しおりん改造計画
(Kanon) |
第6話『しおりん、祐一を誘惑できるか?』
(前編) |
written by シルビア
2003.11-12 (Edited 2004.3)
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空がオレンジ色に染まり始めた夕暮れ、
喫茶店の窓際の席でハーブ・ティーを口にしながら本を読む少女がいた。
そして、その少女にゆっくりとした足取りで近づく少女がいた。
「こんばんは、佐祐理さん」
「こんばんは、美汐さん。
早かったですね? 約束の時間まではまだ随分ありますけど」
「授業が早く終わったものですから。
佐祐理さんこそ、大分前から来てらっしゃっているようですが?」
「今日の午後は休講だったので」
「そうだったのですか」
美汐は佐祐理の対面に座り、ウェイトレスを呼んでコーヒーを注文した。
「それにしても、美汐さんが栞さんに協力するとは意外でした。
どうしたのですか、美汐さんも祐一さんの事が好きなのですよね?」
「それを言うなら、佐祐理さんが栞さんに協力するのも意外です」
「あはは〜、佐祐理はあの娘の情熱に脱帽しましたから。
しかも、佐祐理は祐一さんに頼まれましたから、仕方ないです。
それに、祐一さんも栞さんの事を好きなようですから、佐祐理の入る隙間なんて
ないですよ」
「そうですか。
栞さんは今では学年10位に入るほど成績優秀ですし、名雪さんも脱帽するほどの
料理の腕前と家事の手腕をもっていますし。
それに、元々可愛らしいのに、最近は少し大人びてきました。
影での本人の努力を目にすると、私が相沢先輩を想う気持ちでは叶いないな、そう思うのです」
「ふふ、佐祐理と美汐さんは、似たもの同士なのですね」
「かもしれません」
「栞さん自らお願いした事ですので、佐祐理も徹底的にやらせていただくつもりです。
どうせなら、最高の女性に祐一さんを獲られたと思いたいですから」
「佐祐理さんもそう思っていたのですか。私もそうです。
そんじゃそこらの女性に相沢先輩を獲られては、私も諦め切れません。
栞さんの親友としても、彼女の恋が成就されるように願いたいです」
「あら? 栞さんが来ましたね」
喫茶店の扉を開けようとしていた栞の姿を佐祐理が捉えた。
佐祐理の視線の先を見た美汐が佐祐理に応えた。
「えぅ〜、ごめんなさい、遅くなりました」
「栞さん、頼み事をしておいて、遅刻ですか?」
「……ごめんなさい」
「いいですよ。今日は栞さんが主役ですから。さて、たっぷりご馳走になりましょう」
「……う、うん」
栞は財布を取り出して、中身を少し気にしながら応えた。
「冗談ですよ。そんな顔しないでください。
でも、頼まれた事は厳しく遂行しますからね。
上品な仕草を身につけるのも大変ですよ、栞さん」
「あはは〜、佐祐理も厳しくいきますよ〜?
女性として男性に魅せるのはそう簡単にはいきませんからね」
「……は、はい。よろしくお願いします」
栞は美汐に大人っぽい上品な振る舞いを教えてもらいたいとお願いした。
また、佐祐理に、女性として男性に振り向いてもらえるような魅力の出し方を教わりたいとお願いした。
それは、祐一に好かれるために、次に栞がクリアすべき課題のためだった。
『……表情とか仕草とかは、大人っぽさと可愛らしさが両立するような感じ。
……スタイルは並かちょっといいぐらい』
栞は、自分なりに精一杯考えたあげく、知り合いの中でそんな大人の雰囲気をもつ女性を選び、頭を下げてノウハウを教えてもらうことにしたのだ。
まかりなりにも自分の恋敵に頭を下げるので栞は躊躇したのだが、背に腹を代えられない、そう乙女心に思ったのだ。
「最初は佐祐理から始めますね。
栞さん、早速ですが、明日の土曜日、倉田家にきてください」
「では、その次の週は私の番にしますね。同じく、天野家にきてください」
「はい」
-----翌日、土曜日、倉田邸
「こんばんは。美坂栞です」
「いらっしゃい、栞さん」
佐祐理はインターホン越しに栞に応えてから後、玄関先に栞を出迎えた。
「よ、よろしくお願いします!」
「そんなに緊張しなくても……可愛らしさが台無しですよ?」
「えへっ♪」
「綺麗に魅せるといっても、背伸びするのがいいというものではありません。
基本はあくまで『自分の良さを相手に正しく魅せる』ことです。
なので、本来の魅力を損ねては意味がありません。
また、綺麗に魅せることで、本来の魅力そのものも相乗的にアップするのです」
「へぇ〜、そうなんですか」
「まずは自分の本来の魅力をきちんと認識していただきましょう。
その上で、人にどう見えるのか、そのギャップを掴むことにします」
佐祐理は、自分のウォークイン・クロゼットに隣接する支度部屋に栞を連れて行った。
そこには、2M程ある姿見の立て鏡と3面鏡があった。
「えーと、角度はこのぐらいでいいですね。
……栞さん、まずは3面鏡の前に普通に立ってみてください」
「はい。立ちました。……わー、なんかすごい角度から自分が見えますね」
「気が付きました?
自分ではとてもわかりにくいのですが、まず、他人からはいつも360度・上下左右の様々な角度から自分は見られているのだということを知って下さい。
普通、真正面の自分の様子だけ意識して磨きをかけるのですが、それでは表現力不足になって当然です。美の観点からすれば勿体ない話なのですが、よくありがちな話ですね。
とても基本的ですが、案外、知らない女性も多いのですよ〜。
さて、自分を眺めてどう思いますか?」
「思ったよりも姿勢が悪いのですね、前かがみになっています。
後姿もなんとなく背中が張っているように見えます。
髪型も横から見るとなんとなくべったりしてしまって……えぅ〜」
「栞さんは胸に自信がないせいか、姿勢が前かがみ気味ですよね。
髪型も前から見えない部分がかなりなおざりに思えます」
「えぅ〜、そんなこという佐祐理さん、嫌いです!
……でも、率直に受け止めないといけないのですね?」
「そうですよ。美点をのばして欠点を改善する、それが美の基本ですから。
へんに意地を張ってもだめです、まずは素直に受け止めましょう。
それに、それほどがっかりする程でもないですよ。十分改善できますし」
「えへっ♪ 私、綺麗になれるかな〜?」
「調子に乗ってはいけませんよ、栞さん。これから努力するのですから。
さて、まずは立ち姿の姿勢から直していきましょうか」
佐祐理は少し厚めのA4程の百科事典を持ってきて、栞の頭に乗せた。
「さあ、左右のバランスにも気を付けて、この本を落とさないように歩いてください。
出来るまで容赦しませんからね」
「え〜〜〜!……はい、分かりました」
……
ほら、背筋をもっときちんと伸ばす!
もっと腰に重点をおいて、腰から歩く感じで!
ほら、足をきちんと伸ばす!
頭や体の左右のバランスが悪いとすぐに本がおちますよ!
それから、のべ1時間ちかく、栞はモデルのように歩く練習をした。
「大分よくなりましたね。
でも、もう少し腹筋や背筋を鍛えないと、横姿が完全とはいえませんね。
今晩から毎晩、腹筋と背筋のトレーニングを怠らないように」
「えぅ〜……分かりました」
「何ですか、その顔は? 美は日々の精進の賜と、しっかり心得えて下さい。
それとも、栞さんを連れて歩く祐一さんに恥をかかせたいのですか?」
「……私、頑張ります」
「よろしい!
次は座り姿をやりますね。それじゃ、あの椅子に座ってみてください」
「はい」
佐祐理は背の高めの椅子を差し出して、栞に何度か座らせてみた。
「栞さん、席から立ち上がるとか座る時はいいのですが、座り方は良くないです」
「……はぁ〜」
佐祐理は小さなハンドバックを持ってきて、栞と椅子の背に間に置いた。
「これで座って背中が椅子の背に触れるように座ってみてください」
「はい」
佐祐理は栞の前と横に姿見の鏡を置いたりして、栞の座る姿を映して見せた。
「こんな感じです、分かりましたか?」
「なるほど」
「テーブルがあると足下がおろそかになったりしますから、気を付けてくださいね。
それに、テーブル越しに対面に座る時は、上半身がクローズアップされますから、座る姿勢に気を使うと、その分だけ胸元が綺麗に見えますよ。ほら、見て下さい」
佐祐理はテーブル越しに栞の対面の椅子に腰かけてみせた。
佐祐理の仕草はとても上品であったが、栞の視線はその様子よりも座る佐祐理さんの胸元に向いていたのはいうまでもない。
なるほど佐祐理さんの胸元が普段よりも豊かに見える、栞はそう感じた。
「わかりました♪」
「これからも意識して努力してくださいね。
他の座り方も、背筋と腰元を少し意識して、同じように振る舞えば大丈夫です。
最後は寝姿ですね」
「ね・ね・寝姿〜〜?」
「そうです、寝姿です。
実は1つだけ立ち姿や座り姿と大きく異なる点があるのです。
それを知って頂きたいのです。では、これも実際にやってみましょうか」
佐祐理は寝室に栞を連れて行き、栞をベッドに先に寝かせた。
「いいですか、相手と側に横たわる時は、立っている時とは視点の高さが異なるのです。
ですが、栞さんの身長は157cm、祐一さんは178cm位ですから、栞さんとの身長差は20cm程となります。
そのため、祐一さんからみた視点だと、栞さんは立っている時と寝そべっている時とでは全く違う角度から見られるわけです。
20cmも差があるとかなりの角度差となり、目線が全く異なります」
「はい」
「実際に試してみましょうか」
佐祐理は20cm程の高さの台に乗って、栞を見下ろした。
佐祐理の身長が159cmなので、これでだいたい祐一の身長と同じになった。
「わー、全然違って見えますね」
「わかりました?
座っている時だと、座高差で、この位ですね」
今度は、佐祐理は10cm程の高さの台に乗って、栞を見下ろした。
「そして、寝ている時は枕元が同じ位置になりますから、このぐらいでしょう」
佐祐理は台から降りて、栞を一直線に見つめた
「魅せる上では、自分がどのように見えるのかを知ることが大切です。
立ったり座ったり寝たりすると、相手から見える雰囲気は全く別物となります。
それを前提に目線の角度や顔の角度を合わせると、表情にも深みが出ます。
理解しましたか?」
「はい」
「では、いろいろな姿勢を試して体感していただきましょう」
佐祐理と栞の二人は、手を繋いだり組んでみたり、側で抱き合ってみたり、寄り添って寝てみたり、膝枕してみたりといろんな姿勢で表情を確認し合った。
ちなみに、別に二人にやましい感情があるわけではない。
これでも二人は真剣に取り組んでいるので、変に萌えてしまうのは失礼に当たるだろう。
女の子の密かな努力というのは、得てしてこういうものなのだ。
ただ自分の好きな人のために自分の魅力を磨く、そんな乙女心はどの子にもあるものだ。
栞は病気気味で日常でこういう経験が少なかっただけに、ある意味で新鮮に見えたかもしれないが。
「さて、最後は化粧や髪型でひと工夫しましょう。
栞さんは、これから佐祐理の実験台になっていただきますね♪」
「じ、実験台……」
「他人に化粧したりするのって楽しいです〜♪ 佐祐理、わくわくします」
佐祐理は栞を化粧台の前に座らせ、それこそあれやこれやと楽しんだ。
雪のように白いその肌のつや、化粧など未経験に等しい栞の肌、それはとてもすべすべで佐祐理は感触をもてあそびながらも、フルコースのメイクをしてみた。
栞のショートヘアをアレンジして、サイドラインに綺麗なウェーブを組み合わせて後に流してみた。耳元とうなじが綺麗に見えるとそこにイヤリングを付けてみたりした。
「出来ました♪ これでばっちりですね」
「わわわ……これ、本当に私なのですか?」
「はい。佐祐理メイクによる栞さんのちょっとだけ大人バージョンです。
うーん、良い感じです。これなら祐一さんもイチコロかもしれません」
「佐祐理さん……」
「栞さん、佐祐理も祐一さんの事、好きなのです。
……それを諦めるのですから、栞さんがその分だけしっかりと祐一さんの心を奪ってくれないと、……佐祐理、悲しいです。頑張ってくださいね、応援しますから」
「はい。今日はありがとうございました」
栞を見送った佐祐理は、栞の後姿を眺めながら、ちょっとだけ寂しさを感じていた。
友達以上恋人未満、佐祐理と祐一の関係はそんな状態だった。
佐祐理は、あえてその関係のまま、これから先祐一と過ごすことに心に決めたのだ。
ならば、せめて祐一には素敵な恋人と幸せになって欲しい、ささやかな佐祐理の願いだった。
(栞さん、あなたがちょっぴり羨ましいです。
いつか佐祐理も素敵な人と恋に落ちて……あはは〜。
でも、一弥、そろそろお姉ちゃんも恋する乙女になってもいいよね)