最終話「色恋仕掛けのメリークリスマス」


 日が沈み 月も落ちて 星も燃えつき 

 物音も静まって 闇と静寂に包まれたら

 わたしたちは何を頼りにしたらいいんだろうか



 今日はクリスマス当日。イエス・キリスト生誕の日といわれています。

 そんな日に、わたし、椎名希未は、パジャマのままベッドで横に。

 いまはもうお昼過ぎ。

「っくしゅんッ」

 本日何度目かのクシャミ。つまり――風邪をひきました。

 体温計は三十七度。大した熱ではないけれど、大事をとって安静にすることに。

 こんなことになったのは、たぶん、昨夜のことが原因なんだと思う。



 クリスマスイブ。山崎先生に学校へ呼び出されたわたしと由梨子さんは、強引に大掃除を命じられました。山崎先生は英語の女性教師で清掃委員の顧問なんだけど、二十九歳で独身というピンチな状況にいるひとです。彼氏がいるわたしと由梨子さんに、ラブラブなクリスマスイブを過ごさせたくなかったんでしょう。

 もちろん逃げようとしたのだけど、運悪く由梨子さんは山崎先生に捕まっちゃいました。

 そしてわたしは……薄情にも由梨子さんを見捨てて逃げ出したのです。

 夕方過ぎ。イルミネーションが灯る街中を、わたしは和也さんと腕を組んで歩き、幸せなひとときを堪能していたのですが……由梨子さんを連れた山崎先生に見つかってしまいました。山崎先生は目に入るカップルを手当たり次第に襲撃している最中だったようで、わたしはものすごい形相の先生に追い回されることに。由梨子さんは当然として、和也さんも助けてはくれませんでした。

 そして山崎先生に捕まってしまったわたしは、すっかり暗くなるまで由梨子さんと一緒にカップル襲撃に付き合わされることになって散々だったのです。

『それじゃ、身体も冷えちゃったし、今から先生の家で反省会といきましょー』

『反省するのは、ひとりだけでいいような気が……』

『うぅ……おかあさ〜ん』

『さあ、レッツ・アフタークリスマスよ〜♪』

 結局イブの夜は由梨子さんともども山崎先生の家で泊まることになり、わたしは夜が明けて自宅へ戻ったんだけど、なんだか身体がだるくなって……そして現状に至るわけです。



「はあ〜、たいくつだなあ」

 安静にしていないといけないため、ベッドでごろごろ寝転がるだけのわたし。

 これが三十八度を超える高熱だったらこんな贅沢なことは言っていられないんだろうけど、なにしろ微妙な状態というのは退屈でしょうがなくて。

「ゆう子ちゃんに電話してみようかな」

 でも、風邪をひいて家で寝ているとヒマだからという理由で電話するのもなんだか照れ臭い。友達だから尚更そう思ってしまう。

「じゃあ由梨子さん……は駄目だよね」

 言ったそばから苦笑。昨日、少しでも恋人とデートできたわたしと違って、彼女はずっと山崎先生に拘束されていたのだ。今日はたぶん改めて洋一さんとのクリスマス当日デートに勤しんでいるだろうし、邪魔するわけにはいかない。

「そうなると……」

 わたしの一番大切なひとの顔が浮かんだけど、ぶんぶんと頭から振り払う。

 だって、昨日のことでとっても気まずいから。

「しょうがないからおとなしく寝ていよう」

 受け入れればすんなりと穏やかな眠りに包まれるのだった。



「……のぞみ。――のぞみ!」

「……う……ん」

 揺り籠のような振動に、わたしの意識はうっすらと覚醒へ促される。

 ぼんやりした視界に映ったのは……

「……? ゆう子ちゃん?」

「はいはい、スパッと起きてよだれを拭く!」

「??」

 むくりと上体を起こして、寝ぼけまなこをこすりながら口もとのよだれをぬぐう。

 そんなわたしをゆう子ちゃんは呆れたような顔で見つめてくるのだけど……なんでゆう子ちゃんがここにいるの? 万が一のために合鍵を渡したのは確かだけど。

「もう、だらしないわねー、髪もボサボサだし」

「ご、ごめん……」

 思わず謝ってしまう。でも寝ていたんだから髪が乱れててもしょうがないよ。

「あの……なんでゆう子ちゃんが」

「はいはい、それはね。ほら、先輩、入ってもいいですよ」

「え――」

「よっ、のぞみ先生。お邪魔」

「和也さん!?」

 部屋に入ってきた一番大切なひとに、びっくりした声を上げてしまう。

 お、お見舞いに来てくれたんだ……どうしよう、きっとわたし、すごく嬉しそうな表情になってると思う。は、恥ずかしいなあ。

「って、わわ、わたしこんなしわくちゃのパジャマで、髪もボサボサで……っ!」

 自分の今の状態にあたふた。うう、隣でゆう子ちゃんが溜息ついてるよぉ。

「やれやれ。ま、それじゃ私は行くから」

「えと……あの……待って!」

「ん、なに?」

「ゆう子ちゃんが和也さんを連れてきてくれたんだよね。――ありがとう」

「ふふふ、あとは恋人同士ごゆっくり」

 にっこりと笑んでみせて、ゆう子ちゃんは部屋を出て行った。わたしは心の中でもう一度感謝の気持ちをあらわにした。やっぱり、友達っていいな。

 それから、おもむろに和也さんのほうを見る。

「その、和也さん、昨日は……ご、ごめんなさい」

「ああいや、気にすんなって。つか山崎先生、すごい剣幕だったもんな……俺のほうこそ助けてやれなくて悪かった」

「いいいえっ、わたしこそ、せっかくのクリスマスイブだったのに」

 お互い謝ってしまうのがなんだか可笑しくて、思わずふたりして笑ってしまう。

「でも、お見舞いに来てくれて嬉しいです。もう退屈でしょうがなかったんですよー? お父さんとお母さんは一泊二日の用事で出かけて朝からいないですし……帰ってくるのは明日の昼過ぎになるって」

 だからこそ今日は一日安静にしているようにと念を押されたのだけど。

「……そうか、すると今日この家には俺とお前の二人きりということかっ」

「は、はい……そう、ですけど……」

「そうかそうか。ところで、よく見ると、のぞみのパジャマ姿も結構そそるものがあるな」

「あああのっ、和也さん?」

 ニヤリという擬音がぴったりあう口調で見つめられる。からかっているのか本気なのかわからないから、わたしは必要以上にテンパってしまって、

「そ、そんな、ダメですよ……っ! わたし、風邪ひいてるし……うつしちゃうかもしれないしっ……その、あの、熱を発したほうが逆に効果があるのかもしれませんけど、だからってあううう」

 もう、なにがなんだか。

 そんなわたしを楽しそうに眺める和也さん。はうん……判別はできなかったけど、やっぱりからかわれたんだ。

 じと〜っと拗ねたような眼差しを向けると、彼は笑って手持ちの袋から何かを取り出した。

「ほら、見舞いの品だ」

 それはリンゴやバナナといった果物ではなくて――やきそばパン。

 おまけにスーパーの値引きシールつきだった。



「……で、具合はどうなんだ?」

 わたしがやきそばパンを食べ終えたのを見計らって、和也さんがそう訊いてきた。はっきりと態度には出さないけど、心配してくれているのはわかる。

 風邪で寝込んでいるときに彼氏が見舞ってくれるというシチュエーションにはちょっと憧れてたから、災い転じて福と成すって感じかも。

「あの……大丈夫ですよ。微熱がある程度ですから、薬も飲みましたし、すぐに治っちゃうと思います」

「なんだ、熱があるのか?」

「あ、心配しないでください。本当に少しだけだから」

「そうはいってもな、ちょっと計らせてくれ」

 そう言って顔を近づけてくる和也さん。おでこを合わせて熱を計るつもりみたい。

 今朝にもう体温計で計測してるんだけど、せっかくなのでされるがままに。

 おでことおでこが触れる温かい感触。なんでだろう、不思議と懐かしさが溢れてくる。

 そんな、かすかな既視感に捉われたときだった。

「――!?」

 大きく眼を見開いてしまう。

 だって、不意打ちで唇まで触れ合う……キスで塞がれてしまったから。

「ん、ふぅ……」

 互いの舌が絡み合い、ほんのりとした吐息が漏れた。

 顔が離れても、わたしはただぼーぜんと口を半開きにするばかり。

「ああ、確かに少し熱いな」

 にかっと和也さんがいたずらっぽく笑ったとき、わたしは一気に思考が爆発した。熱暴走を起こしそうなくらい顔が紅潮して、胸がどきどきいって止まらない。

 わーっ! うわーっ!! ななな、なんて計り方を……

「悪い。その気はなかったんだが、やっぱなんかそそられて、キスくらいいいかなってな」

「ううぅ……からかうのか本気なのかどっちかにしてくださいよぉ」

 悪い気はしないけれど、これじゃ熱が上がってしまいそう。

「まあ、あんまり長居するのもなんだし、邪魔にならない程度で帰るつもりでいるけど」

「えっ……」

「のぞみの風邪が大したことないって分かっただけで充分だしさ」

「えと、その……はい」

 言いたいことがあるはずなのに、わたしは言葉を詰まらせるように頷いただけだった。

 駄目だなあ、わたし。付き合ってもう半年にもなるのに、自分の短所というものはそう簡単になんとかなるものじゃなくて。

「……のぞみ」

「あっ、は、はい、なんですかっ」

「お前さえよければ、今日は泊まってやってもいいけど」

「えっ!」

「いや、えちぃ意味じゃないぞ。居間のソファで寝させてもらうし」

「……和也さん」

 うん。やっぱり、わたしはこのひとが大好きだ。



 夜も更けて就寝の時間。

 電気を消そうと思ったら、突然に部屋が真っ暗になった。

「て……停電!?」

 見渡す限り真っ暗闇。あわてて窓に眼をやるも、町中停電しているらしくて明かりらしい明かりひとつ見えない。懐中電灯を探そうにも普段使わないからどこに置いてあるかわからなくて、手探りで部屋の中を動き回っているうちにあちこち身体をぶつけてしまう。

 痛みよりも怖さが背筋を這い上がってきて、

「うぅ……和也さん……和也さ〜ん」

 わたしは泣きそうになりながら、居間への廊下を這うようにして進んだ。

 すると――

「のぞみ、ここだ」

「か……和也さんっ」

 足がもつれるのも構わず声のした方向へ駆け寄ったわたしを、和也さんはしっかりと抱きとめてくれた。

 いっぱいに満ちてくる安堵と温もり。全身の力が抜けるような感覚。

 わたしは和也さんの背中に腕を回し、その広い胸に顔を埋める。

 淡い明かりが、抱き合うわたしたちの姿を燈した。

 彼がつけてくれたのだろう、一本のローソクによる仄かな明かりだった。



 心の外の光が明るすぎて気がつかないけれど

 心の中の光こそ 

 わたしたちの行く末を

 確かに照らしてくれるのにちがいない


 (了)