カランと私の手の中のグラスの中の氷が音をたてる。

 グラスの中には茶色い液体がわずかばかり入っており、溶けていく氷が色を薄めていく。

 洒落たバーのカウンターには私と……誰だったか忘れた。

 とにかく私を口説こうとした男だ。

 男はカウンターに顔を埋めており、表情はわからないが別に知りたくないのでどうでも良かった。

 男の手には私と同じ大きさのグラスがあり、中にはまだ茶色い液体が残っている。

 勝者は私、敗者は隣に座っている男。

 飲み比べで私に勝とうなんて十年早い。


 「じゃあな、今度は相手を見て勝負することだ」


 それだけ言って私は席を立つ。

 勘定は男の方に任せて外に出る。

 店の外の店内よりかはマシな空気を吸い込み、ほろ酔い気味の頭を覚醒させる。

 酒の酔いも少しマシになり、冷静な自分が戻ってくる。

 冷静な自分はビルのひしめき合う深夜の道で空を見上げつつ思った。


 私……坂上智代はこんな場所で何をしているのだろう? と……












汐と愉快なお姉さん達     その3













 自分の住んでいるアパートへの帰り道、少し肌寒く感じる風に吹かれながら私は思った。

 ……ここは私の居場所じゃないのに。

 ここは確かに、私が選んだ場所だ。

 私が選んだ仕事場だ。

 仕事だってうまくいっている。

 人間関係も悪くは無い……むしろ良好だ。

 仕事の上司にだって認められ、いわゆる出世コースと言うのにのっている。

 だけど……ここは私の居場所じゃない。

 確かに自分で選んだ場所だった。

 でも、それは本当に選びたい選択肢の無かった選択の末の道だった。

 今の自分は本当の自分なのだろうか?

 別に自分を殺してるわけではない。

 ただ……居心地が良くない。

 周りはみんな私とは違う。

 雰囲気が違う。

 まるで、サッカーボールでバスケットをしているかのようだ。

 別にある程度は問題無く試合は出来るかも知れないが、根本的に居場所が違う。

 それは……自分の流儀に反している様に思える。

 そういえば、サッカーやらバスケで思い出した。

 確か、春原はサッカー部を追い出されたとか言っていたな……

 昔のことを思い出すと自然と頬が緩む。

 他にも古河の代わりに朋也と春原と共にバスケットをしたこともあった。




 ……少し胸が痛んだ。



 古河渚。

 私の今までの人生の中で私に初めて土をつけた女性。

 気が付いたら負けていた。

 私が朋也との時間を心地良いものだ……と思いつつもそれが恋愛感情だと自覚できないでいた未熟な自分。

 朋也との時間に感じていたものが「好き」と言う感情だって事に気がついたのは、朝、朋也が古河と並んで登校してきた時だった。

 二人が付き合っているのなら、私は遠慮しないといけないな……と思ったら、遠慮しないといけない立場だと解かった瞬間に、自覚した。

 私は朋也の事が好きだったのだ……と。

 遠慮する立場になんてなりたくなかった。

 もし出来ることなら、今からでも朋也に出会った頃の私に向かって言ってやりたかった。


 『お前が朋也に感じている感情は恋愛感情だ!』って。


 そうすれば負けなかっただろう。

 たとえ敵が誰であっても朋也を手に入れれていたはずだ。

 ……Ifの話なんて……私はまだ酔っているみたいだ。

 でなければ、こんな女々しい事は思わなかったはずだ。

 いや、女々しくないからといって、女らしくないわけじゃないぞ。

 それに……負けたのなら次は勝つだけの力を付ければいい……のだが、困ったことにもう相手がいない。

 五、六年前に古河は子供を生んで亡くなった。

 恋敵ではあったが親友でもあった古河が亡くなったと聞いて私は大学の講義をすっぽかして一度、故郷へ戻った。

 棺桶の中にいた古河は……出会った頃のように、笑顔だった。

 あんまりにも、あの頃のいつも通りさだったので、ほっといたら困った顔をしながら棺桶から出てくるんじゃないのか? と思ったほどだ。

 でも、隣に寄り添っていた朋也の顔を見て、「ああ、これは現実なのだな」と思った。

 あの時の朋也の顔は……思い出したくない。

 少しでも励ませたら……と思ったが何も言えなかった。

 今、声をかけたら絶対に……朋也も……私も……二人とも傷付く……そう思った。


 その時の朋也は余裕が無い……まるで鞘の無い抜き身の刀の様だった。

 触れれば誰であろうとも切り裂く……

 切られた者は血を流し、

 切った刀は刃こぼれを起こす。

 刀は鞘を失ってその身を休める場所も無く、血を拭う紙すらない。

 血は刃にこびり付き錆びさせる。


 私は朋也になら切られてもいいとは思ったが、朋也を錆びさせるつもりは無かった。

 出来ることなら鞘になってやりたかったが、それも出来ずに故郷を跡にした。

 それからは会っていない。

 春原とも会っていない。

 そして私はビルに囲まれた場所で生きている。

 朋也も春原も両親も弟も思い出も無い場所で生きている。


 ……っと、色々と思い出してるうちにアパートに着いた。

 誰もいない部屋にその身を滑り込ませて扉の鍵を閉めた。

 そして、そのままずるずると扉を背もたれにするように床に座り込む。

 今日はもう何をする気力も無い。

 それは酔いだけのせいではなく、昔の事を思い出したからだ。

 あのころは楽しかったな……

 素直にそう思う。

 それと同時に今を思うと溜息が出る。

 きっと誰が悪いわけでもない。

 では何が悪かったのかと聞かれれば口をつむがざるを得ないが。

 ロマンチストな奴なら運命だとか言うのだろうが……そんなものに翻弄される人生なんて嫌だ。

 昔を思えば思うほど今が悲しくなる。

 それが気力をなくしている原因。

 今日はドアを背にこのまま眠ってしまおう。

 しかし、まだアルコールの興奮作用が効いてるせいか、昔を思い出したせいか、眠れない。


 ……そういえば今も朋也は俯いたままなのだろうか?

 それとも、もうとっくの昔に立ち直ったのだろうか?


 ぼんやりとそんな事を思う。

 ……声、聞きたいな。

 玄関先の靴箱の上に置いている電話に目をやると、家族からの留守電が入っていた。

 丁度いい、これを子守唄代わりにしよう。

 少し手をのばして留守電の再生ボタンを押した。

 機械的な声で留守電の件数を言った電話機が家族の声を紡ぎ出した。


 『ちぇー、姉ちゃんってばこんな肝心な時に留守電かぁ……運がないなぁ。母さんもそう思うよね?』

 『あらあら、そうねぇ……智代は昔から何でも出来る娘だったけど、少し間が悪いところもあったりしたわねぇ……』


 「……ふん、大きなお世話だ」


 思わず返事をしてしまう。

 なんだか図星をさされたみたいでいい感じはしない。

 不愉快な子守唄だ。


 『せっかく、お母さん、智代ちゃんの為に頑張って交渉し続けたのに……悲しいわぁ……』

 『とか言いつつ、ずいぶん前から解かってる事を、直前まで隠してる母さんにそこはかとなく悪意を感じるね』

 『あらー、日々老いていくお母さんのささやかな楽しみなんだから……少しくらい刺激があっても良いんじゃない?』

 『よく言うよ。……でも確かに母さんの楽しみって限られているし、でも今回の楽しみはちょっと年寄りくさいよ?』


 ……自然と瞼が下がってくる。

 やはり家族の声と言うのは安心感を与えるものなのだな……


 『良いじゃないのよ、孫の顔を見るって言うのは健全な親の楽しみよ?』


 「……見合いの話か、私ももうそろそろ、そういう年なのだな」


 『えっと、そういう訳でさ……今週の日よ…いや、土曜日にこっちに戻ってきて欲しいんだ。お見合いさせたいんだって』

 『智代ちゃんも、もうそろそろ身を固めないとね♪』


 今更、見合いなんて……それにまだ私も朋也の様に、呪縛から抜け出していないのに。

 それに土日は大事な商談があるっていうのに。


 『ふふっ、母さん。絶対、姉さんあっちで顔しかめてるよ?』

 『あら残念だわ。せっかく苦労して親方にお見合いを取り持っていただいたのに……』

 『母さん、すごく頑張ってたしね』

 『でも、智代ちゃんが嫌なら別に帰ってこなくてもいいわ〜♪ 智代ちゃんに会えないのは残念だけど無理強いはしたくないしね』


 ちょっとホッとした。

 土日に帰ったら、最悪、今の会社を辞めなければならない。

 ホッとしたついでに、瞼が完全に落ちた。

 あとは意識が落ちるのを待つだけだ。


 『クスッ……母さん頑張ってたのに残念だね』

 『フフッ……そうねーでも智代ちゃん、こういうの嫌いっぽいしね』


 二人の忍び笑いが癇に障る。

 この二人がこういう笑い方をする時は、絶対に裏がある。

 話の流れからすると、何か私が断れない何かを用意しているらしい。


 『クスクス……連絡事項はこれだけ、じゃあね姉さん』

 『ウフフッ……バイバイ、智代ちゃん』


 おかしい、終わりみたいだ。

 いや、まだ微かにジーという音が聞こえる。まだ続いているらしい。


 『ああっ! そうそういい忘れていたわ♪』


 白々しい。

 ああ、もうこれを聞いたらスパッと寝てやる。

 動じずに寝れたら私の勝ちだ。

 さぁ、勝負だ!


 『お見合い相手なんだけどね、智代ちゃんより一つ年上で、地元で働いてる岡崎朋也さんっていう人よ。じゃあね♪』

 『じゃあね、土曜日の夕方ぐらいに駅前で待ってるよ。姉ちゃん♪』


 動じないどころか、瞼もパッチリ全開で意識もハッキリしている。

 完全に私の負けだ。

 と言うか、それは反則だ。

 朋也の事……母さんに喋ったな……帰ったらお仕置きだ。

 でも、良かった。朋也は立ち直ってるらしい。

 でも土曜の夕方って……今日じゃないか!

 あと14時間ほどしかない。

 うらむぞ母さん。

 それと会社にも連絡を入れないとな。『会社辞めます』と。

 荷造りもしないと……

 ああ、もう! することが多すぎる。

 でも、苦には感じない。

 ようやく回ってきたリベンジの機会なのだ。

 今度こそ私は負けない。

 必ず朋也を手に入れてみせる!

 もう負けは許されない。こんな機会は二度と来ない。

 背水の陣だ。

 ……さしあたっては退社理由は寿退社と言うことにしておこう。

 これでもう一人ではこっちに帰って来れない。





 「待ってろよ朋也! 私は……今でも朋也の事が好きなのだからな!」











 あとがき


 どうも、作者の秋明です。

 今回は、作者の一押しキャラの智代ちゃんです。

 一話まるまる使って智代ちゃんです。

 むしろ、今からでも他のヒロイン全て除外した(有紀寧以外)SSに変えてしまおうか? と思うぐらい智代好きです。

 でも、まぁ、好きだからこそ障害を作っていじめたくもなるわけで……(笑)

 でも、基本的にギャグだから、そんなシリアスになろうとしてもなれないけどねっ!

 さて、次は杏のお話。

 作者は杏も好きです。 ←節操なし

 春原もちょこっと出てきたりもします。

 ま、そんなわけで、次回のあとがきで会いましょう。

 それではー