しおりん改造計画
(Kanon) |
第7話『しおりん、祐一を誘惑できるか?』
(中編) |
written by シルビア
2003.11-12 (Edited 2004.3)
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-----ある週の土曜日、天野家
「美汐さん、おはようございます」
約束通り天野家を訪れた栞は、玄関先で元気に声をかけた。
庭先にいた美汐は、栞の姿をみると、明るい口調で返事をして栞を迎えいれた。
それから、美汐と栞は、抹茶をすすりながら話を始めた。
「栞さん、上品な仕草を身につける、でしたね?」
「はい」
「私がどの程度上品なのかはよくわかりませんが、言葉使いや素振りというのは
普段の自分がなにげに出てしまいます。
なので、一朝一夕に身に付くというものでもありません」
「……そうですよね」
「ですが、意識して取り組むことで、やがてそれが自然に出てくるようになります。
私が教えられるとしたら、心構えの部分ともいうべきところでしょうか。
それなら、親友として見てきた範囲で栞さんに助言できるかと思います」
「お願いします」
「率直に表現すると、栞さんは元気があって積極的なのが魅力でもあるのですが、
反面、相手の感情をもう少しじっくりと汲み取るといいかと思います。
そうすると、前向きな印象を相手に与えられるような気がします。
悪く言うなら、今の栞さんの言動は、うるさいと煙たがられ、おっちょこちょいな子という印象を相手に与える可能性もあります。
祐一さんと栞さんの接し方を見ていてもそう思う時がありますね」
「うぅ〜……その通りかもしれません」
「佐祐理さんにいろんな魅力の出し方を教わったのは正解でしたね。
以前より、栞さんの雰囲気が出ていて、とても魅力的に思えます。
なので、以前ほど強く感情をアピールせずとも、相手に十分に気持ちが伝わることでしょう。
ですから、これからは自分の主張なり感情なりを抑えて控えめにしても大丈夫です。
控えた分だけ、相手のことを考えてあげる余裕をもつといいでしょうね」
「私が少し控えめな女の子になる、ということですか?」
「はい。
少なくとも、控えるということがどういうことかを知って損はないと思います。
それで、今日、栞さんにわざわざ家に来ていただいたのは、いくつかの体験をしていただこうと考えていたからです」
「体験?」
「はい。茶道や日本舞踊、生け花などを実際にやって頂いて、心を落ち着けて自分を表現するということを肌で感じて頂きたいと思います」
「えぅ〜、茶道や日本舞踊、生け花?」
「はい♪ ですが、極めて頂くというのではありません。芸の心を感じていただくだけでいいですから」
それから、美汐は和室に栞を連れて行った。
「えーと、まずは、姿見から入って頂きましょう。
私の和服を貸してあげますので。早速、これに着替えてください」
そういうと美汐は手慣れた手つきで、和服に着替えた。
そして、もたもたする栞の着付けも手伝った。
「和服って動きづらいですね。それに、なんとなくスースーします」
「最近は下着を身につける方も居ますが、基本は下着でなく肌襦袢を身につけるものですから、多少はスースーすると思います。今日は基本どおりに着て頂きます」
「ちょっと恥ずかしいですね」
「ふふふ。和服って着るだけでも、少し控えめな気持ちになってしまうのですよね。
着替えも終わりましたし、最初は茶道にしましょう」
そう言うと、美汐は茶道の道具を和室の押入から取り出した。
おまけに、一つの道具を取り出した---それはハリセンだった。
「美汐さん、それってハリセンですよね?」
「はい。栞さんが気を抜いた時には、これで遠慮なしに叩かせていただきます。
作法は体で覚えるものでもありますので♪」
「えぅ〜。なにげに、美汐さん、かなり気合いが入っていませんか?」
「はい。時間がありませんので、最初から本気モードでやらせていただきます。
ですから、栞さんもよく見ながら真似てみてくださいね」
それから、美汐は手本をみせながら、栞に同じことをさせた。
バシン……足下が乱れていますよ。
バシン……目線がふらふらしています、もっと心を落ち着けて。
バシン……手抜きでお茶を淹れてはいけません、バレバレです。
バシン……もてなす心を感じません、やり直し。
バシン……飲んで貰っている時に、何、よそ見をしているのですか。
「えぅ〜……」
「まあ、今日のところはこの位できれば上出来ですね」
「美汐さん、厳しいですよ〜」
「恋はいつでも本気でなくてはなりません。
栞さんは、相沢先輩の前で、いつもふざけた気分で接しているのですか?」
「そんなことは……」
「相沢先輩を喜ばせてあげたい、そうですよね?」
「う、うん」
「結構です。それでは次は生け花をやりましょう」
バシン……バシン……バシン……バシン……バシン……
「うぅ〜、全身が痛い〜」
「しょっちゅう気を抜くからです」
「初めてなのに〜」
「心構えを正すためにやっているのです。気持ちの問題に初めても慣れもありません」
「次は踊り?」
「はい。ですが、私は踊りの方は教えられる程上手でないので、母に指導を頼みました」
「美汐さん、ひょっとして、鬼のように厳しい先生だったりしない?」
「はい。母はとても厳しいです。娘の私にも容赦しませんから。
今、呼んできますので、少し待っていてください」
美汐は母親を呼びに和室を出ていった。
美汐が戻るのを待っていた間、栞は深い溜息をこぼした。
とはいえ、自分からお願いしたこと、栞は更なる試練に耐えるため決意を新たにした。
美汐の母親はやはり厳しい先生だった。
バシン……バシン……バシン……バシン……バシン……
バシン……バシン……バシン……バシン……バシン……
のべ2時間に渡る稽古の中で、栞はどれだけハリセンで叩かれたか分からない程だった。
それでも、美汐の母が手加減をしてくれているのが、栞にとっては救いであった。
「それじゃあ、今日はこれまでにしましょう」
美汐の母のその声を聞いた栞は、心から神に感謝した。
「母様、どうですか?」
「スジがいい子ね。初めての割には十分な出来だと思うわ。
何より熱心なので、教え甲斐があるわ♪
栞ちゃんといったわね? いつでもいらっしゃい、手ほどきしてあげるから」
「えぅ〜、謹んで遠慮させていただきます」
「ふふ、美汐からきちんと手ほどきしてほしいとお願いされたからだけど、
少し厳し過ぎたかしら?」
「……・」
「そういえば、栞ちゃんは料理が上手だと聞いているわ。
厳しかったお詫びといっては難だけど、秘蔵の料理レシピを伝授してあげるわ。
いらっしゃい」
それから、栞は美汐の母に連れられて、台所にいった。
美汐の母に教わるまま、栞は料理を作った。
「たいしたものね。これだけできれば彼氏も幸せでしょうね。
美汐もこのぐらい出来てくれるといいのだけど」
「母様! 私も料理の腕には自信があります」
「そう言わず、栞ちゃんの料理も食べてご覧なさい。とても美味しいわよ」
「……そんなに褒めてもらったら、恥ずかしいです」
「そうですか、では食べてみますね……(モグモグ)この味は……負けました」
「でしょう? 美汐も、今度たっぷりと鍛えてあげるからね」
「……・(やぶへびでした)」
美汐は母には何をしても叶わなかったのだ。
茶道・生け花・日本舞踊・料理・家事、美汐も普通の娘に比べればかなりレベルは高いのだが、母の足下にもまだまだ及ばなかった。
「栞ちゃん、今日は上品な仕草を学びに来たのですって?
一番大切なことを教えてあげるわ。それはね、相手を思いやる心なのよ。
茶道・生け花・日本舞踊もね、料理と同じで、相手を思いやる心を形にしただけ。
栞ちゃん、よほど好きな人が周りにいるのね、なんとなく分かるわ」
「……恥ずかしいです」
「きっと身に付くわよ、栞ちゃんなら。頑張ってね」
「はい」
「それじゃ、私も腕を奮って、今晩は栞ちゃんのためにご馳走を作ってあげるわ。
夕食、食べていってくださいね」
「はい、お世話になります」
栞はその日、美汐母娘と一緒に夕食を食べながら歓談した。
「いい子ね」
「ええ。私の大好きな親友です」
美汐親子に見送られて、栞は天野家を後にした。
その姿を見送った美汐は、心の中でそっとつぶやいた。
(栞さん、あなたなら、きっと相沢先輩の心を癒してあげられますよ)
かつての妖狐との思い出とその結果生じた悲しみを経験した美汐は、
同じく消え去った妖狐の真琴のもたらした悲しみを乗り越えようとする、
そんな祐一の苦しみを誰よりも理解していた。
いつか祐一に恋人ができた時、祐一の過去の苦しみを癒してあげられる程の女性であってほしいと密かに願っていた。
……自分が祐一の恋人になれないなら、と。
栞につい厳しくしてしまったのを、美汐は少し後悔もしていた。
だが、美汐の心の底には祐一を支えて癒してあげる、そんな強い女性に栞がなって欲しいという美汐の思いがあった。
それが、恋人をとるか親友をとるかの選択で、親友をとった美汐なりの配慮であった。
祐一への想いを諦めた佐祐理と美汐の想いを、栞は知った。
だからこそ、自分の選んだことを全うするのが自分に助言してくれた二人への感謝の印だと、栞は感じていた。
そして、栞にとって、祐一との恋の最後の勝負の舞台は整った。
祐一の恋人になりたい、彼女としてみんなに認めてほしい、そのためだけに栞は長い間努力してきた。
栞は水瀬家に電話をかけ、祐一に尋ねた。
【祐一】
「祐一〜、電話だよ〜。栞ちゃん」
「今いく」
……
「はい、祐一です」
『祐一さん? 今度の日曜日、空いていますか……』
「ああ。特に予定はないが?」
『それなら、私と一日付き合ってください』
「……いいよ」
『嬉しいです。それでは、また明日、学校で会いましょう。
今日はもう遅いので、これで切ります。お休みなさい、祐一さん』
「ああ、お休み、栞」
受話器を置いた俺は、考え込んだ。
栞から俺をデートに誘うことの意味はよくわかる。
ここ数ヶ月、栞は俺好みの女の子になれた時だけデートに誘っていたからだ。
『わかったよ、言えばいいんだろ?
……頭がいいこと、そうだな、学年で50番目ぐらい。
……表情とか仕草とかは、大人っぽさと可愛らしさが両立するような感じ。
……スタイルは並かちょっといいぐらい。
……俺が料理下手で家事がダメな方だから、料理上手で家事上手な子がいいかな。
……普段はわがままをあまり言わないけど、時に俺を頼って甘えてくれる子。
こんな感じかな』
学業成績、料理、家事、これらの条件を栞はクリアした。
残る項目は、俺好みの大人の女性の魅力を纏うこと、そして、俺へのわがままを控えつつも時にはきちんと頼ってくれることだ。
その合否は俺の好みに関係するから、俺が自ら下すことになる。
「相沢君!」
水瀬家にたまたま遊びに来ていた香里が側に来た。
「香里……栞からデートの誘いを受けたよ」
「そう……いよいよ栞も最後の勝負に出たというところね」
「計画書通りだと、俺が最後の評価を下すことになる。そうだよな、香里?」
「……そうね。
栞があなた好みの女性になったと相沢君が評価することは、すなわち、あなたは栞と付き合うことを意味するわね。
好きなんでしょう、栞のことが?」
「……ああ」
「相沢君、よくここまで耐えてきたわね」
「そうだな。自分でも不思議なぐらいだ」
「……私、帰るわね。相沢君、結果が出たら、教えてね」
「分かった。もう遅いから送ろうか、香里?」
「大丈夫よ、一人で」
「そうか。気を付けて帰れよ」
香里は踵を返して、玄関に向かった。
ふと、後を振り向いて、見送ろうとした祐一を見て言った。
「……相沢君、ごめん、やっぱり家まで送ってくれないかしら?」
「うん? 別にかまわないけど。じゃ、行こうか」
それから、祐一と香里は夜道をゆっくりと歩いた。
二人はしばし沈黙したまま、美坂家の方向にただ歩いていた。
川沿いにある公園に二人がさしかかった時、香里は祐一に声をかけた。
「話があるの……ちょっと寄ってかない?」
晩秋の風は少し肌寒かった。
しかし、その寒さが原因でない、緊張した表情を香里は浮かべていた。
それに、香里の体は緊張のせいか、わずかに震えていた。
香里は公園のブランコに座り、夜空を一度見上げ、その視線をまっすぐに祐一に向けた。
そして、口を開いては、真剣な口調で話しはじめた。
「『しおりん改造計画』をなぜ私が作ったか、相沢君、分からなかったわね?
その理由を話してあげる」
(つづく)