。
こういう場合の対処法は一つ。
「わかった……覚悟を決めよう」
「潔いいわね、何かたくらんでるんじゃあ……」
「そんなことはない……杏、これが嘘をついてる人間の目に見えるか?」
ぐぐっ……と杏に顔を近づけてみる。
案の定、杏の顔がゆでだこの様に真っ赤になって顔を離す。
「ま、まぁ今回は信用してあげるわ」
「ありがとな、杏」
周りの視線が冷たいっていうか、痛いのは気にしない。
そんなこと言ってられない状況だったし。
とりあえず先送りにして対策は後で考える。
「まぁ、長い話になるから家についてからゆっくりと話そう……それでいいか?」
「わかったの」
「……ところでことみ」
「何……?」
「とりあえず、こっち見てないで前見て運転しろ」
「朋也くん、見張ってないとすぐに変なことするから……」
「変な事の前に死んでしまうぞ」
ほら、とことみの頭を両手で挟んで前に向かせる。
逆らう事無く前を向いたことみは歌を歌いながら車を走らせる。
ところでさっきから疑問になっていることが多々あるのだが……
「なぁ、一つ聞きたいんだが……」
「なんだ、朋也」
「ごく自然な流れで気付かなかったんだが、なんで車に乗ってるんだ? 行きは確か電車だったはず……」
「……気にするな」
「いや、普通気になると思うが」
「気にするなったら、気にするな」
「まぁ、いいけどな。それと……これも流れで気付かなかったんだが……どうしておっさんと早苗さんがあそこに?」
「何でも二人とも急にどこかに出かけたくなったらしい」
「はぁ? パン屋はどうするんだよ」
「休みにしたそうだ」
「…………」
おかしい……
おっさんは普段こそいい加減だが、パン屋だけは何が何でも続けてきた筈だ。
急に出かけたくなったくらいでそう易々とパン屋を休むなんて……
「朋也……?」
「あ、いや、なんでもない」
汐は風子と楽しそうに遊んでいる。
この光景はいつまで続くのか。
遊園地で見た白い汐の幻影はなんなのか。
みずか、あゆ、神奈、三人の異世界の住人の出現。
思い出した四度の前世。
そして集めなければいけないらしい『光』
多すぎる疑問を抱えたまま車は家へと向かう。
あの三人の説明の件も含めて解決の糸口の見えない状況にため息をつくしかなかった。
途中、食材をスーパーで買って家に帰る。
食材の量からして、みんな食べていくらしい。
まぁ、賑やかなのはいいことだと思う。
ただ、途中、風子の様子がおかしいのが気にかかった。
汐にかかりっきりなのはいつものことなのだが、どうしてだか俺への反応が冷たい。
突っかかり方がいつもと違うのだ。
何かイラついているような感じのようだ。
そんなことを考えながら先頭を切って階段を登る。
「……………………ぅ」
「ん? 今、誰か何か言ったか?」
「いや、誰も何も言っていないと思うが……」
「パンの後遺症とかじゃないでしょうね」
「それは無い、そんな後遺症があったら、おっさんは今頃墓の中だ」
「そ、それはあんまりなんでは……」
あはは、と笑う芽衣ちゃんも少し否定できないような笑顔だ。
あれ? そういえば……
「芽衣ちゃん、馬鹿兄貴はどこ行ったんだ?」
「え? お兄ちゃんならすぐ後ろにいますけど?」
「何? 岡崎」
「いや、あんまり静かだったんで気付かなかった」
「どういう認識っすか!?」
「そういう認識だ」
「ふ、まぁいいよ。今日のところはおとなしくしておいてあげるよ。この後の岡崎の地獄を思えばまだマシさ」
「…………」
否定できなかった。
ドアの前に立った時、今度こそ異常に気付いた。
後ろを振り向くと、汐以外は皆うなずいた。
「……………………ぁ」
ドアの向こうから声がした。
つまり、このドアの向こうには誰かがいるわけなのだ。俺と汐の家に。
俺は注意深く扉に耳を当て、中の様子を探る。
「ど………………た……ぁ」
…………女性のすすり泣きのような声が聞こえた。
小さくて聞き取りにくいのでわからないが、それは紛れも無く嗚咽だった。
状況を整理する。
帰ってきたら誰かが家の中で嗚咽を漏らしてる。
しかも女性。
あれですか? またまた新たなピンチですか?
もう、どう転んでも後ろの面々が怒り狂うことは明白だ。
泥棒なら、さっさと逃げ出す。
知り合いに鍵を開けて中で待ってるような女性は全部後ろにいる。
ついでに言うと、俺はここ最近、ここにいる他の女性とは話すらしていない。
で、中にいるのは誰?
答えは不明。
開ければ解るが、開けたら取り返しのつかないことになるかも知れない。
ちなみに取り返しのつかないことになるのは、関係ではなくて俺の身体だということを追記する。
きっと、ドラマとかで後ろから刺されるような展開が何てマシな死に方なんだろう、と思うくらいの死に方だろう。
後ろを振り返る。
アイコンタクトで皆が『行け』と言っていた。
覚悟を決めるしかなさそうだった。
キィ……
扉を開けてそろそろと中に入る。
中は電気もつけずに真っ暗だった。
近づくにつれ、すすり泣きの声が大きくなっていく。
きっとこれは運命だったんだろう。
声の主はテレビの横の隅っこで膝を抱えて座っているようだった。
そろりそろりと近づく俺に気付く様子は無い。
今日という日を境にして気付いた世界のかたち。
侵入者は黒い服を着ていた。
暗さを生かして接近していた俺に相手が気付いた。
起こるべくして起こった必然…………優しくも残酷な世界の始まり。
さっき入った俺より暗さに目が慣れていただろう相手が俺の方を見て……
…………動きが止まった。
俺は一気に相手を組み伏せる。
かくて世界は狂いだした。
目の前の人物の顔が見えた。
ありえない人物の顔だった。
心が歓喜と激痛の悲鳴をあげる。
「……な……ぎさ?」
「朋也くん……?」
狂った世界で二人は再会を果たす…………それが運命を越えた運命の始まりだった……
その7に続く。
あとがき
ついに来ました汐姉6話。
別名、渚復活の巻。
渚が登場したんで次からはタイトルが汐姉から汐母にっ!(変わりません
これこそOWE編の肝、渚の復活と朋也の心と杏たちの心の動きをこれからお送りしますw
まぁ、作者が秋明さんなんで大したものになりませんが(ぉ
それでは、また次話で会いましょう。