しおりん改造計画
(Kanon) |
第4話『しおりん、料理の鉄人になる?』
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written by シルビア
2003.11-12 (Edited 2004.3)
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「お姉ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「栞? 何かしら」
「私、料理の腕を上げたいから、誰かに教わりたいんです」
「うーん、私はそれほど料理が得意じゃないからね。母さんは上手だけど忙しいから無理だと思うし……そうだ、秋子さんにお願いしてみたら?」
「秋子さんに?」
「あ、そうか。栞はあまり水瀬家で食事したことないんだよね。
料理と家事一般の腕前では、名雪のお母さんの秋子さんの右に出る人はいない位の達人なのよ。相沢君も秋子さんの料理・家事手腕の前には脱帽しているぐらいなのよ」
「祐一さんが? 本当ですか。それなら、ぜひ、秋子さんに教わりたいです!」
「じゃ、栞から直接お願いしなさい。
栞のことだから、どうせ、祐一さんのための料理や家事なんでしょ?
きっと、秋子さんなら1秒で『了承』してくれるわ。
私からも口添えしてあげるから」
「うん♪」
「でも、栞……秋子さんのジャムにだけは気をつけておくのよ」
「ジャム?」
「そのうち、身をもって分かるわ」
「はぁ〜?」
栞は水瀬家にお願いの電話をかけた。
『はい、水瀬です』
「美坂栞です。秋子さんでしょうか?」
『あら、栞ちゃん。私に何か用があるのかしら?』
「唐突なお願いですいませんが、私に料理を教えてもらえないでしょうか?」
『了承。今度の土曜日でいいかしら?』
「はい。無理言ってすいません」
『気にしないでください。祐一さんのために料理の腕をあげたいのでしょう?』
「……何で分かるんですか?」
『秘密です♪』
----ある土曜日の夕方。
「祐一さん、少し手伝ってほしいことがあるんですが」
「あ、秋子さん。何ですか? 俺にできることでしたら、なんでも」
「栞さんの作った料理の試食をしてほしいんです。一応、祐一さんのために作ったのですから、祐一さんも食べてあげた方が栞ちゃんも喜ぶでしょう。それに……」
「はあ、いいですけど。それにってなんです?」
「とりあえず、食べてからのお話ということでよろしいですか?」
「はい。じゃ、すぐに下に降りますね」
「祐一さん♪ すきなだけ召し上がってください」
「……って、栞。ところで、何だい、この皿の数は?」
「祐一さん、栞ちゃんの腕を試すためにいくつかの料理を作ってもらったんです。
私も見本のため作ったので、数がたくさんありますが、少しずつ食べてみてください」
「ああ、それで、同じメニューで2皿ずつあるんですね。
まあ、形を見れば、どっちが栞でどっちが秋子さんの作ったものかは察しが付きますけど」
「祐一さん、酷いです! これでも一生懸命つくったんですよ」
「……まあ、とにかく試食しようか」
祐一は、それぞれの皿から試食を始めた。
「まずは卵焼きと。秋子さんのは文句なし美味い。栞のは……これ、やたら甘くないか、それにかなり焦げてるし」
「次はみそ汁と。秋子さんのは言うまでもない。栞のは……これ、やたら薄くないか、味噌が少ない気がするが」
「次は焼きモノと。焼き魚とタコ・ウィンナーか、いい出来だな」
「次は揚げ物と。唐揚げも天ぷらもいい出来だ」
「次は炒めモノと。うーん、栞の炒めものは見栄えも味も少し落ちるな」
「最後は煮物と。秋子さんのはばっちりですね。栞のは……うん?味付けが変だぞ?」
「秋子さんのはどれもばっちりだけど、栞のは出来不出来の差がはげしいな」
「ううぅ〜、祐一さん、ごめんなさい」
「祐一さん、気が付きました? 栞ちゃんの料理は出来・不出来の差が激しいんです。
その理由は味付けにあるんで、味付けがあまり関わらない焼き物や揚げ物の場合はできがいいんですが、塩や砂糖の加減が微妙な料理ほど味が偏るのです」
「でも、昼休みの弁当を食べた時はあまりそんな風には感じませんでしたけど」
「それは弁当のメニュー入れるようなものではそれほど差が出ないからでしょう。
でも、朝食とか夕食によく出るメニューの場合は、少し勝手が違います」
「なるほど」
「でも、栞ちゃんは料理の手際とかは案外いい方だと思いますよ。
それに、手順通り作れば、アル程度のレベルで作るだけの腕もあります」
「ありがとうございます♪ 秋子さん」
「ただ、栞ちゃんの料理は欠点が2つあります。
一つは炒めもののように、腕力や握力がないだめ、素早く強火で調理することができないということ。
もう一つ、味覚に偏りがあるので、塩加減や甘さ加減に狂いがあるということです。とりわけ、甘さについては普通の3倍ぐらい甘めにしてしまう結果になってますね」
「えぅー、握力と言われても……私、非力なんです」
「それなら、力がないなりの工夫をすればいいんですよ。
たとえば、……このフライパン、振ってみてください」
秋子は棚からフライパンやらの調理道具1式を取り出して栞の前に広げた。
道具には "AKIKOさんちの調理器具"というブランドのシールが貼られていた。
秋子はその中からフライパンを試しと栞に手渡した。
「あ……凄く軽い」
「これなら十分に振り回せますね?
これは特殊な金属で出来ていて、主さが普通のモノの1/4しかないんです。このように道具を工夫すれば、非力であることをカバーできます。
栞ちゃん、モニター用の道具1式をあげますので使ってみてください。
そのかわり、あとで使い心地とかの感想をレポートしてください」
「ありがとうございます、秋子さん。早速、使い込んでみます」
「良かったな〜、栞。それ、結構高そうだぞ?」
買えば楽に数万円はしそうなこの20点もの道具、栞はにこにこと受け取った。
「さて、もう一つの問題の方ですが」
「味覚ですか……どうにかなるんですか?」
「確か栞ちゃんのお母さんは料理上手でしたよね。
だから、インスタントや化学調味料ばりばりの料理はあまり作らないと思うんです。
おそらく、栞ちゃんの味覚を狂わせたのは、病院の薬の影響ではないでしょうか。
それなら、工夫次第で直すことも可能です。
多分、薬の苦さを紛らわすために、アイス等の甘いモノを取りすぎたんでしょう」
「はい」
「実際には甘さに敏感というわけでなく、逆に鈍感になっていると思います。
それで、他の味覚とのバランスが崩れて、甘さを余計につけたり、他の味覚を抑えたりする傾向があるのだと思います。ですから、甘さの味覚を直す必要があります」
「栞がアイスクリームをやたら食べるのは、甘さに鈍感だからなのか?」
「そうですね、普通の甘さだと、栞ちゃんの欲求を満たせないんでしょう。
同じ刺激ばかり舌に与えると、その部分はかえって鈍化してしまうんです。
それに、体が弱いとつい甘いモノに傾斜してしまうこともありますから」
「秋子さん、私の味覚は直るんですか?」
「そのため、さっき、栞ちゃん用に特製のジャムを調合してみました。
このジャムはいろんな味覚があって、服用していると正しい味覚を保てるようになるはずです。ただ、栞ちゃん用に甘さを段階わけしたものを用意しました。
これを1月程度、朝、スプーン1杯程度食べ続ければ味覚は直るでしょう。
滋養強壮の効果も含めましたので、栞ちゃんの体に合うはずです」
「え〜、秋子さんの特製ジャムを毎日だって〜?」
「どうしたんです、祐一さん?」
「だって……秋子さんの特製ジャムだぞ?」
「祐一さん、そういわずに、まずは祐一さんが試しに召し上がってくださいね♪
栞ちゃんもスプーン1さじでいいですから、食べてみてください」
秋子はジャムをどんと祐一の前に差し置いた。
祐一は背筋に寒さを感じながら、恐る恐る1口食べた。
栞は、何もしらないのが幸いと、1口食べた。
「え〜〜〜〜、俺も食べるんですか?」
「祐一さん、食べてもみないものを敬遠するなんて酷いですよね?」
「は、は〜……(何で俺がこんな目にあうんだ?)」
「秋子さん、少し甘みが足らないようにかんじますけど、これ美味しいですね♪」
「栞……これが……美味しいのか? 俺にはやたら甘く感じるぞ?
(栞、何、わくわくして食べてるんだ? 第一、お前は平気なのか?)」
祐一は失神しそうな声で、栞に言った。
「え、祐一さん、これ美味しいですよ?」
絶対に味覚異常だ〜、と祐一が思ったのは当然のことだったかもしれない。
「祐一さんの味覚は私がいつも整えてますから、普通なんです。
栞ちゃんにはまだモノ足らないかもしれませんが、次第に舌が慣れてきます。
栞ちゃん、最初は甘めのものから初めて、次第に普通のものへと変えていってください」
「はい♪ 秋子さん」
(いつも整えてるって……ひょっとして、いつもの食事にか……)
明るい栞とは反対に、祐一は思わず身震いがした。
「栞ちゃん、いいんですよ。
そのかわり、味覚が直ったら、私のとっておきのジャムも食べてくださいね♪」
「はい♪ 楽しみにしてます、秋子さん」
「……栞……それ食べるの、お前だけにしろよ」
だが、どうしてお前はあのジャムが平気なんだ〜〜〜〜、という祐一の心の声は栞に届くことは無かった。
「どうして祐一さんは私の特製ジャムは食べてくれないんでしょうね。
名雪もですし……」
さすがは秋子さん、されど秋子さん……祐一は心の中でつぶやいた。
その日の夜、美坂家にて。
「お姉ちゃん、これ見て♪ 秋子さんにたくさん貰ったんです♪」
栞は机の上に、秋子さん特製ジャムを並べて得意げに言った。
「……あの〜……栞。私、何か悪いことしたかしら……。
そのジャムを食べさせられるぐらいなら、私はいっそ……」
「え〜〜〜〜、お姉ちゃん、これ美味しいですよ?」
「……それを美味しいだなんて……私、めまいがしてきたわ」
それからしばらく、香里は栞への態度を温厚にしたそうな。
それは香里がかつて水瀬家で味わったあの恐怖の体験が、香里の心をびくつかせたからであった。
---1ヶ月後
「祐一さん♪」
「ああ、栞か。どうした?」
「放課後、私、水瀬家にお邪魔することになってるんです。
もう一度、私が料理を作って秋子さんと祐一さんとで試食してもらうことに」
「あ、そうか。もうそういう時期だったな」
「私の味覚も大分よくなったって、秋子さん、言ってました。
腕によりをかけて夕食つくりますから……期待しててくださいね」
「味覚といえば、栞が食べるアイスの量が 1/4になったことだけでも奇跡だよ。
あの甘党がよくもまあ変わったものだ」
「酷いです、祐一さん。そんなこと言う祐一さん、嫌いです!
私がアイスを好きなのは今も変わってません。ただ、量より質になっただけです」
「じゃ、もう、ジャンボミックスパフェDXを頼む必要はないな。
これで、おれの財布も救われる。よくやったぞ、栞!」
「変なことで、喜ばないでください。
む〜、そんなに私に奢るのはいやなんですか? 嫌いですよ、祐一さん。
これからはカップアイスは100円ものでなくて、300円ぐらいするものにします」
「つまり、量はへっても、単価が高くなったといいたい?」
「はい♪」
「俺の財布も救われない……ああ、それが宿命か……」
「酷いです、祐一さん。
お弁当の材料費、いくらかは私の小遣いで負担してるんですからね。
私の愛情弁当をたべるなら、その分、アイスを奢ってくれないとダメです」
「あ〜、栞の弁当もとうとう有料になったのか……」
「もう、良いです!
ところで、祐一さん、約束は忘れてませんよね?
今日の夕食で秋子さんのお墨をもらえたら、私は祐一さんとデート出来るんですよね?」
「ああ、覚えてるぞ。今回は遊園地に行こう。
秋子さんからタダでチケット2枚貰ったし、せっかくの機会、一緒に行かないか?」
「嬉しいです♪
でも、格安券とかただ券とか……祐一さんって、懐が寂しいんですね。
それでは、これからは毎日、私がお弁当を作ってあげますから」
栞にしてみれば、祐一に弁当を食べて貰えるだけで、十分苦労した甲斐があったというものだ。名雪弁当に縛られる祐一をその弁当から解放して、自陣営に引き込むことが栞の狙いの一つだった。
「俺の懐が寂しいって?……こら〜、誰のせいだ? 誰の!」
祐一は両手のげんこつで、栞の頭を夾んでぐりぐりした。
「キャ〜、祐一さん、ごめんなさい! 痛い〜、許して〜」
その日の夕方、栞は秋子さんから合格のお墨をもらった。
多少努力も必要だが、基本はきっちりできているからだそうだ。
だが、この結果を一番喜んだのは……実は美坂家の両親と香里であった。
栞がけなげに料理修行をする間、美坂家の食卓は栞に支配され続けていたからである。
加えて、香里は、栞がいつジャムを料理に使うか、ドキドキの毎日を送っていたのだから尚更であった。
そして、悲しいかな、名雪は朝寝坊に戻ってしまった。
それは祐一の弁当を作っても、祐一が食べてくれなくなってしまったことに起因しているとは、いつも名雪を起こす祐一にはわかってなかった。
そして、それは祐一が名雪に鈍感といわれる理由の一つになった。
【祐一】
「香里、これで栞とデートしてもいいんだろ?」
「そうね。家の両親もとても感激してたわ。
それで、両親が今回もデートの資金を特別に援助してくれたの。
相沢君も受験生だし、お金の方も結構きついんでしょ?」
「おお、なんと〜、諭吉様〜! ああ、有り難や〜」
栞〜、お前はなんて偉いんだ!
これで憂いはないぞ、あとは栞と楽しむだけだ。
「でも、今回は栞のデートの前に、私に奢ること!いいわね?」
「でも、何で俺が香里に奢るんだ?」
「当然よ。だって、栞の料理の味見役を1月もさせられた私の身にもなってよ」
「それは計画通り進めた結果だろ、香里の自業自得というもんだ」
「はぁ〜、その苦労がどれほどのものだったか、相沢君に理解してくれというのが無理な話だったわね。あの甘さときたら、それはもう地獄にいる気分だったわ。
だから、カレーでも奢って貰おうかと思ったんだけど。
それだけじゃないわ。あのジャム、誰が栞に持たせたのよ。私、怖いんだからね」
「ジャム……香里、苦労かけたな。奢らせてくれ」
(つづく)